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不可思議事件録2 ~鋼鉄の支配を琥珀の絆で描き直せ。少年と巫女が綴る、街と家族の再設計~  作者: たくみふじ
序 章 青き刻印の覚醒

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北風のノイズと、設計士の指先㈠

冷たい数式を温かな余白へ。少年と巫女が綴る、世界再設計のファンタジー

 十月の声を聞くと同時に、河崎の街を支配していた湿り気のある熱気は、まるで魔法が解けたかのように、乾いた無機質な冷気へと姿を変えていた。京浜工業地帯の夕暮れは早い。巨大なガントリークレーンは、残照を受けて鋼鉄の巨鳥の骨格のように沈黙し、海から吹き付ける風は、放置された貨物操車場の()びた線路を吹き抜ける際、まるで誰かのすすり泣きのような不気味な口笛を(かな)でている。

 昭和町五丁目の越智(おち)家のアパート。十二歳の越智良亮(りょうすけ)は、液晶ディスプレイから放たれる青白い光に顔を照らされながら、キーボードを叩く指を止めることはなかった。ディスプレイの表面には、複雑に(から)み合った数式、古びた都市設計図、そして一般の検索エンジンでは決して辿り着けないダークウェブの奥底から引き揚げた非公開のインフラデータが、目まぐるしくスクロールされている。

 工藤一族との死闘から数ヶ月。良亮の日常は表面上、平穏を取り戻したかのように見えた。しかし、彼の肉体には、決して拭い去ることのできない「変質」が深く刻まれていた。右腕――手首から肘にかけて蛇行(だこう)するように刻まれた、あの青い幾何学模様の(あざ)である。


「……っ、また熱を持ってきた」


 良亮は左手で右腕を強く押さえた。包帯の下で、痣が鼓動に同期して淡い燐光(りんこう)を放っている。それはもはや、単なる傷跡ではない。工藤一族が誇った「青い知恵」が、良亮という器を通じて現世に干渉するための、生きた回路となっていた。

 この痣が発現して以来、良亮の感覚は一変した。インターネットという情報の海に触れるとき、彼はもはや文字や画像を読んでいるのではない。ディスプレイの向こう側に広がる情報の海が、痣を通じて良亮の脳内に「三次元的な構造物」として投影(とうえい)されるのだ。古い再開発計画のテキストは、巨大なビル群のワイヤーフレーム(骨組み)となり、遮断されたアクセス制限は、分厚いコンクリートの壁となって良亮の意識の前に立ち(ふさ)がる。


「ここだ……。河崎の北側、旧国鉄・幽霊操車場。やっぱり、ここだけデータの連続性が途切れている」


 良亮は、痣が発する熱を集中力へと変換し、鉄壁のセキュリティを誇る市役所の土木管理サーバーの深層へと、意識の触手を伸ばした。彼が探しているのは、かつて父・伸介(しんすけ)がその生涯を掛けて追い、そして工藤一族によって闇に(ほうむ)られた「設計の真実」だった。良亮の指先がエンターキーを叩く。次の瞬間、画面上には一九五〇年代に作成された後、理由も明かされず抹消(まっしょう)された、広大な「地下鉄道網」の輪郭(りんかく)が、不気味な影のように浮かび上がった。


 涼子の帰還、介護の現場に漂う「亡霊の匂い」

 ガチャリ、と重い玄関の鍵が開く音がした。


「良亮、ただいま。まだ起きていたの? 目が悪くなるわよ」


 仕事帰りの越智涼子(おちりょうこ)が、少し疲れた、けれど柔らかな、どこか安堵させるような声で入ってきた。彼女はかつて自分の中に岩瀬友之(いわせともゆき)という別の人格を宿していた時のことを、今では「一生忘れることのない、命の重みを知るための試練」として胸に抱いている。しかし、その奇妙な経験を経てから、彼女の「看護・介護」の感性は、科学的な知見を超えた領域へと踏み出していた。


「ママ、お帰り。おじいさんたちの様子、どうだった? 変わりなかった?」


 良亮は咄嗟にブラウザのタブを閉じ、立ち上がった。右腕の痣の輝きを隠すように、長袖の袖を不自然に引き下げる。涼子はキッチンへ向かい、手を洗ってから、冷蔵庫から麦茶を取り出した。彼女の背中は、どことなくいつもの夕方よりも重く、固く見えた。


