第二章 【23】 冒険者②
〈タウロドン視点〉
巨漢揃いの同族においても、ひときわに大きな肉体を授かった牛鬼の青年……タウロドンは、かつてその恵まれた才能ゆえに、慢心を抱いていた。
そんな彼が。
それに気付かぬまま、生まれ育った田舎を出奔して。
この近隣ではもっとも巨大な街である交易都市の冒険者ギルドで、新米冒険者としての登録を果たしたのちに。
勢いそのままに冒険者たちの登竜門とされるエステート大森林に挑み、無茶な冒険者活動を続けた結果、窮地に陥ってしまったのは、至極当然の成り行きといえただろう。
いかに優れた才能の原石といえど。
ほんの小さな間違いや、油断が。
全てを台無しにしてしまうのが、冒険者という稼業であり。
その危険を身をもって知った代償は、あまりに大きかった。
『ひっ……い、嫌だ! 死にたくないっ! こんなところで、この俺が、終わっていいはずがないだろうがよおっ!』
どれだけ、土壇場で強がったところで。
内心では後悔と自責の念に、溺れていたとしても。
物語のような都合のいい展開など、訪れるはずもなくて。
なんの記念日でもない平凡な一日に、誰も気にしていない森の片隅で、題名すら与えられない、数多ある冒険者の失敗譚のひとつに、タウロドンが成り果てようとしていた瞬間に……
『ちぇすとおおおおおっ!』
だからこそ、運命的に。
凛々しい叫び声とともに、颯爽と現れて。
瞬く間に自分の窮地を救ってくれた、美しき女蛮鬼の少女に。
『……あ、ありがとう、ございました! 助かりました! 貴方は命の、恩人です!』
いとも容易く心を奪われてしまった、牛鬼の青年が。
『だから……お願いです、結婚してください! 一目惚れです! 俺を貴方の、種婿にしてくださいっ!』
昂る気持ちの、赴くままに。
情熱的な告白を口にしてしまったことも、まあ、仕方のないことではあった。
とはいえ。
『……フン、戯言を』
『ワンワンワンワンッ!』
そうして、愛を捧げた女性と。
彼女をここまで導いてきた、銀狼に。
タウロドンの迸る想いが、届いた手応えはなくて。
『少なくともオレは、オレよりも弱い男の花嫁になるつもりはない。せめてこの森で魔獣を狩れる程度の一人前になってから、出直して来い』
呆れたように告げられたその言葉を、胸に刻みつつ。
『で、でしたら……お名前を! せめて貴方の名前だけでも、教えていただけませんか!?』
『グルルルルルッ……ガウガウッ! バウッ!』
『お、俺は本気です! お願いしますから!』
尻尾を逆立てて威嚇してくる、銀狼の圧力にもめげず。
森の安全な場所まで誘導してくれるという少女の背中に。
延々と、声をかけ続けていると。
『……オビイだ。オビイ・メラ・ライヅ』
じきに、根負けしたのか……ボソリと。
呟かれた彼女の名前が。
鮮やかな色合いで、牛鬼の心に刻まれたのであった。
『……っ! 素敵な名前ですね、オビイさん! 俺はタウロドン! タウロドン・ロッテと言います! 是非お見知りお気を!』
『……気が向いたら、な』
『それに俺、絶対また、この森に挑戦するんで! 今度はちゃんと装備を整えて、自分も鍛えて、仲間も集めて、一人前の冒険者として、貴方の前に現れますんで! そうしたら今度こそ……俺の想いを、受け止めてくださいますか!?』
『……それもまあ、気が向いたら、な』
『いよっしゃああああああっ!』
『ガウッ! ガウガウガウッ!』
そうしたタウロドンの人生のおける転機が。
今からおよそ、一年ほど前の出来事である。
人生の目標を見つけた牛鬼は、それ以降、言葉通りに心身を改めた。
慢心や驕りを捨てて、真摯に鍛錬に取り組み。
妥協や偏見を捨てて、信頼できる仲間を探して。
苦難や困難を厭わず、冒険者としての依頼を、片っ端から片付けることで。
たった一年で駆け出しのEランクから、新米とされるDランクを経て、一人前とされるCランク冒険者まで成り上がった彼は、所属する冒険者ギルドにおける期待の若手株として、認知されるまでに至った。
ここに至り、機は熟した、と。
今ならばあの人のお眼鏡に叶うはずである、と。
一年以上に渡り情熱の炎を絶やさなかったタウロドンが、確信を胸に宿して。
仲間たちを引き連れて、意気揚々と。
大森林にある女蛮鬼の森里に、足を向けたわけであるが……
⚫︎
(……それが何故、こんなことになっている!?)
いま現在の、タウロドンは。
偶然にも……あるいは必然として。
大森林にある女蛮鬼の森里へ至る道中において。
目的である赤髪の少女に、ふたたび巡り会うことができたものの。
牛鬼の青年にとっては辛過ぎる現実だが。
どうやら再会した彼女は、当時の出来事をすっかり忘れてしまっているようであり。
さらに傷心に浸る時間も与えられないまま、そうした片想いの少女とともに、森の中を探索していた。
控えめに言って、地獄である。
心がバキバキに粉砕骨折しそうな仕打ちだった。
(クソ、あの豚鬼が余計なこと言い出さなければ……っ!)
