崩壊
北海道ではすでに披露宴が始まっていた。乾杯の挨拶は、新郎の伯父が務めた。
「カンパーイ」
拍手の音のあと、瞳の声が聞こえた。
「プハーッ」
注がれたビールを一気に飲み干した。
「うまぁ〜」
「じ…純子さん、無理に飲まなくて良いんだよ」
隣で亮が慌てている声が聞こえる。
「ダメだ…これもう私じゃない…」
檜垣はめまいを感じて、壁に倒れかかった。
「料理も美味しそ〜、フィレ肉でしょこれ。亮さんセンス良い〜」
瞳が亮の肩を叩く。
「いや…これ、純子さんが選んだ料理だよ」
亮が戸惑いながら、瞳に言う。
「ダメだ…もうバレた。私は終わりだ」
檜垣は床にベッタリと座り込んでしまった。
「あは、私ウエディングプランナーだから、お客さんから受けたオーダーとごっちゃになっちゃって」
瞳が適当に誤魔化すと、亮は笑顔で頷いた。
「そうだよね! 純子さんの仕事柄、料理もたくさん見てるもんね」
亮が笑顔で応対していることが、インカムを通しても伝わってきた。
「あれ、純子さん左利きだっけ?」
[しまった!]
[しまった!]
姉妹が声を合わせた。
またも亮の声が聞こえた。瞳は左利きだが、檜垣は右利き。
「瞳!『私、両方使えるの』って言って」
「あ、私、『両刀遣い』なの!」
檜垣は白目を剥いて、床に背中から倒れ込んだ。
「じ…純子さん…ちょっと酔ってるのかな…それは、『二刀流』ってことだね」
亮が慌てていた。
「瞳…結婚式じゃない…今日は私の命日だよ。檜垣純子、享年33歳…」
[チーン]
「檜垣さん…檜垣さん…」
上原の声がイヤホンから聞こえ、ハッとして檜垣が起き上がる。
「は、はい!」
「お色直し中の部屋へ来て頂けますか」
上原からの連絡で、新婦がいる部屋へ走った。
「どうなさいましたか」
檜垣が部屋に入ると、新婦が今にも泣きそうな顔をしていた。
「両親へ書いた手紙が無いんです。どこを探しても…」
「お部屋もすべて確認したのですが…」
介添のスタッフが報告した。
「分かりました、大丈夫ですよ。まだ時間はあります」
檜垣はプロの笑顔を見せ、新婦を落ち着かせるよう努めた。
「でも私、文章を書くのが本当に苦手で、父の秘書に書いてもらったんです」
「あ…そうでしたか。では、本当の事をお伝えするチャンスが来た、って考えましょ」
[どの口が言ってるんだよもう…]
「大切なことは、立派な手紙であるかどうかではないと思います」
俯いていた新婦が顔を上げ、檜垣を見る。
「お父様が国会で、自分の言葉で話される姿を思い出してみてください。完璧な原稿より、娘の本当の想いが、きっと届きます」
「父の…国会答弁ですか…」
総理は支持率が安定しており、国民的人気が高かった。その要因の一つに、官僚の作った答弁書に頼らず、大事なことは、自らの言葉で発信することにあった。
「私…そんなこと出来るかな…」
新婦の顔に不安が表れていた。
「大丈夫!これから一緒に考えましょ!」
檜垣は新婦の手を握り、笑顔を見せた。
お色直しが終わり、会場へ戻ると、間もなく「花嫁の手紙」になる。オーケストラの演奏が終わり、新婦が式場へ入ってきた。スポットライトが当てられている。
檜垣が腕時計を見た。北海道もまもなく「花嫁の手紙」の時間を迎える。瞳の暴走ぶりを思うと、陰々滅々な気分になっていた。
「これより、『花嫁の手紙』に移ります。万感の思いで伝えるご両親への思い…」
司会者が進行していく。新婦は一瞬不安そうな目をして、傍らの檜垣を見る。
檜垣は笑顔を送った。
何も持たずにマイクの前に立つ新婦は、最初の一言が、なかなか出てこない。泣きそうな顔になっているのを察し、檜垣は新婦の視線の先に回った。
檜垣は[落ち着いて]とジェスチャーする。
「えっと…本日は…私たちの結婚披露宴にお集まり…」
新婦は、一生懸命に言葉を紡いでいる。
「今日…本当は、ちゃんとした文章を用意してもらっていました」
[言っちゃうのそれ!?]
