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宇宙の傭兵短編集 ~航宙余話~  作者: 戦慄の大根おろし
2/2

余話②お嬢様の見栄は防弾仕様


「オキたんへの指名依頼が来とるで。立っとるだけで50万やって。実働12時間で飯付き、移動費は向こう持ち。どないする?」


「すごい好条件だな。ちょっと見せてくれ」


 ハイデマリーがテーブルの上を滑らせた依頼票には、確かにそれだけの金額が並んでいた。危険手当無し、武装使用時の追加報酬もなし。代わりに服装は礼装相当、無用な威圧行為は禁止、護衛対象から三歩以上離れないこと……なんだ、本当に立ってるだけっぽいな。

 要するに黙って立っていろという仕事らしいが、それにしては報酬が良すぎる。


「指名依頼にしても報酬が高い。なんか怪しくないか?」


 依頼票を返すと、向かいで生クリームまみれのコーヒーを飲んでいたエリーが、口元についた白い筋も拭かずに身を乗り出した。


「オッキーは黙って立ってると怖いから、それくらいの価値はあるって。喋るとちょっと安っぽくなるのがアレだけど」


「怖い目に遭わせてやろうか?」


「わきゃー!」


 俺がカップの横にあった紙ナプキンを押しつけて口を拭ってやる隣で、リタが依頼票を読んでいた。


「ああ、そういうこと。貴族からの指名依頼だって。じゃあ相場より少し高いのも納得。見栄を張りたい年頃なのかもね」


 きゃいきゃい言っているエリーにはデコピンで黙らせ、ほら、ともう一度渡された依頼票を眺める。

 レオノーラ・アルヴェーン。二十歳、アルヴェーン子爵家の第一継承者。家名を背負って出る最初の商談らしい。


「げ、貴族か……あまり関わり合いたくないんだよな。不敬! とか言って射殺されないか?」


「ないない、今回はほんまに相手さんの見栄のためや。先方からも、見た目が利く傭兵を一人寄越してくれ言われとる。オキたんを選んだんも、登録写真が一番人を殺してきた顔しとったからやて」


「ぶほっ!」


 吹き出したエリーとリタ。ハイデマリーも笑いを噛み殺しながら俺の肩を叩き、断る隙を与えないまま承諾欄へ自分の署名を送った。


「ちょ、ハイデマリーお前、なに勝手に―――」


「まあまあ、一日くらい男前を貸したってもウチは困らへん。どうせラビットⅡは入渠中やし、そろそろ貴族との付き合いをオキたんにも覚えて貰わんとアカン思っとったところや。愛想よくしてき」


「へいへい、わかりましたよ」


 愛想振りまくのは契約外だから置いておく。俺が最終承認へ指を触れると、エリーがなぜか不服そうに頬を膨らませ、リタはそんなエリーを見ないふりをしながらコーヒーを飲んでいる。なんだよ、お前ら不満があるなら最初に言えよな。




 そんなこんなで契約当日。レンタルした礼服を着て指定された場所で待っていると、アルヴェーン家が用意した迎えの車がやって来た。促されるまま乗り込んだ車内には革に似せた新素材の匂いが薄く残り、窓の外では交易コロニーの昼を作る照明が居住区の街路樹に影を落としている。このコロニーは平面ではなく円筒型らしいが、宇宙に浮かべた筒の内側でここまで青空らしく見せる執念には感心する。


 待ち合わせ場所になっていたホテルの応接室に入ると、レオノーラ・アルヴェーンは俺を立ったまま迎えた。淡い金色の髪を耳の後ろできっちりまとめ、青灰色のドレスには家紋を象った銀の留め具が一つあるだけで、見栄を張るために俺を雇うと聞いた時に想像していたような宝石の山はどこにもない。

 年下の俺が言うのも何だが、独り立ちが初めてのお嬢様と言うには立ち姿が出来すぎている。ただ俺の顔を見上げたとき、胸元で重ねた指先がほんの少しだけ強く組み合わされたのを見てしまうと、箱入りお嬢様が20歳になったばかりという予想が急に本物らしくなった。


「レオノーラ・アルヴェーンです。本日は、わたくしの護衛を務めていただきます」


「傭兵ギルド所属、オキタです。階級は中尉。契約終了までよろしくお願いします。先に確認しておきたいのですが、予告されていない立ち寄り先、これから会う予定の相手はありますか」


