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長良川の戦い~新たな能力(ちから)への目覚め:肆の幕

ようやく

長良川の戦い~新たな能力ちからへの目覚め:肆の幕

にて、長良川の戦いが終わります。

斎藤義龍が一色左京大夫義龍と名乗った理由も最後の方でわかります。



天文19年(1550年)4月某日




━━平手 右京大夫 政秀 齢57【見目年齢40】 美濃国 鷺山城 ━━


 いやぁ~面白いほど効果が出た。住民達がが逃げ惑う中、降伏を促す使者と流言飛語も流し……、


「親殺しの義龍に従い亡びるか、降伏し今までの生活を送れる様にするか」

「此方に付けば、領地は多少減らすが、安堵はしてやる」

「織田家からの援軍も準備が整い、此方に向かってきている。死にたくなくば降伏せよ」


 と選択肢を住民達と家臣達に突き付けたのだが、連日連夜繰り返し昼間は電磁投射砲イルギューふを撃ち込み、夜には回転弾装炸薬式杭打機リボルビングステイクの炸薬音で、眠れぬ夜と何時自分たちに撃ち込まれるのかと、恐怖心を煽りに煽った上で流言飛語、離間計、降伏勧告を行った結果w


「降伏しない一色義龍を倒せ!」

「父殺しを国主として信頼できない!」

「織田家の蹂躙が始まる。降伏して国主の首を差し出せ!」


 と言う一揆状態にまで発展した。


 降伏の使者?うむ、来る際に足元ギリギリに電磁投射砲打ち込んでるから、使者の方も何時見えない攻撃で吹き飛ばされるか戦々恐々【恐れおびえているの意味の方】な状態に陥っていて、鷲山までたどり着けない状態だwしかも鷲山周辺には落とし穴や虎鋏なども設置してあるので、そうそう来ることは出来ない。

 住民達もそんな使者を見て、石などを投げる始末だ。こちらからの降伏を促す使者、出してやった方が良いかのぉ~?【自分のやっている事は棚上げであるw】


「住民達に申す!儂の名は平手右京大夫政秀、汝らに降伏を勧めに来た!一色義龍とその息、龍興を捕らえ連れてくる事!降伏し片方だけ捕らえ連れてくれば、初年は税を免除、次年は三公七民、三年目からは四公六民とする。降伏し両名連れてくれば、初年から二年目は無税、三年目は三公七民、四年目からは四公六民とする事を、この平手右京大夫政秀の名に置いて、保証させて貰おう!」


 さて、どうなるあろうの?初年から二年目の年貢が無税の両名捕らえる方に動くではあろうが、そう簡単に捕らえられはせんであろうな。実際は織田の援軍なぞ来ないから、稲葉山城から尾張側を監視されると援軍は存在しない頃がバレてしまうからの~、ヒヤヒヤするわい。


 金華山の麓の屋敷に詰めていた武将達は流言飛語などを払拭するのに走ってはいたが、連日の砲撃と音で参っている住民達の説得や慰撫を行っていたが、住民達にとっては「いつ自分達に被害が出るのか」と言う、恐怖感の方が優っていたのである。



捉えられたのは義龍のみだった。


「おや、義龍殿?息の龍興殿はどうした?」

「龍興なら、3日ほど前の夜更け過ぎに、降伏の使者として尾張に向かわせたわ!」


 あ、尾張に向かわせたのね。命の保証だけはしてあげるか。

 そして金華山の麓の屋敷にて、道三と政秀と義龍との会談が行われていた。


「3日前の夜更け過ぎか……、早馬でじゃろうし向こうに着いておる頃であろうなぁ……チッ、仕留めきれんかったか……」

「今舌打ちしやがったたか、ジジイ!」

「ん?聞こえたか?あ、聞いておきたい事あるんじゃが……良いかな?」

「無視かよ!何を聞きたいと言うんだ」


 と、道三殿の方を気にしながら、ある一言を述べた。


「義龍殿、ほかの兄弟は如何致した?」


 他の兄弟とは、孫四郎まごしろう喜平次きへいじ利堯としたか利治としはるの4人で、本来の歴史では孫四郎まごしろう喜平次きへいじの二人は義龍の策によって殺されている。こちらの歴史では生きているのだろうか?


「兄弟?この義龍に兄弟などおらん!」

「道三殿?」


 と、顔を向けて見たのだが……、


「名を変えた際に、決別したということであろう。あの時儂らが鷲山に、たどり着いた頃には……」


 そう道三殿が、言葉にすると義龍は口角を上げニヤリと笑い、


孫四郎まごしろう喜平次きへいじは取れたが、利堯としたかは、あの場にはいなかったから無理だった。利治としはるはそこの爺さんが作った、尾張の学校とやらに居るから手も出せん。これで満足か」

「あぁ、聞きたい事は聞けたからの。よろしいか、道三殿……?」

「……やってくれ」



 そして、天文19年(1550年)5月11日、史実での語られる義龍の死没、永禄4年5月11日(1561年6月23日)よりも11年早い死を迎えるのであった。


 その後の戦後処理にて、関係各所を調べ尽くし天井裏や床下等も調べ上げた。調べ上げた上で幾枚かの書状が出てきた。その中には足利義藤の書状も有り、一色氏を称することを許され足利幕府相伴衆に列せられる用に書かれた書状が発見された。稲葉山とにらみ合いしている間に、どうやら室町幕府第12代将軍、足利義晴がお亡くなりになったようだ。


 つまりこの書状は13代将軍として発せられた御内書ごないしょと言えような。まあそれとなく監視はし、おとなしくしていると思えば、このような事をしていたとは……、保護していると言うに、仇で返してくるとは参るわい。この書状を見逃した奴は、厳罰決定じゃな。

【現在、足利家は12代将軍義晴以外は尾張に逃げてきています。】

 学校生徒の個人面談でもしてみるかの~、なんぞ学校の教師からは、金勘定が美味い者がいると言っておるのも聞いたし、どのような者か会ってみるか。






ようやく

長良川の戦い~新たな能力ちからへの目覚め:肆の幕

は終わりです。


義龍は史実よりも早い死没です。

斎藤龍興は義龍の機転?で生き残る形になりました。


問題は13代将軍の発した御内書……これは次話以降になると思いますw


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