表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/181

第一章 【08】 魔力鍛錬③

〈テッシン視点〉


(……ふむ。まあ、こんなものか)


 手甲に覆われた、腕を組み。


 コキリと、首を鳴らして。


 身の丈二メートル近い、鬼人オーガンの大男……テッシンが。


 地べたに視線を、落としながら。

 

「良し。では本日の鍛錬は、これまでとする」


 耐久訓練サンドバッグの、終わりを告げると。


「ご、ご指導、ありがとう、ございました……」


 本日も、なんとか最後まで。


 意識を繋ぎ止めていたらしい。


 地面に倒れ伏した豚鬼オーク……ヒビキが。


 呻くように、呟いたのだった。


「……あ、あのお……テッシンさん?」


 そのまま、傷だらけの顔を。


 見下ろす、テッシンへと向けて。


「一応、言わせてもらいますけど……この鉄拳指導スパルタ、たぶん俺じゃなきゃ、普通に死んでしまいますからね? 他の子にこんなことしちゃ、絶対に、ダメですよ……?」


 小生意気にも。


 諫言などを、口にする。


 なんとも命知らずな、弟子である。


「はっはっはっ」


 つい、笑い声が漏れてしまった。


「……いや、笑い事じゃ、ないんですけど?」

 

「安心せい、ヒビキ。それがしは、同門こそ数多くあれど、直弟子をとるのは、おぬしが初めてだ。よってそのような杞憂、無用で御座る」


「うえええ〜………マジですか……」


 そうなのだ。


 祖国である、大和国ヒノモトであれば。


 誰もが羨んで、然るべき。


 侍大将テッシンの、直弟子という。


 光栄極まる立場を、承りながら。


「……クソっ……やっぱり、弟子入りする相手、間違ったよなあ……っ!」


 むしろ、外れクジでも。


 引いてしまったかのように。


 苦々しげな、表情を浮かべる。


 転生者を前にして。


(……成程。生きている世界が異なれば、こうも物の見方が、違ってくるものか)


 テッシンの胸中に浮かぶのは。


 発見と、理解。


 そして好奇心であった。


(……まあ、此奴こやつの場合は、その在り方からして、奇妙奇天烈。常識の埒外で御座るからなあ)


 そもそも。


 この、ヒビキという豚鬼オークは。

 

 生物としての自然な、営みの中で。


 授かった命、というものではなく。


 とある組織が実行した、実験の。


 失敗作。


 人造生命体ホムンクルスの素体から、予期せぬ存在変異シフトチェンジの果てに誕生した豚鬼オークという。


 特殊な生い立ちを、背負っている。


(……実に、面白い)


 そのためだろうか。


 実年齢は、三歳程度なのだが。


 肉体はすでに、その倍以上となる。


 七歳児相当ほどにも、成長しており。


 さらに自我に目覚めてからの、二年ほどは。


 意識して身体を、鍛え。


 筋肉を、育てているために。


 力士体型である、恰幅の良い肉体は。


 幼いながらも、密度の高い。


 身体能力を、備え始めていた。


 そのうえで。


(だが、まだまだよ。こやつにはまだ、叩けば伸びる素養が、山ほどある。それを腐らせるのは、あまりに勿体無いというもの)


 襤褸ボロ雑巾の如く。


 地面に倒れ伏した、弟子に向ける。


 師の視線に、容赦など存在しない。


 当然だ。


 なにせ、本人に。


 その自覚が、ないとはいえ。


 ヒビキが教えを、請うているのは。

 

 規模としては、小国に分類されるものの。


 世界に七つしか存在しない、神代魔樹迷宮エンシェントダンジョンのひとつを、国土に抱え。


 春夏秋冬。


 日夜を問わず。


 島国という、逃げ場のない檻の中で。


 魔樹迷宮ダンジョンから溢れ出す、魔獣たちと。


 嬉々として。


 死闘をくり広げてきた。


 アドラスタにおいても、指折りとされる。


 生粋の、戦闘民族バーサーカーである。


 そのなかでも、テッシンは。


 大和国ヒノモトの国主たる、煌皇こうおうから。


 国家の防衛に携わる、『侍大将』の地位を。


 与えられるほどに。


 血筋も。


 武力も。


 才覚も。


 誰もが手放しで賞賛するほどに、突出した。


 類稀な、武士もののふであるのだ。


 そんなテッシンから、直々に。


 手解きを受けて。


 平気でいられるはずがない。


 むしろ、こうした修行を始めてから。


 すでに一年ほど。


 耐え続けている、ことこそが。


 非凡なる才の、証左である。


(流石は教会特製の、ほむんくるす、といったところか)


