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アイドルとは!  作者: Aramaki_mai
第五章 ここから!
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第60話 三年後

挿絵(By みてみん)

ステージ袖に流れているアナウンスの大半は、ひよりには分からなかった。聞き取れたのは、最後の名前だけだった。


「――Little Flare!」


歓声が上がった。


「行くよ!」


リオの声で、四人が走り出す。照明の中へ出た瞬間、ひよりは客席を見た。


青、赤、黄、紫。日本のライブほど綺麗には揃っていない。赤と紫を両手に一本ずつ持っている人もいるし、何色なのかよく分からない光も混じっている。それでも、ひよりは四色とも見つけた。


「Rio!」


「Natsu!」


「Ann!」


少し遅れて、


「Mahiru!」


ひよりは反射的にそちらを見た。発音は少し違う。でも、自分の名前だった。青いペンライトが大きく揺れる。ひよりも手を上げた。


「はい!」


隣を通ったアンが笑う。


「聞こえてんじゃん」


「聞こえたよ」


「じゃあ前見て」


「見てるって」


イントロが始まった。初めてテレビのカメラを相手に、どこを見ればいいのか分からなくなった朝から、もう何か月か経っている。地方のステージにも行った。夏に出た名古屋の対バンでは、終演後にもリオの間奏を真似していた客がいた。四人それぞれで呼ばれる仕事も増えた。


知らない会場へ入ることにも、前ほど緊張しなくなったつもりだった。けれど、今日の客席にいるのは初めて見る顔ばかりだ。


リオが前へ出るのに合わせて、ひよりも自分の位置へ踏み込んだ。反対側へ笑いかけるアンを横目に、さっき名前を呼ばれた方を探す。青いペンライトが大きく揺れるのを見つけると、歌い出そうとした口元まで緩んだ。


ナツの声が伸びる。そのあとを受けて、ひよりも歌った。さっき「はい」と返した相手へ、今度は歌を届けたかった。


*


『シュガー・ステップ』のイントロが流れた瞬間、客席の空気が変わった。


「あっ」


前の方で誰かが声を上げる。一人ではない。少し離れたところでも、腕が上がった。


ひよりが最初の動きへ入ると、客席でも何人かが身体を動かした。肩を返し、腕を出す。一歩踏んで戻る。


一人の女性が、スマートフォンをこちらへ向けたまま、空いている手だけで踊っていた。次の動きを知っている。ひよりが肩を返すより先に、女性の肩がそちらへ傾いた。


両腕を使うところで、女性が隣へ何か言った。返事を待ちきれないようにスマートフォンを友人へ押しつけ、空いた両手を上げる。


ひよりは笑ってしまった。スマートフォンが友人の手で一度揺れ、その横では女性が思いきり腕を動かしている。こんなところにも、自分の振付を身体で覚えている人がいる。


次の位置へ入りながら、その人へ顔を向けた。女性が何か叫んだが、歌声と重なり、言葉は分からなかった。


でも、両手がまた上がった。ひよりも振付の中で大きく腕を開く。友人に肩をぶつけた女性が慌てて場所を空け、二人で笑ったのが見えた。


*


最後の曲は『ここから!』だった。ナツが客席へマイクを向ける。


「まだ声出せるー?」


一拍遅れて、声が返った。ナツが笑う。


「遅い!」


客席から笑い声が起きた。


「もう一回!」


ナツが息を吸う。


「声出せるー?」


今度は早かった。しかも、さっきより大きい。アンが吹き出す。


「できんじゃん!」


歓声が重なった。曲が始まる。


サビへ入ると、ひよりは四人で作った短い振付を大きく踊った。最前列から腕が上がった。ひよりがその奥へ視線を送ると、少し遅れて後ろでも、横でも腕が上がっていた。


全部ではない。腕を組んで見ている人もいる。スマートフォンを向けている人もいる。曲を知らないらしく、隣へ何か聞いている人もいた。それでも、最初より多くの顔がこちらを向いている。


「もう一回!」


ひよりが客席へ腕を伸ばした。今度は何本も上がった。


前の方から、歌の終わりに重なる声が聞こえた。何と言っているかは聞き取れない。それでも、もう一度腕を上げるところでひときわ大きくなるので、ひよりもそこへ顔を向けた。


