第7話
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王都の東区画。普段は商人たちの活気で溢れ、色とりどりの天幕が並ぶ大通りに、鼓膜を劈くような悲鳴が響き渡っていた。
石畳の上を、三匹の小型の魔物が這い回っている。鋭い爪が屋台の木枠を引き裂き、果実が泥まみれの地面に転がり落ちた。逃げ惑う人々の足音が、石畳を乱雑に叩く。
空を見上げれば、王都を覆うはずの巨大な防壁――大結界の魔力被膜が薄れ、微細な亀裂から光の粒子が漏れ出しているのがわかる。
完全に守られているはずの王都内部に、あり得ない脅威が侵入していたのだ。
「ひぃっ! な、なんでこんな所に魔物が!」
片眼鏡をかけたザイードが、腰を抜かしたように後ずさる。宮廷魔術師団の豪奢な制服を着ているにもかかわらず、彼は杖を構えることすらできていない。
あろうことか、逃げ惑う市民の背中に隠れようとすらしていた。
「ザイードさん、下がって!」
僕は震える手で杖を握り直し、初級の炎弾を放った。
放たれた炎が魔物の一匹の側面に命中し、黒焦げにして吹き飛ばす。だが、残る二匹が標的をこちらに変え、黄色い濁った瞳で牙を剥いた。
背筋に冷たい汗が伝う。どうしてこんな事態になったのか。答えは明白だった。
あの朝、ガイウス団長がレオン先輩に不当な解雇通知を突きつけたからだ。
派手な攻撃魔法を至上とし、他者の見えない功績を軽視する団長は、先輩をただの雑用係だと決めつけていた。
先輩は毎朝酷いクマを作って出勤していた。同僚たちはそれを夜の街で遊んでいるからだと嘲笑していたが、実際は毎晩この大結界を修復し、魔力を注ぎ込んでいたための疲労だったのだ。
先輩は王都の大結界をたった一人で維持している、自らの真の価値を完全に自覚していたはずだ。なのに、あえて反論することなく、静かに解雇を受け入れた。
その結果が、この結界の綻びだ。
「くそっ、僕の魔力じゃ押し切れない……!」
なんとか二匹目を牽制したものの、息が上がる。
ザイードはすでに物陰に隠れ、ガタガタと震えながら周囲に助けを求めているだけだった。
僕たちは、取り返しのつかないものを失ってしまったのだ。
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宮廷魔術師団の執務室は、重苦しい空気に包まれていた。
豪華な装飾が施されたマホガニーの机を、ガイウス団長が拳で激しく叩きつける。インク壺が跳ね、未決の書類が床に散らばった。
壁に掛けられた歴代団長の肖像画が、彼の怒声に震えているように見える。
「なぜだ! なぜ王都の結界が弱まっている!」
彼の顔は怒りと焦燥で赤黒く染まっていた。
結界魔術などの防御魔法の仕組みを全く理解していない彼は、目の前で起きている事象の原因を把握できず、ただ苛立ちを募らせている。
魔力回路の修復という繊細な作業が必要な場面で、彼は力任せに魔力を注ぎ込めば解決すると思い込んでいるのだ。
「だ、団長! これはきっと、あの雑用係の仕業です!」
東区画から逃げ帰ってきたザイードが、媚びるような声で叫んだ。
「レオンの奴、未払い賃金の放棄を条件に即日退職を勝ち取った腹いせに、結界に細工をしたに違いありません! そうでなければ、魔物が侵入するなどあり得ない!」
「ええい、忌々しい! あいつは規定通りの引き継ぎだと言い張って、結界の制御キーである要石を、何も知らない門番に押し付けていきおった!」
ガイウスは自分の非を微塵も認めることなく、すべての責任を不在のレオンに押し付けている。
僕は部屋の隅で、ただ俯くことしかできなかった。
先輩は未練なく王都を後にした。あの要石がどれほど重要なものか、団長たちは未だに理解していない。
「ザイード! 貴様、今すぐ門番からその要石を回収してこい! そして結界を元に戻すのだ!」
「は、はいっ! すぐに!」
ザイードが慌てて部屋を飛び出していく。
数十分後、息を切らして戻ってきた彼の手には、手のひらサイズの黒い石が握られていた。
だが、主を失った要石はただの冷たい石塊に過ぎない。ガイウスがどれほど魔力を叩き込もうと、うんともすんとも言わなかった。
「チッ、なんだこのガラクタは! なぜ起動しない!」
「だ、団長、落ち着いてください! きっと何か呪文があるはずです!」
「ええい、黙れ! 攻撃魔法の出力なら誰にも負けん私が、こんな石ころ一つ起動できないはずがない!」
