第十五話 忘れられた者たち
逆さ人間たちが、一斉に襲い掛かってきた。
ガリガリガリ!!
岩壁。
天井。
地面。
あらゆる場所を這いながら、白い影が雪崩れる。
数十。
いや、百を超えていた。
裂けた口。
白目。
折れ曲がった手足。
その全てが、絶叫している。
――呼ぶな。
――思い出すな。
――忘れろ。
新十郎は刀を抜いた。
飛び込んできた一体を斬る。
ザン。
首が飛ぶ。
だが倒れない。
首だけで笑いながら床を這う。
「見た」
新十郎は蹴り飛ばした。
次の瞬間、横から別の一体が飛び掛かる。
女だった。
髪が異様に長い。
その髪が蛇みたいに蠢き、新十郎の腕へ絡みつく。
「ッ!!」
冷たい。
死人の髪だ。
新十郎は刀で断ち切った。
黒い液が飛び散る。
だが。
髪の束の中から、女の顔が覗いた。
泣いている。
「忘れないで」
新十郎の動きが止まる。
その瞬間。
女の口が裂けた。
「ひとりにしないでェ!!」
ガブ、と。
女が新十郎の肩へ噛み付いた。
「ぐぁぁ!!」
激痛。
新十郎は肘で顔面を殴り飛ばす。
女は壁へ叩きつけられた。
だが笑っている。
全員そうだった。
泣きながら笑っている。
新十郎は理解し始めていた。
こいつらは、人を殺したいわけじゃない。
“忘れられたくない”。
それだけだ。
その時。
トワが叫んだ。
「シズ!」
洞窟の奥で、一人の老婆が光った。
肉塊から剥がれる。
黒い泥が崩れ落ち、老婆の輪郭が戻る。
老婆は涙を流していた。
「……あぁ」
掠れた声。
「覚えていて、くれた」
次の瞬間。
老婆の身体が、光の粒になって消えた。
逆さ人間たちが絶叫する。
ギィィィィ!!
耳を裂くような悲鳴。
空の巨大な目が歪む。
怒っている。
いや。
焦っている。
トワはさらに叫ぶ。
「ゴロウ!」
「ナツ!」
「ミネ!」
一人ずつ。
名前を。
供物たちの名前を呼ぶたび、肉塊が崩れていく。
人々が解放されていく。
洞窟の奥で、泣き声が響く。
安堵。
後悔。
感謝。
様々な声。
新十郎は逆さ人間たちを斬り払いながら、叫んだ。
「トワ! 名前を覚えてるのか!?」
トワは涙を流しながら首を振る。
「違う!」
「何!?」
「聞こえるんだ!」
その瞬間。
新十郎の頭へ、誰かの声が流れ込んだ。
――タケ。
男の声。
続けて。
――ハル。
女。
――イチ。
子供。
新十郎は目を見開いた。
供物たちだ。
消えかけている人々が、自分の名前を叫んでいる。
忘れられないために。
トワはそれを聞いている。
だから呼べる。
その時。
空の裂け目がさらに広がった。
バキバキ、と空が割れる。
巨大な目が、半分ほど姿を現していた。
山より大きい。
無数の顔。
無数の腕。
人の形をしているのに、人間ではない。
“集合”そのもの。
それが裂け目から、こちらへ出てこようとしている。
庄屋が絶望した声を漏らした。
「出る……」
新十郎の背筋が凍る。
もし完全に出てきたら。
この村だけじゃ済まない。
その時。
トワの母――カヤが叫んだ。
「急いで!」
彼女の身体も薄れ始めている。
「全部呼ぶの!」
トワは泣きながら頷いた。
だが。
その顔が青ざめていた。
新十郎は気付く。
トワの身体が、少しずつ透けている。
「……おい」
トワは苦しそうに息をしていた。
「名前を思い出すたび……」
言葉が震える。
「向こうが近くなる」
新十郎の顔色が変わる。
つまり。
名前を呼ぶほど、トワ自身も“穴”へ引き戻される。
カヤが泣きそうな顔で言った。
「トワ……」
だがトワは笑った。
初めてだった。
本当に笑ったのは。
「でも」
涙を流しながら。
「みんな、ひとりじゃなくなる」
その瞬間。
巨大な目が咆哮した。
――やめろォォォ!!
洞窟が崩れ始める。
岩が落ちる。
逆さ人間たちが狂ったように飛び掛かる。
新十郎は叫んだ。
「トワァ!! 続けろ!!」
刀を振るう。
血。
泥。
骨。
白い顔が次々飛ぶ。
だが数が減らない。
その時。
一体の逆さ人間が、新十郎の顔を見た。
男。
半分崩れた顔。
そして。
その男が、涙を流しながら呟く。
「……新十郎」
新十郎の全身が凍った。
知っている顔だった。
幼馴染。
十年前に死んだはずの男。
「……伊兵衛?」
男は泣いていた。
「やっと見つけた」
その瞬間。
新十郎の頭の中で、記憶が裂けた。




