第4話
村の入り口をくぐりながら、俺は静かに魔力を練り上げ始めた。
視界に映る防壁の構造を、頭の中で瞬時に解析していく。丸太を組み合わせただけの簡素な柵は、土台の固定が甘く、魔力的な補強も一切施されていない。これでは中規模の魔物が一度体当たりしただけで、容易に崩壊するだろう。
「アリア! 無事だったか!」
広場の中央から、白髪交じりの無精髭を蓄えた大柄な男が駆け寄ってきた。筋骨隆々の体躯は、一見して歴戦の戦士であることを物語っている。
アリアが安堵の表情を浮かべ、男の前に進み出た。
「お父様。ご心配をおかけしました」
彼がこの村の長であり、辺境領主のバルドらしい。アリアから道中の出来事と、俺が魔物の群れから彼女たちを救った顛末を聞くと、バルドは目を丸くして俺を見下ろした。
「なんと、無詠唱で魔物の群れを一掃しただと? この若いのがか」
「はい。レオン様がいなければ、私とミリアは今頃命を落としていたでしょう」
バルドは豪快に笑い声を上げると、俺の肩をバンバンと力強く叩いた。
「よくぞ娘を救ってくれた! 辺境は実力が全てだ。王都の貴族どものように、身分や見かけで人を判断したりはせん。今日は村を挙げての宴だ!」
案内された領主の館は、王都の基準からすれば少し大きな木造家屋に過ぎなかった。隙間風が吹き込み、調度品も質素なものばかりだ。だが、そこで振る舞われた猪肉のシチューと焼きたてのパンは、冷え切った宮廷での生活では決して味わえない温かさがあった。村人たちは俺を英雄のように扱い、次々と酒杯を差し出してくる。
素朴な感謝の言葉を受けながら、俺はふと、数日前の出来事を思い出していた。
宮廷魔術師団の執務室。派手な装飾が施された団長室で、ガイウスは俺を鼻で笑った。
『お前のような攻撃魔法も使えない雑用係は、我が師団には不要だ。今日限りで出て行け』
派手な攻撃魔法至上主義の彼にとって、目に見えない大結界の維持など評価の対象外だった。俺は自分が毎晩王都の防壁を修復し、国を守っている真の価値を完全に自覚していた。だが、その事実を彼らに説明し、理解させる労力すら惜しかった。
一度見限った相手に妥協するつもりはない。俺は反論することなく、未払い給与の放棄を条件に、即日退職の念書をその場で書かせた。
そして王都を去る直前、結界の制御キーである『要石』を、事情を何も知らない門番に押し付けたのだ。
『備品の返却だ。規定通り、上に渡しといてくれ』
そう言い残し、俺は未練の欠片もなく王都を後にした。自分の能力を不当に安売りする場所には、一秒たりとも留まる理由はなかった。
「レオン殿、口に合わなかったか?」
バルドの声で意識が現実に引き戻される。俺は木製のスプーンを置き、首を横に振った。
「いや、素晴らしい味だ。王都のどんな高級料理よりもうまい」
「そうだろう、そうだろう!」
バルドは上機嫌で杯を煽る。アリアも嬉しそうに微笑んでいた。
食後、俺はバルドとアリアの案内で村の外周を見て回ることにした。
夜の闇に沈む村の防壁は、昼間見た時よりもさらに痛々しい状態だった。所々木材が腐敗し、過去の襲撃でつけられた魔物の爪痕が生々しく残っている。見張りの塔は傾き、いつ倒壊してもおかしくない。
「お恥ずかしい話ですが、これが私たちの現状です」
アリアが松明の火を掲げながら、悔しそうに唇を噛んだ。
「王都からの支援はとうに打ち切られました。領民の命を守るため、自分たちで修繕を繰り返していますが、物資も人手も足りません」
彼女の言葉には、辺境を見捨てた中央への怒りと、領主の娘としての強い責任感が滲んでいた。
