第一章 【16】 暗雲②
〈イザベラ視点〉
「……いいか、ベラ。こいつらは、ただの密偵なんかじゃない。俺たちの勇聖国で、もう六年以上も逃げ隠れしている、狡猾な『黒兎』どもなんだぞ?」
紫煙が漂う葉巻を、突きつけながら。
襟首に徽章が並ぶ、浄火軍の軍服を着こなした。
浅黒い肌を有する青年……エルドラドが。
口にした、『黒兎』なる存在とは。
今から、七年ほど前に。
他国による同盟軍によって、決行された。
大規模攻勢に、紛れるかたちで。
浮遊大陸である、この勇聖国に。
侵入したとされる、密入国者たちを。
指す言葉であった。
とはいえ。
「……いや、でもよお、エル兄い」
すでに、予定していた時刻を。
大幅に、超過しているため。
今更報告を急いだところで、不毛だと。
腹を括ったらしい、軍服少女……イザベラが。
従兄弟でもある、上官に。
気安い口調で、疑問を呈する。
「アタイが今更、言うことじゃないんだろうけど……そんなヤツら、ホントにまだ残ってんのかよ?」
そうした事件から、すでに。
七年近くが、経過しているのだ。
優秀なる浄火軍の、秘密警察によって。
すでにそのほとんどは、捕縛されたものと、聞き及んでいる。
現在、エルドラドがこうして。
黒兎捜索の任を、与えられているのは。
組織内で、あまりに出過ぎた杭を。
厭った、上官たちによる。
嫌がらせの意味が大きい。
それがわからぬ、青年では。
ないのだろうが……
「……」
口元から紫煙を、燻らせて。
換気のため、開け放たれたままの窓を。
無言で見つめる、エルドラド。
(……?)
つられてそちらに、顔を向けた。
イザベラの、視線の先には……
尖塔の上層階にあたる、部屋の窓から。
見渡せる光景を、埋め尽くすようにして。
真っ白な雲が、覆っていた。
(……今日は雲が、低いなあ)
軍事施設が存在する、主要都市などを。
覆う様にして、展開された。
半円状の、広域結界魔法によって。
直接都市の内部に、それらが。
流れ込んでくることは、ないものの。
空を漂う『浮雲』のなかを、突っ切って。
浮遊大陸である勇聖国が、移動する日は。
(毛先がベタつくから、あんま好きじゃないんだよなあ……)
これから、侍女に扮して。
要人の側で、秘密任務にあたる関係上。
髪を伸ばしている、イザベラなどは。
ぷっくりとした、厚めの唇を。
不機嫌に、尖らせるのだった。
ともあれ。
「……地上みたいに、国境とかが曖昧な亜人どもの国ならともかくよお」
すっかり思考の海に、沈んでいるのか。
二の句を告げない、従兄弟に代わって。
これ以上、時間を無駄に浪費できない、イザベラが。
口火を開いた。
「アタイらの浮遊大陸で、余所者が、そんなに長いこと潜伏できるとは思えないんだけど?」
今から、五百年ほど前に。
創造神より課せられた、人類最大の試練である、神代魔樹迷宮を統べる『魔王』という存在を。
討伐には、及ばずとも。
封印という、偉業を果たした。
勇者の功績によって。
魔王という番魔獣を失った、神代魔樹迷宮の核。
すなわち世界樹の、権能を。
一部とはいえ。
手中に収めた、勇聖国は。
そこから抽出した魔法技術を、用いることで。
地べたを這いずる、亜人どもの。
野蛮な、文明水準とは。
比べ物に、ならないほど。
文明を、発展させているのだ。
そうした時代の最先端である、この勇聖国に。
時代遅れの、亜人どもが。
長年に渡って、潜伏し続けているなど。
常識的に、考えにくいことであった。
「……いや、いるね」
それなのに。
「絶対に、いやがる。俺ちゃんの首を、賭けたっていい」
常識では測りきれない、天才の瞳には。
はっきりと、その影が。
捉えられて、いるらしい。
