第21話 最弱テイマーの波乱の前触れ①
重厚な石造りの外観とは裏腹に、扉をくぐった先には柔らかな光に満ちた空間が広がっていた。
壁は明るい木材で整えられ、大きな窓からは庭の青々とした植物が優しく揺れている。季節ごとに様々な顔を見せるその景色は、訪れる人を静かに楽しませる。磨き上げられた木のテーブルと椅子は無駄のない形で揃えられ、どこか洗練された静けさを帯びていた。
店内にはほのかに甘い香りが漂い、奥のカウンターでは湯気を立てる飲み物が静かに用意されている。薄布のカーテンが風にそよぎ、外の喧騒をやわらかく遮っていた。
ここだけは別の時間が流れているかのように、ゆるやかで心地よい空気に満ちている——はずだった。
先日オープンしたティアの店『癒しのスライムカフェ』は、順調な滑り出しを……見せていなかった。
「店長~、お客さんが来ないよ~!」
ミアがカウンターに突っ伏して不満を零す。隣でエルナが小さく欠伸を噛み殺していた。
ティアはエプロンの裾を整えながら、苦笑を浮かべた。
(……本当に、こんなに静かになるとは思わなかった……)
元々ティアがこの世界に来た時、「癒されたい」と強く願っていた。その欲望を反映した店づくりをした結果、営業時間は昼過ぎオープン、日が傾き始めたらオーダーストップ、陽が沈むと閉店という短い設定になってしまった。お酒を提供しないという理由もあるが、何より「心から癒される時間」(ティア含む)を重視した結果だった。
飲食メニューは『モルン・ティーサロン』時代を踏襲した標準的な値段設定だが、スライムを使った癒し体験はかなり強気な価格にしている。もちろん短い営業時間を加味した上での設定だ。
従来の常連客も時折顔を覗かせるのだが、入り口に立つと看板を見上げて怪訝な顔を作り、首を傾げる。店内に足を踏み入れると、紅茶の香りを嗅いで穏やかな表情に変わるまでが一セット。馴染みある匂いを感じたからだろう。その後、「いつもの、あるかい?」と常連客らしく注文し、お茶とお菓子を楽しんで帰って行く。
ティアが癒しのコースを薦めても「そう言うのじゃないんだ……」と、素気無く断られる。彼らが求めるものは「穏やかな時間」であって、決して「癒し」ではないのだ。
客単価の低さにティアは頭を悩ませた。
ミアとエルナが討伐者仲間に口コミで宣伝してくれたおかげで、ちらほらと来店する客はいた。主に討伐者関係だ。物は試しとスライムの癒しを体験した人たちは「思いの外効果が高い」と驚いていたが、一度しっかり癒されると「しばらくは大丈夫」と満足して帰ってしまう。リピーターになると予想はしているが、次の来店までは間が空きやすいようだった。
(……稼ぎの良い討伐者じゃなかったのかな……)
ティアは脳内でそんな言い訳を流しながら、カウンターを磨いていた。
やがて日が傾き始め、ラストオーダーの時間が近づいた頃——
不意に店の扉が静かに開かれた。
「よう! 店が開店したんだってな? ちょっと寄らせてもらう」
来客を知らせるドアベルが軽やかに鳴り、豪快な声が店内に響いた。
「あっ、いらっしゃいませ。えーっと支部長さん?」
ティアは記憶を必死に掘り起こしたが、一度しか会ったことのない相手の名前はすぐに出てこなかった。
ヴィクトルは店内をサラリと見渡し、満足げに頷いた。
「ヴィクトルでいい。話したいことがあるんだが、時間は……良さそうだな」
店内を一瞥して即断する彼の態度に、ティアは複雑な気持ちになった。癒しを売るカフェの柔らかい雰囲気に、支部長の荒々しい存在感が少し浮いている。
「……ええ。ご注文は?」
ヴィクトルに事実を突かれ、ティアは複雑な気持ちを押し殺しながら、彼を窓際の席へと案内した。気持ちを切り替えるように、接客モードに徹する。
「そうだな……癒しのカフェというからには、癒しの飲み物、なんてのはあるか?」
ヴィクトルは挑発するように注文を告げた。座りながらも視線は店内を鋭く動かし、まるで視察に来たかのようだ。
「ハーブティーがありますよ。お薦めはリラックス効果の高いラベンダーですね」
ティアはベストチョイスだと自負していた。荒くれ者の討伐者をまとめ上げる支部長なら、日常的に喧嘩の仲裁や緊張を強いられているはず。酒場も併設しているだろうし、受付嬢などの非戦闘員を守るために気を張り続けていたら、自覚のない疲労が蓄積していると思う。
「ならそれをもらおうか。茶菓子は適当に見繕ってくれ」
注文を受けたティアは、お茶の用意をしに厨房へと引っ込んだ。
(甘い物はあまり好まないかも知れないわね……)
以前の世界で良く聞く、大人の男性のイメージを思い浮かべながら、ティアは香りを重視した組み合わせを考えた。
「せっかくなら香りも楽しんで欲しいから、相性のいいあれかな……?」
ティアは用意した物をトレイに乗せ、ヴィクトルが待つテーブルへと運んで行った。音を立てないよう気を付けながら、配膳をしていく。
