表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
幻想白夜のサーカステントで、君と秘密の恋宙ブランコ ~王立国庫査察官に溺愛される、優雅で甘い月夜の巡業~  作者: 団田図


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/36

第7話 秘密の特訓

 深夜の巨大テント内は、昼間の喧騒けんそうが嘘のように静まり返っていた。


 魔石のランプもほとんどが落とされ、わずかな月明かりだけが天幕の隙間から差し込んでいる。その薄暗い空間で、アリシアは一人、頭上高くに設置された空中ブランコを見上げていた。


 王都での大公演を控え、極度のプレッシャーが彼女の細い肩にのしかかっている。それに加えて、夕方にスパーダから「馴れ合うつもりはない」と冷たく線を引かれた痛みが、胸の奥でまだズキズキとうずいていた。


 シルヴィに施されたメイクはとうに落とし、動きやすい練習着に着替えている。


「……練習、しなきゃ」


 アリシアは自分に言い聞かせるように呟き、プラットフォームへと続く縄梯子なわばしごに手を伸ばした。夜のテントでひたむきに居残り練習をするのは、不安を打ち消すための彼女なりの儀式でもあった。


 しかし、空中ブランコの練習を一人で行うのは極めて困難だ。タイミングに合わせて滑車を動かし、命綱を調整するサポート役がいなければ、大技の感覚を掴むことはできない。それでもアリシアは、ただ無心に宙を舞う感覚だけを求めて高所へと登っていった。


 冷たいバーを握り、深呼吸をして虚空へと身を投げ出そうとした、その時だ。


「こんな夜更けに、非効率な練習をして何になる」


 暗がりから響いた低く冷たい声に、アリシアはビクッと肩を震わせた。


 見下ろすと、テントの入り口にスパーダが立っていた。彼は漆黒の外套を羽織り、鋭い眼光で高所のアリシアを見上げている。


「スパーダ、さん……どうしてここに」


「機材の最終確認だ。明日倒れられて興行に穴を開けられては困る。とっとと降りて寝ろ」


 相変わらずの小言に、アリシアはキュッと唇を噛んだ。夕方の冷たい態度を思い出し、少しだけ声が震えてしまう。


「……少しだけです。王都の公演を成功させるためには、もっと完璧に感覚を掴んでおかないと、みんなの居場所がなくなってしまうから」


 反論するアリシアを見据え、スパーダは小さくため息をついた。そのまま背を向けて帰るのかと思いきや、彼は外套を脱ぎ捨て、腕まくりをしながら舞台裏の滑車装置へと歩み寄った。


「飛べ」


「え……?」


「俺が下でロープを引く。お前のタイミングで飛べと言っているんだ」


 アリシアは目を丸くした。査察官である彼が、居残り練習のサポートをしてくれるというのだ。


「で、でも……タイミングを合わせるのは、初心者には危険です! もし少しでもズレたら……」


「昨日と今日の公演を見てだいたい覚えた。無駄口を叩く暇があるなら、早く跳ぶんだ」


 その有無を言わせぬ迫力と、どこか絶対的な自信に満ちた声に押され、アリシアは「はいっ」と返事をし、強くバーを握り直した。


 一拍の静寂の後、アリシアは思い切り宙へと身を投げ出した。


 風を切る音と共に、彼女の体が振り子の軌道を描く。そして頂点に達した瞬間、空中で手を放し、回転技へと入った。


 通常ならば、ここで下のサポート役が滑車を絶妙な力加減で引き、次のバーを手の届く位置へと送り出さなければならない。少しでもズレれば、空振りして落下してしまう。


 ――ガツン!


 アリシアの手は、空中でピタリと正確な位置に現れたバーをしっかりと捉えていた。


「すごい……!」


 アリシアは歓喜の声を上げた。スパーダのサポートは、長年連れ添った相棒のように完璧だったのだ。彼はこちらの呼吸、筋肉の動き、視線の先までを完全に読み切り、寸分の狂いもなくロープを操っている。


 口では厳しいことを言いながらも、その手際とサポートはあまりにも完璧で、アリシアは何度も何度も、夜空に見立てた暗いテントの天井を舞い続けた。スパーダが下で自分を支えてくれているという絶対的な安心感が、彼女の演技をさらに高く、美しく昇華させていく。


 まるで、二人でひとつの舞台を作り上げているような、不思議な一体感だった。


 一時間後。


 心地よい疲労感と共にプラットフォームから降りてきたアリシアは、肩で息をしながらも充実した笑顔を浮かべていた。


「ありがとうございました、スパーダさん! こんなに思い通りに飛べたの、いつぶりだろう!」


 スパーダはロープから手を放すと、無言で傍らの木箱から清潔なタオルと、水が入った水筒を手に取った。そして、それらをアリシアの胸元へポンと軽く押し付けた。


「……汗を拭け。風邪を引かれて公演中止は、あってはならん」


 言葉こそ素っ気ないが、アリシアにタオルを差し出すその手つきは、昼間突き放された時の冷たさとは打って変わって、非常に優しかった。


 アリシアがタオルで顔を拭っていると、スパーダがふと手を伸ばし、彼女の乱れた前髪を避けるように、そっと額の汗を拭った。


「えっ……」


「しかし、無茶ばかりするなあ。君が倒れれば、あの騒がしい連中が悲しむだろうが」


 過酷な練習の後に向けられた、その過保護なまでの甘い眼差しと優しい労いの言葉。


 アリシアは心臓が跳ね上がるのを感じた。


 シルヴィの言葉が頭をよぎる。


『アンタ、あの役人に恋する乙女の顔になってるわよ!』


 スパーダの端正な顔が月明かりに照らされ、彼が自分だけに向けてくれるその眼差しに、アリシアはもう、自分の気持ちを誤魔化すことができなかった。


 彼は嫌な役人を演じているけれど、本当は誰よりも優しくて、不器用なだけなのだ。


 静まり返った夜のテントの中で、アリシアの鼓動だけが、甘く、そして激しく鳴り響いていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