間話 【60】 真血鬼②
〈アブラヒム視点〉
鬼帝国の東西南北を守護する、公爵家直轄の防壁都市のひとつ、赤壁都市において。
実妹である二股金髪の眼帯少女……アナスタシアと。
彼女の家に仕える銀毛の狼人兄弟……ヴァルカンとヴァレリーによって。
手荒い歓迎を受けた、アブラヒムは。
右腕におよそ半年ぶりの再会となる、実妹を侍らせて。
現在は赤壁都市でも一際に巨大な屋敷の一室を、訪れていた。
沈み込むような高級長椅子に、アナスタシアとともに腰を降ろすアブラヒムの背後には、直立不動の姿勢をとる狼人兄弟が控えている。
「……つーこたアけっきょくう、オヤジや〈紅月〉のバカどもは、相変わらずってことでいいんだなア」
「はい、職務中ですので今宵は顔を出せませんが、団長や兄上様も、御壮健であらせられますよ」
「皆、若様のご帰還を、喜ばれておりました」
「でもでも、もちろんわたくしが一番、お兄様のお帰りを心待ちにしていたのですよお!」
「へイへイ。そりゃど〜もオ」
先ほどからへばりついて離れようとしない、手入れのよく行き届いた眼帯少女の金髪を、雑に撫で回しながら。
自分が不在だった間の、身内の近況報告を受けていたアブラヒムであったが。
「……それで、若様の首尾の方は――」
「――問題ねエ。『予言』は予想以上の収穫だア。期待してくれていいぜエ?」
「ほう。若様がそこまで手放しで賞賛されるとは、珍しい」
「ヒャハハッ、俺サマはいつだってエ、物事の評価は正直だっつーのオ。ただ世の中にイ、あンまりにもボンクラどもが多すぎるってだけでよオ」
己が半年もの時間を費やして、手に入れた成果に。
心から満足そうな笑みを浮かべると。
「それはそれは」
「どうやら此度は、得難い経験をされたようで」
その姿を幼い時分より見守っている狼人兄弟は。
主人の成長を、素直に喜んでおり。
「……むうう」
敬愛してやまない兄が。
自分の知らない物語を、歩んできたことに。
口先を尖らせる眼帯少女が、ギュッと、その腕を薄い胸元に挟み込んだのだった。
そうしていると、じきに。
コンコンと、部屋の扉がノックされて。
「アブラヒム様。公爵様のご準備が整いましたので、御移動をお願いいたします」
この屋敷の主人……クリムゾン公爵に代々使える執事が、アブラヒムに呼び出しを告げた。
「おウ、じゃあちょっくら、ババアどもに顔出してくらア」
だというのに。
「……」
「……おいコラ、アナ。いい加減に腕を離しやがれエ」
出会ってから一瞬たりとも距離を置こうとしない妹が、がっしりと、その腕を抱えて離そうとしない。
眼帯に覆われた表情には。
それでもありありとわかる、不安が滲んでいた。
「……戻って、こられますわよね?」
「あアン?」
「またお兄様、アナを置いて、フラリとどこかに行ってしまわれたりしませんよね?」
「……」
置いていかないで、と。
子どものように訴える、妹に対して。
「……ばアーかア。流石の俺サマもオ、今回ばかりはちイっとくたびれたア。今夜は一緒に寝てやるからア、湯浴みの準備でもしてこいやア」
「……っ! は、はい、わかりましたの! 約束! 約束ですわよ、お兄様っ!」
アブラヒムは兄の表情を浮かべて。
手触りのいい金髪を、やはり乱暴に、撫でてやるのだった。
⚫︎
「うおイ、ババアどもオ! 俺サマが帰ってきてやったぜエ!」
それから執事に、廊下を案内をされて。
広大な屋敷においても、とくに贅が凝らされた来賓室に到着した、アブラヒムは。
「まだ生きてっかア!? 若づくりババアども――っ!?」
先導していた執事が、部屋の扉を開くなり。
開口一番に。
貴人に対して、無礼が過ぎる言葉を口にしながら入室すると……
ズギュンッと、部屋の奥から。
喉元を目掛けて正確に伸長してきた『闇色の突起』を、わずかに身体を傾げることで、回避する。
「……おウおウ、相変わらずキレやすいババアだなア。いったいいくつになったらア、丸くなるんだア? えエ?」
「……ふん、零点だね。ヒム、キミは相変わらず、女性の扱いがなっていないよ」
その程度の『挨拶』は、日常茶飯事なのだろう。
とくに悪びれた様子もなく。
部屋の中から淡々と聞こえてくる声に。
アブラヒムもまた反省の様子はなく、んべっと、下品に舌を出す。
