美濃の動乱 そして厄介な方達……
意外と早く上げることができましたw
今回はタイトル通りと言いたいのですが
『美濃の動乱』は前半の1/3ぐらいで『そして厄介な方々』が残りといった具合でしょうか。
中盤辺りで、日本戦国時代史で厄介者扱いを受けている方達が出てきます。
天文17年(1548年) 9月某日
━━━━平手政秀 齢56【見目年齢35】 遠江国 天竜川━━━━
天竜川の戦いがあって暫くして分かったことである。美濃でも争いが有ったようじゃ。西美濃の斉藤家派、東美濃の土岐家派と別れ美濃国内で争いが起こった。
最終的には西美濃勢が勝利を収めた様だが、やはり手痛い状態のようだ。織田家の兵力が遠江に集中しては居たが、尾張に飛び火することは無かったようだ。
その中でも一番の驚きは明智家が「我が家は中立を保たせてもらうと」各陣営に書状を思ったことだ。斉藤家派に着いているはずなのだが、血筋では土岐家派に辺る為に、どちらにも着かず織田家にも書状を寄こし、「国境沿いで睨めっこしませんか?」と……。
流石、明智家!そうすることで織田家からの侵攻を防いでますよと、周りに見せるとはw「中立勢を集めて睨めっこと行こう」と、書状を送り返しておいた。
そんなに兵力は出せぬのだがな。
そうして西美濃勢が東美濃勢を抑えた事で、東美濃の遠山七家だけで無く、斉藤龍興の派閥に所属するはずであった『斎藤飛騨守』や『長井道利』『岸信周』達も討たれ、派閥を作り佞言をすることも出来なくなったと言うことだ。
今回の内乱?とも言えない身内同士【美濃国内】の争い。どうやら飛騨方面から越前に繋がる道が在るらしく、朝倉家の強行偵察兵が幾らか居たらしい。
どちらにも着かずの中立勢は北と南に、対朝倉と対織田に別れて自分たちは仕事してますよと言外に見せていた。対朝倉の方で小競り合いはあったみたいだが……
まあ、織田家は斎藤家と同盟【形だけ?】組んでるから、北は気にしなくても良かったのが助かったんじゃよなぁ~。念の為、家の伊賀者達にそこら辺は調べさせるか。漁夫の利を狙って兵を入れ込むわけにもいかんしな。
そして、道三殿から国内が落ち着いたら、息子の新九郎義龍に家督を譲る旨が書状にて届いた。此方の知る歴史とは大分変わったと言うよりも、改変した感があるが、これも生き残るためだと割り切ることとしよう。
尾張の『物造り技術局』にて、義手は無理だと考えて義足だけでもと、紙より多少厚めにと薄く引き延ばした銅板を失った左膝下に当て、木鎚で叩き型を合わせ造り、磨り減りも考慮して長さを右足よりも半寸長く制作した。しばらくはリハビリ生活じゃな。
リハビリを終えて美濃国内の街道が整えられたら、飛騨の下呂に夫婦で行くのも良いなwもちろん温泉にじゃw簡単な整備もして近隣住民に宿場として、発展させるように促すとしよう。
ん?それなら夫婦で行くことは無いだろうって?其処はもちろん、夫婦で温泉に浸かり夜は……グフフw
そして何よりの驚きは、室町幕府十三代将軍と為るはずの、『足利義輝』こと『足利義藤』が尾張に来たことだ。年齢的には、将軍宣下を父である十二代将軍の義晴から受けたはずなのだが、なぜ近江や朽木では無く尾張に来たのであろうか?幕府内の争いには巻き込まないで欲しいのだがなぁ~。
何でも近隣で力のある大名と言えるのが、織田家だったという理由だった。あぁ~、これは儂の自業自得な面が強いな……だとしても、此方に来るよりも朽木谷に行ってくれ……あそこには岩神館だったか?公方御用達の館があるじゃろい!
さらに13代殿以外にも厄介な人物が3名も一緒に来ていた……。母親の慶寿院様、弟で末の子の周暠、興福寺の一乗院に入っていた足利義昭こと、一乗院覚慶とまあ……、これで父親の義晴も居たら役満確定じゃないか?
