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第二章 【44】 オビイ⑤

 本日は三話、更新します。

〈オビイ視点〉


『ギイギイッ!』『ギチギチッ!』『……キイキイッ!』

『グルルルルッ……』『ゴオオオオッッツッ!』


 荒ぶるような。


 あるいは、焦るような。


 正確な意図までは汲み取れないが、それでも気を逸らせている雰囲気は十二分に伝わってくる魔獣たちの鳴き声が鳴り響く、広大な地下空間である。


 その中央部に。


 直径が十メートルを超える魔界樹が鎮座して。


 周囲に五メートルほどの魔生樹が、散見するそこは。


 この洞窟型魔樹迷宮(ダンジョン)における、最下層であり。


 大半の魔獣が地上へと駆り出されてしまったため、めっきり魔獣の密度が薄くなってしまった床面に、一定の距離を置いて、いくつもの巨大な窪地が存在していた。


 全体的に薄暗い地下空間の中でも。


 さらにその窪地は暗く、湿っており。


 魔獣の放つ獣臭とは異なる、生物の腐敗臭が、黒い穴から漂っていた。


「う……うう……」「いやだ……」「たす……けて……」「こん……な、の……いやあ……」


 反響する魔獣たちの鳴き声に。


 埋もれるようにして。


 窪地の底から響いてくるのは、生を懇願する、人間たちの声であり。


 無造作に投げ込まれていたのは、半日ほど前の人間狩りで魔獣たちに連れ去れらた、大森林の住人や、冒険者たちであった。


(……クソ、まだ、動かないのか……っ!)


 そうした、堆肥を集めた穴の中に。


 燃えるような赤髪を泥まみれにした、女蛮鬼の少女……オビイの姿があった。


(何故か……上から聴こえてくる、魔獣の声が減っている……今が、好機なんだ! 頼むオレの身体よ、動いてくれっ!)


 森里を不意打ちした、魔獣の襲撃から。


 すでに四半日ほど時間が経過して。


 昆虫と人間を混ぜわせたような半魔人デモニアに打ち込まれた麻痺毒により、朦朧としていた意識は、ほとんど回復している。


 しかし肉体の感覚は、いまだに覚束ず。


 できるのは精々が、寝転んだ体勢を変えたり。


 途切れがちな言葉を、口から漏らす程度のこと。


 当然ながら、そんな有様では。


 この窪穴から這い出ることは困難であるし。


 よしんばそれができたとしても、この魔獣ひしめく地下空間から脱出を図るのは、不可能といっていいだろう。


 それでも。


(はやく……はやく、せめて『こいつ』から逃れられる程度の、感覚を取り戻さねば……っ!)


 呑気に麻痺毒の自然回復を、待っている余裕はない。


 何故ならオビイの、目の前には。


「……あ……あ、あ゛……うあ゛っ……」


 白目を剥き、意味不明な言葉を呻きながら。


 身体をビクンビクンと跳ねさせる、冒険者の姿があって。


 その口や耳、眼窩や鼻といった身体中の穴には、この窪地のあちこちから伸びる、無数の細長い樹の根の先端が、侵入しているのだから。


(ああなってしまっては、もうおしまいだ! その前になんとか、身体の自由を……っ!)


 普段の大森林で見かける。


 低位の魔生樹から産み出された、魔獣であれば。


 精々が仕留めた獲物を引きずって、母樹の根本にある堆肥穴に、それを投じる程度のことしかしない。


 だが魔樹迷宮ダンジョンを形成するほどに育った魔界樹より産み出された半魔人デモニアと、それに率いられた魔獣たちは。


 栄養豊富な獲物を、生け捕りにして。


 新鮮な状態なままそれらを、巣穴の母樹たちに捧げるという、残酷な知性を有していた。


 さらにこうした堆肥穴には。


 母樹たちから伸びる根が、いくつも、その先端を覗かせており。


 ざわざわと、触手のように蠢くそれらが。


 身動きの取れない獲物の体内に侵入することで。


 可能な限り効率的に、魔力や養分を、摂取しているのであった。


 すでにオビイの周囲には、栄養を搾り尽くされて乾燥死体ミイラとなった人間の成れの果てが、幾つも無惨に転がっていた。


 そして目の前の被害者が、栄養を吸い尽くされれば。


 次は自分で供物として扱われることなど。


 容易に想像がついてしまう。


 眼前に横たわる、明確な『終わり』を身近に感じながら。


 それでもオビイは、決して諦めることはしなかった。


(まだだ、まだ……諦めない! オレは、女蛮鬼アマゾネスの戦士だ! 勇猛なる父上と、気高き母上の、娘なんだ……っ!)


 それに少なくとも、『彼』ならば。


 このような窮地でも、心を折られることはないだろう。


 たとえどんなに非情な現実を突きつけられ。


 無情なる理不尽に叩きのめされても。


 それでも彼は諦めることなく、足掻き続けてきた。


 いっそ楽になれる、安易な道など選ばずに。


 無様でも。


 格好悪くても。


 懸命に抗い続けていたのだ。


 オビイはこの半月余り、その姿を間近で見ていた。


 だから頑張れる。


 仮にも彼の義家族である自分が、この程度で絶望などしていられないと、挫けそうになる己の心を、奮い立たせることができていた。


(そうだ……オレはアイツと、ちゃんと言葉を交わさなければならないのだ! その前にこんなところで、死んでたまるか……っ!)


