15
町の片隅にある、小さなアパート。そこでは同じ頃に病院の中で暗い表情になっていた男とは正反対の明るい声がその場を支配していた。
「さて、ここがマーカスさんの部下の家だよ! やっとついたね!」
「ええ、ちょっと距離あったね! ……だんだん、このテンションにも慣れてきたなぁ」
少し疲れた様子のアンは苦笑混じりの声を上げる。それなりに体力のある彼女だが、今日は全力疾走した事もあってその許容出来る量を越えたらしい。
それでも、アンは疲れよりも呆れを優先させた。此処へ来るまでの間中喋り続けた性か、彼女はもう恭助に慣れきっていた。
「はは、君にも元々そういう資質があったんじゃないかな?」
「ちょ、冗談言わないでください。親代わりは確かにあんな性格でしたけど……あたしはそういうのじゃ!?」
慌てた様子で、アンは反論する。此処までの道で彼女はマーカスとも話していた。
口調に少し遠慮が見られるのは、遙かに年上だからなのと、恭助ほど慣れていないからだろう。
「自覚してないだけかも!」
「そうかもしれませんなぁ。ま、それはさておき……そろそろ、部下に挨拶をせねば」
気を取り直した様に、マーカスは話を続けた。彼らは今、アパートの扉の前で立っている。
「大金を預けるなんて、挨拶って次元じゃない気がしますけど」
『挨拶』と書いて、『めいわく』と読めてしまうのは、アンの気の性ではないだろう。自分で蒔いた種とはいえ、アンはその『マーカスの部下』に同情的な気持ちを向けた。
しかし、恭助とマーカスは笑顔のまま扉を軽く叩いた。
「ああ、大丈夫。彼らにとってマーカスさんに無茶をさせられるのは辛い事じゃないから」
扉が何度か叩かれると、すぐにそれは開き、中から一人の人間が現れた。特に飾り気は無いが、楽しそうな顔をしていた。
それがマーカスの部下であるとアンが認めた瞬間、それは目の前に居るマーカスに挨拶をする。
「お久しぶりです、マーカスさ……ん?」
言葉は最後まで続かなかった。マーカスへ挨拶をしようとしたそれは、隣に居る少年を見て意外そうに目を丸くしたのだ。
「きょ、恭助さん!?」
「はーい! 僕でーす! あは、久しぶりっ! 確か……前にマーカスさんの部下総出で僕と顔合わせをした時以来だっけ? ……ってあれ? 何で君が?」
「あ、はいお久しぶり、じゃなく! 一体何故、あなたが此処に?」
マーカスの部下が首を傾げて恭助に訪ねたが、恭助とマーカスはその言葉に答えを返さなかった。
勿論、それには理由がある、扉の前に立っているその人物は、彼らにとって予想していない者だった。
「いや、どうして君も此処に?」
マーカスの声音はまさしく困惑している物だった。そう、目の前に居る人物は彼の知るその部屋の住人では無かったのだ。それも部下の一人ではあったが、少なくともそこに居るのは別の人物の筈だった。
その目に気づいたマーカスの部下は、照れるような表情で彼らの疑問に答える。
「あ、マーカスさん。その、一緒に住んでるんです。同居人は今、仕事中で」
「……ああ、成る程な。分かった、覚えておく。それで本題なんだが……」
言い難そうに告げられたそれに納得し、微笑ましそうな顔をして頷くマーカスは、すぐに本題に入っていく。
隣に居る恭助も何度か頷いていて、祝福する様な喜びを表した顔をしている。
だが、アンはそれどころではなかった。
「改めて思ったんだけど、あなた達はどういう関係……?」
アンは、正体不明の何かを見た様な目で三人---特に恭助を見た。
マーカスと親しいとかその次元ではなく、恭助の立場がどれほど高いのかを理解したのだ。何せ、年上である筈のマーカスの部下の声は子供の恭助に対し、明らかに敬意を込めていたのだから。
驚いた様子のアンの声は、恭助の耳にも届いていた。しかし恭助はそれに返事をする事無く、マーカスの部下へと声をかける。