俺は腰の袋から、道中で採取した青黒い雑草を取り出した。微量の魔力しか持たないありふれた草だが、俺の結界術の触媒として使えば絶大な効果を発揮する。
「世話になった礼だ。少し手伝おう」
「手伝う、とは……?」
アリアが不思議そうに首を傾げる。俺はボロボロの柵を指差した。
「この防壁の修復だ。明日の朝には、少しは見れるようになっているはずだ」
バルドが目を細め、俺の顔をじっと見つめた。
「レオン殿。お前の力は娘から聞いて凄まじいものだと理解している。だが、この規模の防壁を一人で直すなど、並の魔術師にできることではないぞ」
「俺は並の魔術師じゃない。ただの、元・雑用係だ」
淡々と事実を告げると、バルドは一瞬呆気にとられた後、再び豪快に笑い出した。
「面白い男だ! よかろう、好きにやってみろ。必要なものがあれば何でも言ってくれ」
◆ーーーー◆
同じ頃、王都の宮廷魔術師団。
静まり返った観測室で、僕は手元の魔力計の数値を何度も確認していた。
「……やっぱり、おかしい」
大結界の魔力供給量を示す針が、規定値を僅かに下回っている。誤差の範囲と呼ぶには不自然な低下だった。
僕は意を決して観測室を飛び出し、団長室の扉を叩いた。
「ガイウス団長、夜分遅くに申し訳ありません。ノアです」
「入れ」
不機嫌そうな声に促され、部屋に入る。ガイウスは山積みの書類に囲まれ、苛立たしげに羽根ペンを走らせていた。
「大結界の魔力供給量に異常が見られます。このまま低下が続けば、防壁に綻びが生じる可能性が……。それに、レオン先輩が残していった黒い石、あれが何かの制御端末だとしたら……」
「気のせいだ」
ガイウスは書類から目を離すことすらなく、僕の報告を一蹴した。
「計器の故障か、お前の見間違いだろう。あの目障りな雑用係が消えて、師団の空気も良くなったというのに、余計な水を差すな。あの石ころもただの文鎮だ。倉庫にでも放り込んでおけ」
「ですが、レオン先輩がいなくなってから明らかに数値が……」
「しつこいぞ、ノア!」
ガイウスが机を強く叩き、僕はビクッと肩を震わせた。
「あんな無能がいなくなった程度で、王都の結界が揺らぐはずがない。お前もあの雑用係と同類になりたいのか?」
「……いえ、申し訳ありませんでした」
僕は深く頭を下げ、逃げるように団長室を後にした。
冷たい石造りの廊下を歩きながら、胸の奥に重い罪悪感が渦巻く。僕はレオン先輩の本当の凄さに、薄々気づいていた。彼が毎朝酷いクマを作って出勤していたのは、夜遊びのためなんかじゃない。
でも、権力に逆らうのが怖くて、僕は保身のために彼を見捨てた。
窓の外には、王都を包み込む巨大な防壁がそびえ立っている。一見すると何も変わらない強固な結界。だが、その表面に微かな亀裂が入り始めていることに、まだ誰も気づいていない。
◆ーーーー◆
辺境の村。
宴が終わり、村人たちが寝静まった深夜。俺は一人、防壁の土台に手を触れた。
手の中の青黒い雑草が、俺の魔力を吸い上げて淡く発光し始める。
王都の巨大な大結界を、誰の助けも借りずに一人で維持し続けてきた。毎晩のように魔力を注ぎ込み、複雑な術式を編み直す作業に比べれば、この程度の小さな村を覆うことなど造作もない。
だが、ただ元の木柵を直すだけでは面白くない。
魔物の脅威から完全に解放し、彼らが安心して暮らせる場所を作る。それが、俺の価値を正しく認めてくれたこの村への、最初の対価だ。
「さて、どんな形に組み上げるか」
手元の触媒が限界まで魔力を蓄え、熱を帯びる。
俺は静かな夜風の中、辺境の常識を覆す新たな術式の構築を開始した。