ナツの歌声が高くなるところで、ひよりは中央へ入るリオとすれ違った。身体を返して客席へ目を戻すと、さっきスマートフォンを預けた女性が、また両手で踊っている。隣の友人も、撮影を続けたまま空いている方の手を上げていた。


女性がそちらを見て笑い、二人の腕が並ぶ。ひよりはそれを見ながら歌った。自分が腕を伸ばすたび、向こうからも返ってくる。もう曲が終わるのに、さっきより手を伸ばしたくなった。


曲が終わった。四人が最後の形で止まる。一瞬遅れて、歓声が押し寄せた。


「Little Flare!」


「Natsu!」


「Ann!」


「Rio!」


「Mahiru!」


いろいろな声が混ざっている。一人の名前だけではなかった。ひよりは息を切らしながら、客席へ大きく手を振った。


*


「最初、コール遅かったね」


袖へ戻ってひよりが言うと、アンが呆れた顔をした。


「一発目の感想それ?」


「だって遅かったじゃん」


「初めてやった人もいるでしょ」


「でも二回目は合った」


「じゃあいいじゃん」


ナツがタオルで首を拭きながら笑った。


「私は返ってきただけでびっくりしたけど」


「私も」


リオがペットボトルを開ける。


「『シュガー・ステップ』だけじゃなくて、『ここから!』まで知ってる人もいたね」


「途中から覚えた人もいた」


ひよりが言った。


「分かるの?」


「見てたら分かるよ」


「また客ばっかり見てたんだ」


「ちゃんと踊ってたよ」


「それは知ってる」


アンはもうスマートフォンを見ていた。


「ほら。もう投稿されてる」


ひよりも覗き込むと、画面の中で自分たちが踊っていた。その向こうには、さっきまで目の前にあった客席まで映っている。自分が動くのを少し遅れて追いかける客の腕を、ひよりは見つめた。


