密談~近江騒乱~三家への対応
以外に早く上げること出来ましたw
サブタイに書かれているように3つに?分かれてます。
密談は信秀視点
残り二つは政秀さん視点になります。
そういえば最近まともに会話な文章入れてないような気が……
まあ、その時はその時でw
天文18年(1549年)7月某日
━━━━織田信秀 山城国〇〇〇邸━━━━
山城国は京の都のある邸宅にて、とある公家と信秀が秘密裏に会談を行なっていたのであった。
「おぉ、よう来た。よう来てくれたw」
「お初にお目にかかります。尾張国大名、織田信秀と申します。この度は……」
と、挨拶も途中に「よいよい、早速本題に入ろう」と言われた。
「実はその方の配下におる民部大輔の事でなw」
「はっ、平手民部の事でございますな。」
「平手民部が官位の打診をしても、頑なに受けてくれんでの。これを受けると織田家に対しての下克上になると云うてな。」
と、ホトホト困り果てた顔を見せた。
「官位を受けない?受けると織田家に対し下克上になる!?」
「そうじゃ、己が仕える主よりも官位が高くなる事を問題にしての……」
「なるほど、官位が仕えている家よりも上になる故、下克上になると述べたのでございましょう。」
彼奴の性格を考えると、取りそうな行動だな。そしてこれ以上、公家衆に煩わされたくないというのもあるのだろうな。だが、此方を立ててくれている気持ちはうれしく思えるな。
「どうにか受けて貰う方向にならんかの?」
何か上手く官位を受けて貰う方法は無いかと尋ねられたので、
「ならば、散位にて私の位階だけを上げたうえで、平手民部の位階を上げるというのはいかがでしょう?さすれば主家の位階も上がっているのですから、受けやすくなるのでは……」
「なるほど!そのような手立てがあるか。良き知恵を出してくれた、礼を言うぞw」
「では、そのように……」
「よろしく頼むぞw」
彼奴も、もう少し欲をかいて良いと思うのだが、今度酒でも共に飲んだ際に聞いてみるか。
天文18年(1549年)9月某日
━━━━平手政秀 57【見目年齢37】 山城国 四条大宮屋敷━━━━
近江争乱の報が近隣の大名に届いた。
六角家の『六角定頼・義賢』親子と浅井家の『浅井久政』が、近江坂田郡で小規模ながらぶつかったらしいと、報告が上がった。暑い中ご苦労なこったw
坂田群の領主である京極家当主『京極高吉』が六角家に攻め込まれ浅井家に泣きついた形だ。
彼処には、今浜港が有るからな。抑えることが出来たら近江の商圏を抑えることに繋がる。さらに北近江の国人衆と六角家が繋がっているらしいとも。
高島郡の国人衆も朽木家以外が六角家に付き、朽木に千、浅井に二千の兵を向けたと知らせが来た。二千の兵は賤ヶ岳を越えた辺りで、浅井家の『赤尾清綱』『磯野員昌』によって侵攻を塞がれ撤退する形になった。
浅井家と六角家の争いは、兵力の差と奇襲に近い侵攻で六角家に軍配が上がり、横山城辺りまで占領されたらしい。喉元に刃物と言う状態だ。
高島越中を中心とした国人衆は、朽木と浅井に攻め込んだのだが、石高から言えば五百出せれば良いはず。それが両面合わせて三千の兵共なると、どうしても釣り合わない。六角家が人員を割き、淡海を渡り対岸からも攻め込んだと取れよう。
朽木側に攻めてきた約千の兵は、安曇川と入り組んだ地形の利用法を書状で認めて、「戦準備を怠らぬように」と朽木晴綱殿に送っておいたので危なくもなく撃退できた、今回は無事生還できたようじゃ。
来年辺りは、儂も力添えした方が良さそうじゃな。その際には、滋賀郡の伊香立途中辺りに陣屋か砦を用意しておくべきじゃろうな。
でも待てよ……、『途中越え』って道通ってたのか?あと『花折峠』という場所もその先にあったよな?じゃが通ってないと『鯖街道』とは言われんしな。いや、いっそ淡海側とも繋いで、宿場を作るのも……、其れは滋賀郡が織田領になったらじゃな。
そこら辺の街道整備に関しても朽木晴綱殿とは連絡を密にせんとな。浅井家ともこっそり密約でも交わしておくか。
天文18年(1549年)10月某日
━━平手 右京大夫 政秀 57【見目年齢40】 山城国 四条大宮屋敷━━
ようやく公家達話し合いの際、即位礼、大嘗祭、新嘗祭、相嘗祭等の行う日時が決まったようだ。
それぞれを一年内に一度に行うのでは無く、数年かけ分けて行うという話になったそうだ。関連する資料が一部散逸していて、探し出すのに時間がかかったらしい。
まあ資金の方も粗方……こちらが出す形だが、桑名などの禁裏御領が幾つか戻ってきた事で、行事に関わる金子を朝廷も幾らか出せるようになったので、対外に対し『朝廷も力が戻ってきたんだぞ』と見せつけることが出来るとも聞かされた。
なにせ桑名と遠江半国分の税収でじゃしな。
織田家が朝廷重視策を取っていた成果もあってか【大半が儂のせいだけど】織田家と言うよりも信秀様に対し『贈正四位』と破格とも言える『屋形号』が与えられ、これ以上は官位を上げたくないのに、儂には従四位下の官位『右京大夫』が与えられた。
朝廷の私兵として織田家を囲い込むつもりなのか、信長様には『尾張守』が与えられた。どう見ても囲い込みに来ているとしか思えんな。
あ、『屋形号』を戴いた信秀様から、ある言葉を賜った。
「伊賀、そして現在行っている南近江の切り取り地を所領として与える。織田家に使える服属大名と言う呈で今後も仕えるように」
と言ってきた!?あの~信秀様……、いや御屋形様や!仕えてくれる家臣は如何しろと!?
