第一章 【15】 暗雲①
〈???視点〉
「……ふぅん」
パサリ、と。
手元の資料を、机に落として。
青年は慣れた手つきで、愛用の葉巻箱から、新たな葉巻を取り出した。
こちらも手に馴染む、葉巻鋏で。
流れるように、先端を切り落としてから。
口先に咥えつつ……シュボッ。
指先に灯した、小さな炎で。
切り口を、炙ると。
途端に。
「……かぁぁぁ、沁みるぇぇぇっ!」
心地良い、充足感が。
肺を、満たしていく。
「やっぱり俺ちゃんって、このために生きてんのよねぇ!」
着席する、青年の机には。
複数の灰皿が、見てとれる。
そしてその全てには、こんもりと。
大量の燃え滓が、積み上がっていた。
よって、室内には葉巻の白煙と、匂いが。
視界を曇らせるほど、大量に。
滞留しているのだが。
「ぷはああああっ!」
青年にとって。
それは、苦などではない。
むしろ心の底から、癒される。
愛しき存在、ですらあった。
「あ~、もうクソみたいな任務とか、心の底からダルい……このまま煙になって、消えちゃいてえなあ……」
ぐでんと、表情を弛緩させて。
ギシギシと、革張りの椅子を、軋ませながら。
人として、かなり駄目な発言を漏らす。
青年の耳に……コンコン、と。
控えめに、部屋の扉を。
叩く音が、聴こえてきた。
「……エルドラド少佐。イザベラです」
次いで、響いた声音は。
まだ若い、少女のものである。
「ういうい。入れ入れ」
聞き覚えのある、その声に。
だらけきった、態度のまま。
青年が、入室の許可を与えると。
「失礼しま……ゴホゴホっ! な、なに、この煙っ!?」
扉を開けた瞬間に。
網膜を襲撃した、白煙によって。
軍服を着こなす、十代前半の少女が。
一瞬で、涙目となる。
「て、敵襲!? 火事ですか!?」
「失礼な。俺ちゃん特製の、可愛い可愛い、副流煙ちゃんだよ〜?」
「……っ!」
不意打ちの、紫煙攻撃によって。
思わず混乱に、陥っていたようだが。
少女はすぐに、この部屋の所有者と。
その嗜好を、思い出したようで。
「……んもおおおおお! この、ヤニカスがああああああっ!」
ズカズカ、と。
煙に塗れた室内へ、踏み込むと。
締め切られていた窓を……バンッ!
勢いよく、開け放つのだった。
「ああ! 俺ちゃんの、可愛い白煙が!」
「黙れエル兄! つーか葉巻吸うなら、窓くらい開けろよな! 燻製にでもなる気かよ!?」
「べつに、煙に巻かれて死ねるんなら、俺ちゃんは本望だっつーの!」
ふぅー、と。
微塵の、悪びれもなく。
新たな紫煙を吐き出す、青年の姿に。
「……ッ!」
ビキリ、と。
青年と同じ、浅黒い肌を持つ少女の。
眉尻が、跳ね上がった。
「だったら、アンタだけでくたばれよ! アタイを巻き込むんじゃねえ!」
「おいおいベラぁ、口調が、乱れてんぞぉ~? そんなザマで、秘密任務なんてこなせんのかぁ~?」
「……ッ! はあ!? な、あんでアンタがそれ、知ってんだよ!?」
つい先日に。
下されたばかりの、辞令を。
槍玉に挙げられて。
目を剥く、軍服少女……イザベラに。
「おいおい、ベラよお。この俺ちゃんを、誰だと思ってんだあ?」
血縁上は、彼女の叔父にあたる。
二十代を目前にした青年……エルドラドが。
「浄火軍の誇る、天才軍師の俺ちゃんに、テメエごときが、隠し事なんてできるわけねえだろうがよお?」
クックッ、と。
喉を、鳴らしたのだった。
⚫︎
〈イザベラ視点〉
勇聖国における、国教。
勇聖教会の直轄となる、武力組織『浄火軍』の、所有する。
軍事施設の、一室である。
「な、なんだよエル兄! そんなの、ただのヤバい、ストーカーじゃねえか! きっも!」
十代前半の、若さにして。
すでに下士官としては、最上位となる。
准士官の地位にまで、登り詰めた。
気鋭の少女……イザベラであるが。
「……あのなあ、ベラよお。お前その、ちょっと焦るとすぐに感情が顔に出るクセとか、いい加減、直しとけよ?」
「はあ!? なんでエル兄に、んなことを、指図されなきゃなんねえんだよッ!? うっざ!」
「え? 俺ちゃんが、上官だから?」
「……ッ!」
十九歳という、若輩でありながら。
すでに少佐の地位を、獲得している。
誰もが認める麒麟児……エルドラドを、前にしてしては。
分が悪いことは、否めない。
(ンのヤロオ……こんな時にばっかり、正論を、叩きつけやがって!)
