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第三十九話 決戦

 五階層の時に戦った変異種や、両ひざを伊藤に壊された変異種とは違っていた。

 異常なまでに肥大した肉体は、見るものを圧倒する威圧感がある。そして金色に輝く瞳には、狂った獣では持ち得ない知性が感じられた。


「なァ……、君ラって強イって聞いダガらサァ!!」


 伊藤は口の端を吊り上げた。その声は猛獣が無理やり声を出しているかのように、歪み、かすれ、低く濁っていて聞き取りにくい。


 そして次の瞬間、伊藤が跳ねた。

 凄まじい勢いで地を蹴り、爆発的な加速で城戸へと迫っていく。その衝撃で地面は陥没し大きな跡を残した。そして伊藤の腕が横薙ぎに振るわれると、大きな鈍い音が響き渡る。


「ぐっ……!!」


 咄嗟に腕を交差して防御するも、伊藤の一撃は城戸を大きく吹き飛ばした。土と砂利が舞い上がり、城戸の身体は地面を抉るように拠点に向かって十メートル近く転がった。


「城戸さん!!」


 思わず浅見が叫んだ。

 城戸を吹き飛ばした直後、伊藤は日下部へと狙いを定めた。地を蹴った瞬間、身体が黒い影と化したように錯覚するほどの早さで迫ってくる。


「っ……!!」


 日下部は一瞬で間合いを取ったが、伊藤の速さは異常だった。飛び込んできた伊藤は薙ぎ払うように左腕を振るう。

 先の城戸の吹っ飛ばされたのを見ても、日下部はこれを受けるわけにはいかない。十八番ともいえる、刀の先を当てて伊藤の力を利用していなす。刃の上を腕が走ったが、伊藤は痛がる素振りすら見せなかった。

 そして次は叩きつけるように拳を振るい始めた。


「チッ……!!」


 日下部はすぐさま後方へ飛び退いた。だが、次の瞬間には、すでに間合いの中に入っていた。


「遅イんダよォ!!」


 低く唸るような声とともに、開かれていた伊藤の両腕が閉じられる。攻撃というより、日下部を捕獲する動きに見えた。一瞬で抱き着くように腕が巻かれるが、腕の中に日下部の姿は無かった。


「んン……?」


 きょろきょろと消えた日下部を探す伊藤の視線は、先ほど吹き飛ばした城戸の方を見て止まった。そして日下部が、こつ然と消えた原因について考え始めたため、動きが止まる。

 興奮していても人間としての思考がしっかりと、残っているようだった。




「危機一髪でした。ありがとうございます浅見さん。……にしても城戸さん、私じゃアレは無理そうです」

「そうか。……いてぇ。折れては無さそうだが」


 浅見に抱えられて脱出することが出来た日下部が、降りながら地面に座る城戸に話しかけていた。その城戸は痺れた腕を気にする様子で動かしている。

 そして日下部は、口数が少なくなっている浅見を見て、謝った。


「すみませんでした。もっと前に五階層のアレは人間だったって知ってたんです。それに、伊藤がこういうこともしてるって、薄々感づいてもいました。でも知らなくてもいいことって、あるじゃないですか。……浅見さん根が優しいから。――まあ、全部自分のエゴなんですけどね」


 そしてやや俯き加減でため息をはいた。

 そんな中で、ピィと指笛が鳴る。音の出どころを見ると、拠点の中で小巻が三人の方を向いてジェスチャーをしていた。大きく腕を広げた後、頭上でバツ印を作り、そのまま腕を下ろす動作を数回繰り返した。


 このジェスチャーは速やかに撤退中のサインを示す。

 小巻は五人の男たちが、五階層で出たと聞いている変異種と風貌が一致し始めていること、そして城戸や日下部に襲い掛かった時点で、負傷者から順番に撤退を始めさせていた。


「撤退中だってさ。小巻さんって凄く仕事が出来るイメージ。なんでヤンキーとかしてたんだろ」

「若気の至りだって前に言ってたな」


 城戸が立ち上がって右手を上げて、了解のサインを送る。それを見た小巻が頭を下げた後、振り返り走っていった。


「……浅見、お前も行っていいぞ。色々と悪かったな」


 身体に付いた土ぼこりを払いながら城戸が言った。


「それに五階層のことは気にするな。アレはどうしようが人に戻ることは無かった。遅かれ早かれ、誰かが息の根を止めてただろうよ。あと、ここにお前に救われた人間が二人いるってのも覚えておいてくれよ」