 他国からの、干渉を。


 一方的に、拒み続けている。


 勇聖国エリクシスであるが。


 四年ほども、身を潜めて。


 地道な情報収集を、行なってきた。


 テッシンの、目から見るに。


 その魔法技術は。


 他の国々と比して。


 数世代ほども、かけ離れていた。


 ヒビキの母体である少女が携わっていた、『人造勇者計画』などもそうだが。


 勇者たちの肉体となる、人造生命体ホムンクルスの、製造技術を鑑みても。


 情報の裏付けとしては。


 十分過ぎるだろう。


(……はてさて。この様子では一体、この国にはどれほどの猛者が、潜んでいるのやら……)


 少しばかり、訓練に。


 熱が入ってしまった、余韻から。


 戦いを欲する、戦鬼の本能が昂って。

 

「……」

 

 ざりざり、と。


 無精髭を撫でる、大男の顔に。


 血に飢えた、肉食獣のごとき。


 獰猛な笑みが、浮かぶ。


「……ひ、ヒビキくんっ!」


 すると。


 漏れ出す戦意を、嗅ぎ取ったのか。


 悲鳴と共に。


 色の抜け落ちた、真っ白な長髪を。


 天使の羽のように、靡かせながら。


 貫頭衣をまとった少女が……フワリ、と。


 地面に横たわる、ヒビキの傍に。


 舞い降りたのだった。


「だ、大丈夫ですか? 大丈夫なわけないですよね!? ああ、もう、今日もこんなになるまで、なんて酷い………」


 それから……キッ、と。


 鋭い眼差しで。


「……テッシンさん!」


 見上げるほどの大男を、まっすぐに。


 睨みつけてくる、只人ヒュームの少女……マリアンが。


 両目に宿す、紅玉ルビーの瞳には。


(〜〜〜ッ!)

 

 祖国に武名を馳せる、侍大将をして。


 ゾクゾクと、心胆を震わせるほどの。


 威圧が、込められていた。


(嗚呼、これは……やはり、たまらぬなあっ!)


 堪えきれずに。

 

 頬が、自然と笑みを深めていく。


 ご馳走を前にした、肉食獣が。


 涎を、垂らすようにして。


 ヒビキの訓練時には触れなかった、腰元に佩く、大和刀サムライブレードに。


 ゆっくりと。


 手が、伸びていく。


「いちおう、加減はしているようですが……それでも、もし……ヒビキくんの身に、なにか取り返しのつかないようなことが起きてしまえば、私は貴方を、絶対に、許しませんよ?」


 グルルッ……と。


 目の前で、腹を鳴らす。


 獣の飢餓を、前にして。


 怯むどころか。


 むしろ、ピリピリと。


 素肌を針山で、突き刺すかの如き。


 研鑽された、冷たく鋭い魔力を。


 見下ろすほどの、少女から。


 こうも、浴びせられてしまっては。


(応! 応! 応ともよッ!)


 否応にも。


 テッシンの胸中に。


 歓喜が、込み上げてくる。


(なんと素晴らしき、闘志! いや実に見事な、殺意で御座る!)


 潜入調査という、任務の性質上。


 このところ、すっかり死線から遠ざかってしまった、戦鬼であるが。


 戦場で、何度となく味わってきた。


 濃密なる『死』の気配を。


 忘れることなど、あり得ない。


 なにせ、テッシンにそれを匂わせる。


 一見して、童女じみた。


 マリアンの正体とは……


(……それでこそあの日、あのとき、それがしを魅了せしめた『聖人』也ッ!)


 勇聖国における、特記戦力。


 かつて、勇者として崇められた転生者たちの、血を継いで。


 力の一端を、開花させた。


 聖人と呼ばれる。


 極上の、強者なのだ。


(是非ともその武威を、某に、味わわせていただきたく御座候……っ!)


 そんな猛者から、存分に。


 混じり気のない、殺意を注がれて。


 死闘に飢える、武士の業が。


 膨れ上がって、しまうのは。


 致し方の無い、ことである。


(さあ! さあさあさあ! いざや尋常に、勝負……ッ!)


 やがて臨界を迎えた、闘争心が。


 弾けて。


 溢れ出そうとした……

 

「……いや、何勝手なこと、ほざいてんだよ」


 まさに。


 その、寸前だった。


「ひ、ヒビキくんっ!?」


 庇っていたはずの、背中から。


 剣呑な声音が、上がることで。


「で、ですがママは、ヒビキくんを――」


「――だからンなこと、誰も、頼んでねえだろ?」


「……んみゅう」


 聖人の、纏っていた覇気が。


 瞬く間に、萎んでいく。


(……チッ。ヒビキめ、余計な真似を!)


