第二章 【30】 変化⑤
〈ヒビキ視点〉
「……なるほどのう。おぬしの目から見ても、そのような見立てになるのかえ」
「まああくまで、素人の見立てなので、お恥ずかしい限りですが……」
「そんなことはないぢゃろう。なんせあの、大和国生まれのサムライ仕込みぢゃ。しかも現地の空気を実際に感じておる。机上でご高説をこねくり回しておる下手な学者連中よりも、よっぽど信頼がおけるわい」
「……恐縮です」
「しかし……それはそれで、不味い話なことには変わらぬのが、面倒なことよのう……いやはや、参った参った」
いったん、話の腰を折って。
思案をまとめるように。
煙管を咥えた口から、紫煙を漂わせるのは。
この女蛮鬼の森里を治める族長、レイアであり。
いつもであれば夕食を終えて。
訓練所に赴いている頃合いに。
本日のヒビキは、アブラヒムの誘いを断って。
オビイの同伴までをも辞退して。
こうして女族長の長屋敷にまで、単身で、足を運んでいたのであった。
「ビッキーと同じ意見が、じつは女蛮鬼の大戦士たちからも挙がっている」
「こっそりとレイア様も里にいる手隙の冒険者たちに探索依頼を出していたけど、結果は芳しくなかった」
「やっぱり、そうなんですか……」
部屋の奥に腰を据える女族長の左右に控えた、双子従者の補足によって。
ヒビキは己の危惧が、間違っていなかったことを確信する。
(……不味いな、これじゃあ本当に、師匠たちから聞いてた『活性期』の予兆みたいじゃないか)
目の前の、女蛮人たちを始めとして。
独自気風が強い人種が多く住まう、エステート大森林。
その根幹を担っているのが。
鬼帝国の領土内にありながら、彼女たちが王侯貴族たちから自治権を認めてもらうための交渉材料である、大量の魔獣素材と、それを産み出し続ける魔生樹。
そしてそれらを育むための大量の魔力を孕んだ土壌であることは、公然の事実であるとして。
その一方で。
大陸でも有数の魔力溜まりでもあるそうした場所は、世界中に張り巡らされて魔力を循環させる霊脈の特性上、定期的に『活性期』などと呼ばれる、魔生樹が関係した魔力災害が発生することでも知られていた。
(今の段階だと、普段よりも高ランク帯の魔獣が、ちらほら見受けられるって程度だけど……)
実際に、大森林に潜ることで。
目につくそれらの頻度と、種類と、分布範囲が。
あきらかにおかしい。
あの浮遊大陸で五年近くも魔獣狩りの専門家である師匠たちについて回って、その生態や特性などを教え込まれた不肖の弟子としては、そうした魔獣たちの異変を、見逃すことなどできなかった。
そしてその結果として起こり得る……結末も。
「……その様子ぢゃとヒビキ坊は、活性期についても、含蓄があるようぢゃなあ」
「ええ。まあ、あくまで師匠たちから、聞き齧った程度ですけど……」
「構わぬ。もののついでぢゃ、おぬしの知識を披露してみよ」
自分自身の考えを纏めるまでの。
間を保たせるためなのか。
女族長から水を向けられたヒビキは、かつての記憶を思い返しながら、言葉を紡いでいく。
「えっと……たしか活性期っていうのは、霊脈の関係で土地に普段よりも多くの魔力が流れ込むことで、そこに繁茂する魔生樹が暴走して、大量の魔獣を産み出してしまう現象です。んでもって、このときに産み出される魔獣は母樹からの魔力供給寡多によって『狂魔』と呼ばれる状態に陥っていることが多く、そうした普段よりも凶暴で強力な魔獣が一気に溢れかえることで引き起こされる魔獣暴走が、もっとも被害の大きいとされている魔力災害ですね」
「うむ、よう勉強しとるようぢゃな。偉いぞ、ヒビキ坊」
「うっす。全部師匠たちからの受け売りですけど」
「ぢゃがそうした活性期とは、本来であれば五年から十年に一度くらいの頻度で、しかもそこに至るまでには、順序立った段階というものがあるはずなのぢゃよ」
そして、この大森林に数百年単位で住む者たちであれば。
自分たちの生死に直結するそうした予兆を、見逃すはずがない。
今の大森林に見受けられる異変は、あまりに突発的で、不自然だった。