「これ」


「何?」


「前は、こういうの画面で見てたじゃん」


「うん」


「今日、スマホ渡してるところ見た」


アンが顔を上げる。


「何それ」


「撮ってた人が、友達に渡して踊り始めたの。両手で」


「そこ見てたの?」


「見えるもん」


「それで?」


「最後は友達も片手で踊ってた。撮りながら」


「細か」


「二人で笑ってたよ」


アンは一度だけ動画へ目を戻した。


「私、その二人見てない」


「隣にいたじゃん」


「カメラ来てたから、そっち見てた。どの辺?」


ひよりは画面の端を指した。アンが動画を少し戻してくれたが、二人は映っていなかった。


「右の端にいたんだけど……この動画には入ってないね」


「あー、ないか」


アンは少し残念そうに動画を止めた。


「それ、私も見たかった」


「スマホ渡すとき、こうだったの」


ひよりは両手を前へ出し、慌てて友人へ押しつけていた女性の真似をした。すぐに腕を上げるところまでやると、アンが笑った。


「踊りたいのは分かったから、ちゃんと渡しなよ」


「私に言われても」


笑いながら、ひよりはもう一度客席のあった方を見た。二人の顔は、画面に映っていなくても思い出せた。


「はい、そこ!」


レイの声が飛んだ。


「次の出演者来るから着替える! いつまで動画見てんの!」


「はーい」


四人の返事が重なった。


*


帰国した週の金曜日、ナツは一人の歌の収録を終えて、練習場へ来た。


いつもより濃い化粧のまま、鞄を下ろして壁際へ座る。取り出した台本の角が、少し折れていた。


「ナツさん、今日のサビなんだけど――」


ひよりは立ちかけて、ナツの手元を見た。歌唱コーナーの出演者欄には、水瀬ナツとだけ書いてある。


「あ。その前に、どうだった?」


ナツが顔を上げた。


「収録?」


「うん。聞きたい」


ひよりが隣へ座り直すと、ナツは台本を膝へ広げた。歌詞の上にも下にも、鉛筆の書き込みがある。


「ここ、好きな曲を歌っていいって言われてたでしょ。結局、最初に出した曲にしたの」


「難しい方?」


リオが靴紐を結ぶ手を止めた。


「うん。リハで一回、声ひっくり返った」


「えっ」


「私が一番びっくりしたよ。立って歌うだけなのに、足まで固くなっちゃって」


ナツは笑いながら、台本の端を指で押さえた。折れた角が戻らず、もう一度伸ばす。


「でも、ピアノの人が待ってくれて。次は急がずに入れた。最後のところまで、全部自分で歌えたの」


話しているうちに、ナツの肩が上がった。思い出すように息を吸い、小さな声でサビの終わりをなぞる。いつもの曲より低いところから始まり、ひよりが終わりだと思った音の先へ、まだ声が続いた。


アンのスマートフォンが震えた。アンは画面を一度見て、脇へ伏せた。


「本番、それで歌えた?」


リオに聞かれ、ナツが頷く。


「うん。歌い終わったあと、ちょっと動けなかった。もう一回やりたいって思って」


「撮り直したの?」


「OK出たから、さすがに言わなかったよ」


ナツは台本を閉じかけたが、指を挟んだまま三人を見た。


「……楽しかった。すごく」


アンが膝を抱えた。


「いいなあ。あたしもそういうの欲しい」


「いいでしょ」


ナツが笑った。慰めるようなことは言わず、もう一度、歌ったところを開いた。


「ねえ、さっきの最後、もうちょっと聴きたい」


ひよりが言うと、ナツの顔がすぐこちらを向いた。


「そこ、向こうでも褒められた」


「じゃあ聴かせてよ」


「そんなに歌わせる? 今日、もう歌ってきたんだけど」


言いながら、ナツは背筋を伸ばした。ひよりも膝に置いていたタオルを脇へよける。


今度は、どこで終わるかを考えずに聴いた。横でリオの指が静かに拍を取り、ナツの声が消えたところで止まった。


「……いいね」


リオが言った。


ナツは笑ったまま台本へ目を落とし、しばらく返事をしなかった。


やがて顔を上げる。


「まだ、聞いてほしいことあるんだけど」


「着替えは?」


アンが壁の時計を指した。


「着替えながら話す。来て」


「聞くために移動するの?」


ナツは鞄を持って立ち上がった。ひよりは差し出された台本を受け取り、笑いながら後を追った。


*


九月の終わりのワンマンは、前より広い会場だった。最後の曲を歌い終え、四人で頭を下げた。


頭を下げたまま、ひよりは息を整えた。顔を上げると、後ろの客がまだ両手で拍手している。前のワンマンでは空いた床まで見えたのに、今日はさらに遠い壁際まで人が残っていた。


アンがマイクを上げた。


「後ろ、ちゃんと見えたー?」


前の方からも返事が来て、アンが笑った。


「前は分かってる! 後ろ!」


奥でいくつもの手が上がった。紫を振っていた人が、空いている手まで高く伸ばす。ひよりはそちらへ顔を向けた。表情まではよく見えない。それでも、その隣の赤い光も、一緒に大きく揺れているのが分かった。


「また来てね!」


声を張ると、ナツが横から笑った。


「マイク入ってるよ」


「知ってるよ!」


客席から笑いが起きた。ひよりも笑ったが、目は奥へ向けたままだった。あそこからも、今の顔が見えたのだろうか。マイクを持っていない方の手を頭の上まで上げると、壁際の手もまた動いた。


袖へ戻って水を飲んでいる間に、アンコールの声が始まった。聞き慣れた声が一つ抜け、その周りへ別の声が重なっていく。ひよりは飲みかけのボトルを下ろした。


「今日、声大きいね」


「人が増えたからね」


アンはそう答えたあと、自分も水を飲むのをやめた。前方の声だけでなく、遠いところから返る拍手も聞こえた。


リオがタオルを置いて、舞台へ戻る方へ身体を向ける。ひよりもボトルの蓋を締めた。次にあの奥を見るときは、もっと早く見つけたい。


*


その翌週、アルノアで今後の予定を確認する日があった。机の上には、いくつかの会場名と日付が並んでいる。ひよりは資料を見ても、名前だけでは大きさがよく分からない。アンはさっきからスマートフォンで一つずつ調べていた。