 遠ざかっていく、闘争の気配に。


 テッシンが内心で、苛立つものの。


「つーかさあ、アンタ。さっきから何勝手に、師匠に啖呵切ってんだよ? なあ?」


 それ以上に。


 不快を隠そうとしない、声を。


 容赦なく、浴びせられて。


「あ、あの、これはその、えっとですね……」


 あわあわと。


 狼狽してみせる、マリアンには。


 先ほどまでの、威厳など。


 もはや欠片も、見当たらなかった。


(むう。すっかり興が、削れてしもうた)


 テッシンとしても。


 消沈して、肩を落とす少女に。


 背後から、斬りかかろうとは思わない。


 大和刀サムライブレードの柄に、添えていた手のひらを。


 ゆるりと、離してしまう。


「だいたい、アンタはいつも勝手に――」


「だってだって、ママは、ヒビキくんのことが――」


 そのまま、再び腕を組んで。


 何やら、言い争いを始めた母子を。


「……」


 腕を組み。


 黙って見つめる。


 テッシンであるが。

 

(……はあ)


 視線には、多分に。


 呆れの色が、含まれていた。


(やれやれ。全く、難儀なことよのう)


 そもそも、だ。


 本来であれば、圧倒的な上位者であるはずの、強者マリアンが。


 指先ひとつで、命を詰める弱者ヒビキに。


 あそこまで、好き放題。


 不満をぶつけられる、こと自体が。


 あまりに不自然。


 強者こそが正義という。


 世の摂理に矛盾した、親子の姿は。


 戦場で半生を過ごしてきた、テッシンとしては。


 歪が過ぎる、光景である。


 許されるなら。


 母の温情に甘える、馬鹿弟子の頭に。


 拳骨を叩き込んで。


 一喝して、やりたいほどだ。

 

(かーっ! なんとも、歯痒いことよ!)


 しかし、勇聖国エリクシスの潜伏任務において。


 偶然にも、えにしを結ぶこととなった、マリアン自身が。


 そうした外部からの、口出しを。


 頑なに、拒んでいるのだ。


 知識的にも。


 能力的にも。


 実力的にも。


 非常に、得難い。


 稀有な現地の協力者である。


 聖人の意向を、無碍にしてまで。


 たとえ、師弟関係にあるとはいえ。


 込み入った、他所様のお家事情に。


 気安く介入していく、道理がない。


 とはいえ、だ。


(ヒビキもヒビキだ……情けないっ!)


 マリアン自身の、意向はさておき。


 そんな彼女の態度に、甘えきって。


 不遜な態度をとる、弟子にこそ。


 師として、思うところがあった。


(たしかに、聞き及ぶ前世の生い立ちについては同情するが……その因縁を今世にまで持ち込むのは、甚だ、筋違いであろうに!)


 たとえ見た目が、幼なくとも。


 中身は成人した、男子なのだから。


 今世の母親と。


 前世のそれを。


 勝手に、重ねて。


 前世で晴らせなかった、恨み辛みを。


 一方的に、八つ当たりする姿は。


 あまりに、卑屈だ。


(しかもそれを、当の本人が自覚しているのだから、なんとも救いがない!)


 マリアンに、暴言を吐くたびに。


 辛そうに、表情を歪める。


 ヒビキの姿は。


 血泥で錆刀を、研ぐが如き。


 不毛な光景として。


 テッシンの目に、映っている。

 

(嗚呼、全く以って、不器用なことよ! なにも、そのような部分だけ、親子で似通わなくともよかろうに!)


 最初のボタンを、掛け違えたような。


 あるいは噛み合わない、歯車のように。


 すでに一年近くも、すれ違い続けている。


 不器用な、母子の姿を前にして。


 ただ見守るしかできない、テッシンが。


 内心で、ヤキモキしていると。


「――いいからもう、あっちいけよ!」


 一向に、側を離れようとしない。


 マリアンに向かって。


「で、ですが、ヒビキくん……」


「……あのなあ!」


 癇癪を起こしたように。


 ヒビキが声を、荒げたのだった。


「何べんも、言って、いるだろッ!? これは俺が、自分からお願いして、わざわざ師匠に、稽古つけてもらってんだよ! だから、盗み見るぐらいまでなら我慢してやるけど、それ以上の邪魔はするなって、前から言ってるよなあ!? 邪魔するくらいなら、マジでどっか、消えてくれよッ!」


