第三十八話 邂逅
様子がおかしい探索者たちを見つけて、城戸へ報告した時には、すでに遅かった。拠点めがけて奇妙な姿で駆けていた。
「……ちっ、今から本番ってか。お前は下がれ」
城戸は、異形へと変わりつつある五人を見据えながら低く呟くと、報告に来た探索者を下げた。
迫りくる彼らは、今はまだ人間の形を保っているものの、明らかに異形のものへと変貌を遂げようとしていた。
腕や脚は不自然に長くなり、筋肉は異様に膨張し始めている。左脚だけが異様に伸びた者、右腕だけが太く膨れ上がった者……。体のバランスは、明らかにおかしい。身に着けていた装備類は引き裂かれ、肌には筋が浮かび、赤黒く変色した血管がうっすらと浮いていた。
しかし、彼らの顔はまだ辛うじて人間のままだった。
瞳は黄色く縁取られていくが、微かに理性が残している様子を見せており、その双眸からは涙が流れていた。
「……これって……」
浅見が一歩後ずさる。
その瞬間――五人が同時に駆け出した。
異様に長くなった脚が地面を抉るように踏み込み、バランスを崩しそうで崩れない、不安定な動き。徐々に変異種に近づいていく。まるで人がモンスターに飲み込まれていくようでもあった。
「来るぞ!!」
「もう!」
城戸が叫び周囲に促すと同時に、日下部がうんざりした様子で武器を構えた。
完全に変異種になる前に何とかしなければ、そう城戸は思っていた。そして猛然と前に出ると、変異しかけた一人の腕を素手で受け止めるのだが、浅黒くなった腕が城戸の腹部を襲う。
だが怯むことなく、逆に握り締めた拳を叩き込んだ。
「ぐっ……、らぁあ!!」
城戸の拳が肩を捉えた瞬間、鈍い音が響いた。バランスを崩して倒れると、まだ人間の部分を踏み抜いた。
渾身の一撃は膝を粉々に砕いた。嫌な音が響くと、探索者だった男は鈍いうめき声を上げながらのたうち回る。
完全に変異種のようになってしまえば救いようがない。この城戸の行動が、功を奏した。赤黒く膨れ上がっていた腕が、徐々に人間の姿へ戻っていった。
「これだ!」
城戸は勢い良く声を上げた。
一方で、日下部も城戸と同じように、完全に変異する前にどうにかしなければと考えていた。日下部の前にいる男は、左腕はすでに膨張して変質しているが、右半身はまだ人間のままだ。そこを狙った。
「しっ!!」
日下部は一瞬で踏み込むと、右肩から袈裟に振り降ろした。だが肉は斬られていない。峰打ちだった。
右肩を砕かれた男は人間の顔のまま蹲って唸っている。そして変異が止まる。
「生身の部分を狙って攻撃しろ!」
城戸の声が響いた時には、日下部はすでに動いていた。左右の足の長さが違ういびつな男は日下部に拳を振り下ろすが、バランスが悪いせいで勢いがない。日下部に難なく躱され、膝を砕かれる。城戸も襲い掛かってくる男の腕を取ると、肘関節を破壊した。
痛みでのたうち回る四名だったが、残る一名はほぼ変異種になりかけていた。残す人間の部分は左手だけになっている。
「いけるか!?」
城戸はスキルを持つ浅見に振り返って言うのだが、色よい返事というよりも、応答がなかった。
浅見の脳裏に、五階層で戦った変異種の姿が浮かぶ。あの時はただのモンスターだと思っていた。だが今、目の前で変わり果てた彼を見てしまったことで、あれが人間だったと理解してしまった。
スライムやカエルは問題にならない。オーガは人型ではあったが、所詮はモンスターだ。だが目の前にいる変異種は人間だった。
浅見は刀を抜けないでいた。
無理か……。城戸は切り替えて日下部に言う。
「いけそうか?」
そうこうしている間に、残りの一人は完全に変異種へと姿を変えてしまった。
五階層に出た変異種と違いは肌がより黒く、背がさほど大きくないことぐらいで、目の色や纏う雰囲気は同じだった。
そして、なぜだか襲い掛かってこない。
「あの時とは刀も違うんで……、やってみないことには」
「なら、そのタイミングで、俺はこいつら四人を回収する」
日下部と城戸がアイコンタクトでタイミングを計った。そして行動に移すべく、日下部が腰を落とした瞬間だった。
地面に大きな影が映った。そして地面を裂くような鈍い音と共に、土煙が舞い上がった。渦を巻いて舞う土ぼこりに、視界を遮られた城戸と日下部は反射的に距離を取って警戒を強める。偶然にも浅見を挟み込むような形になった。
「何が降ってきた!?」
「人……? だったような……」
まさか、と言いたげな城戸の表情は土ぼこりで日下部には見えなかった。
