人魚号からプロトキャッスルへ 3
年末年始の一週間は仕事が休みになり、年越しパーティーや新年会をした。とはいっても帰省ができるわけでもなく、他はたいして何もしない普通の休日を過ごした。
そして一月半ばになり、いよいよプロトキャッスルで暮らし始める日がやってきた。この日は人魚号に住む人全員が一斉に引っ越しをする。トラックに荷物を積むとすぐにトラックが満杯になってしまうので、自力でやったほうがいい。
私は自分の部屋のタンスと段ボール箱を念動魔法で浮かせて移動し、甲板から荷物と一緒に飛び立った。他のみんなも荷物と一緒に空中を移動していて壮観だ。そのままプロトキャッスルの31階の窓から入り、その階にある私の部屋まで行った。私一人でも引っ越しに何の支障もない。魔法って便利!
私の今度の部屋は2DK。そのうちの一部屋でさえ今までの船室よりも広い。こんな解放感のある空間を私一人で占拠できるなんて贅沢! いや実家に比べたら断然狭いか。冷蔵庫に電子レンジ、洗濯機、乾燥機もある。これでランドリーが混む時間を気にする必要もないし、洗濯の時に下着を隠す必要もない。私、あの狭い船室で半年間もよく耐えた。まあ普通の船だとあれで4人部屋なんだろうけど。
部屋で荷ほどきをしながら食べるお昼ご飯はクッキーとドライフルーツ。今日は食堂も引っ越し中で使えないからこんな寂しい昼食になった。自分の部屋が片付いた後は、いつも使っている会議室の備品を30階のオフィスに移した。
午後6時からはプロトキャッスル稼働記念パーティーだ。会場の32階に行くと、そこはまだ工事が全然進んでいないフロアだった。天井が出来ていないので41階まで吹き抜けになっている。部屋の壁どころか外壁も完成していない。そんなわけで今は縦横300メートル、高さ34メートルの広大な部屋になっていて、外の景色も見えているので解放感が半端ない。
ナノがふわっと空中に舞い上がった。そしてルナにマイクを向けると、英語のスピーチが流れ始めた。私のルナには日本語訳が表示された。
「アテンションプリーズなのー! これからは英語が公用語なので英語であいさつするのー」
ナノのセリフの日本語訳がちゃんとナノの口調になっている。翻訳前の日本語がデータ通信で私のルナに届いているのだ。でも「アテンションプリーズ」は飛行機のアナウンスだよね。
「今日からプロトキャッスルに住み始めることができるのー、みんなが頑張ってくれたおかげなのー! そしてこのプロトキャッスルを考えてくれたピコ、今の気持ちを一言どうぞなのー」
私はびっくりした。事前に言っておいてほしいものだけど、私が驚く顔を見るのもナノの楽しみなんだろう。私はマイクを受け取り、ルナに向かって小声で言った。
「あの、最初は私の思い付きだったものが本当にこんな形になるなんて、すごく感慨深いです」
少し遅れてルナから英語訳が流れた。ちょっと恥ずかしい。
「これからも力を合わせて、ぜひ完成させましょう」
みんなから拍手をもらえた。ナノにマイクを返した。
「明後日にはヌアクショットで魔法講習を受けた人たちがやって来るのー」
そう、チアたちがもうすぐ帰って来る。
「日本からの増援ももうすぐ到着するのー。アメリカや中国からもやってくるのー。仲間が一気に増えるのー!」
人魚号に比べると暮らせる人数が桁違いだから増員ラッシュだ。これから工事は一気に進むだろう。
「再来月にはねー、ソーラーキャッスル市長と市議会議員の選挙があるのー。この選挙でねー、ソーラーキャッスルでの暮らしがどんなシステムになるかが決まるのー。大事な選挙なのー」
「え? どういうこと?」
「ピコの言ってた『お金の要らない社会』ってのにはねー、あたしは反対なのー。あたしは『いいね』を集めてお金を稼ぐ社会にしたいのー。だからあたしはこの考えに賛同してくれる市長候補を推すのー」
「ソーラーキャッスルのお金や仕事のシステムは市長が決めるってこと?」
「そうなのー」
「聞いてないよ!」
「言ってないのー。この場で初めて言ったのー。お金や仕事をどんなシステムにするかはねー、あたしやピコだけじゃなくて、プロトキャッスルにいるみんなに考えてほしいのー!」
どよめきが起きた。民主的に決めるというアピールにはなったけど、こっちがびっくりするから事前に相談してほしい。
「詳しいことはあとで社内SNSに書くのー。それよりパーティーなのー! バーベキューなのー!」
あちこちにドラム缶が置いてあり、木片や可燃ごみが入っている。それに火炎魔法で火をつけた。その上に金網を載せ、凍った肉を並べていった。なるほど、これなら厨房が使えなくても問題ないね。
火力は魔法で調整できる。だんだんおいしそうな焼き加減になってきた。
ジリジリジリジリジリジリジリジリ!