その言葉に檜垣は驚き、周囲もざわついた。
「でも…私は、それを忘れてきました。アドリブが効かないんです、私」
少し笑いが起きた。
「正直、何を言えば良いのか分かりません…」
「頑張れー!」
誰かが声を上げた。檜垣は固唾を飲んで見守っている。
「父は、国会では雄弁ですが、私たちの前では口下手で、典型的な昭和のお父さんです」
笑いが大きくなった。
「先程、ある方から言われました。これは、『自分の言葉で想いを伝えるチャンス』と…」
また言葉に詰まってしまった。
「そうだ!」
「いいぞ!」
「外面は良い父ですが…作られた原稿ではなく…自分の言葉で語る父を、私は尊敬しています」
まばらに拍手が始まり、それはやがて会場全体が割れんばかりの音へと変わっていった。
新婦が笑顔で檜垣に視線を送った。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん」
右のイヤホンから、瞳の声が聞こえた。
「『花嫁の手紙』だって。どこにあるの?」
「まだ東京よ。そっちにあるわけないじゃない」
「どうする〜私が言っちゃって良い〜?」
「檜垣さん、檜垣さん、新郎新婦退出です。続いて総理が出られます」
上原からの連絡が左のイヤホンに入った。
「上原さん了解、動線確保します!」
檜垣が答えた。
「檜垣さ〜ん、檜垣さ〜ん」
被せるように瞳も連絡をして来た。
「あんたも『檜垣』でしょ!」
とても自分の「花嫁の手紙」に指示を出せる状況ではなくなってしまった。
「良いわよ、あんたに任せた!」
そう言うと、檜垣は右のイヤホンを外し、総理の出迎えに走った。
このあと新郎新婦が会場の外で、列席者一人一人に挨拶をする。それに先立ち、SPが総理を取り囲み、会場を出た。
「地下駐車場、部外者止めてください」
総理の前にはセンチュリーが止まり、周囲を覆面パトカーが固めている。檜垣が会場から先導し、総理を地下駐車場まで案内した。
SPがセンチュリーのドアを開ける。後部座席へ乗る際、総理が檜垣へ話しかけた。
「素晴らしい式でしたよ。娘の話していた『ある方』というのは、貴方のことですな」
そう言うと、総理は檜垣へ深く頭を下げた。
先導の覆面パトカーに、上原が乗り込む。
「檜垣さん、また」
地下駐車場を出ていく車列を、檜垣は見送った。
「見事でしたね、ありがとう」
「社長!」
檜垣の後ろから、社長の風間が声をかけた。
「先ほど官房長官からもお褒めいただきましたよ。見事な仕切りで、『まるで官房長官だ』と」
「社長…実はこの後、早退させていただけませんか」
檜垣が社長に言う。
「構いませんが、どこか体調でも?」
今日が自分の結婚式であった事を社長に伝えた。
一瞬、社長は意味が分からず考え込んでいた。
「えー!!何をしているのですか!すぐ行きなさい!」
檜垣は胸の名札も外さぬまま、正面に止まっていたタクシーで羽田空港へ向かった。今なら16時の便で出発できる。
タクシーの中でイヤホンを入れると、拍手が聞こえてきた。
「瞳、瞳、聞こえる??」
何度呼びかけても返事はなかった。
函館空港からタクシーでホテルへ急ぎ、到着するやホテル内に駆け込んだ。フロントで泊まるはずだった部屋を確認し、向かった。フロントのスタッフは、檜垣の服装を見て戸惑いを見せた。
507号室、ここが檜垣と亮の部屋だ。
ノックをするとドアが開いた。顔を出したのは瞳だった。
「お姉ちゃんごめ〜ん」
檜垣が部屋に入ると、奥に亮が居た。
「ごめんなさい!」
「亮さんにバレちゃったよ…ゴメンね」
瞳が苦笑いして謝る。
「違う、私がいけないのよ。あんたは悪くない…」
檜垣が床に土下座した。
「純子さん、顔上げて。土下座なんてしないで」
純子の顔はクシャクシャだった。
「驚いたよ、双子だったんだね。すっかり騙されたなぁ」
亮が笑って答えた。
「私が…私が予定管理が出来ないばかりに…」
「純子さん、安心して。気づいたの、多分僕だけ」
「え…?」
「首のホクロ。瞳さんにはなかったから。まぁ左利きだったり、お酒を飲めたりと、いつもと違うなとは思っていたけど」
「実の姉妹でも、ホクロの位置なんて気にしてなかったよ」
瞳が感心しながら言った。
「でも妹さん、完璧に純子さんになりきっていたよ。少しノリの良い純子さんって感じで」
亮が振り返ると、瞳はいつの間にかベッドで寝息を立てていた。
「疲れたのかもしれない、精一杯お姉さんを演じて」
檜垣が瞳に毛布をかけた。
「あの…『花嫁の手紙』は…」
檜垣が聞くと、亮は思い出し笑いで吹き出した。
亮がスマートフォンを見せる。友人から送られてきた、式の動画だった。
「では、新婦からご両親への、感謝の手紙の朗読です」
司会者が促すと、瞳がマイクの前にたった。
「お父さん、お母さん」
少し間が空いた
「私、今日、手紙…忘れちゃいました」
会場に笑いが起きた。
「なので、ちゃんとしたことは言えません」
また笑いが起きる。
「でも、私は今日、すごく嬉しい」
「いいぞー!」
その声に瞳がピースし、さらに笑いが起きた。亮も下を向いて笑いをこらえている。
「ちゃんとした言葉じゃなくてもいいかなって、今日思ってます」
「私は、目の前のことを一生懸命やるのが得意です」
瞳は微笑み、遠くを見た。
「私、それしかできないです。でも、それでいいって、今日思いました」
会場が静かになる。
「だから、今あることに全力でぶつかる。私は、亮さんと一緒に、ちゃんと幸せになります!」
最後は大きな声で言い切った。
拍手は一拍遅れ、徐々に会場の奥から波みたいに広がった。
亮は、スマホをそっと下ろした。
「瞳…こんなことを…?」
「妹さんなりに、頑張っていたと思うよ。純子さんになろうって。でも…」
「でも…?」
「やっぱり純子さんじゃない。完全に純子さんになり切っていたら、僕はどちらを好きになれば良いの?」
亮が笑うと、檜垣は今日の仕事な話を伝えた。
「僕が同じ立場なら、純子さんと同じ事を考えたかもな。オペもそうなんだ。だから、目の前の仕事を疎かにしなかった純子さんを、僕は改めて尊敬するよ」
亮が檜垣の肩にそっと手を置いた。
「完璧じゃなくても、想いは伝わる。僕はそう思った」
檜垣が安心したように微笑むと、ベッドから声が聞こえた。
「シャンパンもう飲めませ〜ん」
檜垣と亮が笑い合った。
終




