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プロローグ

 緑なす沃野(よくや)のザクシュバルトに聖女『候補』が現れたという噂は、たちまち大陸全土に広まった。

 それも無理はなかった。今や伝説の存在といえる先代聖女が没してから、まもなく千年が過ぎようとしている。

 待望される次代の聖女はそれでも未だ現れず、その長き空白の間に二つの大陸が悪魔の手に落ちてしまったからである。

 人類の勢力範囲は日増しに狭まり、民衆の不安は高まる一方。それでも(すが)るべき聖女の座が未だ空位となれば、その『候補』が見つかっただけでも十分に祝祭(しゅくさい)に値する慶事(けいじ)といえた。


 たとえ聖女候補と呼ばれる存在がおよそ10年に1人ほど、世界のどこかで見つかるとしても。

 そして周囲の期待も虚しく、その称号をひっそりと剥奪されてきたのだとしても……。

 

 青銅暦(せいどうれき)8172年。ザクシュバルト王国の商都ドローデンにて「発見」された聖女候補の名は、リタ。

 リタ・ベレニース。

 当時まだ10歳になったばかりの、ごくありふれた少女であった。


 ――しかし。

 そんな世間の人々の期待も、国を挙げてのお祭り騒ぎも、その頃ドローデンの裏路地にいたアゼルにとってはほとんど関係がない出来事だった。

 なぜならその頃のアゼルは既に、みなし子の身の上だったから。

 おまけにアゼルは亜人(あじん)だった。街には教会が運営する立派な孤児院があったが、亜人である彼の前にその門は冷たく閉ざされていた。

 身体のどこかに獣と同じ特徴を有する亜人は、数多の人種や異国人が闊歩(かっぽ)する商都においても未だ根強い差別の対象だったのだ。

 亜人の子供で、しかも親がいないとくれば、ドローデンにおいては社会の最底辺といえる。

 明日をも知れぬ身の上であり、選べる末路といえば野垂れ死にか、犯罪者になるかの二択しかない。

 それも結局はあえなく捕まり、縛り首という最期が待つだけ。

 彼は世間の人々がもてはやす聖女候補の少女とは、比べるべくもない存在だった。


 ……ただ、それでも彼が生まれ育った街で聖女候補が見つかったことは、この少年アゼルにとってまったく無関係な出来事という訳でもなかった。


 なぜならリタ・ベレニースはアゼルにとって、幼馴染と呼び得る存在だったから。


 下町の路地で一緒に遊んだこともある彼女が瞬く間に遠い存在となり、互いの境遇や関係性が目まぐるしく変化していくのをアゼルは、まるで絵物語でも見るような気分で眺めていた。

 

 ――そしてそれから、3年が過ぎた。

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