余話①お届け速達生クリーム
オキタ:主人公、ハイデマリー率いるラビット商会の契約傭兵
ハイデマリー:オキタの雇い主
本編の合間のちょっとした寄り道です。傭兵だって、いつも銃を撃って宇宙を飛び回っているわけではなく。本編に入れると話が止まるボツ話を、加筆してリサイクルしています。
「傭兵の仕事に、冷蔵倉庫の前で荷物番をすることまで含まれるとは聞いてない」
「護衛対象がウチから仕入れ品に変わっただけやで、ほなよろしく」
俺の雇い主であるハイデマリーは俺の両腕に積み上げた箱を一つ増やし、先へと歩いていった。箱の中身は船内照明の交換素子に、食堂で使う香辛料などなど。最後に載せられた小箱だけは何なのかも分からない。付き合うだけでいいと言われて母艦のラビットⅡを出てから、まだ一時間も経っていなかった。
「付き添いは護衛契約内だけど、荷運びは別料金を取ってもいいんだぞ」
「そんなこと言うて、どうせ請求せえへんくせに。せやから港の無人台車を借りずに、オキたん連れてきたんやろ」
箱がずれないよう顎で押さえながら言ってやるが、振り返りもせずにそう返されてしまった。別料金を払わせるつもりはないが、最初から踏み倒す気で連れ回す主人には溜息しか出ない。
しかも俺が何も言わないことを分かっていてやっているのだから、余計に質が悪い。俺が箱越しに睨んでも、ハイデマリーは背中へ向けられた視線など気にせず、グラーツ・コロニー環状港の市場を縫うように進んでいく。
ここはガス惑星の外縁を回る古い宇宙港だ。床の下からは回転区画を動かす機関の振動が絶えず伝わり、通路の両側には船用品から生鮮食品まで、どこへ運ぶつもりなのか分からない物が天井近くまで積まれていた。油と香辛料、それに種族の違う大勢の体臭が空調の風へ混じり、腹が減るような、食欲をなくすような、どちらとも決めにくい臭いになっている。
俺なら必要な物を端末から注文して終わらせるが、商売人であるハイデマリーは現物を見られる港でそれをしない。
照明素子は箱を開けさせ、香辛料は指先へ一粒取って噛み、売り手が面倒そうな顔を見せるたびに値段を一段ずつ下げさせていた。商人同士の話へ口を出す気はなかったものの、俺が後ろに立っているだけで相手の返事が多少早くなることには、途中から気づいていた。
「なあ、俺を連れてきたのは、やっぱり脅しのためじゃないのか?」
そう聞くと、ハイデマリーは市場の先を見たまま、わざとらしく肩を竦めた。
「失礼なこと言いなや。ちょっと背ぇ高うて、ちょっと目つき悪うて、腰に銃ぶら下げた男を荷物持ちで連れ歩いとるだけや。あ、あと護衛役もしとんやったか」
それを脅しと言うのだと返している間に、ハイデマリーは冷蔵倉庫の入口に浮かぶ赤い表示を見つけ、俺の抗議ごと足を止めた。
壁一面を使った在庫処分の案内で、残り時間は2時間13分。扱っているのが船の部品なら俺も気にしなかったが、商品名の横には乳脂肪の割合と生菌数、それに《無調整生クリーム》という文字が並んでいた。珍しいな、こんな辺境で本物の生乳を使った品を扱ってるなんて。
冷蔵倉庫の前では作業服を着た男が二人、銀色の円筒を保冷パレットへ積み直していた。一本は俺の腿ほどの高さがあり、外装に霜こそ付いていないものの、近づけば開いた扉から流れ出す冷気が脛を撫でていく。売り場に客はおらず、在庫処分の表示だけが律儀に秒を減らしていた。
「行くぞ。食料品なら、さっき香辛料を買っただろ」
俺は箱を抱え直したが、ハイデマリーの足は動かなかった。目だけが円筒の側面に貼られた生産地と規格を追っている。
あ、やばい。こういう顔をしたときのハイデマリーが、素直に通り過ぎたところを俺は見たことがない。
「オキたん、生クリーム好き?」
やがてハイデマリーは円筒から俺へ目を移し、品定めの続きのように聞いて来た。
「物によるし、その量を俺に食わせる気か? さすがに脂肪分だけで胃が死ぬ」
そう返すと、彼女は18本の円筒を改めて数え、
