表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
199/206

 192 冬の火種

 

 

 翌日、シレリ教授が訪ねたのは、マクレイの生命構造学の研究室だった。


 いつもなら補佐や助手たちが研究に励んでいるが、この時は、補佐が一人残っているだけだった。


 隣接する教授室の扉を叩く音が聞こえた。


「……どうぞ」


 マクレイは、落ち着いた声で応じた。


「マクレイ教授。シレリ教授がお見えです」


 補佐が告げると、静かに一礼して部屋を出ていった。


 マクレイは席を立ち、シレリ教授を迎えた。

 

「マクレイ教授。本日はお時間をいただき、ありがとうございます」


「いえいえ。ご連絡をいただいた時には驚きましたよ。実は私もあなたのもとへ伺おうと思っていたところでしたから。どうぞ、お座りください」


 シレリ教授が腰を下ろすと、マクレイも向かいに座った。


「本日のご用件は……」


「はい。先日の緊急会議での私の発言ですが……」


 やはり、気づいたのだな……


「非常にバランスを欠いておりました。申し訳ございません」


 シレリ教授の謝罪に、マクレイは意外な返答をする。


「シレリ教授…… 何をおっしゃいますか。医術院のことを、この国の事を思ってのご発言だったと、後になって私は理解致しました」


 ……そう。


「むしろ、私こそ謝罪しなければならない。あの場であなたを退けたこと…… あれこそ、バランスを欠いた行為でした」


 当然、あなたも気づいているのね。学長の登院の裏に……


「お詫び申し上げます」


 教授会を掌握する者が、蔑んでいた女性教授に頭を下げて謝罪した。


 シレリ教授は、その姿を冷静に見つめていた。


 でも、あなたたちは……


「これからも、ともにこの国のために尽力していきましょう」


 顔を上げたマクレイの視線を、シレリ教授は光のない瞳で受け止めた。


「……はい。マクレイ教授。宜しく、お願い致します」


 静かに頭を下げたシレリの表情は、冷淡そのものだった。


「きみ、いるかね?」


 マクレイが声をかけると、隣の研究室の扉が開き、補佐が現れた。


「はい、マクレイ教授」


「シレリ教授に、研究室を案内してくれないか。最近の成果も見ていただきたい」


「かしこまりました」


 補佐は一礼すると、シレリに向き直った。


「シレリ教授、こちらへどうぞ」


 補佐に導かれ、研究室へと足を踏み入れた。


 生命構造学の最新の成果、進行中の実験、そして将来の展望。補佐は次々と研究内容を説明していく。


 だが、熱心に聞いているように装いながらも、シレリ教授の心は別のところにあった。

 

その口元には、かすかな微笑みが浮かんでいた。



 

