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『夜祓衆 ― 見ると増える呪いの記録 ―』  作者: こうた
第一部 江戸編 第一章 供物の村

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第十四話 名前を知られる

 ――新十郎。


 声が、頭の奥で響く。


 耳ではない。


 脳の内側。


 もっと深い場所。


 名前そのものを掴まれる感覚。


 瞬間。


 新十郎の身体が宙へ引き上げられた。


「ぐッ!!」


 地面が離れる。


 洞窟の床。


 庄屋。


 トワ。


 全部が遠ざかる。


 上。


 空の裂け目へ。


 新十郎は咄嗟に岩壁へ手を伸ばした。


 爪が岩を削る。


 だが止まらない。


 凄まじい力。


 身体が千切れそうになる。


 その時。


 トワが叫んだ。


「名前を聞いちゃ駄目だ!」


 新十郎は歯を食いしばった。


 遅い。


 もう知られている。


 空の巨大な目が、ゆっくり瞬く。


 ――新十郎。


 また呼ばれる。


 呼ばれるたび、身体が軽くなる。


 存在そのものが、向こう側へ引っ張られていくみたいだった。


 庄屋が泣き叫ぶ。


「耳を塞げ!」


「無駄だ!」


 新十郎は怒鳴った。


 声は頭の中に直接響く。


 逃げられない。


 その時。


 洞窟の奥で、巨大な肉塊が蠢いた。


 無数の顔が、新十郎を見ている。


 羨望。


 嫉妬。


 憎悪。


 そして。


 救いを求める目。


 ――また来る。


 ――また増える。


 ――ひとりじゃない。


 大量の声。


 新十郎の背筋が凍る。


 理解してしまった。


 あれは“喰っている”わけじゃない。


 集めている。


 見た者を。


 忘れないために。


 その時。


 トワが立ち上がった。


 涙で濡れた顔。


 震える足。


 だが目だけは真っ直ぐだった。


「やめろ」


 空を見上げる。


 巨大な目。


 裂けた空。


 トワは叫んだ。


「ぼくは戻らない!」


 瞬間。


 洞窟中の空気が凍った。


 逆さ人間たちが止まる。


 無数の顔が、トワを見る。


 巨大な目も。


 静かに。


 見ている。


 トワは震えていた。


 それでも叫ぶ。


「もう一人にしない!」


 洞窟の奥で、何かが動いた。


 巨大な肉塊。


 その中から。


 一人の女が這い出てくる。


 新十郎は息を呑んだ。


 女は半分溶けていた。


 顔は腐り、腕は何本も絡み合っている。


 だが。


 目だけは優しかった。


 トワが震える。


「……母さん」


 女は泣いていた。


 黒い涙。


 腐った頬を伝い落ちる。


「ごめんね」


 掠れた声。


「ごめんね、トワ」


 庄屋が青ざめる。


「馬鹿な……まだ残っていたのか」


 トワの母は、ゆっくり手を伸ばした。


「怖かったよね」


 トワは嗚咽を漏らす。


「……なんで」


「助けられなかった」


 母親の顔が崩れる。


 肉が落ちる。


 それでも彼女は笑おうとしていた。


「でも、忘れなかった」


 その瞬間。


 空の巨大な目が歪む。


 怒った。


 新十郎は本能で理解した。


 “あれ”は怒っている。


 母親が続ける。


「名前を呼びなさい」


 洞窟が震える。


 逆さ人間たちが暴れ始める。


 ガリガリガリ!!


 岩壁を掻き毟る。


 巨大な声が響く。


 ――やめろ。


 ――やめろ。


 ――思い出すな。


 トワは泣きながら首を振る。


「無理だ……!」


「呼びなさい!」


 母親が叫ぶ。


「あなたが忘れたから、“あれ”が覚えてるの!」


 新十郎の身体が止まる。


 浮力が一瞬弱まった。


 理解しかける。


 名前。


 記憶。


 供物。


 “あれ”は、忘れられた者を集めている。


 だから。


 誰かが覚えていれば。


 違う?


 トワの母は涙を流しながら叫んだ。


「あなたが覚えてる限り、向こうへ行かない!」


 その瞬間。


 トワの目が見開かれる。


 思い出している。


 新十郎は見た。


 トワの周囲の亀裂が揺れている。


 空間が不安定になっていた。


 巨大な目が、明らかに焦っている。


 ――やめろ。


 ――見るな。


 ――呼ぶな。


 今度は“あれ”が怯えていた。


 トワは震える唇を開く。


「……母さん」


 洞窟が揺れた。


 巨大な肉塊の中で、何百もの顔が苦しみ始める。


 トワは泣きながら続けた。


「カヤ」


 母親の名前だった。


 瞬間。


 女の身体が光る。


 黒い泥が剥がれ落ちる。


 逆さ人間たちが絶叫した。


 空の裂け目が軋む。


 巨大な目が見開かれる。


 トワは嗚咽しながら、さらに叫ぶ。


「シン!」


「ミヨ!」


「ジン!」


 名前。


 一人ずつ。


 供物たちの名前を呼び始める。


 そのたび。


 肉塊の中から、人の形が浮かび上がる。


 苦しみながら。


 泣きながら。


 だが少しずつ、“何か”から剥がれていく。


 新十郎の身体が地面へ落ちた。


 ドサ、と転がる。


 浮力が消えている。


 庄屋が呆然と呟いた。


「……まさか」


 新十郎は息を呑んだ。


 そうか。


 “あれ”は。


 忘れられた人間の集まりだ。


 だから。


 名前を呼ばれると、“個”へ戻ってしまう。


 巨大な存在でいられなくなる。


 その時。


 空の裂け目から、凄まじい咆哮が響いた。


 山々が震える。


 逆さ人間たちが、一斉に新十郎たちへ飛び掛かった。

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