Epilogue Ⅰ
……あれから十年。
錆びついたような冬の光が、商店街のアーチをゆっくりなぞっていた。
平日の昼下がりにしては人通りが多い。年末が近いせいか、どこかざわつく空気が街全体に漂っていた。
その空気を割るように、『ラブリー・エンジェル』のドアベルが軽く鳴った。
入ってきたのは、スーツ姿のサルタナと、
その腕にそっと手を添えて歩く――
ワンピース姿のサルタナの姉だった。
十年経っても二人の間の距離は近く、
時間が彼女たちを別の方向に連れて行ったにもかかわらず、
いまだに双子のような呼吸の合い方をしている。
「あ〜ら、いらっしゃい。
十年ぶりじゃない、お二人さん。」
カウンター越しに立つのは、以前と変わらないオカマッスル店長――ノブ子。
胸板は以前より分厚く、腕もひと回り太く、
けれど目の奥にあるあの優しい光は、昔のままだ。
ノブ子の背中越しに、世里奈の姿が見えた。
殺し屋業界の重鎮だか今は穏やかな表情で皿を拭いている。
だが――
(アイツの姿は……ない。)
「まだ進道は帰っていない……ようだな。」
そう口にすると、世里奈は皿を置き、
ふっと笑顔を浮かべた。
「ああ、進くんから『あと少しで来る』って連絡はあったよ。」
昔と変わらない声。
でもどこか、大切なものを守る人の声になっていた。
そのとき、世里奈の後ろ――
彼女の影に、小さな二つの頭が隠れているのが見えた。
「ん?」
つい声が出る。
(……子供ができたのか。
知らなかった。いや、“知らされていなかった”のか。
まあ……いい。)
二人は世里奈のスカートをぎゅっと掴みながら、こっちをちらちら見上げている。
目元は世里奈の面影を残しつつ、どこか進道の鋭さも宿している気がした。
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この平和な風景を見ていると、
あの日の出来事――
あの血と鉄と怒号が渦巻く夜が、
まるで遠い夢か、悪い冗談だったのではないかと錯覚する。
十年前。
オレも進道も、命が尽きる寸前まで戦い続けた。
限界をとうに越え、
自分でも驚くほどの意思で、
あの白い化け物――イーゴリとぶつかり合った。
その代償は小さくない。
オレは故郷を捨て、
殺し屋として築いた地位を失い、
“戻れない場所”がいくつもできた。
進道は――
永遠だと思っていた“安全”を失った。
家族のため、自分のため、
そして倒れた仲間たちのために、
今なおロシアへ飛び、残党を潰し続けている。
あの日が、オレ達の人生のピークであり、
そして大きな分岐点だったのだと思う。
正義なんて、今さら名乗る気はない。
名乗れる資格があるとも思わない。
けれどあの瞬間、
オレ達は確かに、
暗く輝くステージの真ん中に立っていた――
主役として。
たとえそれが血まみれの舞台でも、
光と影が混じる混沌の世界でも。
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舞台を降りても、
主役じゃなくても、
物語は続く。
そして――
これからも続いていく。
理不尽は消えない。
失った時間を返すこともできない。
世界は、気まぐれに牙を剥く。
ハッピーエンドなんて、約束されていない。
……だが。
かつて共に戦い、傷つき、
それぞれの道を選んで生きてきた人間たちと、
今こうして小さな店で酒を交わせるひとときくらい――
幸せを感じても、罰は当たらないだろう。
そんなことを考えていたちょうどその時。
――カラン。
ドアが開く音が、
ゆっくりと、懐かしい空気を引き連れて店内に響いた。
オレは自然と、そちらへ顔を向けた。