「……証拠は?」
「ねえよ、ンなもん。でも天才の俺ちゃんが断言してるんだから、それで十分だろうが」
「……はあ。エル兄よお。んなことばっか言ってるから、アンタ、無駄に敵を作るんだぜ? わかってる?」
「はっ。能無しどもに遠慮するような、窮屈な生き方なんざ、まっぴらゴメンだね」
「それを賢い生き方、つーんだよ」
「無能の馴れ合い、だろ?」
たとえ、どれほど。
無能と蔑んだ、他人から。
恨みや嫉みを、集めようとも。
有無を言わさぬ、実力で。
それらを踏み潰してきた、怪物が。
「……」
姿の見えぬ、影に対して。
鋭く、目を細めていた。
「……当然、そいつら自身も、相当な手練なんだろうがよお。たぶん生き残った黒兎どもには、協力している、真人の裏切り者がいる」
「あ、ああ。たしかにその可能性は、捜索部隊のヤツらも、考慮してたような……」
なにせ、この勇聖国において。
人口の大半は、真人……愚劣な亜人どもは只人などと呼んでいるようだが……が、占めているのだ。
長期間に渡って、潜伏活動を行うとなれば。
現地人に紛れるため、真人の協力者は。
必要不可欠である。
「んでもよお、外から連れてきた真人に、それをやらせようとしても、勇聖国の常識に疎いヤツらじゃ、どうしても演技にボロがでちまうだろ? 実際にそれで、何組もマヌケな間諜どもが、網に引っ掛かってるワケだし」
「ああ、だからその協力者は、外部から連れてきたヤツじゃなくて、この国に精通した、内部の人間なんだろうよ。しかも教会や軍の動きにかなり精通しているみたいだから、たぶん、一般人じゃない。おそらく相当に、身分の高い人間だ」
「はあ? それこそ、意味わかんねーよ」
たとえ、どれだけ目の眩むような。
金銀財宝を、提示されたとしても。
「勇聖国じゃあ、他国への協力を疑われた時点で、ソッコー異端審問、からの処刑で、お家取り潰しコースだ」
あまりにそれは、危険が大き過ぎる。
いくら報酬を、積まれたところで。
絶対に、釣り合わないのだ。
「そんなの、あり得ねえ。フツーに、常識じゃ考えらんねえよ」
「だから『常識じゃ考えられない人間』が、黒兎どもに、協力してんだよ」
意地悪な、禅問答のように。
イザベラの口にする、正論に。
ひたすら逆張りしてくる、エルドラドであるが。
「おいおいエル兄い、なんか、ムキになってねーか? そんな都合のいい人間が、この国にいるわけ……っ!?」
その、恣意的な物言いから。
ふと、ある可能性に。
誘導された、イザベラは。
(……って、まさかあ!)
パラパラ、と。
先ほど、目を通したばかりの。
手元の資料を、再確認すると。
そこに、記されていた。
名前とは……
(……マリアン・リ・ハネカワ様! ちょうど七年くらい前に、教会から消息を絶たれた、聖人様……っ!)
勇聖国における、聖人とは。
異世界から転生してきた、勇者たちの血を継いだ、子孫であり。
彼らのように。
数ある人族のなかで。
真人だけが、有している。
魂の可能性……すなわち『勇聖因子』を。
覚醒させた、超越者である。
そんな、勇聖国を代表する、浄火軍においての最高戦力である『十輝聖』に。
洗礼名『聖翼』として、名を連ね。
他の十輝聖である、現在の勇者から。
熱心な寵愛すら、受けていたという。
天使の如き容姿の、麗しき少女。
マリアン・リ・ハネカワ。
しかし、如何なる理由からか。
彼女は、七年ほど前に。
滞在していた浄化軍の施設から、姿を消して。
そのまま行方を、晦ませた。
謎多き、人物である。
そんな彼女が、浄火軍どころか。
勇聖国そのものを、裏切って。
他国の間諜に、加担している。
それは、あまりにも……
(……荒唐無稽が、過ぎるだろッ!?)
