第一章 【10】 魔生樹②
〈カエデ視点〉
(思えば……随分と、遠くまで来てしまったものですね)
現在、自分たちがいる勇聖国から見て。
東方に位置する島国、大和国においては。
侍大将として武勇を馳せる、鬼人の大男……テッシンを、主君と仰ぎ。
その生家である、ライヅ家に。
代々仕えてきた臣下の末裔である、狐人のクノイチ……カエデは。
目を瞑れば、今でも鮮明に。
あの日の光景を。
思い出すことができた。
(マリアン殿と出会ってから、もう四年ほども経つのですか……)
記憶を遡れば。
今から、六年以上も前に。
祖国を統べる煌皇から、密命を受けることで。
テッシンが率いる、精鋭部隊に加わって。
海を超えて、ボトルニア大陸へと渡り。
道中の諸国を、巡りながら。
一年半ほどの、時間をかけて。
勇聖国への潜入を果たした。
直後のことである。
あの日も、カエデたちは。
他人族に排他的な只人の目を、逃れるために。
人目を避けて。
人里から離れた。
人気のない、森の中に。
身を潜めていた。
(あの夜は……月が、陰っていましたね)
日中に、雨が降った、名残りである。
重苦しい、曇天によって。
頭上が覆われた、夜半の出来事だった。
本来であれば、人気がないはずの。
静かな森の奥で、唐突に生じた。
騒乱の気配を、嗅ぎつけて。
潜伏を気取られるわけにはいかない、テッシンたちが。
確認に赴いた、矢先である。
(あれは……本当に、美しい、光景でした……)
すでに静寂を取り戻した、森の奥深くで。
雲の切れ目から、降り注ぐ。
月光を、全身に浴びながら。
絵画のような。
非現実味を帯びて。
周囲を屍で埋め尽くした、血塗れの天使が。
カエデたちの前に、姿を現したのだった。
そして。
『貴方がたは……一体、何者ですか?』
現実離れした美しさの、少女から放たれた。
尋常ならざる魔力を帯びた、冷たい視線と。
感情の伺えない、無機質な声音を。
思い出すたびに。
(〜〜〜っ!)
あれからどれだけ、月日が経とうと。
カエデの狐尾は、ゾワゾワと。
逆立って、しまうのだ。
『その姿から察するに、異国の者ですか? 少なくとも、教会の追手ではないようですが……たとえそうでなくとも、「この子」に害を与える存在には、私は一欠片の慈悲も与えませんよ?』
それほどまでに。
見る者に、感動を強いるほど。
人間離れした、美しき少女は。
死屍累々。
周囲に、大量の只人たちの死体と。
勇聖国独自の人造生命体である、人造天使の亡骸を。
盛大に、ぶちまけた一方で。
折れてしまいそうな、細腕には。
大事そうに、小さな包みを、抱えていた。
『心して答えなさい。貴方がたは「この子」の……敵ですか? 味方ですか?』
ぷぎい、ぷぎい、と。
少女が胸元に抱く、白布からは。
生まれて間もない、赤子による。
弱々しい声が、漏れていた。
『……大丈夫。大丈夫ですよ、ヒビキくん。貴方のことは、絶対に、ママが命に換えても、守り抜きますからね……』
自分たちに向けるそれとは、打って変わって。
胸元に注がれる、少女の視線には。
我が子に対する慈愛が、溢れていた。
その、未熟とさえ表現できる容姿に。
幼い命を抱えながら。
母親としての情愛を湛える、少女の姿に。
いまだ子を産んだことのない、カエデなどは。
改めて、落雷に打たれたかの如き。
衝撃を、覚えたものだ。
(……あのときのお館様は、まさしく、英断でございましたね)
そうした少女の、尋常ならざる、佇まいに。
激しく心を、揺さぶられたのは。
なにも、カエデだけではなくて。
『……ふっ、ふはっ、ふははははっ!』
その場に居合わせた、テッシンさえも。
少女の在り様に。
心を、震わせたのである。
