第二章 【29】 変化④
〈ヒビキ視点〉
「……そう無闇に自分を、卑下することはない。誰だって、好きな相手と結ばれたいと思うのは、当然のことだ。女蛮鬼たちの愛情は端から見れば少々誤解されやすいのかもしれないが、そうした根っこの部分は、他の種族と変わらないはずだ。だから種婿に選ばれたのなら、安心してそれを受け入れ、胸を張ればいい」
「で、ですが……」
「そもそもそうやって真剣に思い悩んでいる時点で、お前は大丈夫だと思うぞ? 女の胎に種を蒔くことしか考えていない男どもと違って、きっと良い、種婿になれるさ。少なくともオレはそう思う」
「……っ!」
思わず曝け出してしまった、情けない弱音に。
それを笑うことなく。
むしろ応援してくれるような。
温かい女蛮鬼の言葉を、背中に受けて。
(でも……でも俺はっ!)
新たにヒビキの胸中に、湧き上がったのは。
先ほどの自己嫌悪をゆうに上回る。
罪悪感であった。
(ああ……もうダメだ、少なくともこうして真摯に向き合ってくれているオビイさんに、これ以上嘘はつけねえ!)
流石に自分の全てを曝け出すことが、誠意などとは言わないが。
それでも世の中には、ついて良い嘘と、悪い嘘があって。
いまヒビキが抱えているのは、間違いなく後者だった。
(……いい機会だ、このままゲロっちまおう)
こと自分のヘタレぶりを十二分に自覚している豚鬼は、これを機に、今まで躊躇っていた事実を口にする。
「……オビイさん。貴方にそう言っていただけること、非常に嬉しく思います。それにさっきは弱音を吐いてしまいましたが、自分で選んだ道である以上、それに付き合ってもらう相手には、最大限の誠意を示すつもりです。でも……」
「でも?」
「……やっぱり問題は、女蛮鬼側ではなく、豚鬼自身にあるんですよ」
不満げな銀狼を、撫で付けながら。
辛抱強く会話に付き合ってくれている少女に。
背中を向けたまま、ヒビキは一度大きく、深呼吸をして。
「――オビイさんは、ご存知でしょう? 俺の諸事情を」
核心に、踏み込んだ。
「ああ、そうだな」
「だったらお察ししていただけるとは思いますが、仮に今回の計画が上手く進んだとしても、きっと俺はマリーのために、大陸のあちこちを彷徨うことになるでしょう。それこそ何年も……下手をすれば何十年と」
それほどまでに。
マリアンを治療するために必要とされる素材の、希少性は高い。
極論、万病に効果があるとされる万能霊薬を作るためには、ただ金銭を積めばいいというだけではなく、幸運や時間、才能といったそれ以外の対価も惜しみなく注ぎ込まなければならないというのが、この世界の常識だ。
「だがそうして長期に渡り里を離れることがあっても、特段、女蛮鬼の花嫁が不服に思うことはないと思うぞ? 現に今の種婿殿に迎えられた花嫁たちも、ここにいない彼らに対して、恨み言を吐いてなどいないだろう?」
「ええ、そうですね……」
さも当たり前のように、オビイは語っているが。
じつのところ、多くの男性が憧れる、女蛮鬼の種婿という立場というものは。
実際にその地位を得られた男が四六時中女たちを相手に爛れた生活を送っているのかといえば、答えは否であり。
実情は少々、話が変わってくる。
なにせそうした種婿たちは、すべからく。
いずれかの分野で、尋常ならざる才覚を発揮した者たちであり。
そうした者たちを個人的な事情で一箇所に留めておくだけの余裕が、この世界には未だ、存在していない。
高位の冒険者、凄腕の傭兵屋、卓越した探索者など。
彼らの才能は、世界の発展に欠かせないものであり。
常に所属する国家や組織から、一定の成果を生み出し続けることを求められている。
またそうした男たちも一箇所に留まることを好まない性格の者たちが大半であるため、自然と種婿という存在は、ふらりと森里に立ち寄っては想いを通じた花嫁たちに種を蒔き、しばらく逗留しては立ち去っていくという存在だと、女たちから認知されていた。
とはいえ、それは。
「でも彼らはちゃんと、最低限の……種婿としての『役割』を果たしているから、それが許されているんですよね?」
そうした風来坊にも見える、種婿たちに。
女蛮鬼たちが寛容なのは。
女しか産まれない彼女たちとって、何よりも優先される『種の保存』欲求を、満たしているからであって。
「だけど俺は……正直な話、ちゃんと子を授けられる身体かどうか、わからないんですよね」
「……っ!」
「オビイさんやレイアさんに話した通り、俺の身体はちょっと、普通の豚鬼とは違っていて……ぶっちゃけそうした生殖機能が正常に機能しているのかどうかすら、怪しいところなんですよ」
半月ほど前に。
ヒビキが女族長に、自分の素性を打ち明けた際に。
