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第12話 聖灯局公認の黒い火

 黒い蝋燭の芯に、赤黒い火がともった。


 誰も火をつけていない。


 油もない。


 風もない。


 それなのに、蝋燭はひとりでに燃え始めた。


 客室の灯りが、ぎしりと軋むように暗くなる。


 食堂灯から分けた小さな客室灯。


 昨夜、ドルトンさんが安心して眠れるようにと、俺が灯したものだ。


 その光が、黒い蝋燭に吸われている。


「ルカ!」


 セラが短剣を構えた。


 だが、相手は魔物ではない。


 蝋燭だ。


 斬っていいものか、燃やしていいものか、下手に触ればどうなるかも分からない。


 ミリアが床に膝をつき、客室灯を確認する。


「だめ、灯りの流れが引っ張られてる! この黒蝋燭、周りの灯具から光を吸ってる!」


「窓を開けないでください」


 俺はドルトンさんに向かって言った。


「黒い煙が出たら、外へ逃がす前に部屋中へ広がる可能性があります」


「じゃ、じゃあどうすれば……!」


「灯りで囲みます」


 俺はランタンを掲げた。


 足元では、ポルカが毛を逆立てている。


「ぽう……ぽうっ!」


 怯えている。


 けれど逃げない。


 ポルカは小さな体で、客室灯と黒蝋燭の間に立とうとしていた。


「ポルカ、無理するな」


「ぽう!」


 返事は強かった。


 まったく、このモフモフは小さいのに妙に頑固だ。


 俺はポルカの尻尾の光を見る。


 柔らかい月明かり。


 北門守護灯を支えた光。


 黒い火とは正反対の、誰かを導くための光だ。


「ミリア。隔離灯は作れますか」


「下のより強いやつが必要。部品が足りないけど……客室灯の反射板を外して使う」


「客室灯が消えませんか」


「ルカが支えて」


「分かりました」


「セラ、机をどかして。床に灯りの輪を作る」


「任せて」


 三人が同時に動いた。


 セラが机を引きずり、部屋の中央に空間を作る。


 ミリアが客室灯の外枠を外し、反射板と金具を抜き取る。


 俺は客室灯が完全に消えないよう、ランタンから細い灯りを流した。


 黒蝋燭の火が、じわじわと大きくなる。


 火なのに、部屋は明るくならない。


 むしろ暗くなる。


 燃えるほどに、周囲の温度が下がっていく。


「寒い……」


 ドルトンさんが毛布にくるまりながら震えた。


 黒い火のまわりに、影狼の形をした煙が浮かぶ。


 それは一瞬だけ口を開け、笑うように揺れた。


 セラが舌打ちする。


「趣味の悪い蝋燭ね」


「呪具です。魔物を直接呼ぶというより、人の恐怖を餌にして夜霧を濃くする」


 言いながら、俺は胸の奥に怒りが灯るのを感じていた。


 ドルトンさんはただの行商人だ。


 黒森で馬車が壊れ、命からがらこの宿へ逃げ込んだ。


 その荷に、黒燭商会はこれを忍ばせた。


 助けを求める人間を、呪いを運ぶ荷物にしたのだ。


 ロッテさんの宿が再び灯った最初の夜に。


 初めての客の部屋に。


 こんなものを。


「できた!」


 ミリアが叫ぶ。


 床に、即席の灯りの輪が組まれていた。


 反射板を四方に置き、細い銅線で結ぶ。


 その中央に、黒蝋燭。


 銅線の交点には、月送りの灯を作った時に残った小さな透明魔石の欠片。


「ルカ、火を細く。強く入れたら跳ね返される」


「はい」


 俺は膝をつき、灯りの輪に手をかざした。


 強く照らすのではない。


 黒い火を叩き潰すのでもない。


 囲む。


 逃がさない。


 客室の中で眠る人を守るために。


 宿の灯りを汚させないために。


「【小さな灯】」


 金色の光が、銅線を伝って輪になる。


 黒蝋燭の火が、ぶわっと膨らんだ。


 部屋の壁に、影狼のような煙が何頭も浮かぶ。


 ドルトンさんが悲鳴を上げた。


 セラが彼の前に立つ。


「見るな! あれは本物じゃない!」


 ミリアが歯を食いしばって反射板を押さえる。


「ルカ、右が弱い!」


「足します」


「ポルカ、そこ!」


「ぽう!」


 ポルカが尻尾を振る。