そして、口は少々悪いものの。
根が真面目である、イザベラなどは。
血縁上は従兄弟となる、上官の指摘に。
今日もまた、言い返すことが、できないのだった。
「だいたいよお……今度の任務、ヴァンデュアル王家の、第二王女さまだっけ? なんか亜人の人権保護とかを叫んじゃってる、オツムのイタいお姫ちゃんの、世話つきになるみたいだけど……お前なんかが本当に、おバカちゃんの性格矯正なんか、務まるのかよ?」
「う、うっせぇよ! 甘やかされて育った、クソガキぐらい、ちゃんとアタイでも躾られるって!」
「メスガキがクソガキの躾けとか、まじウケる〜」
「~~~ッ!」
エルドラドと、同様に。
血筋に恵まれて、整っている顔を。
怒りに歪めながら……ダンダンッ!
床を踏み鳴らす、イザベラの姿に。
「ははっ。亜人みてえ」
どうやら、紫煙を散らされて。
八つ当たりをしていたらしい、エルドラドが。
「……ん」
と、書類を差し出してきた。
「あん!? なんだよ!」
「何って、それを受け取りに来たんだろ?」
呆れたような、青年の指摘で。
少女の顔に、理解が広がる。
(そ、そうだった。アタイはそれを、受取りにきたんだ!)
軍人として。
提出すべき資料を、受け取るために。
わざわざこんな、行け好かない。
上官の部屋にまで、足を運んだのだ。
そんなことすら忘れていた、自分の迂闊さと。
そうした内心を見透かして、ニヤニヤと。
口端を吊り上げる、青年の。
底意地の悪さによって。
「……」
イザベラの感情指針は、グルンと一回転。
怒りの対極にある、『無』へと。
着地した。
「……わかりました。ではすぐにこちらを、提出しておきます」
先ほどまでの昂りを、鎮火して。
淡々と、話を進めるイザベラに。
「ん? おいおい、中身を確認しておかなくて、いいのかよ?」
物足りない様子の、エルドラドが。
物言いを、付け足してくるものの。
「……人格はともかく、エルドラド少佐の能力『だけ』は、評価しておりますので」
答える少女に、迷いはない。
でなけば、極度の愛煙家であり。
女癖が悪く。
素行も悪く。
性格も悪く。
口も悪い、この青年が。
浄火軍で、異例の出世を遂げている。
説明がつかない。
というか、ついてほしくない。
できれば嘘で、あってほしい。
(……マジで、さっさと墓穴でも掘って、降格してくんねえかなあ……)
それが、親戚という肩書きによって。
優秀ではあるものの。
操舵が、極めて難しい。
秀英のお守り役を、上役から。
何かにつけて、押し付けられている少女の。
心からの、願いであった。
「ははっ、そんなんだからベラに、裏工作は向いてねぇって言ってんだよ」
そんな、イザベラの胸中を。
嘲笑うようにして。
「この俺ちゃんが、お前なんかに渡す資料を、真面目に作ると思ってんのか?」
「んなっ!」
幼少期からの。
気心の知れた愛称を、口にしながらも。
当たり前のように。
そんな悪意を口にする、青年に。
目を剥いたイザベラが、慌てて。
手元の資料を、確認し始めた。
(そうだった! この腐れ外道は、こういう性格だった!)
この悪魔であれば。
書類の一部に、細工をして。
自分ではなく、イザベラの不備を、でっち上げることは。
十分に、可能である。
とくに、何の損得勘定もなく。
ただただ、己の愉悦のために。
何度となく、苦い思いを経験してきた、被害者であるからして。
たとえ、どんな小さな可能性であれ。
それを、看過することなど。
できやしない。
(マジでッ、こんなクソ野郎……上官じゃねけりゃ、キン⚪︎マ踏み潰してやるのによおっ! 死ね死ねっ、くたばりやがれ……っ!)
