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レストラン『アンダースイージ』
この町の治安があまり良くない場所に存在するレストラン、周囲の店では昼間から酒を飲んだ男達が喧嘩を始め、それを煽る声が響き、賭事にしている者達も居て如何にも騒がしい。
しかし、そのレストランだけは違う。そう、その場所には暴れる客も煽る客も賭ける客も、誰一人として---居なかった。
客層が違う訳ではない、そのレストランに居るのも一見してそうだと分かる客達だった。
では何故、客達は黙っているのかというと、理由は一つだ。店長である。
その店を一人で経営している者がどれほど凄まじい実力者なのか、どれほど恐ろしいのか、ほとんどの者は知っている事だった。
そんな店内に、恭助とアンは居た。
「クローン、かぁ……いや、身につまされる話だなぁ、なんて思ってね」
「……? どういう事?」
大人の多い客達の中で二人の子供は浮いている。だが、両者ともそれを嫌がる様子はまったく無く、恭助に至ってはむしろ楽しんでいる節すら見受けられた。
「いや? 気にしないで?」
「……まあ、いいけどさ」
アンは恭助の思わせぶりな言葉に首を傾げたが、恭助はどうやら話す気が無いらしい、という事を理解したアンはそれ以上聞かず、再びメニューに目をやった。
この二人はレストランに誰よりも早く到着していた。
恭助は「待ち合わせの時間より早く来てしまった」と苦笑していたが、それは間違いなく予定調和なのだとアンは理解できていた。
何故なら、アンがメニューと格闘し始めたその時、恭助は既に注文を終えて、アンが注文を決められず頭を抱え始めた時には---大きなガラスに乗せられた食べ物を口へ一生懸命に運び始めていたのだから。
アンはそれが『パフェ』と呼ばれる物だと知ってはいた。昔の写真で見たそれより五割増しで大きく、二倍ほど甘そうでなければ、だが。
見ているだけで胸焼けがやってくるその食べ物を、恭助は本当に美味しそうに食べていた。その光景に、思わずアンは口を開く。
「……それ、おいしい?」
「むぐ? むむ……良し。うんっ、最高に美味しい」
口の中に入っていた物を飲み込んで、恭助は最高の笑顔で答えた。そうしている間にもパフェの菓子を口に運んでいるのだから、凄まじい事だった。
「そ、そう……うん、美味しいならいいか」
それを見ている間にアンは思わず喉の奥に何かが詰まる様な、そんな感覚を得て自身のメニューを見る事に戻る。
彼女はまだ自分の食べる物を決められていなかった。恭助の食べる物を見たのもあったが、初めて見るレストランのメニューに圧倒されてそれ所ではなかったのが大きい。
「どうしよう、どれが良いんだろ……あぁー……決まらない」
ため息混じりの声だったが、アンは楽しげだった。
「適当に、一番上とかでいいと思うんだけどなぁ、全部良いよ?」
「そういう訳にもいかないと思うの。あたし、初めて食べる物はちゃんと決めたいから」
アンの顔はあくまで楽しそうなままだ。それが選ぶ事自体を喜んでいる様に見えて、恭助はそのまま口を閉ざし、また自身のパフェを食べる事に戻る。
アンはメニューをもう一度最初から読み始める。これでもう、八回目だ。いい加減決まりそうな物だが、それでもアンは決められなかった。
「どうしようかなぁ……ふふっ」
小さな笑い声が勝手に漏れだしていた。しかし、アン自身はその事に気づいていないらしく、ただメニューの文字を追い続けていた。
---本当に、楽しそうだなぁ。連れてきて良かった
その姿に当然気づいていた恭助は微笑ましそうにアンを見つめていた。
---迷う姿もキュート? っていう表現で良かったかな?
心の中でアンの挙動を楽しみ、その多幸感をパフェと共に飲み込む。
そう、恭助がこれほどパフェを食べていたのはその性だった。勿論、元々好きでもあるのだが、普段の彼はそこまでの量を食べる訳ではないのだ。
---うん、まあいいや。それよりもう一口……あ、終わってた
そんな彼は、もう一度パフェを口に運ぼうとして、先ほど食べた物が最後だという事を今更になって知った。
気づかない間に器に付いた物まで取っていたらしく、器はまるで洗った後の様な状態になっている。
ことのほか、スプーンが進んでしまった様だ。それを理解した恭助は少し反省する事にした。
---これからは、もっとゆっくり食べないとね
この様な事で落ち込む恭助ではない、そもそもその様な事をする回路は彼にはないのだ。
そんな恭助は反省を止めるとすぐにアンの「隣」を見た。まるで、その場に誰かが来る事を知っていたかのように。
---さて、そろそろ……来たかな?