流石に天竜川での戦が終わったばかりで、刻がそれほど経ってはおらぬので「兵は出せない」と伝えたのだが、それでも諦める様子が無い……。取り敢えず、名古屋と清須に館を持たれると色々と厄介なので、小京都に成りつつある遠京に移って貰うことにした。
それでも駄々を捏ねようとする義藤君には、配下の鍛治衆を纏めて貰っている、村正の打った打刀と穂先を用意し、其れを進物にご機嫌を取ることにした。付け加え、「そこからなら甲斐源氏の武田家とも、文を取りやすいですし、連携出来うるかもしれませんよ」と囁くと、「その手があったか」とばかりに目を輝かせ遠京に向かって行くように意識を向けさせた。
ただし向かったのは、母親の慶寿院様と弟の周暠殿だけで、残りの二人は尾張名古屋学校の修学寮にて寝泊まりし、自分達に足りない知識を学びたいのだそうだ……チッ!まあ良い、手紙等に関しては全て監査対象とさせて貰うがな。
『織田家と平手家を討つべし』と各国に書状を出されても困るからな~、力ある処に寄生した上で、その力を使って内側からも崩壊させるのが、お家芸だからなぁ~足利家は……。
よし、ほか御二方は遠京に向かったな?幾人かの下男下女と、慶寿院様の世話役としての女中、奥女中も身辺に入れさせるか。慶寿院様も何しでかすか判らんからな……。
さて、可愛い子供達に会いに行ってくるかの~w葵との間に出来た子には『亀寿丸』と名付け、佑との間に出来た子には『万千代』と名付けた。
万千代は武芸の方に伸びがある、亀寿丸はその反対で内政の方に伸びがあるように思えた。何故かって?儂に強請ってくる物が物なんじゃもんよ~!亀寿丸は京で編纂した書物群の写本や兵書等を欲しがるし……しまいにゃ亀寿丸は、平手家の家計簿【の様な物と思ってください】にまで手を出そうとしてくる!?仕事場には近づけさせる事は出来んわい。
万千代は太刀や大槍を欲しがってくるし、史実の方では有名な『井伊直政』の幼名を付けた訳だが、実際まだ生まれてすら居ないんだよなぁ~。可愛い子等に怪我されても困るので、太刀や大槍などの武器は蔵に鍵を掛けて仕舞い込んである。
蔵の鍵は首から下げている。息子達には、簡単には取られはしないだろうが用心はせんとな。
さらに子供関連での大問題、三河の松平家の嫡子として生まれた『松平竹千代』ちゃん。『くん』では無く、『ちゃん』だ! なんと女の子として生まれておる。
これは、他でも影響出てるんじゃないかの?
一応?松平家の嫡子ではあるが、下手な家の者と婚姻を結ばせることも出来んしな。うーん、年の近い儂の子と婚姻させ、松平家を安定させるのが楽な方法かの~?
いっそ三郎様【信長】と婚姻させる方が安全かのぉ~。
そして見た目に関して周りから問われた!まあ当然じゃよなぁ~。言い訳としては、「薬草園の薬草をとある配合比率で、毎朝飲んで三食しっかり食べ運動をして寝たら、このようになってました」と、苦しい言い訳をしたんじゃが、何故か信じられてしまった。
「配合比率を教えよ!」と奥方衆に問い詰められたが、「個人によって違うので、ご自分でお確かめください」と答えると挙って薬草園内の薬草の効能を調べるという状態に!
女性はいつまでも若く在りたいのだ、と言うのを魅せられた一幕であった。
はぁ~なんでこう……のんびりとまったりと出来んのじゃろう。
はい、如何でしたでしょうか?
日本戦国時代史で厄介者扱いを受ける「足利家」の方々でしたw
そして『徳川家康』こと『松平竹千代』は、女の子としての登場です。
え?何が厄介かって?祖父清康が居ない。父広忠も居ない。後ろ盾がないw
お家騒動が起きるであろう厄介者の立ち位置になっちゃっていますw
そして最後に奥方衆w
ここでは女性の【お肌の?】若さに関する厄介になります。
一応次回といたしましては、近江国内の話になる予定です。
え?美濃はって?
たぶん章のどこかで話が振られるかもですw
次話はいつになるかは予測できませんが、ご贔屓の程をw