「ドアホ。一人で食べ切ったら、腹壊す前に身体の形変わるわ」
と、自分から聞いておきながら呆れた顔をした。
なら訊くなと言いかけたところで、倉庫の奥から太った男が出てきた。
額に浮いた汗を布で拭いながら、ハイデマリーと、その背後で箱に埋もれている俺を見比べている。商談になりそうだと判断したらしく、疲れて垂れていた頬を無理に持ち上げた。
「ヴァイゼン牧農組合の品だよ。昨日までは一級品として客船に卸す予定だったが、先方の入港が遅れてね。冷蔵設備の契約が今日で切れる。味も品質も問題ないし、このまま料理に使える」
「ほぉん……せやのに、2時間後には処分品か?」
ハイデマリーが赤い表示を見上げると、男の笑みが一瞬だけ固くなった。
「処分品じゃない。生鮮一等級の流通証明が切れるだけだ。冷やしておけば十日は保つし、加熱用ならその倍でも――」
「ほな、加熱用の値段で売ればええやん。なんで一等級の卸値から二割しか下げてへんの?」
ハイデマリーは男が最後まで説明するのを待たず、表示された価格へ指を向けた。売り手は口元の笑みを残したまま黙ってしまった。助けを求めるように俺の方を一度見たが、食い物の相場を聞かれても助けてやれない。
ハイデマリーは円筒へ寄り、表面の記録部へ端末を触れさせた。中身の温度は規格内で、生産されてからの日数も短い。ただし円筒を載せている保冷パレットの残り稼働時間は、壁に出ている表示より7分ほど少なかったらしく、彼女の眉が僅かに上がる。
「全部で960キロ。パレットと円筒も込みで買う。提示額の三分の一やったら、いま即金で払うで」
「お嬢さん、馬鹿を言っちゃいけない。中身だけで、その四倍はする」
男の笑みが消えた。処分までの時間が迫っていても、さすがに呑めない額だったらしい。
「パレットは貸与品だし、円筒には預かり金も乗っている。半額でもこちらが赤字だ」
「2時間後には等級落ちや。そっから小売りに回すにも検査と詰め替えが要るし、売れへんかった分はそっちで廃棄するんやろ。冷蔵設備を延長するんなら、今日の倉庫代も追加や。円筒の預かり金は製造元が潰れとるから返ってこん。違うか?」
倉庫の男は、もう俺を見なかった。
ハイデマリーが何をどこまで調べたのか確かめるように、自分の端末へ視線を落とす。
その間に彼女は端末を操作して、船に残してきたシズへ無言で何かを送り、俺の腕の一番上にあった箱を取ると、勝手に足場へして売り場の試料採取口を覗き込んだ。商談中の台に使われる照明素子が気の毒だったが、止めれば今度は俺の肩へ乗りかねないので何も言わないことにする。
ハイデマリーが採取口から出した小さな容器には、白い液体が僅かに入っていた。匂いを確かめ、舌の先へ触れさせると、目を閉じたまま二度ほど口を動かす。
「悪くないだろう?」
「ん~……オキたんも飲んでみ」
その様子を見ていた売り手が身を乗り出したが、彼女はすぐには答えず、残りを俺へ差し出して促してきた。
俺を検査器にするなよと言ってもハイデマリーは容器を引っ込めず、さっき物によると言ったのは俺だと指摘してくる。
ここで断れば、あとで品物へ文句を言ったときに味見せえへんかったやろと返されそうなので、箱を片腕で支え、受け取った容器へ口をつけた。冷たさのあとから濃い甘みが舌へ残り、癖のある匂いもなかったが一口で飲むには重すぎて、朝食の続きでも食べている気分になった。
「悪くはないんじゃないか?」
「んー、いまの顔で宣伝文句には使えへんな」
正直に答えたものの、ハイデマリーは俺の顔を見て容器を取り返した。売り手へ向き直る頃には味見をしていた客の顔が消えているようで、売り手へ向き直った声は商談用のものへ戻っていた。
「中身の検査記録を全部寄越して。あと、パレットの整備履歴。四割で即決、もちろん円筒込み。空になった容器を返せ言わへんなら、それで買うで」
「四割五分、積み込みはこちらでやる。いま決めるなら、検査記録も付ける」
「四割二分。積み込みと、試料用の小型容器を一本や」