けたたましい警報音が鳴った。何事? すると合成音声のアナウンスが流れた。
「火災警報。火災を検知しました」
そうだ、ここの消防システムは自動になってるんだった!
「誰か、消防署に行って警報を停めてきて! このままだと自動で放水が始まっちゃう!」
「みんなー! 放水から肉を守るのー!」
天井の消火栓からドラム缶の火めがけて水が勢いよく放たれた。マホが障壁魔法で水を弾いた。他のドラム缶の周りでもみんなが障壁魔法で水を防いでいる。
「さすがなのー! 今のうちにいただくのー!」
ナノがいい焼け具合の肉を食べ始めた。他の人たちも食べ始めた。その間も放水は続き、障壁魔法で防ぎ続けている。
「皆さん、ずるいですわよ!」
食い意地の張ったマホがこれを見過ごすはずがなく、気を取られて障壁が消えそうだ。私は自分のぶんの肉を確保してから自分で障壁を展開した。
「ここは私に任せて、マホは先に行って!」
「恩に着ますわ!」
マホは肉に向かってダッシュした。まさかこんなバトルアニメみたいな会話を私がすることになるとは。
少しして放水が止まった。誰かが消防署に行って放水を停めたようだ。
「みんなー、ありがとうなのー! これで火事の備えの万全さと、みんなのトラブル対応能力の高さが証明されたのー!」
そうだったらここでバーベキューなんてしないはずだよ。辺り一面水浸しになっちゃって、多分下の階にも漏れてるんじゃないかな。
そのとき急に肌寒さを感じた。この階は外壁が完成していないので風が入って来る。とっくに日が落ちているので砂漠の風は冷たく、しかも今は真冬。水浸しの床から風が気化熱を奪い、身に染みる寒さになってる!
「寒すぎるぞ! 私はこんな所にいられないぞ!」
「この水をなんとかするのー!」
「魔法で水を海まで飛ばせないかな。ねえマホ」
マホは肉を食べるのに夢中だ。今は何を言っても聞きそうにない。私がやろう。
私は念動魔法で近くの水を集め、壁の無い所から外に飛ばした。すると他の人も私のまねをして水を飛ばし、床の水は片付いていった。
「撤収なのー!」
みんなこの場にいたくないので、パーティーはぐだぐだな終わり方をした。ああ、疲れた。寒い。体がこわばる。早く暖かいベッドに入りたい。私は急いで自分の部屋に向かった。
下の階は空調がきいて暖かい。私の部屋のドアを開け、勢いよくベッドに飛び込んだ。
冷たい! ベッドが濡れている!?
天井から水がしたたり落ちている。さっき水浸しになったときに下の階に漏れている場所って、ここだったか――!
結局、魔法で熱風を発生させてベッドを乾かした。疲れすぎて気が遠くなる……。




