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第5話 壊れたランプ職人

「……なにこれ」


 ミリアは俺のランタンを両手で抱えたまま、食い入るように覗き込んでいた。


 狐のような耳が、ぴんと立っている。


 尻尾も、さっきまで怒りで逆立っていたのに、今は興奮で左右に揺れていた。


「こんな優しい灯り、初めて見た」


「優しい、ですか」


「うん。熱が暴れてない。光の芯がまっすぐなのに、まわりにちゃんと余白がある。魔石に無理をさせてないのに、灯りが消えようとしてない。何これ。どうなってるの?」


 早口だった。


 さっきまで俺を不審者扱いしていた少女とは思えない勢いで、ミリアはランタンを上下左右から観察している。


 俺は少し困って、セラを見た。


 セラは慣れているのか、肩をすくめた。


「灯具のことになると、いつもこうよ」


「聞こえてるからね、セラ」


「聞こえるように言ったもの」


「あとで覚えてなさいよ」


 そう言いながらも、ミリアの目はランタンから離れない。


 村の広場には、壊れた灯具が山のように集められていた。


 割れたランタン。


 錆びた吊り灯。


 焦げた寝室灯。


 祭りで使っていたらしい飾り灯。


 どれも長い間使われず、埃と夜霧の黒い汚れをまとっている。


 その中で、俺の真鍮ランタンだけが淡い金色の光を宿していた。


「これ、王都製?」


 ミリアが聞いた。


「いえ。父から譲られたものです。どこで作られたかは、俺も詳しく知りません」


「王都製じゃないのは分かる。王都の灯具って、もっと無駄に偉そうだもん。金具が厚すぎるし、魔石に力を押し込む作り方をする」


「……よく分かりますね」


「当たり前でしょ。あたしはランプ職人よ」


 ミリアは胸を張った。


 年は十七、八くらいだろうか。


 金茶色の髪は肩のあたりで跳ねていて、額には油汚れがついている。


 服は職人用の厚手の作業着。


 腰の工具ベルトには、レンチ、針金、火打ち石、小型の磨き布、細いヤスリがびっしり差し込まれていた。


 華やかな美少女というより、工房の煤と油の匂いが似合う少女だ。


 けれど、灯具を見る目は本物だった。


「ミリアは、この村で唯一の灯具職人なの」


 セラが説明する。


「お父さんが亡くなってから、工房を一人で守っているわ」


「守ってるだけ」


 ミリアが小さく訂正した。


 その声には、さっきまでの勢いがなかった。


「直せてない。守ってるなんて、立派なものじゃないよ」


 セラが何か言おうとしたが、ミリアはそれを遮るように俺へランタンを返した。


「で、ルカだっけ。あんた、灯火師って言ったよね」


「はい」


「王都から来た?」


「追放されましたが」


「あー……」


 ミリアはなんとも言えない顔をした。


「その顔、本当っぽいね」


「どんな顔ですか」


「王都にひどい目に遭わされた人の顔」


 妙に実感のこもった言い方だった。


 俺が首を傾げると、ミリアは壊れた灯具の山を顎で示した。


「この村の灯具、ほとんど王都規格なの。昔、王都の商人から買ったやつ。でもね、部品が高い。魔石も高い。修理に必要な専用工具も高い。壊れたら、辺境じゃどうにもならない」