ガイウスは顔を真っ赤にして、要石に強引な魔力を叩き込む。だが、繊細な魔力操作を必要とする要石は、彼の乱暴な魔力を弾き返すだけだった。
要石を手に入れたところで、彼らに大結界の修復などできるはずがない。専門的な理論が記された引き継ぎ資料は、すでにゴミとして処分されてしまったのだから。
足元から崩れ落ちていくような絶望感が、僕の胃の奥を冷たく締め付けていた。
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パチパチと爆ぜる焚き火の音が、夜の空気を温かく包み込んでいる。
辺境の村の広場では、水路や農地のインフラ整備完了を祝う宴会が開かれていた。
香ばしく焼かれた肉の匂いと、果実酒の甘い香りが漂っている。村の女たちが持ち寄った大皿には、山の幸が山盛りにされていた。
俺は広場の四隅に、魔力草を触媒とした微細な結界を張っていた。夜風を防ぎつつ、虫を寄せ付けないための簡易的なものだ。さらに、結界の被膜をレンズのように湾曲させ、焚き火の光を広場全体に柔らかく拡散させている。
「いやあ、あんたの魔法建築のおかげで、村の景色がすっかり変わっちまったよ!」
カシムが木のジョッキを片手に、陽気な声を上げる。
「すげえよな、結界魔法ってこんな便利な使い方もできるのか! 王都の連中は、こんなすげえ技術を雑用扱いしてたって言うんだから、目ん玉腐ってんじゃねえのか?」
カシムの言葉に、俺は小さく息を吐いた。
村人たちが次々と俺の前にやってきては、手作りの料理や酒を勧めてくる。
王都の執務室で毎朝感じていた泥のような疲労感は、ここには一切ない。
「俺はただ、環境を少し整えただけだ。これからの維持は、お前たちの手にかかっている」
俺が淡々と答えると、カシムは大げさに肩をすくめて笑った。
「またまた、謙遜しちゃって! あんたは俺たちの英雄なんだから、もっと胸を張ってくれよ!」
周囲からどっと笑い声が起こる。
自分の能力を正当に評価し、恩人として最大限の敬意を払ってくれる人々。
俺が求めていた平穏で自由な生活が、確かにここにあった。
「レオン様」
隣に座っていたアリアが、静かに声をかけてきた。
彼女の瞳には、揺るぎない信頼の光が宿っている。
「道中、魔物に襲われていた私を救出してくださったこと、改めて感謝いたします」
「気にするな。たまたま通りかかっただけだ」
「いいえ。あの時、あなたをこの辺境の村へご案内できたこと……それは私たちにとって、奇跡のような導きでした。もしあなたがいなければ、この村は今頃、魔物の群れに飲み込まれていたかもしれません」
アリアは微笑み、手元の杯を両手で包み込むように持った。
彼女の案内がなければ、俺はこの村にたどり着くこともなく、新たな人生の幕が開くこともなかっただろう。
ミリアも少し離れた場所から、穏やかな表情でこちらを見守っている。かつての強い警戒心は完全に消え去り、今では深い敬意を持って接してくれている。
「あんたたちが受け入れてくれたからこそ、俺も自由に結界魔術の研究と実践ができている。互いにとって良い取引だったというだけだ」
俺の言葉に、アリアは小さく首を横に振った。
「取引ではありません。あなたはもう、この村の大切な家族です」
胸の奥に、じんわりとした温かさが広がる。
一度見限った王都には、もう何の未練もない。俺の居場所は、間違いなくここにある。
宴もたけなわとなり、村人たちの笑い声が夜空に吸い込まれていく。
俺はふと視線を上げ、村を覆う強固な結界の先、暗闇に沈む森の奥を見つめた。
微かな、しかし確かな異質の魔力が、風に乗って肌を撫でたのだ。
「……どうしました?」
アリアが不思議そうに首を傾げる。
「いや。少し、夜風が冷たくなってきたな」
俺は手元の杯を置き、静かに立ち上がった。
村の防衛網は完璧に機能している。中規模の魔物襲撃すら無傷で撃退できる自信はある。
だが、森の奥で蠢くあの気配は、これまでの魔物とは少し毛色が違うようだった。
新たな脅威が迫っている予感。
俺はローブの裾を翻し、誰にも気づかれないように結界の境界へと歩き出した。
指先で空中に術式を描き、結界の感度を一段階引き上げる。
網の目のように張り巡らされた魔力回路が、微かな青い光を放って脈打った。
小さな前進の手応え。これなら、未知の魔力波長にも即座に対応できるはずだ。
どんなものが来ようと、俺の結界で必ず弾き返してみせる。




