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長良川の戦い~新たな能力(ちから)への目覚め:壱の幕

タイトルが……

しっくりくるタイトルが思いつかず……

上げるのに時間がとられました……


あ、途中で本がんj……おっとこれは先の話に繋がるから駄目だw




天文19年(1550年)1月某日


━━平手 右京大夫 政秀 齢57【見目年齢40】 山城国 四条大宮屋敷━━




 『山科大津用水』の測量で不備が出たと言う、知らせが届いたので調べてみると、一部の測量機材が目視のみによる確認や、一部の機材に歪み等の不具合が見つかったため、『尾張おわり物造ぶつぞう技術局ぎじゅつきょく』から取り寄せた『水平器』や『方位磁針コンパス』、『ノギス』や5cm目盛の刻まれた『2メートル尺』等を取り寄せ測量に使わせた。後は透明度の高い硝子が製作出来たので、其れを使った『望遠鏡』も使用することにした。

 機密保持のため、 にしか使用させぬように禁則事項に加えておいた。

 山科から大谷へ水路を通し、大谷から大津淡海へと水路を延ばし、淡海の湖水を引き入れる前に、三和土をふんだんに使った大橋を設置もした。水路の幅や深さもメートル法で統一し、幅を5mで堀深さは中央1mを深さ5m、両端1mの部分を深さ1m、その間を深さ3mとした。掘った際に出来た土砂は両端の堤防として利用することになっている。


「5年工期と計画しておったが、思ったよりも早くできそうじゃなwこれで、洪水被害が減ってくれれば良いのだが……」


 適度の休日と賃金に食事が出ると言うだけで、工期短縮得きるのは有難いことだ。


 種子島で……した南蛮人達から入手した火縄銃に関しての話を少し上げておこうか。現在としては十分使用可能な量を確保できたので、他国への輸出制限を解除することになったのだが、とは言え物が物じゃ!

 輸出先は毛利尼子同盟、武田家、長宗我部家じゃが……どうも長宗我部毛は独自にマスケット銃っぽいものを製造しとるらしい。武田家は頭の固い連中が多いらしいので、信之殿の方にだけ回すように調整している。途中でピンハネされぬように、北条にも幾つか売らんとなぁ~。


 今年は家族揃って、京の屋敷にて過ごす形になった。その京の都も区画整備が進み、御土居堀も南側と西側を優先して造り、都に住む者達も、「これで争いから免れやすくなる」と心安くなっているようだ。

 ん、東側はどうしたかじゃと?鴨川を整備して堀としての役割も果たして貰っておるので、ある程度は安心できるのじゃよwましてや、現在は1月……この時期に京に攻めてあがる輩は、もれなく朝敵認定されると思って良い。【されると言うよりも、する!この世界での現状ではw】


 本願寺一向宗の高田派に連絡を取り、山科にて寺院を建てる事を許可する書状を送ることになった。【現在の、勧修寺公園辺り】

 おもに一揆を煽っているのは本願寺派であって高田派では無いことが、忍びの調べ【そういうことにしておいて】により分かり、『高田派は本願寺派とは違う』と言うことを明文化され事で、諸手を挙げて喜びを表したそうだ。

 高田派の尭慧ぎょうえ殿がすごく喜んでいた。飛鳥井殿を通してだがな。尭慧ぎょうえ殿は飛鳥井雅綱殿の息子らしい。本願寺派と同じ一向宗とはいえ、子が戦に巻き込まれなくてよかったと安堵の表情をしておった。


 だが本願寺派と高田派には同じ書状を送っておいた。尭慧ぎょうえ殿経由でじゃがな。


「こちらが独自に調査した結果と、まず書かせて貰おう。

 ここ最近起こっている、

 一向宗の一揆勢のほとんどが本願寺派の扇動であることが分かった次第である。

 一方、高田派は一揆という武力に寄る訴えではなく、『親鸞上人の教え』を説き

 一向宗を認めて貰おうと努力していた事がわかった。

 故に織田家家臣、伊賀国大名、平手右京大夫政秀の名に置いて山科の地にて、

 山科本願寺の再建を高田派に許可するものである。

 尚、山科本願寺再建後に武力による蜂起を起こした場合、

 救いようの無い愚か者共として、一向宗門徒総出を根切りにする物である。

                   天文19年1月 平手右京大夫政秀」


 ちなみにこの書状は、『活字印刷』で『木版原盤』を造り『木版印刷』を行った物になる。まあ、原盤を造るのが大変じゃがな。尾張では『加圧式水揚げポンプ』の改良した物が出来たと知らせが来たが、向こうに戻ってから見ることにしよう。


 まあ、書状に関して簡単に言うと『どちらかでも武力で暴れたら、連帯責任だぞw』と、脅しをかけたわけじゃw『一揆を起こして暴れなければ何もしないよ』という事である。高田派は尭慧ぎょうえ殿から飛鳥井殿を通し、『それで大丈夫です』と連絡を受け取ったのだが、本願寺派はと言うと……。


 


天文19年(1550年)1月某日


━━本願寺証如 齢36歳 摂津国 石山本願寺━━



 くっ、山科の本願寺が再建されるのは、嬉しい限りだが高田派の者達が管理する事になるとは……。だが加賀国で空堀や柵などを備える城造りの寺院『尾山御坊(金沢御堂)』が建立出来た。四方を堀【大手堀、いもり堀、百間堀ひゃっけんぼり白鳥堀はくちょうぼりの事】で囲みもした。柵も二重にし頑強には出来た。この石山が早々に落ちるとは思えぬが、何時でも蜂起出来るように準備だけは重ねておくとするか。

 この書状を送り付けてきた平手右京大夫の事だ、願正寺には悪いが、いざという時は服部左京達にも罪を被って貰うとしよう。長島を潰された恨みと称してな。




天文19年(1550年)3月某日


━━平手 右京大夫 政秀 齢57【見目年齢40】 山城国 四条大宮屋敷━━


 美濃の道三殿より書状が来た。

「息、新九郎義龍に家督を相続させる。もし宜しければ立会いして貰えない?」と、書状には書かれていたので、立会いさせて貰う旨を書いて送った。

 やっぱりお祝いの品とかいるよな?太刀や槍の穂先とかが喜ばれるか?あとは澄み酒と硝子杯が良いかもしれんな。確か史実より4年ほど早い相続になるのか……。

 村正に書状を書き、太刀に槍の穂先の製作の依頼書を出して、酒と杯の手配もせんといかんな。



 天文19年(1550年)4月、晴れ晴れとした雲一辺もない青空が広がる稲葉山城にて、斎藤新九郎義龍の家督相続の立会いに、手土産を持って出席した。

 そして、斎藤新九郎義龍の家督相続の立会いの場で言い放った、『ある一言』で美濃の分裂を起こすのであった。


「我、斎藤新九郎義龍はこれより!一色左京大夫義龍と名乗り、天下に覇を唱えさせてもらう!そこにいる耄者おいぼれ共を捉え、まずは尾張を手中に治める。」


 そして美濃と尾張の両国との、長きに渡る戦が始まるのであった。



えぇ~サブタイが「壱の幕」となっております。

作者の中では次の「弐の幕」で政秀さんのほぼ最終決定稿にしようと考えている

能力の一覧をだそうと思っています。


まあ、一部「おいおい、それ入れちゃ不味いだろう。」「え?そのルビで使っちゃう?」

というのもあります。

だが後悔はしないw後悔すると、先に進めなくなりそうですしねw


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