「おイおイ、千歳超えのババアがア、いったい何様のつもりだア? ちったア自分の実年齢を考えた発言をしやがれエ」
「……はあ。ヒム、キミはこの半年余りでいったい、何を学んできたというのだい? せっかく家元を離れて外の世界に触れる機会を得たというのに、成長しない生き物なんて、死んでいるのと同義なのだよ?」
そのように。
叱るような、諭すような。
それでいてどこか、嬉しそうな。
少女のようであり少年のようでもある。
老人のようにも子どものようにも聴こえる。
澄んでいるのに深みを感じさせる、矛盾を同居させた声を放つのは。
夜を照らす月明かりを凝縮させたような白銀を短く切り揃えた、中性的な男装少女であり。
不快げに寄せられた、眉根の下で。
伏せられた両の瞼によって、長い睫毛が、目元に深い陰影を落としていた。
「ハッ。だったらチンチクリンのクソババアは、ミイラと同じだなア。いったい何百年、そのちっこいナリは成長していねエんだよオ? えエ?」
「……はあ、またしても零点だよ。悲しいね、ヒム。女性の外見を貶める発言は、男性として下の下の行いだ。どうやら今回の旅路は、キミにとってまったく意味を成さない、時間の浪費だったようだ」
精緻に整った、変化の乏しい表情と。
死人のように白い肌に、淡々とした口調から。
どこか人形のような、非生物的な印象さえ受ける、男装少女であるが。
「よろしい、ではその捻くれてしまった性格を、真祖として矯正してあげるから、こっちに来なさい。ほら、早く。大人しく僕の膝上に、その空っぽの頭を乗せるんだ」
言葉ほどに、その声音から怒りの感情は読み取れずに。
むしろ普段は、年長者として敬われる老人が。
無邪気な幼子から、雑に扱われることを喜ぶような。
親愛の情が込められていた。
「あアン? イヤだよ、なンで千年モンの枯れ枝にイ、大事な俺サマの頭を、預けなきゃなンねーンだよオ」
「零点。ヒム、キミは先ほどから、とても重大な間違いを犯しているよ。僕はまだ、九百九十八歳だ。千歳には届いていない。そこはきちんと、理解しておいてくれたまえ」
「いヤいヤ、流石にそれはもう、キリよく千歳でよくねエかア?」
「それはもう、点をつけることすら憚られる、愚行の極みだよ、ヒム。女性の年齢と体重は、ただの一単位であっても、間違えることなど許されないんだ。わかるよね? 賢いキミならわかってくれるよね、ヒム?」
「うおイ、近い近い! わかったア、わかったからこの物騒な影を収めやがれエ!」
いつの間にか。
無音のまま。
男装少女の足元から、魔法により『実体化した影』が、無数に伸びており。
先端が鋭く尖ったそれらを、四方から喉元に突きつけられたアブラヒムが、思わず降参の音を上げると。
「うふふ、カーミラ様。ヒムが帰ってきて、お浮かれになるのはわかりますが、お戯れはそのくらいにしておいていただけますか?」
来賓室にいたもう一人の人物。
血色の洋装で成熟した肢体を彩り。
片目を眼帯で覆い隠した妙齢の女性が。
やんわりと、そんな言葉を口にした。
「……カルシュテン。キミにしては珍しく、その指摘は零点だよ。僕は少しも、浮かれてなどいない。心外甚だしいね」
「うふふ、それは失礼いたしました。それで、ヒム」
「あいよオ」
「此度の旅路における目的……私が視た『予言』の結果は、どうなりましたか?」
不満そうながらも。
ひとまずは糾弾を控える様子の男装少女……カーミラを横目に。
会話の主導権を譲られた、片眼帯の女性……カルシュテンからの問いかけに対して。
「あア、さっきもヴァルたちに答えたけど、上々だア。満足してくれていいぜエ」
この赤壁都市の領主であり。
鬼帝国から、公爵の地位を与えられた。
凄腕の占術士でもあるカルシュテン・ヴァン・クリムゾンによって、半年ほど前に告げられた『予言』の真偽を確かめるべく、遠方へと足を伸ばしていたアブラヒムが、確信に満ちた笑みを浮かべる。
「ありゃホンモノだア。なンせこの俺サマが、『血の盟約』まで交わした血盟兄弟だからなア」
近年、カルシュテンが魔道具である水晶を通して、定期的に『視て』いる未来とは。
世界が常に、闇に包まれていたのだという。
だが。
【出会いは月の導きよって、森の中で果たされる。獣の渇望を知り、その飢えを満たす一助となれ。さすれば欠けていた月が満ちて、世界を覆う闇に、一筋の光明が差し込まれん】