 彼女は一度も視線を逃がさずに名乗り、俺が差し出した傭兵証と顔を丁寧に見比べた。

 俺の質問に答えるより先に、レオノーラはそばへ控えていた年嵩の侍女を退室させた。扉が閉まるまで背筋を伸ばしていたものの、静かになった途端、緊張していたのか深い息を吐いている。


「ご契約内容の通り、危険があるとは考えておりません。……ご迷惑でしたでしょうか? 危険のないお仕事を頼んでしまって」


「いえ、それならそれで風景にでもなっておくのでお気遣いなく」


 そう言うと、レオノーラは初めて薄く笑った。貴族に対する対応としては間違っているような気もするが、笑ってるからとりあえず問題はないんだろう。


「本日の集まりには、同じように家を継ぐ方々が来ます。皆さま、幼い頃から私設の護衛を連れて歩き、名のある護衛を雇っていることを家の力として数える方々です。わたくしは父の護衛を借りたくありませんでしたので、自分のお金で、自分が選んだ方をお願いしました」


 そこで一度言葉を切ったレオノーラは、俺の肩から靴までを見直し、少しだけ申し訳なさそうに眉を下げた。


「つまり、あなたには見栄のために立っていただくことになります。不愉快でしたら、いま仰ってください」


「いえ、それについての不満はないです。むしろ、俺で良かったのですか? こう言っては何ですけど、見た目が屈強な護衛とは見えないのですが」


 筋トレはしているけど、アンドーのようにムキムキの筋肉達磨にはなれていない。こればかりは体格の問題もある。人間背伸びをしても届かない棚もあるのだ。彼女がそんな俺にでも金を払うつもりがあるならそれでいい。


「なので、見栄を張る方向だけ先に教えてください。怖そうにしていればいいのか、育ちが良さそうにしていればいいのかで俺も立ち方を変えます」


 これでも中尉だからな、と付け加えておく。一瞬きょとんとしたレオノーラの唇から、小さな笑いがこぼれた。それまで肩へ乗っていた力がわずかに抜けたせいか、彼女は急に年相応に見えた。


「ふふ、では怖そうなほうでお願いします。育ちについては、たぶん、わたくしが補えます」


 おおう、どうやら俺の対応は間違っていたようだ。とはいえ、本人を前になかなか言うお嬢様である。


 会場へ向かう途中、俺は人通りの多い回廊へ差しかかるたびレオノーラとの距離を半歩ずつ縮めた。三歩以内という条件には十分収まっている。それでも周囲の護衛と自分たちを見比べた末、レオノーラはとうとう俺の左腕へ手を添えて来た。


「こうしたほうが、専属らしく見えますでしょうか」


 俺に聞いていると言うより、自分に言い聞かせているようだった。

 とはいえ、俺も誰かを連れて社交の場を歩く訓練など受けた覚えはない。柔らかい感触が伝わってきた脳内に、同じような距離の詰め方をしてきた何処ぞの企業取締役の女の笑顔がフラッシュバックしてきた。それでもこの手を振り払えば50万が遠ざかる気がしたので、俺は肘の角度だけ彼女に合わせた。触れた掌からは細かな震えが伝わってくる。


「震えてますよ」


 レオノーラにだけ聞こえるように耳元でそう言うと、レオノーラの背筋がいっそう伸びた。


「武者震いです」


 返ってきた声は立派だったが、最初の角を曲がるまでに俺の袖を二度つかみ直していた。本人が武者震いだと言うなら、そういうことにしておけばいい。貴族社会がどんなものか俺は何も知らないが、こんなところでは意地でも弱みを見せたくないのだろう。


 若い継承者ばかりを集めた昼餐会は、俺にとって戦場より勝手が悪かった。

 料理の皿より家名の方が多く飛び交い、笑い声一つにも誰かを見下し、それを誰に聞かせたいのかが絡みついている。レオノーラには悪いが、こんな世界で暮らさなくて良かったと本気で思った。


 そのレオノーラは俺を半歩後ろへ置き、最初こそ用意してきた言葉を確かめるように話していたが、鉱石輸送の保険料と寄港枠の話になった頃には声から硬さが消えていた。相手の出した数字へ食い下がる根拠は俺には半分も分からなかったものの、隣にいる老人の笑顔が少しずつ渋くなっていくのを見る限り、俺という飾りが必要だったのは最初だけだったようだ。