 そうした怒鳴り声に。


「んみゅっ……!」


 奇妙な呻き声を漏らしたマリアンは。


「……あう」


 しょんぼりと、俯いて。


「……うっ……うう……ぐすっ……」


 やがて。


 大きな瞳に、涙を浮かべて。


 堪えかねた嗚咽を。


 漏らし始めるのだった。


「……ちっ。だからそうやって、都合悪くなったら、すぐ泣くなよ。面倒くせえ」


 すると、より一層に。


 不機嫌さを増したヒビキが。


 どこか、痛みを堪えるように。


 吐き捨てて。


「……すいません、師匠。ちょっと川で、汗を流してきます」


「うむ」


 テッシンに、一礼をしたうえで。


 ヨタヨタと、覚束ない足取りで。


 小川のある方向へと。


 遠ざかっていく。


「……ひっぐ……ひっ……」


 そんな豚鬼オークの後を、トボトボと。


 鼻水を啜る、幼い見た目の只人ヒュームが。


 貫頭衣の裾で、涙を拭いながら。


 健気に、追いかけていくのだった。


「……」


 森の中へ消えていく、親子の背中を。


 テッシンが、眺めていると……

 

「……全く。あの二人は、一体いつまで、あの調子でいるつもりなのでしょうか」


 ふと、一陣いちじんの風が吹いて。


 その直後には。


「まあマリアン殿も、ぼうも、互いに複雑な事情を、抱えておりますがゆえ……なかなか、一筋縄ではいかぬのでしょうて」


 物音ひとつ、立てることなく。


 振り返った、テッシンの背後に。


「カエデ。それにじいも、また覗いておったのか」


「……はっ! いかに手解き中とはいえ、護衛として、お館様から目を離すことはできませぬので! どうかご容赦を!」

 

 恭しく、頭を下げる。


 黒装束に身を包んだ狐人フォルクスの女性……カエデと。


「ほっほっほ」


 こちらは、悪びれなく。


 好々爺の、笑みを浮かべてみせる。


 木杖を手にした精人アルヴの翁……ハクヤが。


 並んで、控えていたのだった。


「それよりもわか。もう少しばかり、稽古に加減を加えてくださりませのかのう?」


 そして、非難するような。


 ハクヤの視線に。


「ん? じいよ。まさかおぬしも、マリアン殿と同様に、それがしの手解きが厳しいとでも、言いたいのか?」


 テッシンが、純粋な疑問で応えれば。

 

「いえいえ、とんでもございません」


 長い白髭を、扱きながら。


 老人は、首を左右に振った。

 

「熱き鉄は、叩けば叩くほどに、見事な鋼へと仕上がるもの。それが稀有なる素材ともなれば、打ち下ろす(つち)に力が籠るのは、当然でございましょうて」


「うむ、まさしく」


 よって。


 非難される謂れは一片もない、と。


 じつに、堂々とした態度をみせる。


 侍大将であるが。


「……ですがお館様は、そうやって、マリアン殿を挑発しておられますよね?」


 そこには。


 少しばかりの、稚気もあって。

 

 筆頭従者の、クノイチなどは。


 闘争に飢えた、主君の本質を。

 

 正確に、看破していた。


「がははは! バレておったか! やはりカエデには、敵わぬのお!」


 自覚のある、戦鬼としてのさがを。


 隠そうとしない、テッシンは。


 己が身を案じる、従者の頭を。


 ガシガシと、乱暴に撫でる。


「……当然でございます。せつはお館様の、家臣ですので」


 当然ながら。


 頭部に生やした狐耳ごと、遠慮なく。


 揉みくちゃにされる、カエデあるが。


 尻部から生えた、毛並みの良い尾は。


 フサフサと、上機嫌に揺れていた。


「して、爺よ」


 そうして、ひとしきり。


 笑い終えた後で。

 

「ならばなぜ、ヒビキの鍛錬に手心を加えろなどと、申すのだ?」


 心配性な、従者カエデの懸念を。


 雑に誤魔化した、主君テッシンが。


 話題の転換を図ると。


「若よ、勘違いしてくださいますな。手心などではありませぬぞ?」


 やれやれと、首を振りながら。

 

 白眉に埋もれた、老人の瞳が


 ゆるりと、辺りを見渡した。


「あくまで『加減』をと、申しておるのです」


 そこに広がるのは……


 大岩が、砕けて。


 大木が、へし折れて。


 ところどころ、大地が陥没した。


 悲惨としか言いようのない、惨状である。


「……いかにここが、人目につかぬ森の奥とはいえ、音を遮る結界にも、限度というものがございまする。何よりも、毎度このような惨状を修復する、老骨の身にも、なってくださいませ」


