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三男の憂鬱


馬車に揺られながら、俺はずっと窓の外の景色――正確には、街道沿いに立つ兵士たちの顔色や、すれ違う者たちの瞳の動きを観察し続けていた。


王都を出発してから数日間、俺たちの馬車はロドウェル領の宗主であるヴァルガス伯爵の広大な領地を縦断していた。


闘技場であの伯爵親子が放っていた異常な殺意を思い出すたび、俺の胃はチリチリと嫌な音を立てていた。いつ山賊を装った私兵が襲ってくるか、あるいは難癖をつけられて足止めを食らうか。俺の勘は常に最悪の事態を想定して警報を鳴らし続けていた。

だが、結果としてヴァルガス伯爵家からの接触は一切なかった。


(……とりあえずは、何もしてこなくて良かったな)


馬車の車輪が踏みしめる土の質が変わり、街道沿いの風景が見慣れたのどかな農地へと変わった瞬間、俺はこっそりと安堵の息を吐き出した。緊張の糸が解け、背もたれに深く体重を預ける。


「帰ってきたぞ、我が領だ!」


馬車の小窓から身を乗り出さんばかりの勢いで、父上が快活な声を上げた。


「うおおおおっ! 早く戻って、エドの武勇をみんなに伝えるぞ!」


その隣では、次兄のライオネルが鼻息を荒くして拳を握りしめている。王都を出発した日からずっとこの調子だ。

領地に入り、安全圏に戻ってきたことで、二人のテンションはさらに一段階跳ね上がっていた。


(……いつまでこのテンション続くんだよ、マジで)


俺は少し憂鬱になりながら、窓枠に頬杖をついた。

エドワードが偉業を成し遂げたのは事実だし、嬉しいのはわかる。だが、この熱量のまま領民たちに触れ回られたら、ただでさえ静かな田舎の領地がどういう騒ぎになるか、火を見るよりも明らかだった。


それからしばらくして、俺たちを乗せた馬車はロドウェル家の本邸――つまり俺たちの家へと到着した。

『男爵家の屋敷』と聞けば、王都の人間ならそれなりに豪奢な門構えと美しい庭園を想像するかもしれない。


だが、目の前にあるのは、ちょっとばかり敷地が広くて頑丈な、ただの『大きな家』だ。地方の裕福な地主の邸宅と言った方がしっくりくる。大理石の彫刻もなければ、きらびやかな装飾もない。実用性だけを追求した、お世辞にも貴族らしさがあるとは言えない質素な造りだった。


馬車が停まると、屋敷の玄関扉が開き、一人の男が足早に、しかし音もなく歩み寄ってきた。


「長旅、お疲れ様でございました。おかえりなさいませ、旦那様」


俺たちの到着を待っていたかのように律儀に頭を下げたのは、我が家の相談役であり事務方のトップを務める男、クルードだ。


元は農奴という最下層の身分でありながら、その異常なまでの計算能力と実務の才を父上に見出され、特例で召し抱えられた男。細身で神経質そうな外見だが、その目は常に冷徹なほど冷静に物事を捉えている。俺から見ても、この屋敷で最も底知れない男だった。


「おお、クルード! 聞いてくれ! エドワードがやってくれたぞ!」


馬車から飛び降りるなり、父上がクルードの肩をバンバンと叩いた。


「そうだぞ! クルード! エドは王都の大会で優勝したんだぞ!」


ライオネルも反対側から身を乗り出して捲し立てる。

二人の大声に挟まれながらも、クルードは表情を崩さなかった。だが、その瞳の奥には確かな驚きの色が走ったのを、俺は見逃さなかった。


少し遅れて馬車から降りた母・マリエルも、何も言わずに微笑みながら二人の様子を見守っている。普段は感情を表に出さない母でさえ、この時ばかりは長男の功績に胸を高鳴らせているのが、柔らかな表情から伝わってきた。

二人の熱弁を静かに聞き終えたクルードは、深く一礼してから、感服したように息を吐いた。


「……素晴らしい快挙です。エドワード様なら当然の結果と申せましょう。何しろ、あの英雄・ガント様の才能すら越えるお方ですから」

「〜〜〜っ! そうだろう! 我が父のように、いや、それ以上の英雄になる男だ!」


クルードのその一言に、父上のテンションが天元突破した。


(相変わらず、クルードは親父の扱いが上手いな……)


