第8話 壊れた機材
昼下がりの巨大テント内に、猫獣人のチャイの甲高い声が響き渡った。
「にゃははっ! もっと高く飛べるにゃー!」
舞台の中央に設置されたのは、特注の極厚な布と無数の強靭な金属バネで構成された巨大トランポリンだ。命綱なしの高所綱渡りを得意とするチャイだが、次の街での新演目に向けて、この巨大トランポリンを使った連続跳躍技の猛特訓をしていた。
チャイのしなやかな体がトランポリンに沈み込み、反発力を利用して弾丸のように空高く舞い上がる。宙で三回連続の捻りを加え、見事に着地した、その直後だった。
――バァンッ!
突如、鈍い破裂音のような金属音がテント内に響いた。
トランポリンの端を支えていた太いバネの一つが金属疲労で弾け飛び、布の張りが一気に失われて全体が大きく傾いたのだ。
「うにゃっ!?」
バランスを崩したチャイは空中で咄嗟に身を翻し、猫特有の反射神経でなんとか地面に両足で着地した。怪我こそなかったものの、機材は無惨にひしゃげている。
「チャイ! 大丈夫!?」
控室で演目の確認をしていたアリシアが、血相を変えて駆けつけてきた。ケンタウロスのバルガスや他の団員たちも慌てて集まってくる。
「オレは平気だにゃ。でも、大事な機材が……」
チャイがしょんぼりと耳を伏せる。アリシアは傾いた巨大トランポリンを見て、青ざめた。この特殊なバネの構造は複雑で、素人では簡単に直せない。専門の職人を呼ぶとなれば、莫大な修理費と時間がかかってしまう。
「どうしよう……王都公演までに新演目を完成させないといけないのに、こんなところで余計な経費が……」
「騒々しい。経費の無駄遣いだけでなく、時間まで浪費する気か」
絶望するアリシアの背後から、冷ややかな声が降ってきた。
漆黒の外套を羽織った査察官、スパーダである。彼は鋭い眼光でひしゃげた機材を一瞥すると、無言のまま外套を脱ぎ捨て、腕まくりをした。
「スパーダさん……?」
「どいてくれ。見ているだけでは何も解決にならん」
スパーダは腰の工具袋からレンチやペンチを取り出すと、巨大トランポリンの下へと潜り込んだ。そして、弾け飛んだバネの構造を瞬時に見抜き、予備のパーツ箱から適切な金属部品を選び出す。
彼の動きには一切の無駄がなかった。重い金属フレームを片手で軽々と持ち上げ、もう片方の手で素早くバネの張力を調整していく。複雑に絡み合ったワイヤーのテンションを均一に保ちながら、ものの数分で壊れた箇所を完全に補強し、元通りに張り直してしまったのだ。
「な、なんだあの手際……。オレたちがいじるより百倍早いぞ」
バルガスが目を丸くして呟く。
驚いていたのは団員たちだけではなかった。テントの隅からその様子をじっと見ていた者たちがいる。膝丈ほどのちびゴーレム集団である。
彼らは普段からテントの設営や力仕事を行っているが、スパーダの持つ力仕事のセンスと、美しさすら感じる的確な動きにすっかり魅了されてしまったらしい。リーダー格のAゴレを筆頭に、コトコトと石を打ち鳴らしながらスパーダの足元へと群がってきた。
「なんだ、またお前たちか。邪魔だぞ」
スパーダが顔をしかめると、Aゴレは両手で何かを頭上に掲げて差し出してきた。よく見ると、どこかで拾ってきたらしいキラキラと光る綺麗なガラス玉や、真新しい真鍮のネジである。他のちびゴーレムたちも、各々が「宝物」と思しき部品や小石を一生懸命に差し出している。
どうやら、見事な仕事ぶりを見せたスパーダを「親方」のように慕い、貢ぎ物をしているらしい。
「……こんなガラクタ、必要ない」
スパーダは冷たく言い放ち、立ち上がろうとした。しかし、ちびゴーレムたちはコトコトと悲しげな音を立てて、彼にすがりつくように足元を囲んで離れない。
