第一章 【04】 豚鬼①
〈ヒビキ視点〉
意識が覚醒してからの、一年ほどで。
ヒビキが収集した情報を整理すると。
いま現在、自分たちがいるのは人口の七割以上を只人が占める、勇聖国という名の国であり。
ヒビキのように。
かつてこの世界に転生した人間たちを『勇者』と呼んで崇め、国の礎として信仰しているこの勇聖国は、巨大な宗教国家でもあるようだった。
そして今世における、自分の母親である白髪紅瞳の少女、マリアンは。
そうした勇者を信仰する『勇聖教会』に、所属する人物であったらしく。
彼女はかつて、成長阻害を引き起こすほどの魔力素養を認めらることで、勇聖教会が主導する『人造勇者計画』の一端。
適正のある母体の子宮に特殊な魔道具を仕込むことで、肉体そのものをひとつの魔道具に仕立て、異世界の魂を『器』に招き入れることを目的とした人体実験に、参加していたのだという。
そうした行いは。
前世の倫理観を有する、ヒビキからすれば。
人権が全く機能していない、蛮行そのものであるのだが。
残念ながらここは、来世となる異世界であり。
過去の転生者たちによる、知識供与によって、部分的な例外はあるものの。
魔獣という脅威や、魔力災害などで、いとも容易く人の命が摘み取られる世界であるため、前世のそれとは比べものにならないほどに、命の単価が安い。
奴隷という階級も、当たり前のように存在している。
なかでも国民の教育が管理され、情報が一部の権力者によって操作されている国家においては、国教とは絶対であり、それに意を唱えることは、死を意味していた。
よって年端のいかぬ少女……のように見える成人女性……を用いた人体実験においても、関係者はおろか、被験者である当人でさえ、さしたる疑問を持つことはなかったらしい。
それよりも、問題となったのは。
計画そのものよりも、その結果。
無事に異世界人の魂を宿した人造生命体が、何故か、母体の胎のなかで只人ではなく鬼人に……それも頑強な肉体と強靭な生命力を有している反面で、ひどく容姿が醜いとされる豚鬼という人族に、存在変異してしまったことだった。
当然ながら、この結果は。
ただでさえ只人を人族の最上位と位置付けて、自らを真人などと名乗り。
それ以外の人種を亜人などと呼んで蔑んでいる、勇聖国においては。
口にすることも憚られる、大失態である。
失敗作は母体ともども処分されることになり、それを察した少女は勇聖教会の実験施設から抜け出して。
人里離れ、森を逃走するうちに。
偶然にも、テッシン一行と遭遇することで。
各々の相互利益から、以降は行動を共にしているという、経緯であるらしい。
とはいえ、である。
そうした経緯を、聞き齧って。
ヒビキが抱いた感想は……
「……いったい何やってんだよ、アンタ?」
冷ややかな、言葉通りに。
少女の愚かさに、辟易としていた。
なぜなら。
「俺を胎に抱えていた身重のときとは違って、あんたはもう、自由なんだ。その気になれば只人の街に戻って、自由気ままに……とまではいかなくとも、こんなふうにコソコソと隠れ潜むような真似は、しなくてもいいはずだろ?」
少なくとも。
自分のような見た目ではない、彼女であれば。
目立つような行為さえ控えれば、人里において、人並みの暮らしを、望めるはずなのだ。
それなのに。
「……だからさ。俺のことはもういいから、アンタは街に戻って、普通に暮らしなよ」
「で、ですが……だったら、ヒビキくんは――」
「――俺は無理だ。そんなの、見りゃわかるだろ?」
怒髪天を突くほど硬質な髪に。
生来の、凶悪な三白眼。
猪と人を足して二で割ったうえで、抑えきれない暴力性を加味したような凶悪面には、潰れた醜い豚鼻と、下顎から天に向かって伸びる鬼牙が備わっており。