 あの時、変異種の腕が振り下ろされていれば、日下部は今この場にはいなかった。

 腰ミノのように短くなったズボンの土ぼこりも払い始めながら、城戸は続ける。


「お前のその反応は正しい。人に凶器を振るうってのは、どれだけ理由があっても、中々踏ん切りがつかないもんだ。あの時、喜んで殴りかかって行った方が、逆に心配になるってもんだ」

「そうそう。城戸さんってば、浅見さんがスキルを悪いことに使わないか、ずっと気にしてましたもんね」

「ふん。そういうのを気にするのも俺の仕事だ。――とにかく、気にするなってことだ」


 そして背中を押すように、軽く肩を叩いた。静かに語りかける城戸の言葉は、浅見の心に少しずつ染み込んでいった。


「ですです。喜んで斬りに行くのは、私みたいな狂った奴で十分なんですよ」

「え?」


 浅見が思わず日下部の方を見た。日下部は苦笑いを浮かべるが、瞳には微かな虚無が漂っていた。


 その時、今まで静かだった伊藤が突然吠えた。


「アァァァアアア!! ワガらなイ!! スキル!? マたスキルか!! ドいつもゴイつもスキルスキルスキルウウウウ……」


 伊藤は苛立っていた。その光景を見た城戸が、


「日下部、お前も行け。俺のスキルは刃物には弱いが打撃にはめっぽう強い。そのうち小巻がダンジョン課の人間を連れて戻ってくるだろうし、それまで粘れるだろう」

「何言ってるんですか。一人より二人のほうが――」


 衝撃音と土ぼこりが舞う。伊藤が三人めがけて弾けるように駆けてくるのだが、狙いは日下部でも城戸でもなく、浅見が狙われた。


「オマエガァアア――」


 城戸や日下部を相手にしたときよりも明らかに速い、伊藤の突進。土煙を巻き上げながら、巨体が獣のように猛然と迫る。それは、先ほどまでとは比べものにならない圧倒的な威圧感があった。


 しかし、浅見にとって一瞬は数十秒に引き延ばされる。浅見だけに許された神速の世界では、周囲の動きが極限まで遅く見える。土煙すら静止したかのように漂い、時が凍りついたかのような静寂が訪れた。

 伊藤の怒りに満ちた表情や、剥き出しになった歯を見据えながら浅見は一歩前に歩み出た。


 浅見は膝を軽く落とし、地を蹴った。その時、地面が少し弾けるが、その音は浅見の耳には届かない。

 目の前には人とは思えない伊藤の姿がある。浅見は抜刀すると歯を食いしばり、右腕めがけて振り下ろしたが、斬るどころか薄皮を傷つけるだけに終わった。

 世界に音が戻ってくる。


「グゥ……?」


 駆けていた伊藤に感じた微かな痛みと、右腕へのかなりの衝撃。標的にしていた浅見が目の前から消えていること。伊藤はすぐに止まろうとするが、勢いが付きすぎた突進は、地面を削りながら数メートル進んでようやく止まった。

 少し血の滲む腕を見た伊藤は、何も言わずに、ただ浅見の方へ歩み寄って行く。そして間合いに入ったが、ただただ見下ろしている。

 腰が引けそうになる浅見だが、負けじと睨み返していると、おもむろに伊藤が拳を振り上げた。


 ドン!! という衝撃音。伊藤の拳が空を切った音だった。


「イダっ……」


 そして遅れてやってくるチクリとした痛みに、伊藤が顔を歪める。振り下ろした腕には真新しい切り傷が増えていた。

 浅見の実力では、表面を傷つける程度にしかならない。肉厚な伊藤の身体は、浅見の刃を易々と弾いてしまう。

 柔らかいと思われる眼球や、口の中などを突き刺せば多少のダメージを負わせることが出来るが、浅見の心はまだ覚悟は決まっていない。


「モォイイや。オマえじゃナクて、アいヅらの方が、やリガいがあルうぁ」


 あれほどスキルを使った浅見に執着していたのが嘘のように、伊藤は突然興味を失ったように背を向けた。


「ガアアアァァァァァ!!」


 突然の咆哮。そして爆ぜるように駆けだした伊藤の表情は、殺意に満ちていた。


読んでくれてありがとうございます

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