『いや、その御姿! その気概! その魔力! いずれもがまさに、天晴れの極み也! じつに見事な、信念の刃にて候っ! 其方、名はなんという!?』
『……』
『あいや失礼、名乗りを挙げるなら、まずは某からで御座るな! 某の名はテッシン・ライヅ! 少なくとも今現在においては其方と、その赤子の敵ではないことを、ここに誓おう!』
『……マリアン、です。マリアン・リ・ハネカワ。勇聖教会では、聖人などとも、呼ばれております』
『なればマリアン殿! ここでこうして出逢うたのも、何かの縁! 少しばかり某らと、言葉を交わすつもりは御座らぬか!?』
『……手短であれば』
それから、少しばかりの。
言葉を交わして。
見た目通りに、産み落としたばかりの赤子を抱えながら、勇聖教会からの逃亡生活を送っていたという聖人と。
現地における只人協力者を、必要としていたテッシンたちは。
互いの利害関係を、埋め合う形で。
行動を、共にするようになったのである。
(きっとあの日の光景を、拙は生涯、忘れることはないでしょう……)
それほどまでに、衝撃的で。
感動的で。
幻想的で。
運命すら、感じさせる。
邂逅であった。
(……)
だというのに。
「……ひ、ヒビキくん! あ、あぶな……きゃあああっ! だめだめえ! う、後ろ! 後ろですよおっ! あっ、ダメ、横からも……いやあああっ、危なあああああいっ!」
あれから四年後。
今現在、こうして隣に並ぶ、只人の少女……マリアンからは。
当時の面影など、微塵も感じられない。
見た目通りの幼い容姿、相応に。
純粋な感情を、剥き出しにして。
ただただ、我が子の身を。
心から、案じているだけの。
ただの、とびきりの美少女だ。
(……いやまあ、この見た目で母親というのは、少しばかり『普通』とは言い難いでしょうが……拙の国では大名が、これくらいの娘に血を継がせることも、なくはありませんからね)
子を産める、身体になれば。
一人の女として、扱うのが。
他国から、ときに多産多死の戦狂いなどとも揶揄される。
大和国の文化である。
(ですが、そんなマリアン殿と、ヒビキ殿との関係が、これほどまでに拗れてしまうとは……流石に、予想外でした)
威厳を、かなぐり捨ててまで。
己が産み落とした命に、格別の愛情を注ぐ、聖人に対して。
惜しみなく、それを向けられた。
息子の反応は、芳しくない。
どころか、反抗的。
もっと言ってしまえば、露悪的ですらある。
(前世での因縁が、今世でこうも、影響を与えるとは……転生者ならではの、皮肉でしょう)
言葉にすれば、母親と息子。
しかしその実態は、勇聖教会の『人造勇者計画』によって選ばれた、母体と。
異世界より、人造生命体の肉体に召喚された、転生者だ。
一般的な、それとは異なる。
各々の、込み入った事情が。
両者の関係を、複雑化していた。
(ヒビキ殿……しかしいつまでも、甘えてはいられませんよ?)
懸命に。
意固地になって。
ともすれば、必死にすら見えるほど。
頑なに、マリアンの想いを拒み続ける、転生者の姿を。
その事情を知る、カエデとて。
理解する気持ちは、あるのものの。
(着実に『期限』は、迫っています。いい加減に一皮剥けなければ、男子の名折れではないですか)
一方で。
いつまでも過去を引きずる、頑迷ぶりに。
主君のような、豪放磊落を是とする大和国の女としては、煮え切らない想いも抱いていた。
というか。
豪胆極まる、カエデの主君や。
同類である、精人の翁などは。
そうした両名の関係に、茶々を入れて。
反応を、愉しんでいるようだが。
彼らほどの強者ではない、クノイチからすれば。
ぶっちゃけ、たまったものではない。
本当に、勘弁してほしい。
(その暁には、これまでの落とし前、キッチリと精算していただきますからね? 覚悟しておいてくださいよ?)