 その飾りとして立っているうち、向かいの家が連れてきた護衛と一度だけ目が合った。首筋まで人工皮膚に置き換えた大男で、俺より頭一つ高い。しかもスーツの上からも分かる筋肉の付き方……こいつ、できる。

 などと考えていると、こちらの足の開き方へ目を落とした男は僅かに片眉を動かし、休憩へ入ると主人を残して近づいてきた。


「失礼。以前、帝国軍に?」


 声を抑えてはいるが、ただの世間話をしに来た顔ではなかった。俺の答え次第では所属部隊まで探るつもりなのか、視線が肩から両手へ落ちる。


「昔の話です」


 それで終わらせたつもりだったが、男の目は俺の顔から両手へ移り、礼服の下に何を吊っているのかまで探っていた。もう一つ二つ聞きたそうにしていたものの俺が何も足さずにいると、最後は小さく頭を下げて離れていく。


 その短いやり取りを、レオノーラは聞き逃していなかった。休憩から戻るなり俺の隣へ立ち、人に聞かれないよう肩を寄せてくる。


「もしかして、わたくしは大変な方を飾りにしているのでしょうか」


「俺の経歴を見ていないのですか?」


「いえ、軍の経歴は私にはよく分からなくて……大丈夫でしたか?」


 心配しているにしては目が明るい。あの護衛、恐らく俺の古巣に気付いている。明らかに俺と話す前後でこっちへの視線も変わったからな。

 とはいえ、レオノーラに言っても分からないのなら黙っておくに限る。口元まで僅かに上がっているのを見れば、本人が隠せているつもりでも喜んでいるのは分かった。正直に説明するのも面倒になるし、それっぽく答えておくことにする。


「一日50万の傭兵です。大変かどうかは、今日が終わってから考えてください」


 何が納得できたのか、レオノーラは一度深く頷いた。俺には貴族の金銭感覚の方が分からないけど。


 昼餐会の次は、同じホテルの別棟で運送会社との契約協議が予定されていた。

 二つの建物をつなぐ空中回廊へ入ると足元の透過床から居住区の街並みが遠く見え、頭上では人工の夕焼けが予定より少し早く色づき始めている。午前の商談を乗り切ったレオノーラは足取りまで軽くなり、俺の腕へ添えた手にも余計な力が入っていなかった。


「見栄にも効能はあるものですね」


「それは良かった―――」


 返事を全て返す前に、回廊の半ばで止まっている清掃機と、その横に立つ作業服の男たちが目に入った。


 故障した機械を前にしているのに、二人とも機械を見ていない。こちらへ顔を向けているわけでもなく、磨かれた壁へ映るレオノーラの姿を追いながら、片方は軽すぎる持ち方で工具箱を提げ、もう片方は袖口の下で何かを握っている。

 制服の色も胸の識別章も施設のものに見える。けど靴だけが新品で、床へ落ちた油染みを避ける足の運びには、この場所で働く人間の雑さがなかった。


「レオノーラ様、右の売店へ寄ります」


「え?」


 直感に従い歩調を変えずに告げると、レオノーラは理由を聞かなかった。

 俺の腕へ添えていた手に力を込め、そのままついてくる。午前中、急に行き先を変えたときは質問せず、俺の腰より前へ出ないよう伝えてあった。まさか本当にこんな事態になるとは俺も思っていなかったし、彼女の方はなおさらだっただろう。不安そうな顔を浮かべている彼女に問題ありませんと告げるが、布越しに食い込む爪の痛みが彼女の不安を物語っている。


 俺が売店のガラスへ映る二人との距離を測った次の瞬間、工具箱を持った男の肩が僅かに沈み、蓋の影から掌に収まる短針銃が滑り出した。その小ささに反して前腕の筋肉が固まった瞬間、考えるより先にレオノーラの身体を売店の柱へ押し込んでいた。俺もその前へ入りながら、礼服の内側に吊った拳銃を抜く。背中へ回った彼女の手が上着をつかみ、湿った布を裂くような音と一緒に左の上腕を熱がかすめた。痛みが来た方向のおかげで、振り返らずとも撃った男の位置だけは分かった。