「変わり、というより……。最近、北側の特別養護老人ホーム『鉄錆(てつさび)の里』の入居者さんたちの様子が、どうにも不自然なのよ」


 涼子が語る「鉄錆の里」は、良亮が今しがた調べていた幽霊操車場の跡地に隣接する施設だった。


「特に、昔、国鉄(こくてつ)で信号手や機関士をしていたおじいさんたちがね……。夜中になると、一斉に部屋から這い出してくるのよ。『一番線に急行が入るぞ』とか、『連結器の音が聞こえないか』って。……ただの徘徊(はいかい)じゃないの。みんな、何かに導かれるように、同じ方向……あの閉鎖された地下通路の扉を見つめているのよ」


 涼子の声が、微かに震えていた。


「それに、あの施設の匂い。……重油と、古い鉄錆。それから、ずっと動いていない機械が、無理やり熱を持ったときのような……あの独特な『黒い蒸気』の匂いが、どんなに換気をしても消えないのよ。まるで、過去から迷い込んできた列車が、あそこに停車しているみたいに」


 涼子は介護士として、高齢者たちの魂の輪郭を誰よりも近くで観測してきた。認知症の症状だと言ってしまえば簡単だが、彼女には分かっていた。彼らの(にご)った瞳の奥で燃えているのは、病気の火ではなく、かつてこの街を支え、そして何らかの理由で地下に埋められた「巨大な意志」の残滓(ざんし)であることを。「鉄錆の里……。ママ、そこは絶対に近づいちゃいけない場所だよ」良亮が(つぶや)くと、涼子は息子の右腕を一瞬だけ、鋭い視線で見つめた。


「良亮。……分かっているわ。パパが命を落としたあの事故も、工藤一族が、伸介さんの設計士としての能力を恐れて仕組んだものだった……。その因縁は、この街の地下で、まだ腐らずに残っているのね」


 竜子の来訪、不敵なる「昭和の令嬢」

 その時、アパートの窓の外、ベランダのアルミ柵が(かす)かな音を立てた。バサリ――。それは鳥の羽ばたきというにはあまりに人工的で、しかし(みやび)な「扇子」が開く音だった。


「……おーほっほっほっ! 随分と、湿っぽく、そして陰気な相談事をしておりますわね、良亮さん」


 月明かりを背負い、窓枠に腰を下ろして優雅に微笑んでいるのは、門前竜子(もんぜんりゅうこ)だった。

 彼女は、まるで昭和初期の白黒映画から抜け出してきたような、クラシカルな美学をその身に(まと)っている。手入れの行き届いた長い黒髪が夜風にたなびき、漆塗(うるしぬ)りのように深い(あけ)の扇子を口元に当てている。背中には、彼女のトレードマークであるあの不気味で美しい「赤いランドセル」が背負われていた。


「竜子さん! いつも言ってるだろ、玄関から入ってって」


良亮が(あき)れて窓を開けると、竜子はふわりと重力に逆らうような軽やかさで部屋へ降り立った。その足音は一切聞こえない。


「あら。わたくしのような、街の因縁を吸い込む『(うつわ)』が、人様が決めた扉などという形式に(とら)われるなど、無粋(ぶすい)というものですわ。……それより宗介(そうすけ)、あなたもいつまで影に隠れておりますの?」


 竜子の背後から、神職の装束(しょうぞく)をベースにした機能的な黒いコートを(まと)った青年、稲葉宗介(いなばそうすけ)が、霧のように音もなく姿を現した。


「……越智さん、夜分に失礼いたします。警備上の理由で、不本意ながらベランダからの失礼となったことをお詫びします」


宗介は涼子に慇懃(いんぎん)に一礼した。彼の表情はいつも以上に硬く、その手には、河崎神社の秘宝である「霊的な磁場計(じばけい)」が握りしめられていた。

X(Twitter)でも連載しています。

https://x.com/TakumiFuji2025

魅力的なキャラクターたちが躍動する物語をお楽しみください。

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