26 鳳凰暦2020年8月18日 火曜日夜 国立ヨモツ大学附属高等学校女子寮
「……ふぅ」
ひとり、自分の部屋にいるというのに、私――下北啼胤はなかなか落ち着かなかった。
「鈴木くんはアレをどうするつもりだろうか……」
誰もいない部屋で壁に向かって語りかけてしまう。
最近、こういう瞬間が増えている。
生徒会役員とのパーティーを解消してからは特にそうだ。
……私だけが別世界へと旅立ってしまったかのようだ。
あの、12層格の……水の属性魔石。
9層格以上は、ダンジョン外で第3階位までのマジックスキルが使えるようになる特別な魔石だ。『ライトヒール』や『ヒール』はもちろん、『ハイヒール』が使えるようになるのは大きい。
全国にいくつもの総合病院を設立している平坂家にとって……。
そして『薬屋』ダンジョンでドロップする水の属性魔石での利権を握っている平坂家にとっては……絶対に見逃すことができないものでもある。
あの『薬屋』ダンジョンでも、9層格以上の水の属性魔石はなかなか入手できないのだ。
大伯父さまの話だと、Cランク以上のクランに対して指名依頼をかけているらしい。9層格以上はかなりコストがかかる魔石だと言える。
その分、保険適用外の高額な医療での収入にもなっているのだけれど……。
地獄ダンは難度が高いとはいえ、人数をそろえることができれば浅い層なら問題はないだろう。
4層なら……7層格までを倒せれば対応できる。つまり、犬ダンジョンをクリアしていればほぼ問題はないのだ。
4層という絶妙な位置での12層格の属性魔石は……この情報が漏れた場合、鈴木くんが想定しているであろうダンジョン外でのアタッカー同士の争いも視野に入る可能性が高い。
こんな情報が出てくるのなら……鈴木くんが私を魔法契約で縛ったのも当然だと言える。
その結果として、生徒会役員とは距離ができた。
家族や親戚との間にも、距離ができつつある。
だからといって、鈴木くんを恨むような気持ちにはならないけれど。
「……大伯父さまがいろいろと学校のことを聞くはずだわ」
ついこの前、クランのみんなとのホテルでの夕食の後に、平坂の本家に泊まらせてもらったのだ。
夕食は大伯父さま……平坂家当主の平坂幸四郎と一緒だった。
私に合わせて桃花ちゃんも一緒にお泊りしたので、クランのみんなには言えない話も聞いてしまったのだけれど……。
今年の新入生はどうだ、とか、1年生には期待の新人がいるそうだな、とか。
最初は桃花ちゃんの学校生活が気になっているのかもしれないと思ったのだけれど、あの隠里を知った今は、明らかに鈴木くんのことを知りたがっていたのだと分かる。
……ひょっとして平坂家はもう隠里の情報を掴んでいる? それとも水の属性魔石のことだけなのかしら?
私は何を鈴木くんに伝えた方がいいの?
鈴木くんからは特に何も教えられていない。私に対する鈴木くんの信頼は……あまりないだろうから。
だからこそ、私は鈴木くんからの信頼を得られるように行動しなければならない。
鈴木くんが一般的なアタッカーの常識をはるかに跳び越えてしまった存在だというのはすでに思い知っている。
いずれはあの陵竜也と肩を並べるだろうし、きっと、その上をいくのだろう。
今、どういう関係であったとしても、彼とのつながりは私にとっても、下北家にとっても、絶対にプラスになるはずだ。
……まさかとは思うけれど、下北ダンジョン群に関しても何か、とんでもない攻略情報が出てくるかもしれない。
まあ、それは2年生の夏合宿までは分からないことなのだけれど……。
「……桃花ちゃんとのことでからかうのも、クランだと別の意味で大問題になりそうだし……」
大伯父さまが「ほっぺにチュッとやったそうじゃないか」と言った時の桃花ちゃんは本当にすごく可愛かった……というか、桃花ちゃんも鈴木くんが好きだったという事実に私は衝撃を受けた。
……桃花ちゃんが鈴木くんにキスした――ほっぺにチュッ、だとはいえ――なんて話は『走る除け者たちの熱狂』では絶対に言わない方がいいだろう。
どんな地獄がそこに広がるか、想像もできない。それを知った場合の岡山さんが怖すぎる。
実は小学生の頃から鈴木くんのことが気になっていたなんて……長い付き合いだけれど、あんな顔をする桃花ちゃんは初めて見たかもしれない。
クランメンバーは恋愛的な意味ではないとしても、みんな、鈴木くんのことが大好きだ。
それだけ彼に助けられてきた、ということでもある。
桃花ちゃんがどれほどの美少女だったとしても……いえ、美少女だからこそ、鈴木くんを奪われたように感じたらどうなることか。
「……ふふ。属性魔石の利権の話よりも、クラン内を混乱させそうよね」
笑ってしまった自分が今、現実逃避していることは分かっている。
でも、これ以上、考えたくはない。
まだ水の属性魔石だから少しはマシだ。これがもし下北家の利権になっている闇の属性魔石だったとしたら……。
私の苦悩は限界を超えていたに違いない。
「いえ。12層格なら、逆にそこまで重みはないのかも……」
闇の属性魔石は1層格でも十分に価値があるのだ。
魔法契約が第1階位のマジックスキルで可能だというところが大きい。
階層格は高くなくてもいいところが水の属性魔石とは違う。
……私が家のことを心配する必要はないか。
家族の顔を思い浮かべて、ふと笑った。
もう寝て、明日に備えよう。
私はエアコンのタイマーを設定して、ベッドへと入ろうとした。
こんこんこん。
ノックの音に、入口のドアを振り返る。
そろそろ寮の消灯時間も近い。こんな時間に誰が……?
私は首をかしげながら、ドアの方へと向かうのだった。