「そもそも前回の活性期が、ほんの二年ほど前なのぢゃ。魔力が溜まるまでの間隔が短すぎる。このようなこと、妾が生まれ落ちてからというもの、一度たりとも起きたことのない異常事態ぢゃぞえ」
「ビッキーは本人から聞いてるかもしれないけど、前回の活性期で、オビイの母親は森に魂を還したからね」
「偉大な大戦士だった彼女を含めて、あのとき失った戦士たちの補充が、まだ全然終わっていないんだよ。……ねえこれって不味くないですか、レイア様?」
「ええい! おぬしらにせっつかれずとも、わかっておるわい!」
それぞれが前髪で片目を覆った双子従者による、補足通りに。
従来の活性期であれば、予兆の段階からそれに備えて。
人員の移動や補充、魔獣や魔生樹の間引きなどを行いながら、本格的な魔力災害に備えていくのだというのだが。
今からそれを、行ったとして。
果たして今回のそれに間に合うのか。
甚だ怪しいところである。
で、あればだ。
「あの……レイアさん」
「ん? なんぢゃえ?」
「いちおう確認なんですけど、こういうときって、帝国の力添えを期待しちゃダメなんですかね? 今回はとくに、異常事態っぽいですし」
いちおうの自治を認められているとはいえ。
ここは鬼帝国の、領土内なのだ。
定期的に魔獣素材や税金などを徴収されている以上は、あちらにはそれを行うだけの責任が、あるとは思うのだが……
「……ぬう。無論不可能、とまではいわぬ。ぢゃがそれをしてしまうと、今後の妾たちの生活に悪影響が出てしまうため、あまり取りたい手段ではないのう」
「……ですよねえ」
女族長の返答は、半ば予想通りでもある。
なにせ彼女たちにように、鬼帝国から一定の自治権を認められている者たちは。
その対価として、この大森林の管理を任されているのだから。
ゆえに、たとえどんな理由であろうと鬼帝国に庇護を求められば、その場は凌げたとしても、その後で彼女たちが『管理者としての能力不足』と判断されてしまい、一族の独立気風を損なってしまう可能性は否めない。
さらに言ってしまえば、そうした活性期とは。
住人たちにとっては非常に危険な状態であると同時に、大量の魔獣素材を確保できる、好機でもある。
特に狂魔と呼ばれる異常個体は、ときに母樹すらも自らの手で破壊してしまうほどに凶暴で凶悪な存在である反面、通常では得られない希少素材を有している可能性が高い、狩人からすれば危険で魅力的な獲物であるとも言える。
それらの計り知れない恩恵があるがために。
活性期を察していながらも、例年であれば住人たちは危険を承知でそれに備え、立ち向かうことを余儀なくされているのだが。
(でも今回はそうした選択の云々以前に、それまでに必要な時間が、絶対的に足りなさ過ぎる)
なにせ、この大陸よりも頻繁に活性期が起こるという島国で生まれ育ったテッシンたちによる、魔生樹学の手解きを受けてきたヒビキの見立てでは……
(……早ければ、一週間。遅くとも今月中に、このままいけば森が活性期を迎えちまう)
どう考えても。
時間が、人員が、備えが、あまりにも足りていない。
そうした危惧は、ヒビキなどよりもよほど深刻に、女族長は受け止めているようであった。
「……あい分かった。帝国に頼るのは最終手段ぢゃが、その一歩手前の手立てまでは、念のために手段を講じておくことにしよう」
「レイア様、大丈夫なんですか?」
「これで間違っていましたとかだったら、レイア様の首が飛んじゃいかねませんよ? 物理的に」
「かっかっかっ。このババアの首ひとつで若人たちの命が買えるなら、安いもんぢゃわい」
「レイアさん……」
たとえ己の命を、天秤に乗せてでも。
一族を担う族長として。
躊躇うことなく誇りある選択をしてみせたレイアに。
ヒビキは感動の気持ちを、禁じ得ない。
「ぢゃがまあ……先の短いこの老体を惜しんでくれるのなら、ちいっとばかり若者の童貞を摘ませてくれても、バチは当たらんのぢゃないかのう?」
「あ、それはノーサンキューです。ごめんなさい」
とはいえそうした尊敬と。
我が身の貞操は。
まったくの別問題であり。