 必死に歯を食いしばり。


 覚束ない身体に喝を入れて。


 魔力と肉体の制御を取り戻そうとする一方で。


 少女の脳裏に浮かぶのは……ほんの、半日ほど前に。


 もはやそれを視界に収めておかないと落ち着かなくなってしまった豚鬼オークの顔と、彼が口にした、オビイにとってあまりにも大きな意味を持つ言葉であった。


 なにせ。


『――この際だからちゃんと伝えておきますよ。オビイさんは美人さんですし、そんな貴方にこうして心配されているのは、男して誇らしい限りです。それを裏切らないよう、必死こいて頑張りますんで、今後も末長いお付き合いのほどを、よろしくお願いいたします』


 あまりにも、ごく自然に。


 当たり前のように告げられた、その言葉は。


(……あれって、求婚プロポーズだよな!? 多分そういう意味で、いいんだよなっ!?)


 関心こそ寄せてはいたものの……


 出会いが、思いつく限りの最悪であり。


 とくに容姿や体型を誉めそやされた覚えもなく。


 そもそも自分自身が、そうした異性の気を惹けるような性分や、性格でないことを自覚しているうえに。


 行動を共にしていた間は、事務的な会話はあっても、私的な会話を試みると何故かいつも不運が邪魔をしてきたために、思うような進展が望めず、半ば諦めてかけていた意中の相手から……そのような、言葉を贈られたのだ。


 しかも命を賭した、戦いの直前に。


 それは奇しくも。


 男女の立場こそ入れ替わっているものの。


 今は亡き母親から散々と語り聞かされた、彼女と彼女の想い人……テッシンとの、馴れ初めの再現でもあった。


 テッシンの義息子として認められたという彼が。


 そうした背景を、知っていたかどうかは定かでないが。


 それでも長年に渡って抱いていた『憧れ』を、一方的かもしれないが『えにし』のようなものさえ感じていた、容姿も性格もゴリゴリに『ド真ん中』な相手から、不意打ちにように告げられてしまえば……


 それはもう。


 表情にこそ、出にくいものの。


 年相応の少女としての感性を有するオビイが、すっかり舞い上がってしまったのは、致し方のないことであった。


『――今の言葉。絶対に忘れるなよ、ヒビキ』


 戦いの前に男女の情を通わすと、死に誘われやすくなる。

 

 そんな信心ジンクスが、戦場にはあるが故に。


 その場での返答こそ控えたものの。


 その時点でオビイの『覚悟』は、決まっていた。


(オレはもっと、アイツと言葉を交わさなければならない! ちゃんとアイツの気持ちに、向かい合わなければならないんだ!)


 だからこそ、余計に。


 こんなところで死んでなどいられない。


 自分にはまだ、彼に伝えなければならない言葉が、山ほどあるのだから。


 だから。


(動けッ……動け動け動け、オレの身体あああああ……ッ!!!)


 不運を嘆くことはなく。

 

 絶望に折られることもなく。


 希望を捨てず、未来を諦めなかったオビイは。


 ついに自らの足で、再び立ち上がるという、偉業を果たした。


『……ギチギチ』


 そうした少女の健闘を。


 感情の浮かばない複眼で、無機質に。


 堆肥穴のふちから見下ろしていたのは。


 オビイをここまで連れ去ってきた、紅の外骨格を有する特殊個体(イロツキ)擬蟻人(ギリアン)であり。


 左右に割れた顎下から不快な音を響かせる異形の人型が。


 面倒くさそうに、堆肥穴の縁から降りてきた。


(クソッ……そう易々と、見逃してはくれないか……っ!)


 再び目の前に立ち塞がる。


 抗い難い絶望を目の当たりにして。


 それでも少女が胸に宿した熱は、微塵も燻らない。


 煌々と、燃え上がる。


(だったら女蛮鬼の戦士として、最後まで戦い抜いてやる! オレは父上と母上の娘で、アイツの……その、想い人なんだッ!)


 黄金の瞳に、生への執着を漲らせて。


 満足に歩くことのできない身体でありながら。


 それでも果敢に拳を握った、少女の耳に……


「……ウオオオオオン――――ッ!」


 決して聞き違えることのない、相棒の遠吠えと。


「……ぶッギいイイイイイッッッ!」


 心の底では待ち望んでいた、男の雄叫びが。


「……っ!」


 溢れんばかりの歓喜を伴って、聴こえてきたことは。


 それはまさしく、オビイにとって。


 運命と呼ぶに、相応しいものであった。


 

【作者の呟き】

 

 ちなみに戦場のジンクスには「戦いの前に情を通じると死に誘われやすくなる」一方で「それを無事に乗り越えたなら二人の関係は永遠となる」といったものもあるで、どちらかといえば保守派なオビイは前者を、森里を飛び出して種婿を求めるほどに積極的なオビイの母親は後者を、選択したようですね。


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