第二章 【07】 オビイ②
〈ヒビキ視点〉
「おぬしが『これ』を持っていた理由にも、納得がいったわい」
「あっ!」
左右に控える従者に目配せをした、女族長によって。
驚くヒビキの眼前に、晒されたのは。
「……師匠の、カタナっ!」
別れの際に、ライヅの家名とともに。
師匠である大男から下賜された、短刀であり。
ヒビキが気を失っている間に接収されていたらしい、黒鞘に刻まれた稲妻家紋の意味を知る女族長は、だからこそ所有者をライヅの関係者だと看做して、自分のような得体の知れない不審者であっても、こうしてわざわざ話の場を設けてくれたのだと、推察することができた。
「誉れあるサムライ大将より下賜された一品ぢゃろう? 大事にせえよ」
「あ、ありがとうございます」
質疑応答で、嫌疑が晴れたのか。
主人のもとから歩み寄ってきた従者から、返却された短刀を、恭しく受け取りつつ。
弟子の脳裏には、先ほど散々に貶してしまった、師匠の姿が浮かんでいた。
(……また師匠に、助けられちまったな)
思い返すのは、浮遊大陸の去り際に。
目に焼き付けた、大男の背中であり。
けっきょく自分たちの転移魔法を行う間も鳴り止むことなかった戦闘音の結末に、想いを馳せてしまうものの……
「……大丈夫ぢゃよ、ヒビキ坊や」
感傷が顔に表れてしまっていたのか。
ひどく優しい声音で、女族長が語りかけてくる。
「かの御仁の実力は、妾も存分に弁えておる。なにせ女蛮鬼の種婿に選ばれるほどの益荒男ぢゃし、あの食わせ者の仙人もついておるのぢゃから、そう滅多なことにはなるまいて。心配するだけ無駄というものぢゃよ」
気安く語られる声音には。
しかし確かな、信頼があった。
散々と彼に扱かれてきた弟子としても、師の力量を疑う気持ちはない。
ならば、こうして救われた身の上としては。
恩義に報いるため、成さなければならないことは、明確である。
(……師匠も、ハクヤさんも、絶対に生きている。だったらあの人たちと再会する日まで、俺がマリアンを守らないと!)
想いを再確認した豚鬼は、力強く顎を引いた。
「ええ、勿論です」
「ならば良し!」
ヒビキが腰元にそれを差し込むのを確認すると。
レイアは視線を転じて。
この対談の当初から同席している、部屋の壁際に控えた、赤髪の少女に声をかけた。
「……とまあ、ヒー坊の言い分は以上のようぢゃが、オビイよ。それを踏まえたうえでおぬしのほうから、なにか言い分はあるかえ?」
プカプカと、煙管から紫煙を漂わせながら。
求められた、女族長からの質問に。
「……っ!」
自分のせいで消息不明となってしまった、テッシンの実娘。
オビイと名乗る少女は、無言のままに。
眉間の皺を、ギュッと深めてしまった。
「……」
そのまましばし無言で。
突き刺すような、少女の視線を。
豚鬼が避ける真似など、できようはずがない。
(……そりゃまあ、向こうからしたら俺なんて、最悪に最悪を重ねた、最低のクソ豚野郎だろうからなあ)
如何にヒビキ側としては、やむを得ない事情があったとはいえ。
それを知らぬ彼女からしてみれば。
唐突に降って湧いた、自分という豚鬼は。
無断で女蛮鬼の集う温泉に紛れ込み、彼女の裸体を目にしたばかりか、散々と破廉恥な真似をかましたうえに、結果として父親からの贈り物である天聖樹までをも破壊して。
さらには彼から散々とお世話になっていたにも関わらず、要らぬ負担をかけて、その安否までをも不明にした、言い逃れなどできようはずもない正真正銘の大罪人である。
(……いやこれ、マジでやばくね? 俺、あの子に殺されるんじゃね?)
罪状としては十分に有り得るほどの。
己が積み重ねた罪を、改めて自覚することで。
被告人の沙汰を待つ加害豚は、ダラダラと冷や汗を滲ませていた。
そして。
「……いや、いい。オレから言うことは、特にない」
ややあって。
ようやく告げられた、少女の言葉に。
むしろ良心の呵責に苛まれた豚鬼のほうが食いついてしまう。
「いや、いやいや、それはダメですよ、オビイさん! 俺なんかと口も利きたくないって気持ちはわかりますが、それでも貴方には、俺を罵る権利がある。覚悟はできていますから、どうか気が済むまで、叱責してください!」
「……いや、いい。必要ない」
「そこをなんとか!」
「なんぢゃヒー坊や。さてはおぬし、そういう癖も持っておるのかえ?」
「今ちょっと真面目なハナシなんで、勘弁してもらえませんかねえ!?」
たしかに中性的な美少女から放たれる冷ややかな視線に、感じるものがないわけではないが。
今のヒビキは心から、彼女に申し訳ないと思っているのだ。
たとえ女族長といえど、下衆な邪推はご遠慮していただきたい。
「……だからそのようなものは、不要だと言っている。オレ個人の瑣末な感傷など、捨て置いてくれ」
それなのに。
ギュッと、眉根を寄せた赤髪の少女は。
頑なな態度と声音を、崩してはくれない。
自尊心を傷つけられたような。
痛みを堪えているかのような。
なんとか感情を押し殺そうとするオビイの姿を前にして。
(……んぐう!?)