「王都規格は、確かにそういう欠点があります」


「欠点どころじゃないよ。こっちは一つの小さな魔石を何年も使いたいのに、王都の灯具は出力を上げて派手に光らせる前提で作られてる。そりゃ、すぐ壊れるっての」


 ミリアは怒っていた。


 俺にではない。


 きっと、ずっと直したかったのだろう。


 村の灯りを。


 でも部品がなく、魔石がなく、王都に頼る金もなく、夜霧に壊されていく灯具を前に、どうにもできなかった。


「工房を見せてもらえますか」


 俺が言うと、ミリアの耳がぴくりと動いた。


「何しに?」


「この村の灯りを戻すなら、広場で応急処置を続けるだけでは足りません。作業場が必要です。工具も、部品も、灯具の図面も」


「……あたしの工房を使うつもり?」


「使わせてもらえれば助かります」


「王都の灯火師様が、辺境の古い工房を?」


「追放されたので、様はいりません。それに、さっき灯具の見方を聞いて分かりました。あなたは本物の職人です」


 ミリアは一瞬、黙った。


 大きな琥珀色の目が、俺をまっすぐに見る。


「……お世辞?」


「苦手です」


「じゃあ、天然?」


「それもよく分かりません」


 ミリアはしばらく俺を睨んでいたが、やがてぷいっと顔を背けた。


「ふん。まあ、いいよ。見せるだけならね」


 尻尾が、少しだけ嬉しそうに揺れていた。


     ◇


 ミリアの工房は、村の東外れにあった。


 黒森からは少し離れているが、それでも夜になれば危険な場所らしい。


 木造の小さな建物で、屋根には煙突がある。


 看板には、かすれた文字で「月灯工房」と書かれていた。


 扉を開けた瞬間、油、金属、古い木、磨き粉の匂いが鼻をくすぐる。


 俺は思わず足を止めた。


「……いい工房ですね」


 口から自然に出た。


 ミリアが振り返る。


「埃だらけだけど?」


「道具が使われています。手入れもされている。灯具の部品も、種類ごとに分けてある」


 壁には工具が並んでいた。


 棚には硝子の筒、金具、芯、反射板、空の魔石受け。


 作業台の上には、修理途中らしいランプがいくつも置かれている。


 どれも完成してはいない。


 でも、諦めて放置されたものではなかった。


 途中で止まっているだけだ。


 材料さえあれば、手は動く。


 そんな工房だった。


「父さんの工房だよ」


 ミリアが作業台の上を軽く払った。


「今は、あたしのだけど」


「お父さんもランプ職人だったんですね」


「うん。村で一番のね。夜市の灯りも、宿の吊り灯も、北門の門灯も、だいたい父さんが直してた」


「今残っている古い灯具、かなり丁寧な作りでした」


「でしょ?」


 ミリアの顔が、少しだけ明るくなる。


 だがすぐに、影が落ちた。


「でも、夜霧が濃くなってからは、何を直しても壊れた。魔石は黒くなるし、芯は腐るし、硝子は内側から曇る。父さんは何度も黒森の近くまで原因を調べに行って……最後は戻ってこなかった」


「……すみません」


「なんでルカが謝るの」


「聞いてしまったので」


「変なの」


 ミリアは笑おうとしたが、うまく笑えなかった。


 彼女は作業台の上にある壊れたランプを指で突いた。


「それからは、あたし一人。直したい灯具は山ほどある。でも魔石はない。王都規格の部品は高い。村の人は、壊れた灯具を持ってくるたびに期待する。でも、あたしはいつも言うしかなかった」