 勇聖国エリクシスという。


 鎖国国家の、特殊性から。


 今回の密命に、大和国ヒノクニは。


 多くの人手を用いることが、不可能だったために。


 テッシンを、将として。


 選ばれた、潜入部隊とは。


 十数名からなる、少数精鋭である。


 そして、祖国においては。


 侍大将の地位を持つ、テッシンの。


 身の回りの世話を、するために。


 潜入部隊の大半は、カエデのような。


 クノイチたちで、構成されていた。


「はっ。戯言を」


 よって。


 数少ない例外である、この老人は。


 博識なる知恵と。


 卓越した魔法技能を有する。


 老練にして老獪な、仙術士である。


「この程度の些事、爺であれば、朝飯前で御座ろうに」


 そのため、こうした『後始末』などを。


 もっぱら担当している、ハクヤの技量を。


 今更に疑う、テッシンではない。


 むしろ。


「そも、対価として、日頃から爺が湯浴みの後に、ヒビキに足腰を揉ませておることは、それがしとて知っておるのだぞ?」


 ちゃんと、報酬を得ているのだから。


 そのぶんしっかり働け、と。


 武家社会における、御恩と奉公を。


 主張する、テッシンの非難に。


「ふぉっふぉっふぉっ」


 今度は、ハクヤが。


 長い白髭を、扱きながら。


 白々しい笑い声を、漏らしていた。


「いやいや、揉ませているなどとは、人聞きの悪い。あれはあくまで、可愛げのある若輩からの、老骨を気遣う優しさですぞ? 何もやましいことなど、ありはしませぬわい」


 そうした老人の。


 開き直った、態度には。

 

「……いえ。しかしですね、おきな?」


 クノイチが、眉根を寄せて。


 苦々しい視線を向けていた。

 

「お館様もですが……そうした光景を、マリアン殿が、血涙でも流しそうな形相で見つめていることは、ご存知ですよね?」


 暗闇の中で。


 ギラギラと、妖しく輝く。


 見開かれた紅瞳を、思い返したのか。


「……っ」


 ブルリと、狐尾を震わせた。


 カエデの問いかけに。


「はてさて。なんのことやら」


 飄々と、ハクヤは。


 悪びれのない笑みを、深めるばかり。


「ふふ。いっそそのまま、勘気に触れてくれれば、愉快なのだが……」


 テッシンとしても、むしろそれは。


 望むところで、あるのだが……


「……お、おやめください、お館様!」


 幾つになっても。


 怖いもの見たさを、忘れない。


 童子のような男たちとは、対照的に。


「そ、そのような、火のついた焙烙ほうらく玉を、弄ぶがごとき所業……到底、火傷程度では、すみませぬ! 煌皇こうおう陛下より下賜された密命を、無碍になされるおつもりですか!?」


 生真面目な性格である、カエデなどは。


 悲鳴混じりの、涙目で。

 

 狐尾を、パンパンに。


 膨らませているのだった。


「ははっ。無論、某とて、お役目の重要性は、重々理解しておるわい」


 これには、主君として。


 少しばかり、はやってしまった稚気を。


 鎮めざるを得ない。

 

「であれば、何卒、何卒っ……お戯れで、龍の逆鱗を撫でるような真似だけは、どうか、ご堪忍を……っ!」


「わかったわかった。ちゃんとその辺りは心得ておるから、気を揉むでないわ」


 恐縮しつつも。


 必死に頭を下げる、カエデの頭を。


 またしても雑に、撫で回しつつ。


「そも、某とてあやつらばかりに、構ってはおられぬでのう」 


 言ってしまえば。

 

 こうした、ヒビキへの手解きや。


 それにまつわる、諸問題などは。


 全てが余興。


 国主より、下賜された。


 密命を、果たすことこそが。


 わざわざ、遠く離れた異国の地を踏む。


 侍大将テッシンの、本懐である。


 故に。


「では、そろそろ往くか」


 小さく、呟いて。


 カナデの頭から、手を離しつつ。


「爺よ、しばし間を預ける。以後はよしなに」


「はっ。いってらっしゃいませ、若」

 

 恭しく、頭を下げるハクヤに。


 くるりと、背を向けて。


「往くぞ、カエデ」


「はっ、御意に!」


 声音を弾ませて。


 狐尾を揺らす従者を、伴いながら。


(さてさて。此度こそ、某の無聊を慰める獲物に、出逢えると良いのだが……)


 まだ見ぬ死闘に焦がれる、戦鬼が。


 静かな、闇を纏う。


 薄暗い、森の中へと。


 踏み込んで、いくのであった。

 

【作者の呟き】


 ママは、ちからを、ためている……っ!

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