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第二章 【16】 新生活③

〈ヒビキ視点〉


 切り開かれた森ののなかに存在する、女蛮鬼の森里外周を。


 早朝の湿った空気を浴びながら。


 小一時間ほど走り続けて。


「……う、もう、無理い……」


「ウチも、げ、限界……っ!」


「……ひいっ……ひっ……」


「……オビイ、てめっ、いい気になるなよ……っ!」


「……ふっ。出直してこい、未熟者どもが」


「わんわん! わんっ!」


 今日もなんとか無事に。


 道中で力尽きた女蛮鬼の少女たちを、振り切ることに成功したヒビキは。


「それではオビイさん、また後で、よろしくお願いします」


「ああ」


「……グルルッ、ワンッ!」


 大量の汗を流すことで。


 やっぱりいい匂いを漂わせているオビイと。


 やけにこちらを威嚇してくる、彼女が従える銀狼に。


 一旦、小屋の前で別れを告げてから。


「ただいま戻りました、ルルチさん」


「おかえりなさいませ、ヒビキ様」


 留守を預かってもらっていた、隷夫に声をかけて。


 水桶に貯めていた水と手拭いを用いて、全身の汗を拭き取っていく。


「ヒビキ様、手伝いますよ」


「いつもすいません、ルルチさん。助かります」


「いえいえこれも、隷夫としての務めですので」


「でもホントなら、走ってきたついでに水場で汗を流してくれば、こんな手間はかからないのに……」


「ですが以前にそれをしたときは、襲われてしまったのでしょう? ならば致し方ないではありませんか」


 この森里には、女蛮鬼たちの他にも。


 隷妹や隷夫といった、彼女ら庇護される他人種や。


 商人や冒険者、旅芸人や吟遊詩人などといった、多くの人間たちが集まっているため。


 当然ながら、彼らのための、男性用水浴び場が用意されている。


 そして転生した肉体は、豚鬼であるものの。


 精神は前世のままに。


 お風呂をこよなく愛するヒビキとしては。


 その存在を知った、この生活の初期において。


 ワクワクしながら、そうした水場に足を向けたのであった。

 

 そうした迂闊な獲物を……


 狡猾な女蛮鬼(ハンター)たちが、見逃してくれるはずもなく。


 なんの躊躇もなく男たちのいる水場へ素っ裸で乱入してきた女たちの豪胆さに度肝を抜かれたヒビキは、ろくに抵抗もできぬまま、彼女たちにもみくちゃにされて。


 そのまま勢いに流されて濡れ場に突入しかかったところを、たまたまその近くにいたというオビイが駆けつけてくれたことで、なんとか危うきを免れたという、苦い経験をしていた。


 そのような経緯があって。


 家の外で身を清めることを諦めざるを得なかった豚鬼は。


 ルルチの手を借りて、全身の汗を拭った後で。


「それでは、いただきます」


「はい。どうぞ、お召し上がりください」

 

 帰宅に合わせて小森人(ポックル)が用意してくれていた汁物や山菜に、卵料理や焼き魚などに、舌鼓を打つのであった。


 なかでも毎日、ヒビキが感謝を捧げているのが……


「……ああ、うめえ、うめえよお……」


「ふふっ。本当にヒビキ様は、鬼米がお気に召されたのですね」


 記憶のなかにある白米とは、若干異なるものの。


 それでもしっかり『お米』だと認識できる。


 鬼米と呼ばれる穀物の存在である。


(師匠たちには悪いけど、やっぱり元ニホン人としては、食事に米は欠かせないんですよ!)