男は口の中で何かを転がすように迷ったあと、差し出された契約を睨み、太い指で承認した。
壁に浮かぶ残り時間は2時間を切っていた。売り手が息を吐くのとほぼ同時に、ハイデマリーの端末から支払いを終えた音が鳴る。
「毎度あり。ところで、買い手は決まってるのか?」
男が聞いて来る。もう自分の品ではなくなった途端、心配するより興味が勝ったらしい。確かに急な買い物だし、ハイデマリーの仕入れリストには入ってなかった。
「決まっとったら、もうちょい高うても買うたんやけどな」
ハイデマリーはそう平然と答え、俺の腕から足場にした箱だけを抱えて歩き出した。残りは持ってこいということらしく、売り手の顔が安く売りすぎたのか、危ない客へ押しつけられたのか判断できずに固まっているのを見て、俺も急に同じ心配を覚えた。
「本当に買い手がいないのか?」
倉庫から少し離れ、人の流れへ紛れたところで聞く。ハイデマリーはようやく足を止め、箱を俺の荷物へ戻しながら端末を開いた。シズから届いた返事を見て口元を緩めた画面には、グラーツを1時間38分後に出港する大型客船と、緊急の仕入れを求める品目が並んでいた。
「正確に言うたら、まだ決まってへん。欲しがっとるんがおるのは確かやけど、納品できたら買ういう条件付きや。予定しとった乳製品が検疫で止まって、今夜の晩餐会に使う分が足らんらしい」
客船なら加熱用でも何でも他を探せるだろうと疑う俺へ、ハイデマリーは画面の乗客情報を指で弾いた。
「どこの貴族だか知らんけど、偉いさんが乗っとるんやて。献立も招待客へ送ったあとで、いまさら白いソースを茶色に変えられへんのやろ。困っとる相手は、ええ値段で買うてくれるで」
と言う口元は、かなり悪い形に上がっている。相手の弱みに付け込んでいる自覚があるからだろうが、倉庫で廃棄を待っていた生クリームと、それを必要としている客船を繋ぐのだから、誰かが損を押しつけられる話でもない。少なくとも、客船の晩餐会へ呼ばれる連中の財布まで俺が心配する必要はないな。
「で、どこまで運ぶんだ?」
納品場所を訊くと、ハイデマリーは反対側の第九客船区画を示した。通常の貨物環状線なら35分くらいか。積み込みに15分、検品と引き渡しに20分を足してもまだ余裕がある。そう言って歩き出した直後、港の天井から低い警告音が流れた。
『第三貨物区画において、無人搬送機同士の接触事故が発生しました。安全確認のため、貨物環状線を全区間で停止します。復旧見込みは2時間後です。一般通路および旅客交通に影響はありません』
「うわ、タイミング悪!」
周囲の商人や作業員が一斉に足を止め、次いで自分の端末へ手を伸ばした。悲鳴が上がるような事故ではないらしいが、港中の貨物を止めるには十分だったようで、通路沿いの店から怒鳴り声が飛び始める。
俺はハイデマリーの横顔を見た。さっきまであった笑みは消えているものの、買ったばかりの品を諦めた顔でもなかった。
「2時間後じゃ、客船は出たあとだな。どうする?」
「聞こえとるわ」
ハイデマリーは端末から目を離さず低く返した。まだ積み込み前なのだから契約を取り消せないかと続けても、売買はもう成立しており、あの男が素直に応じると思うかと逆に聞かれる。
振り返ると、冷蔵倉庫の男は作業員へ普段より早く積めと指示しながら、こちらを気づかないふりをしていた。壁の在庫表示も消されており、取り消しを申し出たところで、冷蔵設備の契約が切れるまで話を引き延ばされそうではある。
ハイデマリーはシズへ港内の経路を出させ、一般通路へ960キロの保冷パレットを持ち込む申請を港湾担当者へ送ったが、混雑と床荷重を理由に即座に拒否された。小型貨物艇を借りて港の外から回れば間に合う可能性はあるものの、緊急時の値段に跳ね上がった輸送艇と操縦士を雇えば、売値より高くつく。冷蔵倉庫を延長する案も客船が出る以上は中身を加熱用へ安く卸すしかなく、ハイデマリーの指が宙に浮かんだ経路を何度も弾いては消していった。