「それがねー、この子の事と……マーカスさんの持ってるお金の入ったケースの中身を預かって欲しいなぁって!」
言いながら、恭助はケースをマーカスから受け取って付きだし、アンの肩を引き寄せようとして、少し背が足りなかったのか腕を掴んだ。
その様子に、マーカスの部下は嫌そうな顔をする。アンにはその意味がよく分かる。面倒事に巻き込まれた、そういう顔なのだ。
「なんだか果てしなく嫌な予感がしますが……まあ、いいです。マーカスさんも含めての頼みなら、断れない」
「すまないな、金の方は『島』に持っていくから少しの間だけでいいんだ」
本当に申し訳なさそうなマーカスの声を聞いて、部下は軽く手を振って気軽そうに笑う。
笑いながら、ケースの中身を開いてその金額に目を見開いたが、すぐに落ち着いたらしく先ほどより少しだけひきつった笑みが戻っていた。
「……はは、大丈夫ですよ。一応、金庫は持っていますから……あ、入ってください」
ケースの中身を部屋の奥にある金庫の中へ詰め込み始めながら、部下は三人を部屋の中に招待する。
それを聞いた三人は、一人を除いて遠慮無く部屋の中へ入っていく。恭助とマーカスは部屋の端にあるソファに腰掛けて、金庫に入れ続ける部下の姿を眺めていた。
「へぇ……こういう部屋なんだ……」
遠慮がちに、しかし初めて見る部屋を物珍しそうに見て回っているアンは、部屋の隅に畳まれている服が男物と女物に分けられている事に気づいて、二人が元々会う筈だった人物の性別を知った。
「成る程ね……そういう、事なのか」
「良し! じゃあ、お姉さんはシャワーでも浴びてきたら?」
アンが納得した様子で頷いている中、ソファから唐突に声がかけられた。
それが恭助である事は勿論アンにも分かり、その内容にアンは思わず自分の服の臭いを嗅いで眉を顰めた。
「ん……? あ、確かにちょっと汗臭い。あの、使っても?」
金庫に金を詰め込みながら、マーカスの部下はアンに笑いかけた。
「ええ、勿論良いですよ」
「……? いや、汗くさい? そうじゃなく……ま、いいや。浴びてきなよ」
気安げな態度で、まるで自分の家の様に言う恭助に、アンは苦笑した。
しかし、マーカスの部下は先ほど金を預けられた時と違い嫌がる様子は無い為、そういう物かと受け入れた。
「キョースケが言う事じゃないと思う。あ、タオルとか……お願いできます?」
「タオルは中にあるので、お好きに。あ、服はそこにあるのを適当に使ってください」
金を入れ終えて、マーカスの部下は金庫を閉めながら部屋の隅にある畳まれた服を指さす。
「あ、分かりました……あの」
「はい?」
女物の服を手に取りながら、アンはマーカスの部下へ目をやる。何やら、面倒そうだったが---同時に、楽しそうな表情をしていた。
それによく似た表情をする人物を知っているアンはいつの間にか親愛が籠もった声をかけていた。
「あたしの親代わりの一人はあなたみたいに振り回されるタイプでした。でも、楽しそうでした。やっぱり、あなたも?」
アンの心の中に浮かんできたのはトニーの姿だった。ダンプに長年振り回され、たまに命の危機に陥る事もあるトニーは、それでもダンプと共に行く事を楽しんでいたのだ。
マーカスの部下は、一瞬驚いた様な顔をする。だがすぐに笑顔になり、勿論だとばかりに頷いていた。
アンが嬉しそうな顔でシャワー室に入っていってからすぐ後、マーカスは思い出した様に口を開いた。
隣では、恭助がシャワー室の扉へ目をやっている。どうやら、マーカスの声は聞こえていない様だ。
「ああ、そうだ。金の保管以外にも頼まなくてはいけない事がある」
その口調こそさも忘れていたかの様だったが、その奥にはまるでアンに聞かれたく無かったかと言いたげな色が見て取れる。
それに気づきつつ、マーカスの部下はまた面倒事の気配を感じて冷や汗を流した。