 前日。


 シレリの教授室で、シンの推理を聞き終えた直後のことだった。


「だ、大丈夫ですか、教授」


 小さく震え始めたシレリ教授を、セリンが心配して声をかけた。


「……ええ。大丈夫よ……」


 シレリ教授は、放心したように虚空を見つめていた。


 どうしよう…… 伝えるべきなのか、それとも隠すべきなのか。


 視線を上げて、三人の補佐を見つめた。


「……みんな、聞いて」


 全員の視線が、シレリ教授に集まった。


「私は明日にでも、マクレイ教授に謝罪に行くわ」


 その言葉で、重い沈黙が部屋を包んだ。


 すべてを話す必要はない。この二人なら……


 シレリ教授は、セリンとアトリアを見つめた。


 問題は、この二人。


 視線の先には、シンとユウの姿があった。


 遅かれ早かれ私は気づいていた。だけど、シン()の推理から導き出されたのは間違いないわ。

 そして……


「ねぇ。教授の乳って柔らかかった?」


 シンに対するウノウの質問に、シレリは思わず微笑んだ。


「いえ、憶えてなくて……」


「嘘だー。さっき気にして、手を後ろに隠してたじゃん」


「いや、それは……」  


 ウノウが彼を連れて来てくれたおかげね。


「ねぇねぇ。正直にいいなさいよー。乳揉めて嬉しかった?」


 そして、あなたならきっと大丈夫。ねぇ、ウノウ……


「いや、その……」


「ババァの乳だから、嬉しくなかったの?」


「……ねぇ。いったいどこの誰の話なのかしら、ウノウ……」


 シレリの一言で、部屋の空気が凍りついた。




 馬車はランセルの屋敷の重厚な石造りの門をくぐり、静かに止まった。


 ふたりは書斎へと入り、向かい合って座った。


「今後、我々はどうすべきでしょうか?」


 マクレイが問いかけた。


 ランセルは立ち上がり、窓へと歩み寄った。


「この王国は、長い年月をかけて積み上げてきた秩序の上に成り立っている。貴族が学び支え、王が治める。それが、この国の根幹だ」


「……はい」


「リヴァス学長がどれほどの後ろ盾を持とうとも、その根幹を揺るがすことなど、できはしない」


「……」


「そう、だからこそ…… だからこそ、今は静観する」


 マクレイは、何度も小さく頷いていた。


「学務次官という立場ではあるが、王位継承に関与するには、まだ時期尚早だ」


「仰る通りです」


「むしろ、私は総監に同情する」


 マクレイは黙って耳を傾けた。


「総監の立場であれば、静観することなど許されない」


「……仰る通りです」


「王族の意向であれ、リヴァス学長の登院を許可した時点で、すでに退路はない」


 マクレイは静かに頷いた。


「我々が権力や地位に目が眩めば、否応なく巻き込まれる」


 恐ろしい……


「そこまで踏み込むべきではない」


 ランセルは振り返り、マクレイを見つめた。


「……よいな」


「はい。承知しておりますとも」

 

 マクレイは、深く同意した。


 医術院に戻ったマクレイは、シレリ教授を除く各教授を個別に訪ねた。




 柔らかなソファに腰を下ろしたセディリオは、ハーブティーを口に運びながら、フレンの話を聞いていた。


「というわけです。セディリオ様」


 話し終えたフレンは、内心で期待していた。

 セディリオは、きっと喜んでくれ、自分をかわいがってくれると……

 

 しかしセディリオは、カップをゆっくりとソーサーに戻しただけだった。


「……そうか」


 え……


「あ、あの…… お役に立てましたでしょうか?」


 その言葉に、セディリオは小さく微笑んだ。


「もちろんだ。ありがとう」


 よ、良かった。セディリオ様は、喜んでくださった。


 フレンは自然と笑みがこぼれた。


「ひとつ質問がある」


「はい! なんなりと」


「このハーブディは、いつものと同じ物かな?」


「はい。そうです」


「そうか。ありがとう」


「は、はい……」


 話が突然変わり、フレンは戸惑っていた。


「下がれ」


「はい」


 フレンは一礼し、部屋を後にした。

 

 フフ。モヒュランみたいな小者に従ってても、たかが知れている。セディリオ様こそが、僕が従うのにふさわしい。

 けどね。

 今ごろ、はらわたが煮えくり返っていることでしょうね、セディリオさーま。だから余裕を見せたくて話を急に変えた。意外に小者だなセディリオ様も。うっひゃひゃひゃー。



 ソファーに深く腰かけているセディリオは、再びハーブティーを口に運んだ。


 本当に、余計なことをしてくれた。


 モヒュランたちの企みも、ルーナの不倫も、まだ答えを出すつもりはなかった。点と点を繋ぎながら、少しずつ輪郭を浮かび上がらせていく。それが僕の楽しみ。

 なのにまさか、あの給仕が先に答えを持ち込んでくるとは。

 

 興ざめだ。


 ……いや、これもなりゆき。そう思えば、このハーブティが当たりだったのも、納得がいく。とても、良い味がしている。


 セディリオは、ゆっくりとカップを傾け、ハーブティの香りを静かに楽しんでいた。


 


 凍りついた部屋の中で、シレリは気を取り直すように息を吐いた。       


「まあいいわ。シン・ウースさん、ユウ・ウースさん。しばらくの間、ここの手伝いをしてもらえる?」


 シンとユウは顔を見合わせた。


「もちろんです」

「はい」


「そう。良かったわ。庶務課には私から話をして許可はもらうから、心配しなくていいわ」

 

