第十一話 デスゲームと船のマスト
ドッと割れんばかりの歓声。二人の戦いを、一体どれぐらいの人が観戦していたのだろう。ざわめきがうねりとなって、町並みを覆い尽くす。
〈おい、凄えぞあいつ。何か知らねえけど、やっつけちまった!〉
〈マジか! これで、俺の彼女をあいつに差し出さなくても済むのか!? 助かったー〉
〈……いや、お前は最低だろ〉
〈ホント、サイテー〉
といった、会話も聞こえてくる。
中身のほとんどはリュウガへの称賛の声だった。誰もが、プレイヤー狩りを前提とする殺伐としたものは望んでいなかった。対人戦を行いたければ、それ向きのVRゲームは幾らでもあるのだから。
それに、この世界における戦闘不能の結末――すなわちデスゲームであるかどうか――がまだ明らかになっていない。だとしたら、世界を守るがわの人間に声を上げるのは当然だ。支配と服従、そして破壊と滅亡を強いる者より、希望を見い出せるからだ。何も分からないまま蹂躙され、この世界を去るのは無念以外の何物でもない。もちろん、それを避けるために、破滅のがわにつくことも否定できない。
……えっと、頼むから、大声を上げるときは観戦ビューシステムを切ってからにしてくれよ。こっちにもきっちりとその声は届くんだからな。
耳に指をかきいれ、空間ウィンドウによるボリューム設定をいじりながら、リュウガは斜に構えてそんなことを思った。が、内心ではこの世界における初勝利の喜びをかみしめていた。
「リュウガ君!」
駆け寄ってくるリナ。抱き止めるほどの関係じゃないのが惜しまれるが、ポーズを決めるくらいなら許されるだろう。親指を上げた右拳を前に突き出し、柔らかい方を天に向ける。
「どうだった? 意外に悪くなかっただろ? GJ?」などと軽口をたたく。
「えっ……えっと、グッジョブ!」リナもぎこちなくだがポーズを返す。
GJはGood Jobの略だということを、初心者の彼女なりに理解したようだ。習うより慣れろ。VRMMOの世界は、異文化を吸収する場としてよく機能している。
「少年。やるじゃないか、見直したぞ。ん? どうだ、ついでにこのまま、少年を通り越して、大人の男にでもなってみるか?」と、切れ長の瞳を流しながらフィオナが言う。
止めてくれ、お姉さん。俺の幼なじみがあらぬ目で見てるじゃないか。せっかく生き残ったのに、彼女に刺されでもしたら意味がないだろう。まあ、そんな関係じゃないけどな。
そんなリュウガの心の冗談を見透かしたかのように、男が動いた。
トンッ! 背後にいた男が、スッと短刀をリュウガの背中目がけて突き刺した。肉に突き刺さる短刀……を期待していた男。ヴィニールに忠誠を誓わされた残党だろう。このままでは自分の居場所がなくなるから、不意打ちをしたわけか。ところが……
「な、何だ、お前、化けモンか!」
突き立てたスカルソードの(どくろを模した)刃の部分が、立て付けの悪い戸のように外れた。そして空間には「ダメージ0」の表示。何とも間の悪い格好となった、プレイヤーキルを狙う男。
「お前さんも、少しは襲いかかる相手を確認した方がいいぜ」
リュウガはそう言い、頭上のステータスを示した。フッと表示が切り替わる。そこには燦然と輝く数値があった。
「な……何だその、99ってのはよ……。まさか」男は、唾を飲み込み続けた。「レベル99ってことか!」
「へー、巷ではそう言うんだ。知らなかったよ。俺はてっきり、ネットショップの還元ポイントかと思ってたぜ。よく買い物するからな」
リュウガの冗談に、ドッと笑いが起きる。ギャラリーはそこで起きているやり取りを理解したようだ。
「ひ、ひぃい。勘弁してくれ。知らなかったんだ、俺はその、お前がそんな……」
「俺が……何だってんだ?」
「その……チート野郎だったなんて」
一瞬の間。男は怯えた表情で続ける。
「頼む、後生だ……勘弁してくれ。こんなおっかないゲームに近寄った俺がバカだったんだよ。デスゲームか何か知らんが、自分が死ぬときは、せめて自分で選ばせてくれ、頼む」
リュウガはその言葉に聞き入り、そしてしばらく沈思した。
チート野郎か、こりゃいい。確かに褒められた芸当じゃない。短期間でレベル1から99に上がったなら、誰だってそう思うだろう。そこに、侮辱の感情が入り交じっても当然だ。甘んじて受け入れよう。全てを自分の思い通りにできるなんて思っちゃいない。
俺はこの世界において、楽しむ権利を放棄してしまったプレイヤーだ。他のプレイヤーにとっては、目の上のたんこぶでしかない。だからこそ、できることもある。この力をゲームの攻略に使えば、本当にデスゲームなのかどうかを確認できるかもしれない。世界の核心に触れることさえできれば……。
リュウガは更に熟考した。
そもそも、デスゲームをリリースすることに何のメリットがある? それこそ、俺はただの演出だと信じたい。それを解き明かし「みんな、大丈夫だったぞ。デスゲームの噂なんて、開発サイドの(ちょいと悪質な)演出だったぞ」と知らせることができれば、それでいい。
開発者や、当のプレイヤーの想像以上にVRは五感に訴えてくる。群集心理や、ちょっとしたパニックが引き金となって暴動が起きるのはその証左だ。VRMMOがこぞって、その臨場感やリアルさを競い合ったしわ寄せが、ここにきて露呈したのかもしれない。
3D映像で船酔いするものがいるように、人間には向き不向きがある。中には、深層心理を大きく揺さぶられ、虚構と現実の狭間に迷い込む者もいるのだ。見えている世界に対して、自信を失った場合はどうすればいい? 現実世界のように、船にはしがみつくマストが必要だ。
ならば、俺がそのマストになる。そしてデスゲームの謎さえ暴いたら、俺はこの世界から潔く立ち去ることにしよう。できればチートなんてない世界で、初めから楽しんでほしいと切に願う。幾ら高難度とはいえ、リナみたいな初心者が仲間と切磋琢磨しながら、フィールドを気持ちよく駆け回る姿。うん、悪くない。
――ただし、俺の嫌な勘ってのも意外と当たる。慎重に行動しすぎて困るもんじゃないだろう。
リュウガは自分を刺した男のことも忘れて、思いがけず考えにふけっていた。やがて気を取り直し、改めて目の前の男を見た。
ノームのような、年齢不詳な種族だった。俺を殺すつもりで刺しておきながら、命乞いをする男か――やれやれ。
「お前さんの命なんて取りゃしないよ。それと念のために言うが、俺にもここがデスゲームかどうかなんて分かりゃしないからな。ただし、デスゲームだって分かったときには、俺を刺したお前さんを一番にやっつけるから、覚悟しとけよ」
リュウガの冗談は、ノーム男には通じていないようだった。
「ひいぃいい」と分かりやすい悲鳴を上げてノーム男は立ち去っていった。安堵の空気が流れたそのとき。
「ねえ、あの男がいないわ!」誰かが言った。
さっきまで突っ伏していたあの場所に、ヤツの姿はなかった。