「……それは、どういう?」
「ああ、色々調べて欲しい。書類は……この部屋に入れられる物は少ないか、あのケースを使えばいいだろう。本来は君に頼むつもりじゃなかったんだが……留守では仕方ない」
肩を竦めながら、少し申し訳なさそうにマーカスは頼み込む。
部下はため息を吐き、次の瞬間には真剣な表情になった。彼らにとって、マーカスは上司であり、大切な人物だ、彼の頼みを断る部下は一人も居ない。
「で、書類は我々の情報網を書いた物でいいんですね? それでは、一体どのような情報を?」
マーカスは出来るだけアンに聞こえないように、小さな声で言った。
「それは---」
それを聞いた部下は、何故この場にマーカスが現れたのかを理解した。この家に住んでいる者に頼みたい訳だ、と。
「……なるほど、理解しました。では、すぐに出発します」
それを理解してからの部下の行動は早かった。ケースを持ったかと思うと上着を取って羽織り、どこからか銃を取り出して懐に入れた。
慣れた手つきで、素早い動きだ。マーカスはその部下の姿を満足げに見つめていた。
「どしたの?」
そこでようやく彼らの方へ意識をやった恭助が首を傾げている。その時には、既にマーカスの部下は準備を終えて扉へと手をやっていた。
「では、行って参ります」
「おや、どっかいくんだね! 行ってらっしゃーいっ!」
恭助の言葉を背に、部下は外へと消えていった。
数分後、楽しげな様子でマーカスの部下を送り出した恭助は、何故か首を傾げていた。
「あの子の事……調べるの?」
「は?」
マーカスは思わず呆けた声を上げて、目を点にした。先ほど、楽しそうに部下を見送ったにも関わらず、恭助は何も聞いていなかったらしい。
しばらくの間呆けていたマーカスだが、それで黙り続けても何にもならない事を理解していた為、気を取り直して恭助の言葉に返答する。
「……今更ですか。まあ、そうなんですが」
「ふーん……ま、そうなるよね。うん、あの子の事を考えれば、そうだろうね」
恭助の口調は、何かを知っている様だった。まるで何でも知っているかのように話すその姿に、マーカスはふとエィストの事を思い出す。
そこで、マーカスは恭助に対する疑問が浮かんできた。それがエィストなら聞かずとも『そういうもの』として理解するが、相手は恭助だ。
マーカスは、その疑問を恭助に聞いてみる事にした。
「そういえば、あなたはどこであの子を知ったのですか?」
「んー? どういう意味で?」
「そういう意味です」
要領を得ないマーカスの返答を、しかし恭助は理解したらしく、楽しそうな笑みを浮かべて答えようとする。
「ああ、それは……」
その瞬間、シャワー室の扉が開いた。
「ふう……気持ちよかった」
「あ、お姉さん! もう出たの?」
恭助はマーカスの疑問に答えず、アンの側に近づいていく。アンは既にシャワーを浴び終えたらしく、体は蒸気を上げていて、丁寧に手入れをしたのか髪は艶やかだった。
その姿に恭助がほんの少し目を輝かせる中、アンはそれに気づかず一度伸びをして、恭助の方を向く。
「ああぁ……落ち着いた。キョースケも入ってきたら? 気持ちいいよ?」
アンは少し恭助の姿を見つめる。自分以上に走った筈だというのに、恭助の肌には汗一つ無く、疲れた様子も一切認められなかった。
それをアンが見て取った事を理解したらしく、恭助は笑顔で首を振った。
「んー、僕は大丈夫! ほら、汗もかいてないし! ま、その、汗は殆どかかない体質でね」
「……そっか、それで……あれ? さっきの人は?」
恭助の言葉に何やら意味深げな物を感じつつ、アンは周囲を見て、そこに先程まで居たマーカスの部下が居ない事に気づき、首を傾げる。
それに対し、マーカスと恭助は同時に答えていた。
「ああ、ちょっとばかり野暮用らしくてね」
「出かけるんだって!」