年齢の割に、大柄ではあるものの。
それは背が高いというよりも、ずんぐりとした、力士のような体型である。
その、どれもが。
この勇聖国においては。
少女のように市民権を保障された、只人ではなく。
迫害されて酷使されるべき亜人なのだと、喧伝しているような、ものであった。
「それともあんたは俺を街に引きずって行って、奴隷にでもしたいのか?」
「……っ!」
ヒビキの問いに、少女の顔が歪むが。
否定の言葉は出てこない。
由あって、人目を避けながらこの国を調査しているらしいテッシンたちから聞き齧った情報で、この国で奴隷扱いされている亜人たちがどのような境遇に置かれているのかは、すでに確認している。
そのなかでも。
見目が悪いため、愛玩用に適さず。
しかし頑丈な肉体を有する自分が、いったい、どのように扱われるかなど……
考えるまでもない。
きっと自ら死を選びたくとも、選ばせてくれない。
そんな地獄が、待ち受けていることだろう。
少女の無言は、その肯定であった。
「……だ、だったらやっぱり、私は、ここにいます! ずっとヒビキくんの、そばにいますから!」
「……はあ」
そうした。
懇願じみた、少女の叫びに。
心底気だるげな溜息を吐き出したヒビキは。
ボリボリと、頭を掻いて。
顔をあげ、正面からまっすぐに。
美しい少女の紅瞳を見つめ返しながら。
「だから俺は、それが嫌なんだけど?」
その心を、容赦なく抉った。
「……ッ!」
天使のような、少女の顔が苦悶に歪む。
見る間に紅玉の瞳に涙が溜まっていくが、それでもマリアンは、ヒビキから視線を逸らそうとしない。
言葉を、続きを、答えを、待っている。
「……はあ」
再度、面倒くさそうに溜息を吐いて。
ヒビキは少女に本心を告げた。
「そもそもさあ、あんた、なんで俺なんかを『産んだ』んだよ?」
「……え?」
「だから、どうして、俺みたいな豚野郎を、産んじまったんだよ?」
「そ、それは私が、ヒビキくんの、ママだから――」
「――でも生まれる前にはもう、あんたは俺が『こう』だって、わかってたんだろ? その下らない責任感だか母性だかで俺を産んだ結果、こうなるって、はじめからわかってたんだろ?」
「……っ! そ、それは、ですがそれでもママは――」
「――少なくとも俺はこんな人生、望んでいなかった」
一度、堰を切ったよう想いは止まらない。
次から次へと、溢れ出してくる。
「前世の記憶を持ったまま、醜い豚鬼なんて存在に生まれて、奴隷落ちを避けるためにコソコソと、こんな人気のない山奥を転々とする生活なんざ、望んじゃいなかったんだよ。それくらいは、わかるよな? わかってくれるよな?」
「……はい」
「確かに親は子を選べないし、子も親を選べない。それが普通だ。でもあんたの場合は少なくとも、俺がこんな人生を強制されることを理解したうえで、それを『始めるかどうか』を、選ぶことができたんだ」
「……ええ。その通りですね」
「その結果が、これだよ。たしかに赤子の時分はずいぶんと面倒見てもらったようだけど、感謝なんかしちゃいない。むしろ意識がまだ曖昧なままのときに、育児を失敗して欲しかったぐらいだ」
もし、そうであったなら。
自分はこのような想いを、抱えずに済んだ。
自分と、彼女を、傷つけずに済んだのに。
それなのに。
「あんたは、あんたの身勝手で俺を産んで、好き勝手に母親ヅラしているだけご満悦のようだけど、俺をその茶番に巻き込むな。期待するな。お願いだから関わってこないでくれ。もうこれ以上……こんなふうに生まれ変わったあとでも……また、母親らの自己満足に、子どもを巻きこまないでくれよ」
【作者の呟き】
デレとは、ツンが大きければそのぶん振り幅も大きくなりますからね(意味深)