クルードは嘘を言わないが、同時に相手が最も欲している言葉を的確に選び出す天才だった。


『ガント様』――俺たちの祖父にあたる前当主、ガント・ロドウェル。

ロドウェル領をただの騎士爵から男爵領へと拡大し、領民から絶大な支持を集めた本物の英雄だ。俺やエドワードが生まれる前に戦場で散ったため顔は知らないが、この領地でその名を出されて喜ばない者はいない。特に父上にとっては、超えるべき、そして誰よりも尊敬する偉大な存在だった。


「あの準決勝の王属騎士の攻撃をだな、エドはこうやって――」

「違うぞ父上、あれはこうやって下段から――」


なおも屋敷の前で剣術の解説を始めようとする二人に、ついに母上が静かに口を開いた。


「あなた、ライオ。そろそろ中に入りましょう。クルードも困っていますし、何より長旅で体が冷えますよ」

「お、おお……そうだな。すまない、クルード。中でゆっくり話そう!」


母の一声で、ようやく興奮の渦が収まった。父上が照れ隠しのように咳払いをして屋敷の中へ入り、ライオネルがそれに続く。

俺はクルードと軽く視線を交わし、肩をすくめてから屋敷の敷居を跨いだ。


 * * *


自室に戻り、旅の荷物を床に放り出すと、俺はそのままベッドへとダイブした。

軋むスプリングの音が、妙に心地いい。


「あー……疲れた」


天井の木目をぼんやりと見つめながら、俺は一人、思考の海に沈んでいった。

馬車の中でずっと考えていたこと。それは、これから先の『俺の立ち位置』についてだ。


エドワードは今後、厳しい訓練を経て王属騎士になり、ゆくゆくはこのロドウェル領の当主になるだろう。誰もが認める完璧な領主像だ。


そして、武術に全てを懸ける次兄・ライオネルは、エドワードの『第一の騎士』として、兄の右腕となり領民のために剣を振るうはずだ。彼ほどその役目に相応しい男はいない。


じゃあ、俺は何になるんだろうな。

自分で言うのもなんだが、俺は要領が良い。

剣術も、座学も、ちょっとコツを掴めばそこそこ以上の結果を出せてしまう。もし俺が本気でライオネルと同じ時間を剣術の鍛錬に費やせば、おそらく数年で彼を追い越してしまうだろう。エド兄という化け物には届かなくとも、ライオ兄にはどうにか勝てるかもしれない。


でも……そんなこと、絶対にできない。

血の滲むような努力を重ね、不器用に、けれど誰よりも真っ直ぐに剣を振るい続けるライオ兄。


もし俺が大して努力もしていないのに、彼を差し置いて騎士になったら。

ライオ兄は絶対に俺を妬まない。むしろ、「すげぇぞジズ!俺の自慢の弟だ!」と、満面の笑みで称賛してくれるだろう。


それが、嫌だ。

ライオ兄の純粋な誇りを、俺のこの気味の悪い『要領の良さ』で踏みにじるような不義理は、死んでもしたくない。


『ジズは、ジズのやりたい事をしなさい。あなたは賢い子だから』

いつだったか、母さんが俺の頭を撫でながら言ってくれた言葉が脳裏に蘇る。俺の葛藤を見透かしたような、優しい声だった。


「ふっ……」

自然と自嘲気味な笑みがこぼれた。

やりたい事、か。

「商人にでもなろうかな」


ぽつりと呟いてみる。

母さんの実家であるベンサム商会を頼って、色々な街や国を渡り歩く。俺なら、勘の良さから交渉事も得意だし、相手の嘘も見抜ける。色々な場所を見て回るのは、飽き性の俺でも退屈しないかもしれない。


「……でも、商人は馬車移動が多いんだよな。俺、馬車好きじゃないし」


今日までの長旅で凝り固まった腰と、揺れで気持ち悪くなった胃袋を思い出し、即座にその案を却下する。

ああでもない、こうでもない。

もう何度目かも分からない同じ悩みを頭の中で転がしているうちに、旅の疲労がどっと押し寄せてきた。

重くなるまぶたに抗うことなく目を閉じると、俺の意識はゆっくりと深い眠りへと落ちていった。




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