「船まで戻って、ラビットⅡを動かすか?」
そう提案すると、ハイデマリーは首を横に振った。
「出航許可を取り直して、第九区画へ回るまで2時間はかかる。でかい船は、こういうとき小回り利かへんねん」
「じゃあ、やれることやって無理なら諦めるしかないな」
「まだや、まだ外が空いとる」
ハイデマリーは港の構造図を拡大して見せて来た。何を言われたのか分からず画面を覗くと、環状線のさらに外側、船殻へ張りつくように細い線が一本通っており、《船外保守軌道》と記されている。作業用の牽引機なら荷物も運べるが、当然ながら通路に空気はなく、利用には船外作業資格と港湾管理の許可が要る。
一応だが、その手の資格は元軍人として取っている。取っているんだが、買い物の付き添いだったはずだと念を押すと、ハイデマリーはここから先は別の仕事だと契約画面を開いた。
船外作業1回、危険手当付きで相場の1.5倍。急いでいるのは向こうなので2倍を要求すると、ハイデマリーは値切るより先に目を細めて文句でも言いたげだった。さっきまで売り手を追い込んでいた商人へ同じことをしているのだから、文句を言われる筋合いはない。
「初めの頃はいくらでも頼めよったのに、交渉上手になりよって」
「雇い主がいいからな」
しばらく睨み合った末、ハイデマリーは1.7倍と、終わったあとの晩飯一回を出してきた。店は俺が選ぶという条件まで付けて承認すると、不満そうに唇を尖らせる。俺は増えた契約を確認し、ラビットⅡから簡易宇宙服を二着持ってくるようシズへ頼んだ。
◇
船外保守軌道の使用許可を取るまでに、残り時間は五十二分になっていた。
ハイデマリーが借りた牽引機は、人が二人跨がれば窮屈になる小さな作業車で、その後ろに生クリームを積んだ保冷パレットが二台繋がれている。
冷却装置の表示はどちらも正常だったが、貸し出された牽引機の外装には何度も補修した跡があり、操縦桿の根元には前の利用者が貼ったらしい《注意!右へ流れる!》という手書きの注意書きが残っていた。
それを見た途端、1.7倍では安かった気がすると口から漏れたが、ハイデマリーはまだ動かしてもいないうちから追加請求するなと、俺の背中へしっかり身体を預けた。
「右へ流れるなら左へ切ればええやん」
そう簡単に言ってくれるあたり、自分で操縦するつもりはないらしい。
普段の服の上から着られる作業用宇宙服なので、気密と最低限の温度調整しかなく、二人分の装備と貨物を牽引機へ載せると推奨質量を僅かに越えていた。港の係員は表示を見て何か言いたそうにしたものの、ハイデマリーが追加料金を払うと黙って外扉を閉じた。
排気が始まると宇宙服の外から聞こえていた機械音が薄くなり、自分の呼吸と循環装置の振動だけが身体の内側へ残った。正面の扉が左右へ開き、グラーツ環状港の外側が見える。頭上と足元の区別もない星の海を、ガス惑星の青白い縁が大きく切り取り、その手前では港の船殻が緩やかに湾曲しながら遠くまで続いていた。
内側で歩いていると古びた市場にしか思えなかったが、外から見ればいくつもの船渠と居住区を抱えた人工物が、惑星の光を受けて静かに回っている。
「よそ見しとらんと、はよ出して。あと五十分やで」
もう少し眺めていたかったものの、ヘルメットの中に現実的な声が聞こえて来た。俺は牽引機を保守軌道へ乗せた。
磁気車輪が船殻のレールを掴む感触は座席から伝わるものの、音は聞こえない。動き始めた牽引機が手書きどおり右へ寄るたびに左へ戻し、その後ろを二台のパレットが少し遅れて同じ軌道へついてくる。最初の曲線を抜ける頃には操縦桿の遊びも分かってきたが、こちらが慣れるより早く、背中のハイデマリーは温度記録を開いていた。