 月の光が、輪の欠けた部分を補った。


 金色と白銀の光が重なり、黒い火を包み込む。


 黒蝋燭が、ぎちぎちと音を立てた。


 まるで生き物の骨が軋むような音だった。


 やがて、芯の赤黒い火が小さくなる。


 煙の影狼たちが薄れ、客室灯の光が戻っていく。


「あと少し……!」


 ミリアが叫ぶ。


 俺はランタンを握りしめた。


 この火は、灯りではない。


 人を安心させない。


 道を照らさない。


 食卓を温めない。


 眠りを守らない。


 ただ、不安を食い、闇を増やすだけの偽物だ。


「消えろ」


 静かにそう告げた瞬間、金色の光が輪の内側へ収束した。


 黒蝋燭の火が、音もなく消える。


 蝋燭本体にも、細かいひびが入った。


 客室に、ようやく温度が戻ってくる。


 ドルトンさんは床に座り込んだまま、何度も荒い息を吐いていた。


 セラは短剣を下ろす。


 ミリアもその場にへたり込んだ。


「……最悪。黒燭商会、想像以上に性格悪い」


「同感です」


 俺は割れた黒蝋燭を布で包んだ。


 今は火を失っているが、完全に無害化できたわけではない。


 しかも。


「これを見てください」


 蝋燭の底。


 黒い蝋に埋もれるように、小さな刻印があった。


 セラが顔を近づける。


「紋章?」


 ミリアの耳がぴくりと立つ。


「これ、王都の?」


 俺はしばらく黙った。


 見間違えであってほしかった。


 だが、違う。


 この紋章を、俺は毎日のように見ていた。


 聖灯局の備品。


 公式認可を受けた灯具。


 大聖灯の補助装置。


 それらに刻まれていたものと同じ。


「王都聖灯局の認可印です」


 部屋の空気が、また冷えた。


 黒い火は消えたはずなのに。


 それ以上に冷たいものが、胸の奥へ落ちてくる。


 セラが低く言った。


「つまり、この黒蝋燭は王都の公認品?」


「少なくとも、そう見せかける刻印があります」


「偽造の可能性は?」


「あります。ただ、かなり精巧です。聖灯局の内部を知らない人間が簡単に作れるものではありません」


 ミリアが拳を握った。


「ルカを追放したところだよね」


「はい」


「じゃあ、見る目がないだけじゃなくて、ろくでもないじゃん」


 返す言葉がなかった。


 聖灯局の全員が関わっているとは思いたくない。


 あそこにも、真面目に灯りを守ろうとしている人はいる。


 けれど、局長グレゴールなら。


 派手な光しか見ず、地味な灯路を軽視し、責任を俺に押しつけたあの男なら。


 黒燭商会のような相手と手を組んでいても、不思議ではない。


「ドルトンさん」


 セラが商人に向き直る。


「この蝋燭を仕込まれた時、本当に気づかなかった?」


「誓って。もし知っていたら、こんなものを背負って村へ来るわけがない!」


 ドルトンさんは青ざめたまま、必死に首を振った。


「私はただ、王都で黒燭商会の噂を聞いたことがあるだけです。最近、貴族街で流行っていると。夜の魔物除けになる、高級な呪い除け蝋燭だと」


「貴族街で?」


 俺は眉をひそめた。


「はい。聖灯局公認だから安全だと、皆が」


 セラが俺を見る。


 俺も頷いた。


 まずい。


 かなりまずい。


 もし王都でこの黒蝋燭が広がっているなら、灯火網は確実に汚染されている。


 大聖灯の黒い染み。


 俺が追放される日に見た、あの針の先ほどの濁り。


 あれは、もう始まりだったのかもしれない。


「ルカ」


 セラの声は静かだった。


「王都へ知らせるべき?」


 俺は答えに詰まった。


 王都。


 俺を追放した場所。


 二度と王都の灯りに触れるなと言った場所。


 戻る義理などない。


 けれど、そこに暮らす人々まで憎んでいるわけではない。


 路地裏の小灯を頼りに帰る子ども。


 夜勤明けの職人。


 橋を渡る老夫婦。


 祈り灯の前で手を合わせる誰か。


 俺は彼らのために、街灯を直していたのだから。


「知らせる必要はあります」


 俺は言った。


「でも、今の聖灯局に直接送っても握り潰される可能性が高い」