罪深い豚の呵責は、募る一方である。
「だ、だったら! せめて俺のほうから、謝らせてくださいよ!」
耐えられ無くなった豚鬼はとうとう、自ら頭を下げた。
床に頭を擦り付けるように、平伏して。
謝罪の言葉を口にする。
「こんなこと、俺に言う資格がないのはわかっていますが……それでも、謝らせてください、オビイ・メラ・ライヅさん! 本当に、申し訳ありませんでした! 貴方の父親と、思い出に、俺は取り返しのつかないことをしてしまいました! 俺になんかできる償いであれば、なんだってします! だからお願いです、オビイさん。俺に、贖罪の機会を与えてください……っ!」
「……な、なんでも、だと……?」
「はいっ! 俺にできることなら、なんでもさせていただきます!」
「……」
顔を伏せているために。
相手の顔色を、伺うことはできないが。
再び口を噤んでしまった赤髪の少女は、きっと、眉間の皺を深めているのだろう。
(ああ、クソ……ペラペラと、喋りすぎちまったか!? これじゃあ言葉の薄っぺらい、軽薄な豚野郎じゃねえか!)
確かな謝罪の気持ちはあれど。
それを正確に伝えることは、難しい。
相手が年頃の、しかも異性の少女ともなれば、尚更だ。
(クッ……ここはもう、黙って頭を下げ続けるしかねえ!)
そうしてしばし。
居た堪れない空気の中で。
豚鬼が微動だにせず土下座を披露し続けていると……
「……と、とまあ、ヒー坊は猛省しておるようぢゃが、オビイや、おぬしは如何するのぢゃ?」
見ていられなくなったのか。
女族長が助け舟を出してくれた。
その声音が若干、震えているように聴こえるのは、気のせいだろうか。
「……」
ともあれ。
改めて、贖罪の是非を問われた、赤髪の少女は。
さらにたっぷり十秒ほど、無言のまま、床に平伏する豚鬼の後頭部を、じっと見つめて……
「……オビイで、いい」
ボソリと、呟かれたその言葉に。
「……へ?」
思わず顔を上げてしまった、豚鬼の三白眼に映ったのは。
怒りの感情の発露なのか。
ギュッと眉間に力を入れた顔に、朱を差した、少女の奇妙な形相であった。
(……うっわ。やっぱめちゃくちゃ怒ってるじゃん……)
あからさまに強張っているオビイの顔色に。
責められる立場のヒビキなどは、ヒュンと、肝を冷やしてしまうが。
(……でも、逃げねえ! 責めは全て、受け入れる!)
ギンッ、と三白眼に気合を入れて。
彼女の視線を正面から、真摯に受け止めた。
「……っ」
すると、あまりに目つきが悪かったのか。
睨み返されたオビイが、やや視線を逸らしつつ。
早口気味に、告げてくる。
「……お、オレも貴様を、ヒビキと呼ばせてもらうが、構わないな?」
「え、あ、はい。それは勿論……」
「だったら貴様も、敬語はやめろ。仮にもお前は、御父上に認められた、戦士なのだろう? ならば御父上に未だ戦士として認められていないオレに、敬語など不要だし、名前も呼び捨てにすればいい」
「で、ですが俺は貴方に、とんでもないことを――」
「――それはオレが、決めることだ。お前が勝手に背負うものではない」
キッパリと、断言して。
こちらに二の句の告げさせてくれない態度をとる少女に、豚鬼が困りあぐねていると。
「まあまあヒビキよ、本人もそのように申しておるぢゃし、この場はひとまず、その心意気を汲んでくれい」
彼女が如何なる思考を辿って、彼女がそのような結論に至ったのかは、不明だが。
最大の被害者である、本人に気遣われて。
この場を取り仕切る女族長にまでそう言われてしまえば。
加害者である豚鬼が、それ以上の二の句など告げられるはずもなかった。
「……う、うっす。皆さんが、そう仰るなら」
「うむ! ではこれにて、この話は一旦終わりぢゃな! ヒー坊もオビイも、互いにまだ思うところはあるぢゃろうが、それは各々が時間をかけて、ゆっくりと落としどころを見つければええ。妾も話ぐらいは聴いてやるぞい?」
パン、と手を叩いて。
湿った空気を強引に切り替えた、女族長が。
「ではこれより先は、これからのことについての話をしようぞ!」
消化不良で燻る、ヒビキに向かって。
とてもいい笑顔で、問いかけてくる。
「――してヒー坊や。おぬし、女蛮鬼の種婿になる気はあるかえ?」
【作者の呟き】
このときの鬼娘の内面描写については、近いうちに!