 今世のヒビキの人生において。


 大半を占める勇聖国(エリクシス)での潜伏生活では。


 基本となっていた食事は、自らが狩った獲物や、森で摘んだ山菜などであり。


 こうした農耕が前提となる穀物など、ほとんど口にする機会はなかった。


 だが、この異世界(アドラスタ)には。

 

 過去に確認されていた転生者たちが授けた恩恵のひとつに、この鬼米なる穀物が存在しており。


 ごく稀になんらかの機会でそれを入手することがあれば、あの普段は冷静(クール)なカナデですら、非常に喜んで狐尾を揺らしていたことを、微笑ましい思い出として覚えている。


 そして……


 まだ只人(ヒューム)が、他人種と足並みを揃えていた時代において。


 鬼米文化を広めたとされる転生者と、非常に友好的であったとされる鬼人のなかは、そうした食文化が今でも強く根付いており、鬼人(オーガン)である女蛮鬼(アマゾネス)の森里にそれが存在していたことは、ヒビキにとっては毎食感謝を捧げるに足る僥倖であった。


 また、そうした鬼米文化以外にも。


 行動を共にしていたテッシンたちの祖国である、大和国(ヒノモト)のように。


 あるいはこの鬼帝国(クラウンズ)に存在する、森里のように。


 鬼人たちが主流となって形成された文化圏には、そうした転生者の残り香を、ふとした折に感じてやまない豚鬼である。


 とはいえ。


「……うっす、ご馳走様でした! 今日も美味しかったです!」


「まったくもう、隷夫にそのようなお言葉は不要だと、何度も申し上げておりますのに……」


 毎食後に、感謝の言葉を口にすると。


 こちらの文化は根付かなかったのか。


 ルルチが苦笑を浮かべてしまうものの。


「……ですがきっと、ヒビキ様は聞き届けてくださらないのでしょうね」


「ええ! 感謝の気持ちは言葉にしなければ、伝わらないので!」


 いくら小言を言われたところで。


 前世でも。


 今世でも。


 正直な気持ちを伝えられずにたびたび後悔してきたヒビキとしては、もう同じ過ちを繰り返さないために、そうした行いを徹底していく所存であった。


「……ううん……この人やっぱり、無自覚に誘っているよなあ……」


「……ん? 何か言いましたか?」


「いえいえ、ヒビキ様は本当に、支え甲斐のある御仁だと思いまして」


「え? ええと、それは、褒められて、ます?」


「勿論です。少なくともお食事を任されている身としては、こうした豪快な食いっぷりは、見ていて気持ちの良いものでありますよ」


「うっす! それはルルチさんの料理が美味しいせいですね! いやマジで、お世辞抜きに!」


「ふふ、ありがとうございます」


 そうした食事における一幕を終えた後で。


 加工した植物の茎で葉を磨いたヒビキは。


 今度は部屋の中で座禅を組み、瞑想を行う。


 肉体鍛錬の次は、魔力鍛錬。


 どちらも欠かすことなく行えと命じられた師の教えを、ヒビキは忠実に実行していた。


 そうして二時間ほど……


 自らの体内を巡る魔力の流れを、知覚して。


 それを制御したり、練り上げたりして、速やかな魔力運用の創意工夫を試みているうちに。


「……ヒビキ様。そろそろお時間ですが、如何されますか?」


「……ああ、もうそんな時間ですか」


 おおよその女蛮鬼たちが、森へ狩りに出かけた。


 朝と昼のちょうど真ん中となる時間帯に。


 ルルチに声をかけられたヒビキは、魔力鍛錬を切り上げて、再び家の外へと向かった。


「それじゃあ、行ってきます。あとのことはよろしく」


「はい、行ってらっしゃいませ」


 この森里では、一日二食。


 朝と夕の食事が、一般的であるようなので。


 次にヒビキがこの小屋に戻ってくるのは、夕方となる予定だ。


 それまでに炊事や洗濯、清掃といった家事を担ってくれる小森人に、留守を預けつつ。


「……ん、行くのか」


「ええ、お願いします」


「バウッ!」


 やはり、当然のように。


 わざわざ一度帰宅してから、身だしなみを整えて。


 再び家の前で待機していてくれたオビイと。


 彼女の横に控える銀狼に、合流して。


「では行きましょう」


 積極的な女蛮鬼たちが少なくなる頃合いを見計らって。


 豚鬼が足先を向けるのは。


 この森里で最も大きな長屋である、女族長の屋敷であり。


 目的はそこで看病を受けている、白髪紅瞳の少女と、面会するためであった。



【作者の呟き】


 次回、ようやくママのターン!

 

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