恭助がアンの隣を見たのと完全に同じタイミングで、アンに声をかける者が現れた。
「あの……一つ、よろしいでしょうか?」
「……え、はい?」
未だに決まらないメニューを相手に長時間頭を働かせていたアンは、それに夢中だった為に声への反応が若干遅れていた。
それでもアンは意識を声の方へ向け、声の主を見た。
---白っ……あたしより白いっ
そこに立っていた同い年くらいの少女へ抱いた第一印象はそれだった。
雪の様な儚さを感じさせる少女だ。アン自身もビルの中でほとんど幽閉されていた身だけに陽光には余り当たらなかった為、肌は白い。
それを上回る程に少女の肌は白いのだ、その姿はある種神秘的であり、同時に---病的な何かを感じさせる物だった。
「あの、聞こえていますか?」
話しかけるなり黙り込んで見つめてくるアンに、少女は何故か心配そうに声をかける。
その声を耳に入れたアンはようやく我に返った。
「……っ、ああ、うん。大丈夫、聞こえてるから。で、何?」
「このお店はパスタが絶品ですよ。特に……コレが一番です。良かったら注文してみてください」
言いながら、少女はアンの持っているメニューの一つを指さす。長時間首を捻りながらメニューを眺める姿を見て、背中を押しに来たのだろう。
が、アンはメニューを選ぶ事を楽しんでいたのだ、余計なお世話だと----思わなかった。むしろ、少女がそれを教えた瞬間、アンの中では『決定』という言葉が上がりすらしたのだ。
アンはメニューを決めると早速注文し、見知らぬ少女に対して笑いかけた。
「ありがと、お陰でやっと決まったよ」
「いえいえ、私は只、オススメを教えただけですから」
「その紹介が欲しかったんだ……大した事じゃないかもしれないけど、あたしは本当に助かったんだよ」
心からの気持ちが籠もった礼だ。アンはそれを言い慣れていないが、何故か目の前の少女にはハッキリと、力強い雰囲気で言う事が出来た。
----まるで、鏡に話しかける様に。
「そうなんですか? それは良かった……」
安堵の息を吐く少女をアンはもう少し良く見る事にしたらしく、じっと見つめていた。全身から優しげな雰囲気が溢れている少女だ、初めて見る類の人間だった。
ふと、アンの目は少女の髪の毛へと向いた。
---あ、赤毛……懐かしいなぁ、前はロングにしてたっけ
自分との小さな共通点に、アンは小さく笑みを浮かべる。
「赤毛の方、私以外では初めてお会いしました」
少女もまた同じ事を考えていたらしく、アンと似たような笑みを浮かべていた。だが、似ている部分には気づく事無く、アンは楽しげに返事をする。
「うん、実はあたしも初めてなんだ」
「そうなのですか? 珍しいんですね」
納得した様に頷く少女に、アンは訂正を加えなければならないと思った。外に出た回数の少ない自分の言葉で納得させてはならない、と。
普段はその様な事はあまりしないのだが、目の前の少女だけは何故か「例外」と捉えてしまう。
「……うーん、赤毛が多いとか、少ないとかは知らないんだけどね。でも、あたしは初めて見るかな。家庭が特殊でね、あんまり外に出して貰えなかったんだ」
「あ、実は私も家庭が特殊で外には滅多に出られなかったんです。だから、私も珍しいかどうかは分かりません」
「へぇ……じゃあ、やっぱりどこかのお嬢様?」
「……一応、そう呼ばれる事はあります。それを『それ』として捉えて良いのかは分かりませんけど」
アンの言葉はある程度的を射ていたらしく、少女はほんの少し驚いた顔になったが、すぐに楽しそうな顔になる。
それはまるで、初めて同世代の人間と会った様な反応で、内心、親近感を覚えていたアンにとってはそれが---何となく、嬉しかった。
そこで、アンは恭助が少女を見つめている事に気づいて、紹介する事にした。
「あ、そうそう。こっちはキョースケ」
「ん? あ、こんにちは!」
そこでようやく少女の存在に気づいたかのように、少年は挨拶をして、少女の方には手を差し出す。
恭助の手を握手の意志だと受け取った少女は、丁寧な手つきで恭助の手を握って微笑んだ。
「ええ、こんにちは」
その笑みに、恭助は思わず息を呑む。気安く握手をしたが、それが何よりの幸運だった事を恭助は知った。
それは優しく暖かく、儚げで---何より、力強かったのだ。
「……! こ、この人……っ!」
何を思ったのか、恭助は顔を真っ赤にして少女から目を逸らす。
それが何を意味するのか、隣で立っていた男にはよく分かる。自分に対して何もしないのは、恐らく、屈強な大人の男だからなのだろう、という事も含めて。
だが、それを理解した男は面倒そうな顔になった。
「あー……はいはい、ガキの初……悪かった。無神経だな。まあ、そういうのを見る趣味はねえんだが」
「いや、初めてじゃないんだけど……うん」
途中、恭助の目が妖しく輝いた事で男は本来言おうとしていた事を言えなかった。
その恭助の口調も歯切れが悪く、何かを隠すかの様だ。
「……? どうかなさいましたか?」
「いや、分からないの?」
あからさまに態度に見せた恭助の反応は、しかし少女には伝わらなかったらしく、彼女の首を傾げさせるだけに終わっていた。
とはいえ、アンの信じられない物を見たような声は気になったらしく、少女は途端に不安そうになって恭助の顔を覗き込む。
「あの、もしかして私は何か、とても失礼な事をしてしまったのですか?」
余計に恭助の顔が赤くなったが、少女が気づいた様子はない。
「……うわぁ、本物だこの娘。トニーさん、本物が居たよ」
アンはそれを見て、「これがトニーさんの言っていた朴念仁という人種なのか」と納得していた。
三人の隣で、大人一人が声を上げて笑いそうになっているが、何とか口を押さえて止めていた。
眠い。ところで、今日がにじファン最後の日ですね……かねてより、何か書こうと思っていた身としてはショックです。ちなみに、更新ストックは終盤(大体ここから5万字)くらいまで書けているのですが……ペースが遅くなりがちです
2012/7/20