 柱の縁から銃口を出せば、向こうも同じ高さを待っている。足元の清掃機へ一発を入れると、破裂した洗浄液が床と男たちの靴を濡らした。レオノーラを背中へ貼りつかせたまま低く位置を変えた俺の頭上へ短針が二本飛び、透明な商品棚へ鈍いひび割れを残す。撃った男はそれを確認しようと僅かに身を乗り出すが、濡れた床で踏ん張り直した脚を隠しきれなかった。その腿へ弾を撃ち込むと、男の身体が工具箱ごと傾いた。


 もう一人は逃げず、袖から伸ばした電撃索をレオノーラへ投げた。俺が手を伸ばすより早く、彼女は俺の腰をつかんだまま身を沈めた。青白い索が頭上を抜けて柱へ絡みつき、耳元では悲鳴の代わりに息を詰める音だけが聞こえる。教えたとおりに動いてくれたことはありがたいが、こんなものへ慣れさせたいわけではない。

 男が索を引き戻す動きに合わせ、俺はレオノーラごと間合いを詰めた。離れて撃ち合えば彼女を狙う余地が増えるうえ、回廊の透過壁は居住区の吹き抜けに面している。人の頭上で銃を乱射する趣味もない。電撃索を巻いた腕の内側へ身体を差し込み、拳銃を握った手首で顎を跳ね上げると、歯がぶつかる嫌な感触が骨を伝い、男の膝が揺れたところへ体重を預けて床へ沈めた。


 倒れた男を押さえ込んだところで、清掃機の向こうから三人目が現れた。さっきまで売店の前で商品を見ていた男だった。客のふりをして背後を取っていたらしく、俺ではなくレオノーラへ小型の噴射器を向けている。

 警告するより先に彼女は俺の上着を引き、二人で倒れ込むように射線から外れた。甘い薬品臭の霧が髪をかすめた際に喉の奥が一瞬痺れたものの、そのまま床を滑った俺の踵が相手の足首を払う。

 起き上がられる前に手足を狙える距離ではない。倒れ込みながらもレオノーラへ噴射器を向け直す動きが見えたので、胸元へ銃口を押し当てた。崩れてきた胸元へ銃口を押し当てて引き金を引くまで、レオノーラは一度も勝手な方向へ逃げなかった。


「終わりですか……?」


 肩越しに聞こえた声は震えていた。それでも周囲を見ようと顔を上げているので、背中で押し戻してから回廊を見渡す。腿を撃たれた男は洗浄液の中で呻き、顎を砕いた男は気絶、最後の一人は息絶えている。

 派手に銃声を鳴らしたからか、遅れて防火扉が閉まり始めた。遠くからは施設警備の怒鳴り声と重い足音も近づいて来ている。


「ひとまずは……いてて、完封とはいかなかったな」


 口にした途端、左腕を伝ってきた血が指先から床へ落ちた。レオノーラはその一滴を見て、自分が撃たれたように顔色をなくした。俺の前へ回り込み、裂けた袖へ指を伸ばす。


「腕を見せてください」


 自分から言い出したくせに、腕の傷を見た途端に指が止まった。生傷なんて見慣れてもいないだろうに、それでも引っ込めようとはしないので、邪魔にならないよう腕を上げて自分で傷口を確かめる。短針は肉を薄く削っただけで、指も問題なく動いた。


「毒も無し、ただのかすり傷です」


 安心させるつもりだったが、レオノーラの顔はますます強張った。かすり傷という言葉が役に立たない相手もいるらしい。


「わたくしは、ただ見栄を張りたかっただけなのに」


 レオノーラは閉じた防火扉へ背を預け、何度か浅い呼吸を繰り返した。警備員が倒れた男たちを拘束する音や、呼び出された救護員の足音が狭い回廊へ重なっている。その中でも、次の言葉だけは妙にはっきり耳へ入った。


「あなたが血を流すようなことまで、お願いしたつもりはありません」


 俺の血が自分のせいだと思っている顔だった。契約した以上、襲ってきた連中の責任まで雇い主が引き受ける必要はないが、いま説明しても納得はしないだろう。


「俺も流す予定はありませんでした。予定が変わっただけです」


 救護員が貼りつけた止血材の冷たさを腕に感じながらレオノーラを見ると、怒るでも呆れるでもなく、ひどく困った目をしていた。朝から何度も見た意地っ張りな顔はどこかへ消え、視線が血の跡から離れない。こんなかすり傷程度でそんな顔をされてしまうと、むしろこっちが悪い気がしてくる。貴族らしく追加料金で片づけてくれた方が楽なんだけどな。