「ふふっ、スパーダさん、すっかり好かれちゃいましたね」
アリシアが思わず吹き出した。
スパーダは舌打ちを一つすると、乱暴な手つきでゴーレムたちからガラス玉やネジをひったくり、自分のズボンのポケットに突っ込んだ。
「これは資産価値がないから、もらっといてやる……さっさと練習を再開しろ。目標の利益に届かなければ、このテントごと差し押さえるからな」
そう言ってそっぽを向いて歩き出すスパーダの後ろを、ちびゴーレムたちが嬉しそうにコトコトと音を立ててぞろぞろとついていく。そのなんとも言えない滑稽で温かい光景に、アリシアはまた一つ、この不器用な査察官への親しみを募らせるのだった。
+++
夕暮れ時。サーカステントの外では、柔らかな西日が空をオレンジ色に染め上げていた。
風通しの良い木陰に丸椅子を並べ、アリシアは外部の新聞記者であるダンビローグの取材に応じていた。今日は彼女の隣に、先遣隊であり広報係を務めるエルフの女性、ラットリアも同席している。
「いやあ、素晴らしい意気込みですね。アリシア団長と皆さんの情熱が、紙面を通じて読者にもひしひしと伝わるはずですよ」
人当たりの良い柔和な笑顔を浮かべ、ダンビローグが手帳に羽ペンを走らせる。彼はこれまで何度もサーカスの美しさや団員の絆を温かい筆致で記事にしてくれており、アリシアにとっては恩人のような存在だった。
「はい! 次の水都シアンでの公演も、絶対に成功させてみせます!」
「記者さん、聞いて聞いて!」
ラットリアが持ち前の明るい声で身を乗り出した。長いエルフの耳がピンと立っている。
「次の街ではね、イグニスの照明とシルヴィの特製衣装を組み合わせて、もっとロマンチックな演出を考えてるのよ! うちの若い団長が月夜を舞う姿を、もっと大々的に宣伝してちょうだいね。お客さんが入りきらないくらいに!」
「ええ、もちろんですよ、ラットリアさん。皆さんの活躍を余すところなく書かせていただきます」
ダンビローグは優しく微笑み、頷いた。そして、何気ない世間話の延長のような、ごく自然な口調で尋ねた。
「ところで、水都シアンへの移動ルートですが……いつも通り、南の街道を通る予定ですか? 記事の情景描写の参考にしたいのと、もし差し入れを持参するならどの辺りの関所を越えるか知っておきたくて」
「ええっと、そうですね。南の街道を通って、明日の夜にはシアンの西門から入る予定です。荷馬車の隊列も、いつも通り先頭に大きな機材、真ん中に団員の馬車を配置して進みます」
アリシアは一切の疑いを持たず、無邪気な笑顔で答えた。自分たちのサーカスに興味を持ち、こんなにも熱心に細部まで取材してくれることが純粋に嬉しかったのだ。
「なるほど、西門から……配置もいつも通りですね。ありがとうございます。良い記事が書けそうです」
ダンビローグは満足そうに手帳を閉じ、深々と頭を下げた。
和やかな取材風景。しかし、その様子を少し離れた物陰から、腕を組んで見つめている男がいた。スパーダである。
彼は氷のように冷たい眼差しで、笑顔のダンビローグを観察していた。
(……熱心な記者だ。だが、少し引っかかるな)
スパーダの鋭い勘が、微かな違和感を捉えていた。
演劇や芸術を愛し、舞台の熱狂を記事にする新聞記者が、なぜ物理的な「移動ルート」や「荷馬車の配置」といった運送のロジスティクスばかりを細かく気にするのか。
国庫管理局の役人として資産や機材の動向を監視している自分ならともかく、一介の新聞記者にとっては不要な情報のはずだ。
(異常なまでの念入りさ……いや、ただの生真面目な変人か?)
スパーダは「変わった男だ」と心中で結論づけ、その違和感を一旦思考の隅へと追いやった。




