表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

54/65

「天竜川の戦い」の裏で……政秀さん大失態(ポカ)をやらかす

前章の最終話「天竜川の戦い」において、


天文16年(1547年) 4月某日から天文十七年(1548年) 4月某日


の間に起こった(起こした)お話になります。


あ、後「みてみん」登録して画像搭載出来るようにしてみました。

で、今回画像付きによる説明もあります。


政秀さんの勘違い記憶違いという失態ポカ【作者自身もだが】が、酷いですw

時間を少し遡り・・・


天文16年(1547年) 9月某日~天文16年(1547年) 11月某日 のどこかw


美濃国 東美濃 中津川郡河並村 ~ 神坂山 ~南信濃 伊那郡神坂神社~伊那郡阿智村 の領域に掛けて



 わしは東美濃を治めている遠山七家の者達を集め中山道整備に関して、苗木城にて話をしていた。


「なに主上より中山道の整備もしてくれと言われたのでなw直接言われたから『勅』と言って良いじゃろう。それを邪魔すれば、朝敵ということになるから遠山七家の方々、気をつけなされよ?あとは人を多少借りれれば、覚えも目出度くなるのではないかな?」


 そうして東美濃を抑える遠山七家に対し、「此方のやることに逆らえば朝敵として滅ぶことになるぞ」と脅しをかけた。

 実際の処、そんな『勅』は貰っては居ないんじゃがなw

 斉藤家には話は通してあるがw

【土岐家がどのような状態かは、次話辺りにw】


 そうやって近くの中津川郡河並村の者達に給金と飯を用意してやり、神坂山・・・までの道を作るための傅役を頼んだ。

 まあ、事前に儂が【分解】や【隆起沈降】を使ってある程度間引きや整備をしたのだが、それでも出る木材の量が「〇〇ハンパね~」な状態であった。

 あ、村の者達には木材を下に運んでもらっただけじゃw

 その神坂山の樹木を切り倒し広い原っぱにできる場所があるはず、無ければ作るだけじゃがな。

 その原っぱに城を作る際、高天原たかまがのはら城とでも名付けようかのw【神坂城ではありません。】


 東美濃側が終われば、南信濃の飯田側じゃな。

 南信濃側の神坂山の麓、伊那群には神坂神社があり神坂山を御神体としておるからな。

 神主もこの戦乱のせいか居らず、社も朽ちてきておった。

 社の建て直しと共に、伊勢から神主派遣してもらうか?

 まあ神坂山までの山道は、好き勝手しても文句は言われんじゃろうし、思い切りいじくるかw

 とは言っても、街道となる中央部分を高く両端を低くし、その両端には溝を入れ排水出来るようにしておいた。


 城の外観さえ出来れば武田家の信濃侵攻の防波堤になるであろうし、逃げて来る農民達の一時的な避難場所にはなるじゃろうて・・・。


 石垣は流石に地形的には無理じゃから土塁になるが、各所に逆茂木さかもぎをしておいて、枡虎口は作った街道に直結してあった方がいいな。

 屋敷等は後回しにして、柵と堅堀も掘っておかなくては。

 現代で言う処の、富士見高原に本丸と屋敷などを置き、展望台側の方に、二の丸や戦陣櫓などを置く事とした。


 現在街道と使用されている処は、どうも崩落や土砂崩れがあったようで、通れない状態になっているらしい。

 え?儂が裏で動いて崩落等を起こしたのだろうって?心外な!街道をぶった切る形で、地下に空間を作っただけじゃい!


「たしか武田軍の信濃侵攻は、高遠から飯田方面じゃったよな?そこから『飯田』から『妻籠』に通じる道を潰しておけば大丈夫じゃろうて。」


 そして政秀はこの時……、大きな失態ポカを、記憶違いをやらかしていた。

 『当時の中山道』を知らなかった事で、その辺りの詳しく地形を政秀は把握しておらず……、『木曽福島』から『妻籠』にかけての山道を潰していないという、大きな失態ポカをやらかしたのであった。


【簡単に書くと、 美濃国側→『十三峠』『馬籠峠』『鳥居峠』『塩尻峠』『和田峠』『笠取峠』『碓氷峠』←上野国側 の『馬籠峠』『鳥居峠』の間にある『妻籠~須原』間である。】

挿絵(By みてみん)

【政秀さんの頭の中の中山道は、碓氷~塩尻~飯田~中津川~関ヶ原へと続く中央自動車道の事であった。政秀さん、とんでもない勘違いw】

【青色=中山道 灰色=中央自動車道 矢印=城建てる所 ×=崩した所 △=本当はここを崩さないと……】


 それから暫くした後、そんな大きな失態ポカをした事も気づかず、信濃の国人衆の一つ望月家から使者がやってきた。

 その使者は『望月千代女もちづきちよめ』と名乗った。

 『望月千代女もちづきちよめ』って甲賀の忍びってイメージあったんだが、信濃の望月家が本家なのか。

 そして転生者の一人である武田信之のお抱えとして使えているらしい。

 なぜ、らしいだって?だって向こう側の情報流れてこないんだもんよ~w

 いやぁ~さすがは武田の忍びwたぶん『三ツ者』『真田衆』『望月衆』と使って居るんだろうなぁ~とは推測できる。

 時代的に真田のチート侍は居ないだろうから、まだ安心はできるが……今後がなぁ~。

 そして使者の千代女殿には書状に、

「織田家は信濃に軍を入れない事。

 武田家は美濃に軍を入れない事。

 美濃と信濃の国境を基線とする事。

 商人等の行き来を行いやすくする事。」

などの密約を幾つか交わす事となった。


 あ、近江の甲賀に望月家があるか調べてみよう……



 来たる天文17年(1548)3月28日、信濃国は木曽郡木曽谷、木曽福島城を包囲した武田軍は約一週間包囲し続け、遂に木曾義在・義康親子が籠る木曽福島城を陥落させた。

 これにより1548年、天文7年……武田家によって高梨氏が治める高井群・水内群を除く信濃国【正確には南信濃?】が武田家により統一との報が、尾張三河、伊勢遠江に届くのであった。





えぇ~本文にもありましたように

中山道と中央自動車道をゴッチャにしていたと言う大失態をやらかした話です。

はい、作者自身がやらかしたポカでもあります ^_^;


えぇ~っと次話といたしましては、冒頭にちらっと天竜川の戦いの際

美濃国内がどうなっていたかを、書く予定になってます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