速度を上げれば外装の継ぎ目が足元から後ろへ流れ、船殻に立つ通信用の柱や作業灯が星を隠しては通り過ぎた。人工重力を作る回転は外に出ても消えず、身体は座席へ押しつけられているが、港の外側には空も地面もない。視界の端で惑星が傾くたび、自分たちの方が円を描いているのだと分かり、操縦桿を握る腕へ余計な力が入った。肩が固まっていると後ろから指摘され、誰の荷物を運んでいると思っているのかと返すと、ハイデマリーは即座に自分のものだと認めたうえで、ぶつけたら弁償してもらうと言い出した。
「危険手当より高いんじゃないのか、それ」
ハイデマリーは答えず、俺の肩越しに保冷パレットの温度記録を確認していた。宇宙服越しでも小さな身体が動くたびに背中へ当たり、視界の端には彼女のヘルメットが何度も入り込む。外の景色を怖がっている様子はなかったが、売った金が口座へ入るまでは自分の品から目を離したくないだけかもしれない。
保守軌道は港の全周へ繋がっておらず、途中に何度か分岐があった。
停止した貨物区画の外側へ差しかかったところでは、事故を起こした無人搬送機が船殻から伸びた作業腕に吊られ、その周囲を修理用の機械が飛び回っている。遠目にも外装の一部が潰れているのが分かり、あれを片づけるまで2時間という放送は、むしろ早い見積もりだったらしい。
作業区画を避けるため、管制から指示された外回りの分岐へ入る。牽引機を減速させると、後ろのパレットが押してくる重さが連結部を通して腰へ届き、操縦桿を左へ切っているのに車体は注意書きどおり右へ流れた。
先頭の磁気車輪が分岐を越えたところで、座席の下に鈍い衝撃が一つ走った。
警告表示は、二台目のパレットにある左後輪の磁力低下を示していた。後方映像へ目を向けると、パレットの片側がレールから浮き、回転によって外へ放り出されようとする質量が、残った車輪と連結具を斜めに引いている。ゆっくりに見えても900キロを越える荷が動いており、無理に加速すれば連結具ごと千切れ、止まれば今度は後ろから振られたパレットに牽引機を持っていかれる。
背中でハイデマリーの身体が強張るのを感じたが、彼女は声を上げる代わりに、温度表示から連結部の状態へ画面を切り替えた。
後ろの補助固定はまだ生きているから右のレールへ寄せろと、ハイデマリーは連結部の表示を拡大し、自分が非常吸着器を出すと言った。
座席を離れるな、俺がやると止めても、操縦する者がいなくなるだろうと退かず、車体ごと右へ押さえるよう逆に指示してくる。言い返している間にもパレットは外へ傾き、一本目の固定帯が張り詰めて円筒同士を軋ませた。その震えは真空の向こうから音になって届かないのに、連結具と牽引機を通じて足の裏へ上がり、何かが切れる寸前の嫌な感触だけははっきり分かる。
俺は右側の姿勢制御器を短く噴かし、磁気車輪をレールへ押しつけながら速度を落とした。背中からハイデマリーの重みが消え、腰の安全索を掴もうとした手は空を切ったが、そのときには彼女は座席の脇へ身体を滑らせ、片腕を車体へ絡めたまま非常吸着器をパレットへ向けていた。背中が車体の外へ出るのを見れば、止める言葉より先に、自分の安全索が彼女の動きを邪魔していないか確かめるしかなかった。
小さな身体なら狭い隙間を抜けやすいという話ではない。車体が右へ流れる癖まで重なり、ハイデマリーの脚は何度も外へ振られ、そのたびに腰の安全索が張って牽引機を揺らす。彼女が射出した吸着器は一度目こそパレットの縁を擦って外れたが、巻き取られる途中で掴み直し、二度目には浮いた側の固定枠へ噛みついた。巻き上げ機が動くと牽引機の後ろ半分を外へ引く力が急に増し、俺の尻が座席から浮きかける。操縦桿を腹へ押しつけるように抱え込み、姿勢制御器を限界まで使っているうちに、傾いていたパレットが少しずつレールへ戻ってきた。
「今や、止めて!」
ハイデマリーが叫んだ声に合わせて非常制動を掛けると、四つの磁気固定具が船殻へ食いついた。身体を前へ投げ出そうとする衝撃を安全帯が受け止め、胸の奥から息が漏れる。
後ろのパレットは一度だけ大きく振れたものの、非常吸着器に引かれた左側からレールへ戻り、壊れかけた車輪を浮かせたまま動きを止めた。固定具の数値が落ち着くまで、操縦桿から手を離す気にはなれなかった。