土煙の中からゆっくりと現れたのは変異種ではなく、一階層で活動する探索者のようなジャケットを身に着けた若い男だった。男は気を失っている四人の傍らでしゃがみ込んで、それぞれをつぶさに観察をしていた。
「あっ」
男の横顔に、見覚えがあった浅見が小さな声を上げた。
「伊藤宗一郎……」
城戸が声に出した。探していた人物が、目の前でしゃがみ込んでいるというのに、城戸も日下部も警戒を強めて動こうとしない。
理由は伊藤の瞳の色が金色に光っていたからだった。
カラーコンタクトなどではない明るい金色。光を反射しているのではなく、瞳そのものが光を放っているかのように煌めいている。
「んー……、なんで戻ったんだ?」
伊藤が独り言のように呟いた。そして次第に瞳の色が黒へと戻っていく。その表情には、彼らへの心配や憐れみの色は一切なかった。
「痛み……か?」
膝を砕かれて気絶している男をまじまじと観察する。
「神経への過剰な刺激が変異の抑制に働いた? 痛覚と神経伝達の関係性は案外単純なのか? あるいは脳の扁桃体への影響か……? どっちにしろ、検体が少なくて分からねえな」
まるで人体実験のデータを分析する科学者のような視線だった。
「なぜ姿を現した」
城戸が問いかけた。
「ん? けしかけたオーガの反応も感じなくなったし、こいつらの反応も消えたから気になって見に来ただけ」
「けしかけた……? このオーガの襲撃はお前の仕業か」
「これであんたらが負けてもいいし、オーガが死んでも有効活用できるし、こいつらの変化も見たかったしで、丁度良かったんだよねー」
「ふざけるなよ、なんでこんなことをした」
その声には怒気が孕んでいた。城戸に言われて伊藤は考える素振りを見せたかと思ったが、すぐに答えが出たようだった。
「知的好奇心以外に、なにかある?」
その声は、恐ろしいほどに軽かった。まるで実験を楽しむ科学者が、語るような無邪気さがあった。
「あ! 痛みが関係しているとしたら、どのタイミングだ? ――良い事思いついた」
伊藤の瞳の色が再び金色に染まった。
そして完全に変異してから微動だにしない残りの一体の方を向いた。しばらく見つめあったかと思うと、変異種が伊藤の前で寝転んだ。
これがオーガたちをけしかけた力の一端でもあった。意味が分からない行動を見た城戸が呆気にとられる中で、伊藤は爪を立てて握りこんだ。
ぐしゃりと嫌な音が響いて、変異種の膝が潰された。どくどくと血が流れるがうめき声一つ上げない。そしてもう片方の膝も握りつぶした。
「戻らないか……。やっぱり、変異途中か……」
そういって伊藤がパウチを取り出した。その中から数錠を無造作につまむと、意識のない男の口元へ持って行った。伊藤はもう一度、薬を飲ませる気でいた。
だがいち早く動いたものがいる。日下部だ。
素早い動きで伊藤の手に向かって、赤い一閃が振りぬかれた。
「いたっ!」
峰打ちではない本気の一撃。確かに手に当たったが、つまみ持っていた薬を落としただけで終わった。斬られたジャケットから覗く伊藤の腕には、傷一つない。
攻撃が利きそうにないと悟った日下部は、すぐさま距離を取る。その表情は顰められ、苛立ちを隠そうとしていなかった。
「いきナり、斬りガかっデ来るなんて、野蛮なンじャなイ?」
斬りかかられたが、まるで気にも留めていない伊藤の態度。そして呂律が回らなくなってきている話し方。その声は明らかに歪んでいた。声帯が変質したかのように、言葉の端々が引き攣れている。
ふと見ると、彼の手は細かく震えていた。先ほどの日下部の一閃に対する恐怖や痛みではない。徐々に腕が膨れ上がり、指先やジャケットから見える皮膚が変異種と同じ色に変わって行く。
「ウーん……、ヤっばり、しャべりにグいのが、改善でんダ」
伊藤は傷のない手をひらひらと振りながら、愉快そうに笑った。
「ハハ、この際ダシィ、どこマデヤえるか、チョっと、試ジてイイ?」
その瞬間、伊藤の身体が異常な速度で膨張した。全身の筋肉が異常なほど膨張する。耐え切れなくなったジャケットやズボンが引き裂かれ、膨れ上がった四肢に赤く浮き上がるの血管が大きく脈動している。
肌は艶のある黒に染まり、異様な質感を帯びていた。
「ハァ……、ハハッ! ……いイね、気分がイイ、最高ダァ!!」
伊藤は陶酔したように自らの身体を見下ろしている。
「……やべえな」
城戸は思わず呟いた。
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