 ミリアは唇を噛んだ。


「ごめん、直せないって」


 その言葉は、工房の埃よりも重く積もっているように感じた。


 俺は作業台の灯具を手に取った。


 小型の寝室灯。


 魔石受けが欠け、芯が固まっている。


 王都の職人なら部品交換を勧めるだろう。


 だが、ミリアは欠けた魔石受けに別の金具を噛ませ、芯の角度を調整しようとしていた。


 工夫の跡がある。


「これ、直せます」


 俺が言うと、ミリアが目を見開いた。


「本気?」


「完全ではありませんが、使えるようにはできます」


「魔石受けが欠けてるんだよ。替え部品なんてない」


「受け皿にする必要はありません。魔石を固定するのではなく、光の通り道を作る形に変えればいい」


「光の通り道?」


「はい。魔石を燃料の中心に置くのではなく、灯りを留める目印にする。そうすれば、小さな魔石片でも使えます」


 ミリアの耳がぴんと立った。


「待って。今、すごく面白いこと言った」


「そうですか?」


「言った。めちゃくちゃ言った。もう一回」


「魔石を燃料ではなく、灯りを留める目印に——」


「それ!」


 ミリアは作業台の上に身を乗り出した。


「王都式は魔石を燃やす。だから高出力だけど、消耗が激しい。でもルカの灯りは、魔石を燃やしてない。引っかけてる? 留めてる? そういう感じ?」


「近いと思います」


 王都にいた頃から、俺はずっとそう感じていた。


 聖灯師たちは魔石に魔力を流し込み、強い光を出す。


 でも俺の【小さな灯】は違う。


 魔石を無理に光らせるのではなく、そこに灯りがともる場所を作る。


 だから派手ではない。


 でも、長く安定する。


「試していい?」


 ミリアが言った。


「もちろん」


「じゃあ、これ。父さんの失敗作」


 彼女は棚の奥から、小さな卓上ランプを取り出した。


 丸い硝子の傘。


 細い真鍮の支柱。


 土台には月の模様が彫られている。


 可愛らしい灯具だった。


 ただ、中心の魔石はほとんど欠片しか残っていない。


「これ、子ども部屋用に作ってたんだ。強い光じゃなくて、眠る前に怖くないくらいの灯り。だけど魔石が弱すぎて、すぐ消えた」


「見ても?」


「うん」


 俺は卓上ランプを受け取り、内部を確認した。


 作りは繊細だ。


 光を広げるのではなく、柔らかく包む形。


 魔石が弱すぎるのではない。


 王都式の点火法が合わなかったのだ。


 この灯具は、強い光を求めていない。


 寄り添う灯りを待っている。


「いい灯具です」


「……父さんが作った」


「お父さんは、きっと子どもが怖がらずに眠れる灯りを作りたかったんですね」


 ミリアは何も言わなかった。


 でも、尻尾の動きが止まった。


 俺は卓上ランプを作業台に置き、指先を近づける。


 ニナの笑顔を思い出す。


 悪夢が消えたと言った声。


 この灯りは、あの子の部屋に合うかもしれない。


「【小さな灯】」


 金色の光が、卓上ランプの中心へ落ちた。


 魔石の欠片が、一瞬だけ弱く震える。


 次の瞬間、丸い硝子の傘全体がふわりと光った。


 まぶしくない。


 暗すぎもしない。


 眠る前に、枕元で本を読めるくらい。


 夜中に目が覚めても、部屋の隅が怖くなくなるくらい。


 そんな灯りだった。


「……点いた」


 ミリアが呆然と呟いた。


 ランプの光が、彼女の頬を照らす。


 その目が、じわりと潤んでいく。


「父さんの灯具、点いた……」


 俺は何も言えなかった。


 ミリアは慌てて袖で目元をこすった。


「ち、違うから。油が跳ねただけだから」


「まだ何も油を使ってません」


「うるさい」


 セラが横で小さく笑っている。


 ミリアは赤くなった顔を隠すように、卓上ランプを両手で包んだ。


「これ、どれくらい持つ?」


「魔石片が小さいので、今のままなら数時間。内部を調整すれば、一晩持つかもしれません」


「一晩……」


 ミリアは小さく息を呑んだ。


「ニナの部屋に置ける?」


「そのつもりでした」


「……あたしも、そう思った」


 初めて、ミリアと俺の考えが同じ場所に重なった気がした。


     ◇


 そこから工房は、一気に動き始めた。


 ミリアは作業台に灯具を並べ、俺が灯りの通り道を確認する。


 ミリアが金具を調整し、俺が魔石片に小さな灯を留める。


 セラは村の地図に、必要な灯具の数を書き込んでいく。


「広場の灯柱は大きい魔石が必要ね」


「北門は門灯二つ。片方は硝子交換」


「井戸灯は湿気に強い形にした方がいい」


「畑は低い灯りを四つ。風で消えにくいように囲いをつける」


「宿は食堂灯を中心に、客室灯をつなぐ」


 ミリアの声がどんどん明るくなっていく。


 壊れた灯具を前にしても、「無理」と言わない。


 どう直すかを考えている。


 それだけで、工房の空気が変わった。


「ルカの灯り、すごく変」


「褒めていますか?」


「めちゃくちゃ褒めてる。普通の魔石灯は魔力の流れが太い一本線なの。でもルカの灯りは、細い糸がいっぱいある感じ。灯具の傷んでない場所を探して、そこを通っていく」


「だから古い灯具でも点くのかもしれません」


「うん。王都の灯具師、馬鹿だね」


「急ですね」


「だってそうでしょ。こんな灯りを外れスキル扱いしたんでしょ?」


 ミリアは鼻を鳴らした。


「見る目なさすぎ」


 王都で何度も無能と呼ばれた俺は、その言葉にどう返せばいいか分からなかった。