 襲撃の後、施設側は別室を用意してくれた。加えて商談の延期も手配すると申し出てきた。

 部屋に入ると、レオノーラはソファに座った。すぐ横に座るよう言われたので、それに従って隣に腰を下ろす。

 偽の識別章をつけた三人が何者だったのかはまだ分からない。身代金目当てか、今日の契約を潰したかったのか、それともアルヴェーン家に別の恨みがあるのか。まあ、一日だけの契約傭兵にはどうでもいい話だ。


 ただ、安全だけを考えるならこのまま家へ戻すべきだ。それでもレオノーラは帰りの車を呼ばず、膝の上で握った拳をずっと見つめている。やがて顔を上げたとき、その目は未だ迷っているようだった。


「あなたなら、どうしますか」


 そう言われても困る。俺の答えより、この道を進んで行くレオノーラ自身が出さないと駄目だと思うが、そう突き放したところでこのお嬢様は困り果てるだけだろう。それでもすぐには答えず、レオノーラが俺の顔をちゃんと見るまで待った。


「俺なら、という答えに意味はありません。けど敢えて言うなら、俺なら行きます。でも、それは俺だからです。貴女が帰るのを臆病だとも思わないし、行くから勇敢だとも思わない。……ここから先は、俺が決めることじゃない」


 ソファから立ち上がって彼女の前へしゃがみ、片膝を着いて下から見上げる。不安そうに震えている瞳が目に入った。怖いなら帰ればいい。俺がそう言えば、たぶん彼女は素直に頷くだろう。父親の護衛なら迷わずそうしたはずだが、俺は父親ではない。だから今の彼女にとっての最善が何なのか、俺が決めてやれば楽なんだろう。けど、それをやったらこの仕事は護衛じゃなくなる気がした。


「帰るなら車まで通しますし、行くなら護衛を完遂します。貴女が決めるまで誰もこの部屋へ入れません。今日一日と限定ですが、俺は貴女の専属護衛ですから」


 レオノーラは俯いた。俺が帰れと言えば、たぶん少しは楽になれたのだろう。それでも震える指を一本ずつ開いていくのを見ているうちに、ここで余計な口を挟まなくてよかったと思えた。皺になったドレスの裾を整えたあと、レオノーラは自分の足で立ち上がった。


「会議室まで、お願いいたします」


「仰せのままに、お嬢様」


 レオノーラの顔には、まだ血の気が戻りきっていなかった。それでも行くと決めた彼女の決断を俺は支持したい。

 俺は駆けつけた家人が持ってきた予備の上着を羽織り、裂けた袖と血を隠した。レオノーラは壁の鏡に映った自分の髪を見て、乱れた房を何度も留め直している。三度目でもうまくいかず、とうとう笑いとも泣き声ともつかない息が漏れた。


「少しくらい崩れていたほうが、命を狙われても商談に来た人間らしく見えます。お転婆お嬢様というより、ちょっと豪胆なくらいが交渉にも役に立つのではないでしょうか」


 鏡の中で、赤くなった目が俺を見た。


「それも、見栄でしょうか」


 レオノーラは留め具から手を離し、乱れた一房だけを頬へ残した。


「ええ。俺なんかより、だいぶ値の張る見栄ですよ」


 それから俺の腕へもう一度手を添える。今度の震えは隠しきれていなかったが、つかむ力だけは午前より強かった。


 会議室へ入ったレオノーラを見て、待っていた大人たちは誰もすぐに口を開かなかった。襲撃の話は先に届いていたらしく、卓上には手をつけられていない飲み物と、閉じられたままの資料が並んでいる。延期を切り出そうと腰を浮かせた相手より先に、レオノーラは席へついた。