しばらくは、互いの呼吸だけが回線に流れていた。視界の下では青白い惑星がゆっくり回り、足元の船殻には何も起きていなかったように作業灯が並んでいる。
俺は操縦桿を握った指を一本ずつ開き、右肩へ残った引き攣るような痛みを確かめてから、車体の脇へぶら下がったままのハイデマリーを引き上げた。
「生クリームの保冷記録は無事か!?」
「先に自分の心配をしろよ……」
ヘルメット越しに顔を見ると、強がって笑う余裕まではないらしく、鼻の頭に薄く汗が浮かんでいる。
それでも座席へ戻るなり、保冷記録が途切れていないことを確認し、次いで壊れた車輪と吸着器の使用履歴をまとめ、牽引機の貸出業者へ補償請求を送り始めた。商売へ戻るのが早すぎて、心配した俺の方が馬鹿らしくなった。
「そういや、右へ流れるとは書いてあったが、後ろが外れるとは書いてなかったな」
「―――ぷ、分かっとるって。ほんま、今日は細かいなあ」
そう言ってやると、ハイデマリーの声へようやく笑いが戻った。利用料どころか危険作業の分まで取れるかもしれないと言うので、俺に払う分とは別だと念を押しておくと、肩に小さい拳が突き立てられた。
残りの距離は、壊れた車輪を吸着器で吊ったまま走ることになった。速度を上げられず、客船の出港表示は余裕を削っていったが、遠くに第九区画の船渠が見え始めても、客船ベアトリクスの係留灯はまだ点いていた。間に合うと決まったわけではない。それでも、あの灯りが消えて空の船渠へ品物を運ぶよりは、ずっとましだった。
◇
第九区画の船外搬入口へ牽引機を滑り込ませる。内扉が閉じたとき、出港まで残り15分のところだった。空気が戻るのを待つ時間がやけに長く、宇宙服の外から機械音が聞こえ始めると同時に、ハイデマリーはヘルメットを外して髪を手で押さえた。汗で額へ貼りついた前髪も、頬に残った宇宙服の跡も直し切れないうちに、客船の制服を着た男が三人、搬入口へ入ってきた。
先頭の男はバスティアンと名乗り、ハイデマリーが送っていた取引記録へ目を通した。柔らかい物腰ではあるが、後ろの二人が保冷パレットを調べている間、こちらの汚れた宇宙服と故障した牽引機を何度も見ている。どうやって運んできたのかに感心しているというより、他へ持っていく時間が残っていないことを確かめているように見えた。
「品質記録には問題ありません。ただ、希望していた数量より2本多い。こちらで引き取れるのは16本までです。それと、緊急調達の受付時刻を12分過ぎていますので、提示額から一割五分を調整させていただきたい」
「受付時刻までに第九区画へ入っとる。ほれ、船外搬入口の記録や。そっちの検品が遅いんを、ウチの遅延にされても困るで」
ハイデマリーは乱れた髪を直す手を止め、取引記録を男の端末へ重ねた。
「本数も最初から18本で出しとる。16本だけ欲しいんやったら1本あたりの値段は上がる。まとめ買いやからこの額なんや」
「当船の貯蔵設備にも限りがあります。残る2本をほかへ売る時間もないでしょうし、ここは互いに現実的な条件を――」
と、バスティアンは穏やかな声のまま、こちらが呑むべき理由を並べていく。ハイデマリーは怒った様子も焦った様子も見せず、男が言い終えるまで黙って聞いていた。ただ、その言葉が切れると俺へ向けて顎を動かし、保冷パレットを牽引機へ繋ぎ直すよう指示した。
「分かった。ほな、売らへん。あ~、シズ、聞こえとるか? 港内の飲食店と食品問屋へ、生クリームを加熱用の等級に落として、即売の案内出しといて……そうそう、今すぐ。値段は仕入れの一割増しで。円筒だけ欲しいいう医療運送屋がおったら、中身抜く場所も一緒に探してや」
などと、ハイデマリーは即興劇を始めた。嘘なんだろうけど、傍から見たら本気にしか見えないんだから流石だよな。
「待ってください。新しい買い手を募っても、すべて処分できる保証はないでしょう?」
バスティアンの声が初めて固くなった。