「こちらはラベンダーを中心にブレンドしたハーブティーです。まずは香りを楽しんでからお飲みください。それとお菓子はショートブレッドです」
ヴィクトルは湯気の立つカップを手にし、口元へ運ぶと胸いっぱいに香りを吸い込んだ。
「ああ、すまんな。ほう……たしかに香りはいいな……これがラベンダーの香りか?」
そう言うとカップを傾け一口含み、コクリと喉を鳴らした。
「軽やかな味わいだがほんのりと甘い。僅かに苦みを感じるところもエールのように楽しめる。初めて飲んだが、なかなかいいな。後味もスッキリしている」
ヴィクトルが感想を饒舌に語る姿に、ティアは内心で驚いた。見た目からして「うまい!」の一言で済ますかと思っていた。
そしてショートブレッドに手を付けるヴィクトル。
一口齧ると、ぽろぽろと欠片が零れ落ちる。
「ざくざくとした食感に口の中でほろほろと解けていく、バターの風味が強いな。だが、このシンプルな味がまたハーブティーを飲みたいと手が伸びるな。いい相棒だ」
そう言って再びカップを手に取るヴィクトル。
邪魔しては悪いと、その場を離れようとしたティアを、ヴィクトルが呼び止めた。
「あっ、ちょっと待ってくれ。話があるんだった」
「何でしょうか?」
支部長に呼ばれるような理由が思い当たらないティアは、首を傾げた。心のどこかで緊張が走る。
「まずはオークションの報告だ。まずはドラゴンスケイル100枚を10枚一組で出品した。細かい金額は省くが、凡そ一枚当たり40万チルの値が付いた。総合ギルドで話題を呼んだのと、品薄だったおかげだな。全額借金と相殺でいいか? 金が必要ならいくらか融通できるが、どうする?」
ティアはいきなりの金額に慄いた。
たった一度のオークションで総額4,000万チルもの売り上げだ。
しかし、店の補修や営業状態で目減りはしているが、手元には借金二億チルの内、半分以上が残っている。
「すぐに必要って事はありませんので、そのまま相殺してください」
ティアとしては、借金など早めに片付けたいのだ。
ヴィクトルは「そうか」と言うと、「総合ギルドに顔出せよ」と、進捗を聞きに来なかったティアに釘を刺した。
「それと森の調査で聞きたかったんだが……ティアが道を作った先に、女の足跡と木がなぎ倒された場所があった。そこがドラゴンの発見地点で間違いないな?」
「あっ、はい。そこでマーロ達と出会いました」
「そうか……。それは良いんだが、そこから先にしばらく進むと、焼け焦げた跡があった。調べられた森の異変はそれだけなのだが、ティア、お前は何か覚えはあるか?」
ティアに心当たりは一つしかなかった。
門番のガルドが話していたアレだ。
「焦げた焼け跡は知りませんが、状況からして、ドラゴンが落雷で絶命した名残じゃないかと……?」
ヴィクトルは考え込むと「そうか」と一言呟いた。
「なら魔物の生息域が乱れたのは、ドラゴン襲来による一時的なものだな。いずれ時間が解決するか……。それとティア、聞きたかったんだが、ドラゴン発見地点には何も残されていなかった。もしかしてティア、ドラゴンの皮も持っているんじゃないのか?」
「ドラゴンの皮、ですか……?」
あの日の記憶を思い出すと、ドラゴンの死骸はマーロがすべて収納した。ティアはマーロに声を掛けた。
「マーロ、ドラゴンの皮、持ってる?」
『……まだあるよ~。食べていいかティアに聞こうと思ってた』
「あるそうです。必要な物ですか?」
ティアはヴィクトルに問いかけた。
「あるなら討伐者支部に売って欲しい。ドラゴンスケイルに守られた皮は、しなやかで肌触りが良い。防水性にも優れているから、外套なんかに最適だ」
そう言ってヴィクトルはいい笑顔を浮かべ続けた。
「その反面、鱗もなく剥き出しの被膜はしなやかで頑強。革鎧として最適な素材になる。どちらも使い勝手のいい素材だ、是非とも売ってくれ。あー、ティアが一人で支部に来るのはマズいか……、クレシアを迎えに寄越す、準備だけしておいてくれ」
「あ、はい。分かりました」
クレシアも同行するのだ。マーロを連れて皮を売りに行くだけなら、さしたる心配もないだろう。
ヴィクトルの話にティアは頷いた。
ハーブティーとショートブレッドを平らげたヴィクトルは、「ごちそうさま、また寄らせてもらう」と料金を支払い、満足そうな笑みを浮かべて去って行った。
店内に残ったラベンダーの香りと、静かになった空間の中で、ティアは小さく息を吐いた。
(ドラゴンの皮を買い取れる喜びじゃないよね……?)
癒しを提供するはずのカフェで、現実的なビジネス話に巻き込まれた。ティアは苦笑しながら少しは癒されたのだろうか? とカウンターを拭く。
しかし、心のどこかで、この店が少しずつ「自分のもの」になっていく実感が、静かに芽生え始めていた。