何度も何度も何度も。
不運にも、主君の火遊びに、巻き込まれて。
不覚にも、下着を湿らせてしまったことが。
一度や二度ではない、カエデとしては。
その元凶である豚鬼に。
しっかりと。
恨みも、抱いているのだった。
(……ですがまあ、そういった精神の未熟をさておけば、身体の方は、随分と立派に成長なされましたね)
そうした、カエデを含む、クノイチたちの。
複雑な胸中を、犠牲として。
本日まで、順調に。
今世を積み重ねてきた、転生者は。
初めて逢ったときが、赤子の姿で。
前世の記憶を、取り戻したあとも。
何かと世話を、焼いてきたために。
カエデたちにとっては、手のかかる。
弟のような、存在であった。
そんな彼が、今では……
「……ぶっぎいいいいいッ!」
勇ましく、雄叫びをあげて。
群がる魔獣を、片っ端から。
蹴散らしているのだ。
「あ、いやっ……ああっ、でも、そう、そこです! そうです! いいですよ、ヒビキくんっ!」
「……」
こうして、マリアンと並びながら。
戦場から距離を置いた、木陰に身を潜めて。
その成長ぶりを見守る、身としては。
感慨も、一入というもの。
(お館様が、魔生樹の討伐を認可されたときは、少しばかり、時期尚早かと思いましたが……あの様子なら、問題なさそうですね)
なにせ、このアドラスタにおいては。
野に蔓延る魔獣たちの、母体となる『魔』が『生』じる『樹』。
すなわち『魔生樹』の、討伐とは。
確かに、テッシンが。
ヒビキに、言い伝えたように。
カエデの祖国においては。
魔獣狩りを生業とする、武士たちが。
一人前として、認められるための、通過儀礼であることに。
間違いはないのだが。
本来であれば、その討伐とは。
複数人で徒党を組んだ上で、挑むものであり。
さらに魔生樹とは、成長度合いによって。
産み出される魔獣の質が、変化するため。
初陣においては、危険度の低い若木を。
討伐対象とするのが、常である。
それなのに。
(あれほどまでに育った魔生樹を、腕試しに、選ばれるとは……)
今まさに。
ヒビキが討伐に挑む、魔生樹とは。
すでに全長が、十メートルを超えており。
まもなく成木を迎えるそれは。
通常の魔獣、のみならず。
母樹を守護する、特別な魔獣……番魔獣すら。
産み出す段階にまで、達していた。
通常であれば。
この規模の魔生樹を、討伐するためには。
それなりに場数を踏んだ武士を、複数名。
揃えることが、妥当である。
(ですがお館様は、ヒビキ殿であればそれを成せると判じたからこそ、此度の討伐を、お認めになられたのです)
傍目には。
無理難題にも思える、修行であるが。
重過ぎる試練とは、期待の裏返し。
でなければ、貴重な魔生樹狩りの機会を。
修行の一環として、ヒビキに一任するほど。
大和国の武士とは、夢想家ではない。
とくに現状。
敵国における、潜伏活動を行う上で。
外部からの補給を望めない、テッシン一行においては。
魔生樹とは、討伐した魔獣の素材や。
その核である『魔晶石』を、魔法の触媒として用いることで。
生活需要品の補給や。
戦闘物資の補充を、行うための。
重要な、資源である。
それを、勇聖国の人間に気取られぬよう、採集できる機会は。
そう、多くはない。
その貴重な機会を与えられることの意味を。
本人も、理解しているからこそ。
此度の修行に、あれほどの意気込みを。
抱いていたのだろう。
(ヒビキ殿。精々、お館様のご厚意に、報いてくださいよ?)
見届け人である、カエデの視線の先で。
何度か、危うい場面があったものの。
魔生樹の周囲に控えていた魔獣たちを。
順次、討ち取っていき。
ついには、一際に巨大な魔獣……番魔獣のもとまで。
辿り着いた、ヒビキが。
「ぶっぎイいいいいい――ッ!」
雄々しい雄叫びをあげて。
渾身の魔技を、放つのであった。
【作者の呟き】
〈悲報〉ママによる被害者の会が結成されている模様。