「せやけど四割捨てても、あんたに一割五分引かれるより腹立たへん。生クリームなしで偉いさんに飯出すんはウチやないし、好きにしたらええよ」
ハイデマリーはあっさり頷く。その横顔は、本当に利益より腹立つかどうかで決めかねないものだった。えげつねぇ。
俺は言われたとおり連結部を繋ぎながら、バスティアンの後ろにいる検品係を見る。
一人は端末へ届いたらしい連絡を読み、もう一人は時間の表示と客船へ続く扉を交互に見ていた。厨房か船長か、誰が急かしているのかまでは分からないものの、余裕がないのはこちらだけではないらしい。
「ハイデマリー、連結は終わったぞ。いつでも戻せる」
牽引機の電源を入れたところで、バスティアンが額へ手を当てた。
「18本、最初の提示額で引き取ります。緊急搬入の割増も契約どおり支払う。ただし、ただちに船内の冷蔵庫へ移してください」
その言葉に、ニマァとハイデマリーの口元が隠す気もなく吊り上がった。
「毎度あり! 円筒とパレットはウチの所有物やから、中身を移したら返してな。あと、牽引機は壊れとるから、そっちの搬送機借りるで」
こいつは悪魔か? ハイデマリーは合意した直後から条件を重ねた。バスティアンに、ずいぶん条件が多いと嫌味を返されるが、
「宇宙服着て、真空ん中を生クリーム運んできたんや。それくらい言うても罰当たらへんやろ」
そう言い、乱れた髪のまま一歩も引かない。
バスティアンは何も言い返さず、後ろの二人へ搬入を命じた。客船側の搬送機が保冷パレットを持ち上げ、白い船内へ運んでいく。最後の一本が扉の向こうへ消えるまで見届けると、ハイデマリーはその場で床へ座り込み、壁に背中を預けた。
「はぁ……疲れた~」
「立てるか?」
手を差し出すと、あと一分休ませてと、今度は品物の温度より先に自分の息を整えた。宇宙服の跡が残る頬は赤く、吸着器を扱っていた腕も小さく震えている。船外ではあれだけ平気な顔をしていたが、本当に何ともなかったわけではないらしい。
これで損をしていたら笑うと声を掛けると、ハイデマリーは壁にもたれたまま、売った分だけでも黒字だと答えた。ただし、笑うほどは儲かっていないらしい。危険手当と宇宙服の運搬、牽引機の利用料まで引いたのかと聞けば、そこは円筒を売った金で埋めるのだと、ようやく商人らしい笑みが戻った。
「生クリーム入っとった円筒な、あれ、医療用の培養液にも使える規格なんや。一目見てピンと来てな。中身入りやと処分に困るから安かったけど、空なら欲しがる業者はごまんとおる」
そう聞かされ、俺は生クリームを仕入れたと思っていたのに、欲しかったのは入れ物の方でもあったのだと気づいた。
客船が買わなければ中身を安く処分し、買えば売上を重ねる。どちらに転んでも全損はしないようにしていたのだろうが、貨物環状線が止まり、パレットの車輪まで外れかけるところまでは読んでいなかったはずだ。
「買い手は決まってないのに、よく即興で行けたな」
「全部の買い手は、や。円筒は直ぐに販売先が決まった。嘘は言うてへんで」
と、悪びれもせず言葉の隙間を指で広げてみせた。
ずる賢いやつめ。そういう言い方をする奴の契約は、次から最後まで読むことにすると告げた俺へ、『いままで読んでへんかったん?』と本気で驚いた顔をされた。
読んではいるが、ハイデマリーが気にしている場所まで見つけられるかは別の話だ。俺が返事をしないでいると、出港時刻を知らせる放送が流れ、壁の向こうからベアトリクスの機関が立ち上がる低い震動が伝わってきた。
◇
母艦へ戻った頃には、市場へ出てから半日が過ぎていた。
船外作業で汗をかいたうえ、帰りには最初に買った箱をまた抱えさせられた。香しい臭いを纏っていたのか、食堂へ入った俺を見た傭兵仲間のエリーは、俺を労うより先に鼻を押さえた。
「オッキー、なんか冷蔵庫の裏みたいな匂いする」
露骨に顔を背けられた。生クリームと一緒に宇宙を走ってきた人間へ最初に言うことがそれかと返すと、どういう状況なのかと今度は目を輝かせている。最初から説明するのも面倒で、俺は椅子へ腰を下ろした。