完璧な微笑みを浮かべたままのマーカスに対して、恭助の表情はわざとらしい程に何かを隠している事が分かる物だ。
わざと隠している事を表して居るのだろう。しかも、恐らくは面白半分で。
「ふーん……そうだ、あたしはどこに座ればいい?」
恭助を見ている内に、何故か自分の人生をおかしくしてしまう様な危機感を覚えてアンはそれ以上マーカスの部下の事を聞かない事を決める。
そのまま周囲を見回して、座る場所を見つける。頑丈そうな木製の椅子だ。先程までマーカスの部下が座っていたそれにアンは腰を降ろそうとして、恭助がそれを止めた。
「シャワー浴びたばっかりなんだし、しばらくベッドで休んでたら? そっちの方がきっと良いよ?」
「いやでも、人のベッド……」
「そうした方がいいと思うね。いつ、何が来るか分からない」
恭助の気遣わしげな言葉を肯定する様に、マーカスが援護を加えた。アンは少し抵抗があったが、二人の言葉に折れる事となる。
「ん、じゃあ……そうしよっかな」
そのままアンはベッドに寝転がり、大きく息を吐いた。
「なんだろ……ちょっと眠くなってきたかも……」
「ん、じゃあ寝てみたらどう?」
「そういう訳にも行かないよ……何かあった時の為にも、起きておくから」
とはいえ、ベッドは存外に寝心地がよく、眠いのは事実だ。アンはそれを忘れる為にも、ベッドの横にある窓から外を見た。
「……あ、良い景色」
そこは『島』を覆う湖の近くに建っているアパートだ、窓の先には、日の光で照らされる湖が美しくその姿をのぞかせていた。
「そういえばここ、割と景色良いんだよね……」
「なるほど……それは、愛も高まる筈だ」
マーカスは何度か頷いて、他人の色恋沙汰を話す者特有の楽しそうな顔をする。
それを見たアンは、唐突に出てきた話に少し戸惑いながら、先程まで居たマーカスの部下の姿を思い浮かべた。
「あ、愛……? それって、この部屋に住んでるっていう人の事ですか?」
「まーねー。そんな様子、全然無かったのにっ。教えてくれれば嬉しかったなぁ」
さも悔しそうに、恭助は顔を掻いた。人の色恋沙汰に首を突っ込むべきではないとアンは感じていたが、言っても無意味そうなので、止めた。
「愛、かぁ……あたしもいずれは……」
「へ? そんな予定、あるの?」
驚いた様子の恭助に、アンは「失礼な」と言いたげな顔をする。
「そりゃ……あたしだって、そういうの、いいな、なんて思う事はあるよ」
「へぇ……ふふ、その時が楽しみかもね」
「さぁ。異性どころか同性の知り合いも片手で数える程しか居ないんだから、ずっと先になりそうかな」
アンは夢を見る様な顔をしている。まだまだ先とは分かっていても、淡い期待めいた物が彼女の心にあるのは事実だ。
---恋、恋か……あたしのオリジナルは、した事あるのかなぁ
アンは自分の元になった存在について思いを馳せた。彼女は、その存在自体はまったく嫌っていないのだ。
---酷い病気ってくらいだから、きっと辛いんでしょうね……死にたくない、だろうなぁ
ふと、そこでアンは自分の心に芽生えた考えに息を吐く。
---あぁ……あたし、こんな事も考えてなかったんだ……
アンはそこで気づいたのだ。自分が、その存在も生きている事を何一つ考慮しなかった事に。
『生きる意味』も『死ぬ意味』も見いだせていない彼女にとって、それはかなりの衝撃だった。
「やっぱり、その子は意味を見つけてるんだろうなぁ……」
「ん? どうしたの?」
「……いいや、何でもないよ」
恭助に適当な返事をしながら、アンは物憂げな顔で窓の外を眺めて---アパートの下に広がる道路に何かに、一瞬にして顔色を変えた。
「……?」
それまでの話の流れを完全に無視して息を呑んだアンを見て、恭助は首を傾げる。
だが、アンはそれに反応する余裕も無く、ただ一つだけ、呟いた。
「----誰か、近づいてきてるみたい」
2012/8/28




