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冷たい夜風が、少女の頬を鋭く撫でる。
雲を切り裂くように浮かぶ満月の下、一人の小柄な少女が死に物狂いで石畳を駆け抜けていた。
少女の丸みを帯びた綺麗なボブヘアが、激しい動きに合わせて乱れる。
息を荒らし、肺が焼けつくように熱く、足は鉛のように重たい。
それでも少女は走るのを辞めなかった。
足を止めた瞬間、確実に命を落とすことが分かっていたからだ。
(死にたくない…っ! 殺されたくない…!!)
恐怖で喉の奥が引きちぎれそうだった。
背後から押し寄せてくるのは、街の光をすべて呑み込むような、底知れない狂気と圧倒的な殺意。
かつて憧れた輝かしい世界など、ここにはどこにも存在しなかった。
(どうして…こんなところだと知っていたら、来なかったのに…っ!)
視界が恐怖の涙で歪む。
胸元にしがみつくように手をあてがい、絶対に届かないと分かっている救いを求めて、彼女は心の中で悲痛な叫びを上げた。
(助けて…!アリマさん…!!)
闇が、少女の背後まで迫っていた。
「ユキ、魔法学校に興味無い?」
タバコをふかしながら、話すこの女性は魔法都市クマノに所在する孤児院の施設長であるアリマである。
「あります!あります!あるに決まってます!」
ホウキを持ちながらアリマの問いに興奮気味に答えるユキ。
今は孤児院の掃除の時間で、今日のユキは外掃除担当であった。
「一回は生で見てみたかったんです!ウブタ魔法学校!魔法の才能がある天才しか入学できない学校!!」
目をキラキラと輝かせ、ホウキを放り出しそうな勢いで詰め寄るユキに、アリマは煙をくゆらせながらクスッと笑った。
「あんたは本当に魔法が好きなのね」
「そりゃそうですよ!自分の好きなように魔法が使えたら、凄く便利だし、楽しいし…。それにウブタ魔法学校がある中心地に住んでる人たちは皆、当たり前みたいに魔法を使って生活してるんですよ!? 朝起きれば勝手にランプが灯って、お掃除も料理も魔法でスイスイ…そんなの、憧れないわけないじゃないですか!」
ユキは手に持っているホウキに跨がり、そのままぴょんぴょんとジャンプし始める。
それと同時にユキのボブヘアも跳ねる。
「あーあ! 私も魔法が使えたらなぁー! ホウキで空を飛んで、この院の掃除なんかもパパパッと魔法で一瞬で終わらせちゃうのに!」
目を輝かせて無邪気に夢物語を語るユキ。
すると、それを見ていたアリマが不思議そうに首をかしげた。
「 もしかしてユキ、自分では認識してないの?」
「…え? 何がですか?」
「あんた、魔法使えるわよ」
あまりにも呆気なく放たれたその一言に、ユキはホウキに跨がった姿勢のまま固まった。
「えぇぇぇ――っ!?」
孤児院の庭に、ユキの素っ頓狂な叫び声が響き渡る。
「ちょっと待ってくださいアリマさん! だって、だって私、一人の時にこっそり、出ろー!って唱えたりして、魔法が使えるか何回も試したことあるんですよ!? でも、火も出ないし光りもしないし、何も起きなかったのに!」
「あんたそんなことしてたの?」
アリマはくすくすと笑いながらタバコの灰を携帯灰皿に落とすと、呆然と立っているユキにゆっくりと歩み寄ってきた。
「魔法っていうのはね、ただ闇雲に願えば出るようなもんじゃないの。自分の身体の中にある魔力の存在を感じ取って、それを外に引き出すイメージを持たなきゃいけないのよ」
「魔力…のイメージ…?」
「そうね…。ユキは何の魔法を使いたいの?」
「悩みますねぇ…」
ユキはあごに手を当て、真剣な顔でうーんとうなり始めた。
「空を飛ぶ風の魔法もカッコいいし、いつでも冷たい飲み物を一瞬でキンキンに冷やす氷の魔法も捨てがたい…。でも、お料理がすぐに温かくなる火の魔法も捨てがたいんですよねぇ!」
「欲張りさんね」
呆れたように笑いながらも、アリマの瞳には愛おしそうな光が宿っていた。
アリマは右手で人差し指を上に立てた。
「何してるんですか?」
「まぁ、見てなさい」
ユキがアリマの人差し指をじっと見つめていると、アリマの人差し指の先から赤い炎が現れた。
「えぇ!?」
「これだけじゃないわ」
そう言うと、アリマの人差し指の先から出ている赤い炎は徐々に大きくなる。
そして炎の形が丸になったと思えば、ソフトクリーム、チューリップ、最終的に猫の顔の形になった。
「まぁ、これは序の口なんだけどね」
そう言い、アリマの人差し指から炎が消えた。
黙っていたユキは身体をプルプルと震わせ始めた。
「どうしたの?」
アリマが首を傾げて問うと、ユキはかっと見開いた目をキラッキラに光らせ、叫んだ。
「アリマさん!! 魔法、使えるの!?す、凄すぎる…! 私、ずっとアリマさんのこと、タバコだけが生きがいのカッコいいお姉さんだと思ってました!」
「失礼なちんちくりんだねぇ」
アリマも言い返す。
しかし、そんなアリマの言葉など今のユキの耳には一切届いていない。
彼女の脳内は目の前の身近な人がめちゃくちゃカッコいい魔法使いだったという事実へのリスペクトと、自分も魔法が使えるかもしれないという期待感で完全に埋め尽くされていた。