その場に同席していたオビイは、どうやらその内容を、覚えていてくれたようだ。
「ああ、そうだ、そうだったな……たしかお前はそんな見た目をしていても、只人たちの手によって造られた、人造生命体というものだったな」
「ええ」
流石に、その精神が。
異世界より召喚された転生者であることまでは、伏せているものの。
自身が勇聖教会によって産み出された、存在であること。
マリアンはその優れた素養ゆえに選ばれた、実験体であること。
そうして産まれた自分は投薬や魔法などによって、通常を上回る速度で成長していること。
などといった、虚実を織り交ぜた自分の説明を。
オビイは信じてくれてるようであり。
そうやって信頼を寄せてくれている彼女に嘘をついていることに、更なる罪悪感を募らせながら。
しかしこれ以外の生き方を選べない豚鬼は。
疼痛を受け入れて、苦役の道を歩き続ける。
「そのせいか未だに、あっちのほうがちゃんと使用できた試しもなくて……俺が未だに童貞なのは、そういう理由があったりします。ははっ、笑っちゃいますよね。こんな不能野郎が、種婿を目指しているだなんて」
仮に、この後の全てが上手くいったとして。
種婿の地位を、得ることができたとしても。
ただ女を抱いて、種を授けられない種婿とは。
果たしてその責任を、全うしていると言えるのか。
そしてそんな男を種婿に選んでしまった花嫁は、幸せになれるのか。
いずれ愛想を尽かされ、捨てられるのでは。
そうなったときの、マリアンの扱いは。
そもそもこんな自分を信じてくれた人への裏切り行為に、果たして自分は、耐えられるのか。
少し、具体的な未来を想像しただけで。
瞬く間に、ヒビキの胸に湧き上がる不安が。
脆弱な心を、押し潰そうとしてくる。
だけど――それでも。
「でも今の俺には、こんな方法しか思い浮かばないから、やるしかなくって……だけどそんな俺のわがままに付き合わせることになっちゃう花嫁さんには、申し訳がなくて仕方がないなとかも、思ちゃってて……」
「……」
「……い、いやまあだったら、最初からそんなマネすんなって話ですよね! むしろそれを承知でやるんだったら、中途半端に善人ぶらずに、徹底的に悪役になりきれって感じですよね! 嫌だなあ自分のことながら、偽善ぶっちゃって! あははは!」
慌てて、空笑いを漏らすものの。
これまで真っ直ぐに自分を見つめてくれていた少女の瞳が、いま、どんな感情に染まっているのか……
振り返って確認するのが、恐ろしくて。
声が震えて。
心臓がドクドクと早鐘を打って。
彼女に向けた背中がびっしょりと、冷や汗で湿っていた。
(……あー、クソっ、何やってんだよ俺っ! こんな年端もいかない女の子に弱音をぶち撒けるなんて、それでも精神年齢三十路かよっ!?)
だが、どれだけ悔いたところで。
過ぎ去った時間は、巻き戻ってなどくれない。
一度口に出した想いを、無かったことにはできないのだ。
だから。
「……ヒビキ。俺は――」
「――ああもう、ごめんなさい! こんなこと、護衛の貴方に漏らすような愚痴じゃあなかったですよね! ホントごめんなさい、忘れてください……っていうのは虫が良すぎますから、まあ、適当にスルーしちゃってください! なんならレイアさんに、このことを伝えちゃっても大丈夫なんで!」
それでもし、種婿の話を白紙に戻されたとしても。
そのときはそのときだ。
ただでさえ恩義ある相手に、取り返しのつかない嘘をついてまで種婿に選ばれたところで。
そのことを、清廉潔白なる母親は決して喜んでなどくれないだろう。
こんな自分に家名まで授けてくれた師匠にも、申し訳が立たない。
そのときはまた、無い頭を振り絞って、別の方法を模索するだけだ。
それよりも。
「オビイさん。ちょっと聞きたいことがあるんですが、いいですか?」
ようやく振り返って。
あからさまに話題を切り替えた、豚鬼の胸中を。
「……ああ。なんだ、ヒビキ?」
心優しき少女は、慮ってくれたようであり。
それ以上深掘りすることもなく、次の話題に付き合ってくれる。
「……グルルウ……」
そんな逃げ腰の豚野郎に。
銀狼が不満げな、唸り声をあげているものの。
「だったら、わかる範囲でいいんですけど……」
気持ちを切り替えて。
ヒビキとしては、そうやって世話になっている女蛮鬼たちに、少しでも報いるために。
大森林に潜るようなった、ここ半月ほどで覚えた。
どうしても見逃すことのできない、違和感を。
「……今日狩った魔獣も含めて、最近ここいらで見かける魔獣って、前からこの辺りに出没していましたか?」
確認せざるを得ないのであった。
【作者の呟き】
シリアスさん「よっしゃ、ほなボチボチやったりましょうか!」