「じゃあ?」


「証拠を集めます。黒燭商会が来るなら、まずは村で確認しましょう。黒蝋燭の性質、聖灯局印、灯路汚染との関係。全部、記録に残す」


 ミリアが作業台から紙を取った。


「記録なら任せて。図面と一緒に残す」


「お願いします」


 セラも頷く。


「私も村長代理として記録するわ。黒燭商会がこの村へ何をしたのか、村の証言も集める」


 ロッテさんが部屋の入口に立っていた。


 いつの間にか来ていたらしい。


 彼女は黒蝋燭の包みを見て、静かに言った。


「この宿も証言するわ」


「ロッテさん」


「最初のお客さんに、呪いを持たせて送り込んだ。そんな商人を、私は宿屋として許さない」


 その声は穏やかだった。


 けれど、強かった。


 宿の灯りが、彼女の背後で温かくともっている。


 ドルトンさんは震えながらも、深く頭を下げた。


「私も証言します。黒い外套の男に会ったことも、荷に蝋燭を仕込まれたことも」


「助かります」


 俺は黒蝋燭を見下ろした。


 黒燭商会。


 王都聖灯局公認。


 夜霧を払うと称して、灯りを汚す黒い火。


 明日、彼らが村へ来る。


 ならば迎えよう。


 ただし、客としてではない。


 この村の灯りを脅かす者として。


     ◇


 朝になる頃、宿の食堂には全員が集まっていた。


 眠れた者は少ない。


 それでも、宿の食堂灯は消えなかった。


 ロッテさんは温かい麦粥を出し、ドルトンさんは何度も礼を言いながら食べていた。


 ポルカは疲れたのか、俺の膝の上で丸くなっている。


 ミリアは寝不足の目で、黒蝋燭の図を描いていた。


 セラは村人たちへ説明する内容を整理している。


 俺は、割れた黒蝋燭と黒い札を並べて見比べていた。


 どちらにも同じ蝋燭紋。


 ただし、黒蝋燭の底には聖灯局印。


 札にはない。


 札は警告。


 蝋燭は実害。


 そう考えるべきだろう。


「ルカ兄ちゃん」


 ニナが食堂の入口から顔を出した。


 老婆に連れられて来たらしい。


「昨日、怖い夢見なかった?」


「俺は少ししか寝ていないから」


「寝なきゃだめだよ」


「そうですね」


 ニナは真剣な顔で、俺の膝のポルカを見た。


「ポルカも疲れてる」


「はい。今日は休ませます」


「ルカ兄ちゃんも」


 子どもに正論を言われると、返しづらい。


 俺が困っていると、セラが小さく笑った。


「ニナの言う通りよ。黒燭商会が来る前に、少しでも休んで」


「でも」


「命令ではないわ。お願い」


 お願い。


 その言い方に、俺は少しだけ肩の力を抜いた。


 王都で受けていた命令とは違う。


 この村では、俺を道具として動かそうとする人はいない。


 必要としてくれる。


 頼ってくれる。


 そして、休めとも言ってくれる。


「分かりました。少しだけ」


 そう答えると、ニナが満足そうに頷いた。


「よし」


 なぜか上司のようだった。


 その時、北門の方から鐘が鳴った。


 一回。


 二回。


 三回。


 来客を知らせる鐘ではない。


 警戒の鐘だ。


 セラが表情を変える。


 ミリアが工具を握る。


 ポルカが俺の膝の上で目を開けた。


「ぽう……」


 俺はランタンを手に取った。


 宿の外へ出る。


 朝の村に、冷たい風が吹いていた。


 北門の向こうに、荷馬車が三台見える。


 黒い布で覆われた荷台。


 先頭には、黒い礼服を着た男。


 その胸元には、蝋燭の紋章。


 そして荷馬車の側面には、堂々と掲げられた看板があった。


『王都聖灯局公認 黒燭商会』


 男は村の門前で、にこやかに頭を下げた。


「ノクスヴェイルの皆様。夜霧にお困りと聞き、救いの灯りをお持ちしました」


 その笑顔は、温かさとはまるで無縁だった。


 俺はランタンを握る手に力を込める。


 昨日まで小さく戻してきた村の灯りが、朝の空気の中で静かに揺れていた。


 黒燭商会。


 ついに、向こうからやって来た。

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