第二話
夕方五時のチャイムが鳴ってから三十分。
チラホラと自分のデスクから立ち上がる社員たち。
「あっ!
セーンパイ!
お疲れさまでしたぁ!」
「……兼子さん、お疲れさま。」
「あれぇ?
先輩は残業ですか??
急ぎの仕事なんて有りましたっけ?」
「……ええ、少しだけね。
(……あなたが勤務終了時間ギリギリに渡してくれた書類チェックという残業なんですけどねー……)」
バッチリとメイクをやり直し、香水も付け直したのだろうか?
朝一番と同じくらい化粧特有の香りを纏った華乃に、葵はため息をつきたくなる気持ちをグッと堪える。
「そうなんですね!」
薄い微笑みを浮かべて、表情を変えることのない葵へ華乃はニッコリと華やかな笑顔を向けた。
「先輩はいつもお仕事が一番って感じですけど、勤務終わりにデートしたりされないんですか?
あ!ちなみにぃ、私はこれから合コンなんです!」
他の人には秘密ですよ!、と楽しげに華乃は笑う。
「私の友人が、あの大企業の鳳凰堂ホールディングスのエリートと知り合ったらしくて!
それでぇ、鳳凰堂の御曹司も参加する合コンを設置してくれたんですぅっ!」
「そうなのね」
きゃあっ楽しみ!とはしゃぐ華乃に対し、変わらぬ微笑みを葵は浮かべ続ける。
「あっ!いっけない、もうこんな時間!」
金色の華奢な腕時計を見て、急に慌て始める華乃。
「先輩も!
素敵なご縁があるといいですね!」
お疲れさまでしたぁ!、と慌てていたはずなのにゆっくりと歩いて行く華乃の背中。
「…………。
(……やっぱり、確信犯よね……アレは)」
扉の向こうに消えた華乃に背を向け、己のデスクに向き合いながら葵は思う。
「……現代はシンデレラに優しくないと思うけどなぁ……」
色々な考えが脳裏を巡り、苦笑交じりに溢れた葵の一言。
「シンデレラって何の話ですか?」
「っ……?!」
突然デスクに影が差し、誰にも聞こえることなく消えるはずだった葵の一言を拾い上げたものがいた。
「犬飼くん、か……ビックリしたぁ……」
「驚かせる気はなかったのですが……申し訳ありません。」
日本人の平均身長を有に超える身の丈を小さくして、彰良は申し訳ないと謝る。
「私の方こそ、勝手に驚いてしまってごめんなさい。
(なんか……こういう時の犬飼君って叱られた大型犬っぽいのよね……。
思わず撫でくり回したい可愛さがあると言うか……)」
悪戯をして叱られたゴールデンレトリバーのように、葵には彰良に尻尾を丸め、耳が垂れた幻想が見えた気がした。
「それで、シンデレラって何の話ですか?
もしも、兼子さんのことをシンデレラと言っているなら自分は違うと思います。
彼女は意地悪な継母を虐め返して高笑いする性格だと思いますが?」
「ぶふっ?!」
真面目で大人しく無口な印象しかなかった彰良の毒舌に、被っていた猫も忘れて葵は吹き出してしまう。
「ふっ……ふふっ……い、虐め返して高笑いって……!」
「我ながら的を得ていると思うのですが……そんなに面白かったですか?」
ツボに入ったのか、笑いが止まらない葵に彰良は頬を掻きながら首を傾げてしまう。
「(真面目キャラなうえに、大きな身体で、その仕草が似合う不思議……!
えー……これが噂のギャップ萌え?)」
目尻に浮かんだ涙を拭いながら、葵は彰良の仕草を見て変なことを考えてしまう。
「やっぱりまだ残ってた。」
「っ……!」
油断していた訳では無いが、背後にある入り口の方から聞こえてきた声に葵は嫌そうな表情を浮かべてしまう。
「……黒木さん、何か御用ですか?」
「就業時間外まで恋人に対して名字呼びはやめようよ。
恥ずかしがらずに拓矢って呼んで?」
「………………恥ずかしいので、無理ですね」
「ま、そういう真面目なところも魅力的だよ」
「…………そうですか」
脱げかけていた猫を被りなおし、表情を変えずに塩対応な葵を気にすることなく拓矢は笑顔を向ける。
「ねえ、葵。
仕事なんて明日に回して、ご飯行こうよ。
俺、お洒落なお店を知ってるんだよね。」
「……いえ、無理です。
急ぎの仕事なので……」
「えー!
じゃあさ、パパっと終わらせちゃいなよ。
十五分くらいなら待ってあげるからさ!」
「いや、十五分はちょっと……。
(明らかに断っているし、乗る気じゃない相手に対して待ってあげるって……。
本音は私とご飯なんて行きたくないからってあからさますぎない?)」
葵が断っているにも関わらず強引な態度の拓矢に苛立ちを覚える。
いっそのこと引っ叩いてやろうかと葵が思ったその時。
「黒木さん、すみません。
自分の仕事ではあるのですが、立花先輩にご指導を頂いてます。
朝イチで提出する資料なので、今日中に終わらせる必要があります。」
拓矢と葵の間に山のように大きな体を割り込ませた彰良が静かだが、有無を言わせぬ声音で告げる。
「え、いや……でもさ、別にお前は一人でも……」
「恥ずかしながら自分だけでは分からない部分も多い案件です。」
自分よりも大きな背丈、ガッシリとした体つきの彰良に及び腰の拓矢は、チラチラと助け舟を求めるように葵へと視線を送る。
「…………」
葵は拓矢の視線に気が付かないフリをするが、その視線すらも遮るように彰良が葵を背に庇う。
「明日の朝までに終わらなければ、営業部の課長にもご迷惑が掛かるかもしれませんが……宜しいですか?」
「っ……みんなに迷惑をかける訳にもいかないし、今日は諦めるよ。」
ジロリと視線を強くして譲らない雰囲気を醸し出す彰良に対し、拓矢は一瞬だけ悔しそうに眉を寄せる。
「葵、あんまり遅くならないようにな。
夜が遅くなると可愛い女の子は危ないからね。」
だが、すぐに笑顔を浮かべて葵へと手を振り背を向ける。
「………………可愛げねー地味子のクセに……」
「(聞こえてますけどー。
そんなもん、自分がよく分かってるつーのっ)」
葵達へ背中を向けて負け惜しみのように呟いた拓矢の一言。
本人は小さな声で聞こえないように呟いた一言でも、静かなオフィスにはやけに響いたのだった。