右肩にはまだ鈍い痛みが残っており、腕を上げるたびに牽引機が引かれた感触を思い出す。向かいでは同じく傭兵仲間のリタが買ってきた照明素子の箱を開け、ハイデマリーから渡された小型容器を光へ透かしていた。俺たちがどういう目に遭ったのかは、どうせハイデマリーが自分に都合のいい部分から話すからいいだろ。
「品質確認用の試料や。腐らせてもしゃあないから、みんなで味見しよ」
ハイデマリーは言いながら、食堂の棚からカップを出していく。倉庫で交渉したときは試料用の一本を付けろと言っていたので、最初から自分たちで飲むつもりだったのだろう。抜け目がなくて驚くぜ。
「これ、生クリーム?」
カップを渡されたエリーの目が急に明るくなった。
コーヒーに入れていいかと聞かれたハイデマリーは、好きにすればいいが、入れすぎればコーヒーの味がしなくなると一応は止めたものの、エリーにとってはそれがいいらしい。苦いからと胸を張り、誰の返事も待たずに、シズが用意したコーヒーへ白い液体を注いでいく。
黒かったはずの中身は途中で茶色を通り過ぎ、本人が満足して止めた頃には、僅かに色のついた生クリームと呼んだ方が近くなっていた。
リタは自分の分をスプーンの先へ少しだけ取り、匂いを確かめたあとでそのまま飲んでいた。誰も腹を壊さなければ、少なくとも品質検査の役目は果たせそうだ。
「で、儲かったの?」
エリーに訊かれ、ハイデマリーは端末へ届いた入金を食卓の中央へ表示した。
生クリームの売上から仕入れと港の利用料を引き、俺の危険手当まで差し引くと、命を張ったにしては寂しい数字しか残らない。
ところがその横へ、空になった円筒十八本と保冷パレット二台の売却予定額が加わると、桁が一つ増えた。
「すご、白いの売っただけなのに」
エリーが自分のカップを見下ろす。
「白いんは、おまけみたいなもんやな。容器だけ売っとったら怪しまれる値段でも、中身ごと在庫処分いうたら普通に見える。おっちゃんは廃棄料払わんで済んだし、客船は晩飯に間に合う。ウチは容器売って儲かる。みんな幸せや」
「オキタだけ、少し割に合っていないように見えるけれど」
リタが数字を見ながら言うと、ハイデマリーは俺が1.7倍で納得したのだと契約を盾にした。
このあとの夕飯、店まで選ばせるのだから十分だと勝手に結論づけられた。反論しようとしたところで、エリーが俺の前へカップを置く。残っていたコーヒーへ生クリームを入れたらしく、表面には柔らかい泡が浮かんでおり、自分の分を飲み切って次を作るついでだったのだろう。
「ほら、オッキーも。これなら今日の分、ちょっとは得した気になるんじゃない?」
甘い匂いはするが、エリーのものほど白くはなかった。一口飲むと、倉庫で味見したときより軽く感じられ、冷えた身体へ苦みと温かさが一緒に落ちていく。危険手当の不足を生クリームで埋められるほど安い身体ではないつもりだが、まあ、こういうのも悪くない。
「オキたん、明日も仕入れ行くけど一緒に来るか?」
向かいで同じものを飲んでいたハイデマリーが、何気ない声で聞いてきた。
俺はカップを置き、今度こそ断るために、まず何を買うのか確かめる。ハイデマリーは端末をこちらへ滑らせながら、
「中古の重力制御器。37基まとめてや」
と、今日より面倒になる未来を少しも隠さなかった。
断るつもりだったが、提示された荷運び手当は最初から2倍になっていた。店を選ぶ権利もそのまま残っている。俺が契約書を開いて細かい文字まで読み始めると、ハイデマリーは勝ったように笑っていた。
というわけで、短編一発目でした。お読みいただきありがとうございました。
本編が殺伐としてきたので、心を洗うために生クリームを飛ばしました。
余話は殺伐とした話に耐えられなくなったら投稿しますので、本編含めてこれからもよろしくお願いします。よろしければ感想、☆評価、リアクションボタンのプッシュ宜しくお願いします。