そして、小一時間ほどに及ぶ。
書類確認の結果……
「……って、ないじゃねえか! 完璧な、作戦立案書だよ!」
とくに、不備など見当たらない。
どころか、エルドラドに対して反感を持つ、イザベラからしても。
完璧としか、評価のしようがない。
微に入り、細に入った。
見事な、立案書である。
「これのいったいどこに、不備があるだよ!?」
「ん? ねえよ? だって俺ちゃん優秀だもん」
「〜〜〜ッ!」
ピシリと、イザベラの顔に。
あるはずのない。亀裂が走った。
(……そうだった。この男は、こういう鬼畜だった……っ!)
壁に備えられた、時計を確認すれば。
すでに予定時刻を、大幅に経過している。
今からこれを提出したところで、上官からの小言は、避けられないだろう。
「ぷはーっ」
その間、新たな紫煙を燻らせながら。
この悪魔は、慌てふためく少女の姿を。
特等席で、鑑賞していたのだ。
普通に最悪過ぎる。
「あっ……がっ……てンめえ……っ!」
「ん? どうした、ベラあ? そんなに面白い顔芸を披露しても、エサなんてやらねえぞ〜?」
しかも、言うに事欠いて。
野蛮な亜人扱いとは、失礼が過ぎる。
絶対に、頭がおかしい。
「……もし、今すぐに怒りで、人を呪い殺せる魔法を、与えてくれる人がいれば……アタイはこの純潔を、捧げてもいい……っ!」
「はっ。テメエのションベンくせぇ膜なんて、誰が欲しがるもんかよ。売れ残り特有のキモい勘違いしてんじゃねえよ、バーカ」
中身は論外、であるとして。
黙ってさえいれば、外見だけは、無駄に整っているため。
自分が知る限りにおいて。
女性関係に、不自由していた記憶はない。
エルドラドの浮かべてみせる、嘲笑に。
「……ッ!!」
入隊して以降は、軍務一筋だったため。
浮ついた話を持たない、イザベラは。
下唇を噛み締めて、プルプルと。
震えることしか、できなかった。
「……ぷはぁ」
そうして悶絶する、イザベラを。
歯牙にもかけず。
エルドラドは、退屈そうに。
新たな紫煙を、吐き出しつつ。
「でもまあ俺ちゃんが、いくらパーフェクトな立案書を、提出してやったところで……どーせまた上の無能どもが、台無しに、してくれちまうだろうけどなぁ~」
倦んだ、言葉通りに。
誰もが羨む、出世街道を。
邁進しているはずの、青年は。
その瞳に、諦観を浮かべていた。
「……そうですね」
一方で。
怒りが臨界突破していた、イザベラも。
感情が、グルンと一回転したことで。
再び、冷静になってしまっている。
「たしかにこの作戦が、そのまま採用される可能性は、低いと言わざる得ないでしょう」
「……」
じつは、こうしたイザベラの。
稀有な特性に、関しては。
エルドラドは、密かに評価しており。
だからこそ、執拗に。
からかわれてしまうという、悪循環に。
本人だけが、気づいていない。
「だいたい、本気ですか? こんな何もない、辺境の森に、探索部隊程度ならまだしも、ここまでの、過剰戦力を派遣するだなんて……」
「『何もない場所』じゃねえよ、バーカ」
呼吸のように。
会話に罵倒を、織り込んで。
「ちっ。これだから、凡愚の相手をするのはイヤなんだ。こっちまで頭がおかしくなりそうだ。おえっ」
「……ッ!」
念入りに。
追撃まで、捩じ込みながら。
「……いいか、ベラ。こいつらは、ただの密偵なんかじゃない」
少女で憂さ晴らしする、青年は。
葉巻を突きつけながら、告げる。
「俺たちの勇聖国で、もう六年以上も逃げ隠れしている、狡猾な『黒兎』どもなんだぞ?」
【作者の呟き】
メスガキも、いいですが。
クソガキも、書いていてとても、楽しいです。