こうした状況へと陥った原因は、三十分ほど前に遡る。
念願だったオビイと再会して。
見事に玉砕して。
打ちひしがれていたタウロドンに、初見となる豚鬼が、かけてきた言葉であった。
『もしよろしければ少しだけ、俺たちと魔獣狩り、ご一緒しませんか?』
このとき、これに反応したのは。
仮にもこの〈勇猛団〉のリーダーである、自分ではなく。
その冒険者仲間である、兎人の少女であった。
『ハイハイハイ! もちろんオッケーですピョン! 強面系イケメンと、耽美系イケメンを侍らせての冒険者活動なんて、それどんなご褒美!? 断る理由がないですピョン! ですよね、モリイ!? リーダーもっ! そうですよね? そうですねって言えだピョンッ!』
鬼人でもないのに、鬼気迫るような。
兎人の勢いに押された牛鬼は、つい、それに顎を引いてしまい。
人体の急所を狙い撃ちされてビクビクと悶絶する賢鬼の少年……モリイシュタルは、そもそも返答ができる状態ではなかったために。
なし崩し的に。
傷心のタウロドンは。
傷心相手とともに。
魔獣蔓延る森で、冒険者活動を行う羽目になったのである。
しかも。
「……なあ、ヒビキ」
「なんですか、オビイさん?」
「お前は冒険者の活動に、興味があるのか?」
「う〜ん、そうですねえ……あるにはありますが、今はまだ将来の選択肢のひとつ、といったところですかね」
「ということは、その、なんだ? 森の外の世界に、興味でも?」
「興味もありますが、それ以上に、責任がありますからね。そもそも俺だっていつまでもこんな風に、オビイさんに迷惑をかけていられませんよ。早いうちに、自分の面倒は自分で見られるよう、自立していかないと」
「そう……だな。いや、その通りだ。すまない、野暮な質問だった」
「いえいえ。護衛として、そうして俺の動向を気遣ってくださることには、いつも感謝していますよ。ありがとうございます、オビイさん」
「……いや、いい。礼など不要だ。オレはオレの、やるべきことをやっているだけだから」
「だとしても、俺の気持ちは変わらないので。いらなければ、その辺に捨てちゃってください。ははっ」
「……」
先ほどから、そのようにして。
消沈気味の、タウロドンの背後では。
見知らぬ豚鬼と、憧れの少女による、当人たちには自覚がないのであろう甘酸っぱい会話が、延々と繰り広げられており。
「ワンワンワンッ! バウッ!」
これには見かねた銀狼が。
無自覚で無防備な主人を守るため、威嚇の唸り声を上げるのも無理はなく。
「うっ……くっ、はあ……ッ!」
タウロドンとしても。
耐え難い光景に、バチバチと脳を焼かれていた。
先ほどから嫌な動悸が止まらない。
「ん〜? どうしたア、デクノボウ。どっか痛エのかア?」
「……頭が……割れそうなんです……なんだこのッ、初めて味わう感覚は……ッ!?」
挙動不審な牛鬼の態度に。
半血鬼だという金髪三つ編みの少年が、怪訝な表情を浮かべるものの。
「まああれだけ恋焦がれていた相手に冷たくあしらわれた挙句、ああいう姿を見せつけられたら、そりゃ脳が破壊されても仕方ないですよねえ!」
心底楽しそうに応えたのは。
一応は冒険者仲間であるはずの、片眼鏡をかけた賢鬼であった。
「あざま〜すっ、リーダーっ! メシウマでえ〜っす!」
「人の傷心でそんなにいい笑顔を浮かべられるお前はやっぱり、最低のクソメガネだピョン。マジで死ねばいいのに」
人生初の未知なる感覚に苛まれる、牛鬼に対して。
満面の笑みを向けてくるモリイシュタルと。
それに嫌悪の視線を向けるミミルであるが。
ただしそうした兎人の腕は、ちゃっかりと、気だるげな半血鬼の腕に回されていたりする。
「でもでもお、ヒム様あ、あのふたり、なんか微妙にすれ違ってないですピョン? 見ていてなんだか焦ったいですピョン」
「あ〜、まア、なンだか色々と間に余計なモンが挟まってンのは、間違いねエなア。ンでも野暮なマネはすんなよ、メス兎イ。あと俺サマを馴れ馴れしく呼ぶんじゃねエよ。そう呼んでいいのは、身内だけだア」
「ハイですピョン! 了解ですピョン! 俺サマ系イケメンのリアルなツン、本当にありがとうございますですピョン!」
「あア〜ン? 何言ってンだア、お前エ……?」
なんでも、代々。
モリイシュタルの故郷に伝わっているのだという、奇妙な文化や言い回しに。
最近では毒されつつある、兎人の言動によって。
困惑の色を浮かべつつも。
「……まアいいやア。ンでえ、デクノボウよオ、いつになったらテメエらのお手なみを、拝見できるンだア?」
こちらを試すように。
そんなことを言ってくる半血鬼に、タウロドンは、眉根を顰めるのであった。
【作者の呟き】
ちなみにモリイシュタルの故郷においては、かつて勇者と呼ばれた只人の残した言葉や文化が色濃く残っているのですが、今のご時世上、そうした只人との繋がりを公にすることが憚られるため、自然とそれを隠した『賢鬼たちの奇妙な風習』という扱いに落ち着いています。
賢鬼「BSSっ! BSSっ! メシウマあっ!」