あるとき、ふと戯れで。
普段は占星術などに興味を示さないアブラヒムを、偶然に占ってみたところ。
果たして、そのような託宣を得たことに。
関係者たちは大いに沸いた。
なにせ……アブラヒム・ヴァン・ヘルシングという、存在は。
名目上はクリムゾン家の直系が率いる、公爵家の直属戦力である〈紅月騎士〉の、一員に過ぎないのだが。
その実、公爵家の真の主人であるカーミラ・ヴァン・ヘルシングに才能を認められ、彼女の手によって吸血鬼から真血鬼へと存在進化を果たしたことで、ヘルシングの家名を名乗ることが許された、一族の珠玉と称して間違いのない存在である。
彼が旅先で口にした半血鬼という素性は、吸血鬼の上位種へと存在進化することで陽光を克服したアブラヒムが、世間一般を欺くための、方便に過ぎない。
そのように、出自や容姿に優れており。
突出した能力や才能にも恵まれた。
まさしく、世界に愛されているとしか表現できない『物語の主人公』が。
手放しで、旅先での出会いを喜んでいた。
「何せキョーダイは、情けねエが一度折れそうになった俺サマの心を、すぐに奮い勃たせてくれるような男だからなア。アイツなら、世界を変えるなんて、ワケねエさア」
「……」
「……」
そうした、自身を世界の中心だと信じて疑わない。
傲岸不遜。
唯我独尊。
天上天下を実体化させたような。
誰が相手であろうと、媚びることのない真血鬼の。
普段はまず耳にしない、掛け値ない賞賛を耳して。
「……」
「……」
まさしく、絶句して。
驚きの表情を浮かべたまま。
凍りついてしまったクリムゾン公爵家の現当主、カルシュテンと。
ポカンと、口から鋭い吸血鬼牙を覗かせて静止する。
一族を影で束ねる真祖、カーミラを前にして。
「……? おイおイ、どうしたババアども? マジで呆けちまったのかア?」
流石に違和感を覚えたアブラヒムが。
常の皮肉が張り付いた顔に、心配の色を滲ませた……
次の瞬間である。
「……そ、それは本当なのですか、ヒム!?」
「ほほほ、本当にキミが、その予言の人物と、吸血一族《僕たち》にとって最上級の友愛の印である、『血の盟約』を交わしてきたってえ!?」
文字通り、血相を変えて。
事実確認をしてくる両名は。
「ン? あ、あア、そうだけどオ……なんか、マズかったかア?」
「いや! いやいやいや、そんなことはない! そんなことあるワケないじゃないか! それは百点! 百点満点だよ、なあカルシュテン!」
「ええ、ええ、本当に、よくぞ……あの、孤高を気取って、すっかり人付き合いを拗らせていたヒムに、友人と呼べる存在ができるなんて……っ!」
心の底から、望外の慶事を。
祝福しているようであり。
「……」
まさか友人ができた程度で。
カーミラの口から、年に片手ぶんほども聞かない『百点』が飛び出したことに。
アブラヒムは少しだけ、日頃の行いを反省した。
「……もういい。帰るわア」
「あ、待って待って! 待ってくれたまえよ、ヒム! 気持ちはわかるが、それは二十点だ! キミにはちゃんと、予言達成のための資金援助をした僕たちに、この半年間の報告をする義務があるはずじゃないか!」
「そうですよ、ヒム。その様子だと見事に、下賜した金子は使い果たしたようですが……まさか、放蕩に使い果たしたということはないでしょうね?」
「あアン? ンなワケあるかよ。ちゃんとアレは、キョーダイを助けるために使ったっつーのオ」
「そこそこ! その辺りも、詳しく説明してくれたまえ!」
「あれだけ人間関係に金品を挟むことを嫌がっていたヒムが、どのようにそれを用いたのか……たしかに、気になりますね」
「……はア。しゃーねエなア。ちっとばかり、長いハナシになっぞオ?」
そう、面倒くさげに、嘆息しつつも。
初めてできた対等な友人との馴れ初めを語ることが、満更でもないのか。
一度口を開いて仕舞えば、二人が止める間もなく。
延々と、この半年にも及ぶ旅路を語る真血鬼に。
妖艶なる吸血公爵と。
麗しき男装の真祖は。
終始ニコニコと、笑みを絶やさずに。
耳を傾けるのであった。
【作者の呟き】
ちなみに女族長が口にした『かつての恩人』とは真祖のことで、千年級の男装ロリババアである彼女は、あちこちに伝手を持っていたりします。