いっそ、狂人の妄想として。
吐き捨てるべき、埒外なる思考だ。
そもそも、両者の繋ぐ線が。
あまりに、薄過ぎる。
だが。
「でも……たしかにっ……当時、聖人様が消息を絶った場所と、間諜どもが流れ込んできた地域は、そんなに、離れていない……っ!」
「実際に当時、その辺りでは、いくつか浄火軍の捜索部隊が、壊滅させられてるからなあ。もしかすると、運命の神様とやらの悪戯で偶然、鉢合わせしていたって、おかしくはねえだろ?」
「でも……だとしてもっ! 聖人様が、薄汚れた亜人どもに、協力する理由はないだろ!? しかもこの聖翼様は、自らの肉体を差し出してまで、教会の計画に協力されていた、人格者であらせられるってハナシじゃねえか! やっぱりそんな御方が、国を裏切るだなんて、有り得ねえよ!」
「だったら、協力じゃなくて、脅迫っつー可能性は? たとえば……まあまず確実に無理だろうが、聖人様を何らかの魔法で縛って、無理やりに協力させているとかの、可能性だよ」
「そんな馬鹿なっ! あの、偉大なる、聖人様だぞ!? そんなの、天地がひっくり返っても不可能だろうが!」
「……っ、うっせえな。耳元でギャンギャン騒ぐな、馬鹿タレ。発情期の雌犬か、テメエは」
「うるせえ! つか、そんな怒鳴り散らすようなことを言わせた、エル兄いの方が悪い!」
それほどまでに。
勇聖国において。
勇聖教会において。
浄火軍においてすら。
勇者や聖人という、存在は。
神聖にして不可侵な、偶像であった。
そう、崇め奉るように。
徹底的な教育を、施されている。
「だとしても、だ。あらゆる可能性を考慮するのが、浄火軍の役割であり、可能性が高いなら、その対策を提示するのが、俺ちゃんの仕事だろうがよ。そこに忖度なんてねーよ」
「で、でも……だとしても、さあ……」
「それに、そういう仮説があるからこそ、探索には不釣り合いな戦力を『保険』として、任務に同伴させられる可能性があるんじゃねえか。ちったあ頭使ってから発言しろよ、バーカ」
「……っ!」
確かに。
それくらいの、理由付けがなければ。
立案書で候補に挙げられている、浄火軍の鬼札を。
任務に同伴させることなど、叶わないだろう。
その他にも、この立案書には。
巧妙な導線を、引くことで。
いくつもの策が、念入りに。
張り巡らされている。
流石に、その全てが。
採用されるとは、思えないが。
仮に何割かでも、実現するのであれば。
如何に、狡猾な黒兎どもといえど。
逃げおおせることなど、できやしない。
そこに獲物がいれば、確実に詰む。
そのような戦果を、夢想させるには。
十分な、立案書であった。
「……でも、それは全部、エル兄いの想定通りに、獲物がそこに『いれば』ってハナシだろ? この場所を指定した、根拠はあんのかよ?」
「ん? それはまあ……あれだ。ほら、俺ちゃんの勘だよ」
「……っ!」
いい加減に、説明が。
面倒臭く、なってきたのか。
もはやこちらを、見ようともせずに。
新たな葉巻に、火を灯して。
紫煙を吐き出す、エルドラドの態度から。
イザベラは、悟ってしまう。
(チクショウ……もう何を言っても、ダメだな、こりゃ)
非常に、不本意ながら。
叔父と姪という、関係上。
イザベラは、エルドラドの本質を。
それなりに深く、理解していた。
本当に、認めたくはないが。
この男は、間違いなく天才だ。
しかしその天凛、ゆえに。
能力が、突出し過ぎており。
他者が、ついていけない。
そしてエルドラドは、他者の理解を求めず、そのための努力をしない。
こうして説明が、面倒くさくなったら。
だいたい「勘」の、一言で。
片付けようとする、悪癖があった。
そうした扱いに難儀する、青年の性格を。
知悉している少女、だからこそ。
「でもさあ、もし、こんだけ大掛かりに部隊を動かしとして、何も見つかりませんでしたなんてことになったら、一体どうすんだよ? アンタはただでさえ敵が多いんだ。ここぞとばかりに、批難が集中するぜ!?」
いっそ、負け惜しみのように。
正論を口にするものの。
「はっ。だからテメエはボンクラなんだよ」
強者は、いとも容易く。
弱者の遠吠えを、嘲笑う。
「凡愚どもが、つまらねえ生き方しやがって。自分を信じてギャンブルできない人生なんて、いったい何がおもしれーんだよ」
そして、この青年は。
そうした賭けに、勝利してきたからこそ。
名家という、後ろ盾があるものの。
ほとんど、本人の実力で。
これだけの地位を、手に入れたのだ。
その圧倒的な、自負と才能に。
あまりに自分からかけ離れた、価値観に。
「……っ!」
凡人と、嘲られた少女は。
強く、下唇を噛み締める。
「……そ、そうかよ! だったらいっそ盛大に、しくじって、アンタが散々に見下した凡人どもからメチャクチャに、叩かれればいいよ! バーカ、バーカ、エル兄いのイキリ勘違い野郎!」
「う〜ん、負け犬の遠吠えが、心地いいねえ〜」
「くたばれ!」
バンッ……と。
乱暴に、扉を閉めながら。
ツカツカと、荒ぶる軍靴を、響かせて。
(でも……どうせきっと、エル兄は、今回の賭けにも、勝っちまうんだろうけどなあ……っ!)
納得のいかない少女は。
それでも、己の職務を果たすため。
鼻息荒く、廊下を突き進むのであった。
【作者の呟き】
敵側の状況説明が終わったので、次回から主人公たち視点に戻ります。
また勇聖国と主人公サイドでは、色々と解釈が違う部分がありますが、その辺は(たぶん)作者も理解しておりますので、ひとまずスルーしていただけると有り難いです。