 見る目がなかったのか。


 それとも、俺自身も自分の灯りを分かっていなかったのか。


 たぶん、両方だ。


「でも、俺一人では何もできません」


「そう?」


「灯具が必要です。職人の手も必要です。村の人が灯りを置く場所も必要です」


 俺はミリアが調整した卓上ランプを見た。


「さっきのランプは、あなたとお父さんが作ったものです。俺は灯りをともしただけです」


 ミリアは少しだけ黙った。


 それから、照れ隠しのように工具を乱暴に置いた。


「……ほんと、変な人だね」


「やっぱり変ですか」


「変。でも、嫌いじゃない」


 セラが横でにやりとした。


「へえ」


「セラ、何その顔!」


「別に?」


「今のは職人としての話! 人間としてとか、そういう意味じゃないから!」


「私は何も言ってないわ」


「言ってる顔だった!」


 工房に、久しぶりの笑い声が響いた。


 その時、扉の外からニナの声がした。


「ルカ兄ちゃーん! 入っていい?」


「どうぞ」


 扉が開き、ニナが顔を出す。


 後ろには老婆もいる。


 ニナは工房の中を見た瞬間、目を輝かせた。


「わあ……お星さまの部屋みたい」


 作業台には、試しに点けた小さな灯具がいくつも並んでいた。


 完全ではない。


 どれも弱い光だ。


 でも、工房の暗がりを優しく照らしている。


 ミリアは少し胸を張った。


「ここは月灯工房だからね」


「ミリア姉ちゃん、すごい!」


「えへん」


「その耳もすごい!」


「そこ!?」


 ニナが笑う。


 ミリアもつられて笑う。


 俺は卓上ランプを手に取った。


「ニナ。これを、君の部屋に置いてみてもいいかな」


「わたしの?」


「うん。怖い夢を少しでも遠ざけられるか、試したい」


 ニナはランプを見つめた。


 丸い硝子の中で、金色の灯りが柔らかく揺れている。


「かわいい……」


「ミリアのお父さんが作った灯具だそうです」


「ミリア姉ちゃんのお父さん?」


「うん」


 ミリアが少し照れながら頷いた。


「子ども部屋用。ずっと点かなかったけど、ルカが点けた」


「じゃあ、二人の灯りだね」


 ニナは何気なく言った。


 俺とミリアは、同時に顔を見合わせた。


 二人の灯り。


 その言葉は、思っていたよりずっと自然に胸へ落ちた。


 灯りは一人で作るものではない。


 灯具を作る人がいて、灯す人がいて、そこに暮らす人がいる。


 だから灯りになる。


「……うん」


 ミリアは小さく言った。


「二人の灯り、かな」


 その声は、とても柔らかかった。


     ◇


 夕方までに、工房では三つの灯具が使えるようになった。


 一つは、ニナの部屋に置く子ども用の安眠灯。


 一つは、井戸の簡易灯を補強するための湿気除け灯。


 一つは、ロッテさんの宿の食堂で試す小型の吊り灯。


 たった三つ。


 村全体を照らすには、まだまだ足りない。


 でも、昨日の朝には一つもなかった灯りだ。


「すごいね」


 セラが工房の入口で、完成した灯具を見つめた。


「一日で、こんなに」


「ルカの灯りがあるから」


 ミリアが言った。


「ミリアの調整があるからです」


 俺が返すと、ミリアはそっぽを向いた。


「そういうの、いちいち言わなくていいから」


「事実ですが」


「だから、そういうところ!」


 耳を赤くして怒るミリアを見て、セラがまた笑う。


 工房の空気は、朝とはまるで違っていた。


 最初は怒りと諦めで満ちていた場所に、今は油と金属と、少しの希望の匂いがある。


「ルカ」


 ミリアが急に真面目な顔になった。


「お願いがある」


「何でしょう」


「あたしに、灯りの通り道の見方を教えて」


「俺も感覚でやっている部分が多いですが」


「それでもいい。あたしは灯具を作れる。でも、夜霧に負けない灯りの作り方は知らない。父さんも、そこまでは届かなかった」


 彼女は拳を握った。


「この村の灯具を、もう一度あたしの手で点けたい」


 その目には、職人としての悔しさと、前へ進もうとする意志があった。


 俺は頷いた。


「一緒にやりましょう」


 ミリアの尻尾が、ぱっと揺れた。


「うん!」


 その瞬間だった。


 工房の床下から、かすかな音がした。


 こつん。


 何かが鳴ったような音。


 全員が動きを止める。


「今のは?」


 セラが短剣に手をかける。


 ミリアは眉をひそめた。


「床下? でも、地下室なんて……」


 言いかけて、彼女ははっとした顔をした。


「いや、ある。父さんが昔、絶対に開けるなって言ってた古い保管庫」


「保管庫?」


「工房の下。何が入ってるか、あたしも知らない」


 また、こつん、と音がした。


 今度ははっきり聞こえた。


 俺のランタンが、勝手に淡く光を強める。


 床板の隙間から、細い金色の線が浮かび上がった。


 広場や北門で見た、古い灯路の紋。


 それが工房の床下から、俺の灯りに応えるように輝いている。


 ミリアの耳が震えた。


「……なに、これ」


 俺はランタンを持ち直した。


 工房の下に、何かがある。


 古い灯具か。


 灯路の中枢か。


 それとも、この村の灯りが消えた理由につながる何かか。


 床下から、三度目の音が響いた。


 こつん。


 まるで、誰かが内側から扉を叩いているようだった。

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