「お待たせいたしました。予定どおり始めましょう」


 その声が途中で細くならないか、俺は扉の横から横顔を見ていた。最初の数字を口にしてから最後の署名を終えるまで、レオノーラはとうとう一度もこちらを振り返らなかった。


 商談の中身は俺には難しかったものの、終わると相手側の代表が立ち上がり彼女へ手を差し出した。最初の昼餐会で見たときより握手は深く、見送る声からも子供をあしらうような響きが消えていた。俺の目にも分かるほど露骨に態度を変えるのだから、貴族も商人も大して変わらないのかもしれない。


 レオノーラは扉を出て角を曲がるまで何食わぬ顔を保っていた。人目が切れた途端、俺の袖へ額が当たり、朝から嗅いでいた香水の匂いが近くなる。


「脚が、もう動きません」


「車椅子を呼びますか?」


 額を押しつけたまま、レオノーラは首を横へ振った。


「格好がつきません。でも少しだけ、こうさせてください」


 俺は廊下の向こうから人が来ないか見張りながら、50万の中に含まれているか分からない壁の代わりを務めた。ほんの10秒ほどで顔を上げたレオノーラは目元を指で確かめ、何事もなかったように歩き出す。耳だけが髪より濃い色に染まっていたので、俺も見なかったことにした。


 夜の懇親会では、増員された施設警備が壁際を固めていた。その人数を見ても懲りなかったのか、昼に俺を値踏みしていた若い貴族が酒の入った顔でレオノーラへ近づいてくる。


「ずいぶん良い飾りを見つけたね。いくら出せば、明日は僕の後ろに立ってもらえるのかな」


 俺を隣に置いたままの冗談に、愛想笑いを返す気にはなれなかった。こいつが傭兵なら今すぐシミュレータールームへ連れ込んで、口の利き方を教えてやったところだ。

 それでもしつこく話しかけてくる若い貴族に、金額なら傭兵ギルドへ通せと答えようとしたが、レオノーラは手にしていたグラスを卓上へ戻し、昼間よりずっと静かな目を相手へ向けた。


「この方は、わたくしが金額で語ってよい方ではありません。あなたが依頼なさるなら、ご自身で頭を下げてくださいませ」


 その言葉に俺は驚いて目が丸くなってしまった。朝、見栄の道具として俺を雇った本人の言葉とは思えない。若干舐めていた俺まで妙に居心地が悪くなり、若い貴族も同じところへ気づいたらしく口を閉じた。つまらない冗談だったと誤魔化して離れていく背中を見送り、レオノーラがこちらを見上げる。


「勝手なことを申しました」


 そこで謝られても、何を返せばいいのか分からない。礼を言うのも違う気がして、結局いつもの逃げ道へ話を持っていった。


「追加料金は取りません」


 自分でも何の返事か分からなかったが、張りつめていたレオノーラの口元はゆっくりと綻んだ。


 契約終了の21時、俺たちは最初に出会った応接室へ戻った。襲撃のせいで延長した数10分について、アルヴェーン家の家令は追加報酬を払うと言ったが、後処理にかかった時間まで請求するほど俺も困ってはいない。端末上の終了確認へレオノーラが署名すると、朝から切れ目なく触れていた体温が俺の腕から離れた。


 これで一日の仕事は終わり、のはずだったのに、家令たちが帰り支度を始めてもレオノーラだけは動かない。何か言いたげに俺を見ては、手元へ視線を落としていた。


「オキタ様は、明日はお仕事でしょうか」


 あ、何かマズイかも。最後には家令たちまで先に下がらせ、二人きりになってからようやく出てきたのがそれだったからか、俺の直感がこれはマズイよと囁きかけて来ている。護衛の追加依頼にしては、ずいぶん聞きにくそうにしているのも危機察知に拍車をかけている。


「ええとですね……そう、たしか船の整備を手伝う約束がありました。明後日はまだ空いていますが、護衛の再契約ならラビット商会を通してください」


 明後日はもうこのコロニーを出ている、とは言わずに作り笑顔でそう言った。俺の拙い腹芸はたぶん見破っているだろうに、それに気付いているレオノーラは小さく首を振り、家紋入りのハンカチを両手で差し出してきた。回廊で俺の腕へ当てていたもので、洗っても落ちなかった血の跡が薄く残っている。