 シレリ教授は続けた。


「今日はもう帰っていいわ。くれぐれも……」


「はい。わかっています。内緒ですね」


 二人が席を立つと、ウノウに目を向けた。


「ウノウ」


「はーい」


「送ってあげて」


「了解です」


「送ったら、寄り道せずに直ぐに戻ってくるのよ」


「わかってまーす」


 嫌よ。また探しに行くの。

 また探さないといけないの……


 セリンとアトリアは、同じ事を思っていた。


「それでは、失礼します」


 三人が部屋を出ると、シレリ教授はアトリアに目を向けた。


「アトリア」


「はい」


「あの二人のことを、調べておいて」


「わかりました」

   

「セリン」


「はい」


「悪いけど、庶務課の方はお願いね」


「はい。お任せください」


 アトリアとセリンはすぐに席を立ち、部屋から出ていった。


 一人になった部屋で、シレリ教授はゆっくりと椅子に身を預け、天井を眺めた。


 学長…… 私は、お力になれません。本当に、申し訳ありません。


 そのまま、静かに目を閉じた。




 研究室を後にした三人は、中庭を並んで歩いていた。

 

「ウノウさん」


「なにー?」


「シレリ教授って、良い方ですね」


「でしょう~。あーしは大好きなの」


 大好きなのにババァとか言うんだ……

 大好きなのにサラっと暴言を……


 シンとユウは、同じことを思っていた。


「あの~。聞いてもいいですか?」


 シンは申し訳なさそうにそう口にした。


「もう仲間だから、何でも聞いて。遠慮しなくていいよ」


「では、お言葉に甘えて。シレリ教授って貴族なんですよね」


「そうだよ~。けど、名ばかりの貧乏貴族って言ってた」


「やはり貴族でないと、教授とかになれない感じですか?」


「そうだよ~。貴族でもないのにこの医術院で教授になった人はいないよ~」


「じゃあ、ウノウさんも貴族なんですか?」


「うんにゃ。あーしは貴族ではないよ」


「へぇー。貴族でもないのに、補佐にまで」


「うん。珍しいみたいだね」


「もしかして、ウノウさんが初なのでは?」


「以前にもいたらしいけど、誰だったか忘れちゃった」


「へぇ~」 


「あーしが補佐になれたのは、シレリ教授のおかげなんだよ」

  

 ウノウは、少し遠くを見るような目をした。


「シレリ教授が拾ってくれなければ、あーしは今ごろ何してるのかな~って、時々考えるの」


「もしもって、考えちゃいますよね」


「たぶん…… 冒険者になっていたと思うの!」


 その言葉に、ユウが食いついた。


「え!? 冒険者!?」


「うん。あーしにあってると思うの」


 ど、どうかな……


 ユウは心の中でつぶやいた。


「でも、どうして冒険者に?」


「それはだって、自由だからだよ」


「自由だから……」


「うん。稼ぐのも命を落とすのも、ぜんぶ自分しだい。こんな面白い世界はないと思うの」 


「確かに…… そうですよね!」


 ユウは目を輝かせていた。


「学師の社会は女性だと肩身が狭いけど、冒険者にはそれはないの」


「うんうん!」


「身分だってそう。貴族でも平民でも、たとえ貧民街で生まれてても関係ない。実力さえあれば」


 ユウの胸に、じわりと熱いものが込み上げていた。


「そうですよね! 本当に、かっこいい世界ですよね!」


「あーしが憧れているのは、女性でありながらSランク冒険者になったー」 


 シャリィのことか……

 シャリィさんのことだ……


 シンとユウの頭に同じ答えが浮かんだ。


「……バリー!」


 その名を聞いた瞬間、シンとユウはそろってずっこけた。



 シレリ教授がマクレイ教授の研究室を後にしたその日の午後、医術院に一枚の通知が回った。


 本日、ホールにて協議の場を設ける。参加は各自の意思に委ねる。


 それは、学長の名で記されていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