どのような状況でも抜け目なく己の欲求を満たそうとする女族長に、双子従者が不満の声をあげる。
「レイア様。そういう栄養のあるものはむしろ、先のある若者に譲るべき」
「というわけでビッキー。今夜はウチらの寝室に……来て、くれるよね?」
「非常に有難いお申し出ですが、初めての花嫁に捧げるこの童貞は、その時まで守り抜く所存ですので何卒ご容赦を」
「ちえっ。だったら繚乱祭まで、ビッキーの童貞はお預けかー」
「ビッキー。他の大戦士どもに誘われても、受けちゃダメだからね? その童貞はもうウチらが予約済みだからね? わかってるよね?」
「これこれメメやー。トトやー。化けの皮が剥がれておるぞーい?」
「「 はっ! 申し訳ありません、レイア様! 」」
などと、双子従者と女族長が。
いつもの掛け合いをみせたところで。
「……ぢゃがまあ……ほんに、いったいこの森で、何が起こっておるのぢゃ……?」
こぼれ落ちた、レイアの呟きが。
やけに粘ついた、不吉を伴って。
豚鬼の耳にいつまでも、こびりついたのであった。
⚫︎
〈???視点〉
そうしたヒビキたちのいる、エステート大森林の外周部に存在する女蛮鬼の森里から、中心部へと百キロほど移動した先に。
ほんのひと月前までは存在しなかったはずの。
不自然な洞穴があった。
周辺の地形や、盛り上がった土壁の状態などから、おそらくは地面が突発的に隆起することで発生したと思われるその洞穴は、そのまま地下に向かって、伸びており。
蟻の巣のように内部で無数に枝分かれしながら。
独特な獣臭が漂う地下通路を、下へ下へと、下っていくと……
やがて辿り着くのは、最下層。
天井までが二十メートルほどもありそうな、広大なる地下空間であり。
今まさに大量の魔獣が産声をあげて、次々と地上へ放出されていく広場の中央には、地上ではまずお目にかかれないほどに巨大な、一本の魔生樹が聳え立っていた。
そうして『魔界樹』と呼ばれるほどに成長した、巨大魔生樹が。
洞窟の壁中に貼り巡らした根によって、水分と酸素を供給しつつ。
魔力を取り込むことで陽光に近い光を生成する、発光植物を繁茂させることで。
地上の生物でも活動できるよう環境が整えられたその空間の名前を、人族は『魔樹迷宮』と呼んでいる。
流石にこの世界の創世期より存在する、世界樹を核とした神代魔樹迷宮などと比べれば、その規模は格段に落ちてしまうものの。
それでも小国程度であれば存亡の危機にも成り得るだけの脅威を産み出すそれは、紛れもなく人類にとっては乗り越えなければならない、創造神の与えたもうた『試練』であり。
そうした試練に立ち向かう人族を拒む、最後にして最大の難関。
通常の魔生樹が『番魔獣』として生み出される『それ』が。
魔界樹の場合だと、その上位種へと置き換えられるために。
魔族としての、魔獣の上位種。
すなわち『魔人』が。
「……ごぽおっ」
魔生樹であれば、その核である魔晶石が埋まっている幹の部分に。
母親の腕に抱かれる赤子のようにして。
母樹と一体化した魔擁卵の内部で、四肢を畳んだ状態で微睡みながら、気泡を吐き出しているのであった。
「……もうしばらくは、かかるか」
その姿を、間近から。
見つめるひとつの人影があった。
「やはり『この程度』の樹では、同胞を産み出すに時間も手間もかかり過ぎるが……致し方なし。不満を述べられるほどの余裕が、今の我らにはない」
人影の言葉は、誰かに向けてのものではない。
自分自身へ、言い聞かせる類のものだ。
「早く目覚めよ、同胞よ……我らの王を、取り戻すために」
ただし言葉には、ありありと。
沸騰するほどの憤怒と。
濃縮された憎悪が。
溢れんばかりに、込められていた。
「そして愚かなる人間どもに、我らの怒りを、知らしめようぞ……っ!」
答える者のいない、憎しみの言葉が。
魔獣たちの蠢く魔樹迷宮に。
溶けて、消えていった……
⚫︎
それから一週間後。
エステート大森林に、活性期が訪れる。
【作者の呟き】
というわけで役者が一通り出揃ったので、ようやく次話より、第二章の山場に突入します。