「これは、お貸しします。返しに来ていただく理由がなくなると困りますから」


 受け取っていいものか迷っていると、彼女は俺の手を取り、その上へ半ば無理やりハンカチを押しつけた。触れた指はちょっと良くない熱を纏っているように感じた。


「次にお願いしたいのは護衛ではありません。わたくし自身が、あなた様個人とお会いしたいのです」


「き、貴族様にそう言われこ、光栄です……」


 あれほど気を張り詰めていたレオノーラは何処に行ってしまったのか。逆に震え始めた俺の手の中で指先を遊ばせながら、俺が逃げ出したいのを意地だけで押し止めている。何を言い出すつもりなのか、さすがにここまで来れば俺にも分かっている。分かったからといって、彼女の望む返事が用意できるわけではない。


「今日、あなた様は一度もわたくしを子供として扱いませんでした。守ってくださったからではありません。怖がっているわたくしから、選ぶ権利まで取り上げなかったからです。ですから、その……わたくしは、あなたをお慕いしております」


「えー、あー、その……ありがとうございます」


 依頼人から告白された場合の対処など、軍の教本にも傭兵ギルドの規約にも書いていない。黙っている時間が長くなるほど、レオノーラの顔が耳から首筋まで赤くなっていく。何か返さなければと思って出てきたのは、我ながら情けない言葉だった。


「俺たち、今日会ったばかりですよ? しかも俺はただの傭兵です」


 それしか出てこなかった俺とは違い、レオノーラは待っていたように顎を上げた。頬は赤いままなのに、返事だけは朝の挨拶より早かった。


「存じています。ですから、明日ではなく、明後日をお願いしているのです」


 俺が次の言葉を探している間に、レオノーラは一歩踏み込んだ。背伸びをして、唇を俺の頬へ触れさせてきた。香水より先に、ずっと噛みしめていたらしい唇の僅かな震えが残った。離れた彼女は恥ずかしさで目を潤ませながらも、朝と同じように視線だけは逸らさない。


「ハンカチ、お忘れなく。わたくし、アルヴェーン家の跡取りですので、貸したものは必ず取り立てます」


 そこまで言い切ると、レオノーラは今度こそ踵を返した。扉の向こうで待っていた家令を追い越す勢いで廊下へ消えていく。残された俺は、手の中の血染めの家紋と、頬に残った柔らかい感触を交互に確かめた。立っているだけの仕事にしては、持たされたものが重すぎる。


「どうしろってんだ……」


 一日の仕事が終わってラビットⅡへ戻ったとき、食堂にはハイデマリーとエリー、リタが揃っていた。遅い時間にもかかわらず誰も自室へ戻っていないあたり、俺がどんな顔で帰ってくるか賭けでもしていたのだろう。テーブルへ50万の入金記録を出すと、ハイデマリーは満足そうに頷いた。向かいから身を乗り出したエリーは、俺の頬を見た途端にぴたりと動きを止める。


「オッキー、そこ、何つけて帰ってきたの」


 底冷えするような声を出すエリーに指でさされた。その場所を手の甲で拭うと、薄い紅色がついていた。

 ウッソだろ、帰りの車で一度は確認したはずなのにまだ残っていたのか!? 俺が事情を説明するより早く、リタは手にしていたカップを静かに置き、ハイデマリーは俺と口紅を何度も見比べた。二人とも顔だけで面倒なことを言っている。


「ウチ、愛想よくしてこいとは言うたけどな。お嬢さん一人、落としてこいとは言うてへんで」


 リタは黙ったまま俺の上着を見ている。ハンカチの膨らみまで見つかった気がして、椅子へ座る前に前を合わせた。


「何もしてない、本当に何もしてないから!」


 返したところで、俺の端末へ新しい依頼通知が届いた。送り主はレオノーラ・アルヴェーン。希望する傭兵は俺一人で、契約期間の欄には未定とあり、依頼内容には短い一文しか書かれていない。横から覗き込んだエリーが俺より先に読み、リタまで珍しく額へ手を当てた。


「次は見栄ではありません、だって。オッキー、一日で何したのさ?」


「ちょっと話、聞かせて欲しい」


 二人の視線が痛い。ハイデマリーは椅子の背へ身体を預け、腹を抱えて笑っている。俺は血の跡が残るハンカチを上着の奥へ押し込み、明後日の予定をどう説明したものか考えた。


 立っているだけで50万という話は、やはり最初から怪しかったのだ。



何処ぞの企業取締役の女「面白い事をされたとか。お話聞かせて貰えませんか?」

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