伊賀の国人衆を譜代家臣に取り立てれば良い!って、簡単に言いますがね……って御屋形様!信秀様、話聞いてます!?
南近江の切り取り地って言いますがね、まだ切り取ってすら無いですからね!聞いてます?ねぇ、ちょっと?聞いてるんですか!
まさか三人目の妻を織田家【信秀の妹】から娶らされたのは、これの布石だったのかと疑いたくなった、政秀であった。
そして思いっきり計画しておいて実行を忘れたことがある。
日本を己が神に献上した不逞の輩『ザビエルの日本上陸阻止』はもう無理として、『布教阻止』と『暗殺』を……、今から言っても間に合わんだろうしな……、毛利の嬢ちゃんに書状出してザビエル暗殺やってもらおうかのw
殺って貰うからには……というより、殺って貰えるかが問題じゃな。『世鬼の鬼』と言われる者達は、色々と手ごわいらしいからな。
時期的には、鹿児島には上陸済みだろうしな。翌年の天文19年(1550年)には、現在で言う山口県で布教をするらしいしの……。
いや、殺って貰う以前にザビエルに『腐教活動』とかやりそうだな。『腐教を認めないと、布教させないぞ』とか言いながら……。
やっぱりそれなりの交換条件とかいるんじゃろうな。『摂津国』か『和泉国』のどちらかでの年に1~2回の『腐本の即売会』の許可状辺りが、条件になりそうで怖いの……。紙媒体物だから、和紙の需要増えそうじゃろうなぁ~。
いっそ堺港で『腐本の即売会』遣らせるか。堺の商人共は商売としては旨味が有るであろうが、別の意味では困り果てたことになるであろうなw
後は御嬢に書状が無事に届けば良いんじゃが……、内容見れば喜ぶかも知れんが、他の者に見つかると燃やされることは確実であろうな。あと手元に渡ったとしても、文章の改竄とかされてそうだ……それと「このような許可状を送らないでくれ」との苦情も来そうだ。
あ、そうじゃ武田家にも信之殿に『上野介』の官位が貰えるように取り計らったと『米と塩』を贈ると共に書状に認めて送っておこう。
信之殿の事じゃし、『硝石造り』は行って居るじゃろう。鉄砲も『甲斐への進物とは別口』で年明け過ぎには、届くように調整しておくか。信濃経由だと争いに巻き込まれるだろうから、相模北条を経由して、上野まで送れば届くであろう。
……あれ?信之殿に官位贈ると、織田家は『信之殿を武田家の次代として後押ししますよ』とならんか?ちょっと不味くね?いや不味いな、かなり不味い事になる!『平手右京大夫の名』で贈ることにするか。織田家だと流石に不味い。
えぇ~っと、後は長宗我部家か。土佐が琉球貿易の中継点になって居るからな。東海の産物と琉球の産物が貿易品として土佐に上がることになるから、資金も増えやすいじゃろう。
今後も良い貿易相手になれば助かるの。今度の交易品の中に、『砂糖』や『薬草』類を入れておいて、医療品として、売ってみるか。
鉄砲や大砲はどうするかの?なんか独自のを造っていそうな予感がするしの……、そこは触れずに交易品関連だけに留めておくか。
貿易船を襲われないように、志摩と熊野の海賊共は一度占めておく方がいいじゃろうな。
いやぁ~人間追い込む(追い詰められる?)と意外と頑張れるものなんですねwww
タグ付けたことで(付けちゃった事で)約1週間?ぐらいで書いちゃいましたのでw
といっても3000字半ば程度ですけどね。
三家への対応の部分の文章で「日本を己が神に献上した不逞の輩」とありますが、
ウィキ等を見ますと……以下Wikipediaより
「一行は明の上川島(英語版)(広東省江門市台山)を経由し、
ヤジロウの案内でまずは薩摩半島の坊津に上陸、
その後許しを得て、1549年(天文18年)8月15日に現在の鹿児島市祇園之洲町に来着した。
この日はカトリックの聖母被昇天の祝日にあたるため、ザビエルは日本を聖母マリアに捧げた。 」
とあります。
簡単に書きますと「勝手にその国に住む人を蔑ろに、その国人たちの住む国を己の信じる神に献上した」
とも受け取れます。
実際宣教師の通った跡には、コンキスタドール【征服者】達に夜植民地支配が行われましたからね。
別に私自身が宗教戦争をしようとか思っているのではなく、そのように受け取れると言う一見解であります。
ですので「日本を己が神に献上した不逞の輩『ザビエルの日本上陸阻止』」という文は、私のその見解から思った文でもあります。