「ここ、前よりかなり大きいじゃん」


「だから候補なのよ」


佐伯が答える。


「今のあんたたちなら、次はこのくらいを考えてもいいってこと」


アンは画面をスクロールした。


「じゃあ、その次は?」


「気が早いわねえ」


「先の予定の話してるんでしょ?」


アルノアの担当者が笑った。


「このまま一段ずつ大きくしていけば、その先にもいろいろありますよ」


「例えば?」


「ほんっと食いつくわね」


佐伯が呆れる。アンは気にしていない。担当者が机の資料を揃えながら言った。


「例えば――日本武道館とか」


ひよりは顔を上げた。


武道館。


もちろん知っている。好きなアーティストのライブ映像でも見た。テレビでも何度も見た。けれど、自分が立つ場所として考えたことはなかった。


「いつ?」


アンが即座に聞いた。ナツが横を見る。


「早っ」


「だって聞きたいじゃん」


担当者は少し考えた。


「普通に会場を押さえるなら、かなり先ですね」


「かなりって?」


「今からなら、現実的には三年くらいになると思います」


アンの顔が止まった。


「三年?」


「大きい会場は、かなり先まで予定が入っていますから」


「長っ」


「アン」


「だって三年だよ?」


リオは資料を見たまま言った。


「でも、今すぐって感じでもないでしょ」


「そうだけど」


アンは口を尖らせた。ナツが笑う。


「三年あったら、その間にもっといろいろできるよ」


「三年かあ」


アンが椅子へ背中を預ける。ひよりも、小さく繰り返した。


「三年後」


口にすると、急に遠く感じた。三年分の水曜日。三年分の金曜日。三年分の週末。


武道館。満員の客席。考えてみても、まだ輪郭が出てこない。


「まひる?」


ナツに呼ばれた。


「何?」


「ぼーっとしてる」


「三年後考えてた」


「分かった?」


「全然」


アンが笑う。


「考えた意味ないじゃん」


「だって見えないし」


「そりゃ三年後だからね」


その話は、そこで終わった。今日決めることではない。それでも帰り道まで、ひよりの頭には「三年」という言葉が残っていた。


*


数日後の金曜日。いつもの練習場に『ここから!』が流れていた。海外へ行って、テレビに出て、武道館という名前まで聞くようになっても、鏡も床も変わらない。四人で踊れば、ずれたところは普通にずれる。


「まひる、そこ早い」


リオが言った。ひよりは一歩戻る。


「合ってない?」


「私より先に入ってる」


「ほぼ同時じゃない?」


「先」


「ほんのちょっとでしょ」


「ちょっとでも先」


ひよりは口を閉じた。まだ納得できない。鏡の中で、自分とリオが入る瞬間を頭の中でもう一度重ねる。


「……もう一回やって」


「いいよ」


二人で同じところだけ動く。ひよりが入る。その半拍にも満たないあと、リオが入った。


「あ」


「ね?」


ひよりは少し黙った。


「……ほんとだ」


「でしょ」


「次、合わせる」


アンが鏡越しにこちらを見る。


「今日は素直じゃん」


「いつも素直だけど」


「それはない」


「アンに言われたくない」


「何であたし」


「はい、そこまで」


ナツが手を叩いた。


「もう一回。今度は四人で合わせよ」


「分かった」


ひよりは位置へ戻った。音を戻そうとしたところで、扉が開いた。


「ちょっと止めて」


レイだった。ナツが音を止める。


「どうしたの?」


レイの後ろから、佐伯も入ってきた。二人とも、いつもの練習を見に来た顔ではなかった。アンが壁際に置いていたスマートフォンを取る。


「何?」


佐伯が四人を見た。


「武道館」


アンの手が止まる。


「何が?」


「キャンセルが出たの」


誰も動かなかった。


数日前に聞いたばかりの名前だった。三年後。まだ形も見えない場所。


リオが先に口を開いた。


「いつですか?」


佐伯が答える。


「来年。二月の初め」


アンが顔を上げた。


「……三年後じゃなくて?」


「今なら」


佐伯は四人を見た。


「来年よ」

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