瞬間移動
メランポードが、銀の鍵を差し込んでまわすとカチリと音が響いた。観音開きの扉がゆっくりと開く。
ジョーンズは何もできず茫然と見ている間、エルダーが舞い下りて馬の姿に変化した。フェンネルが魔法でアニスの体を馬の背に乗せた。
「急げ! 逃げるのだ」
ジョーンズは、戸惑った顔でフェンネルを見た。
「あなたはどうするのです」
「扉を壊す」
「僕も手伝います」
フェンネルは首を振った。
「ダメだ。ノアが殺され、君まで奪われたらこの世界は終わりだ」
「しかしっ」
その時、扉が開き、何かが這い出て来た。メランポードが恭しく頭を下げる。
「まずいことになった。彼らに見つからない場所へ瞬間移動を――」
その時、
――もう、遅いぞ。
と、ジョーンズの耳元で声がした。恐怖で体が凍りつく。しかし、フェンネルは諦めなかった。
杖を地上へ突き立てまばゆい光りに包まれると、黒い影が吹き飛んだ。
すぐさま五茫星を描き、ナーダス、フランキンを寝かせた。
「中へ」
ジョーンズを促す。
「わたしにつかまりなさい」
ジョーンズは、フェンネルの肩を掴んだ。
アレイスターへ―。
フェンネルの声がした。その時、空から太い男の声とともに鋭い剣が飛んできた。
「行かせんぞっ」
ジョーンズは無意識に手を振り上げていた。呪文の言葉があふれだす。
――バーリー、バーリー、守護せよ。
大麦が風に乗って五茫星を取り巻くと、敵の剣は跳ね返され粉々になった。
フェンネルはそれを見届けると、目を閉じてアレイスターを思い描いた。
アニスたちはぱっと塵のように消えた。
ジョーンズにとって、瞬間移動は初めての体験だった。魔法で、異次元に飛んだ所までは覚えていたが、その後の記憶が全くない。
ジョーンズは痛みで目を覚ました。手のひらに当たるのは、硬い床だった。
「ここは…?」
「動かないで」
声のする方を見ると、かがむようにして女性がそばにいた。見覚えのある横顔だ。
「ミス・ローズ?」
少し痩せただろうか、ローズは髪をひとまとめに結って、インド更紗の白いエプロンをつけていたが、赤茶色に汚れている。
ローズは床に置いてあるボールで手を洗っていた。
「ここは、アレイスターです」
ローズがタオルを水で湿らせて、ジョーンズの頬をそっとぬぐった。ジョーンズは、顔をしかめその手をそっと払いのけた。
「アニスは…?」
ジョーンズは体を起こし、あたりを見渡した。
自分はロング・ギャラリーの床の上に寝かされていたようだった。ロング・ギャラリーを見れば、この城がどれほど立派なものか一目了然だったが、それどころではない。
ジョーンズは、起き上がるだけで息が上がった。腹に包帯が巻かれてあったが、血で滲んでいる。
「レディ・ローズ、アニスは? それに他のみんなも」
「フェンネル様はご無事です。こんな所に寝かせたままでお許しください」
「それはいいんだが…」
自分はどれくらい眠っていたのだろう。
まともに頭が動かない。
ジョーンズは、膝をついて立ち上がった。
「ジョーンズ様、傷が開きます」
「構わない。それよりも、アニスに会わせて欲しい」
ローズの顔がこわばる。
「アニスはどこにいるのですか?」
「アニスはいません。ノアと共に息を引き取りました」
「……嘘だ」
ジョーンズは顔をしかめると、後ずさりするローズの手首をつかんだ。ローズはおびえたように体をすくめて、手を振りほどいた。
「レディ・ローズ、頼むよ、アニスに会わせてくれ」
ローズは首を振った。彼女の目に涙が盛り上がる。
「いいえ、できませんわ。ねえ、ジョーンズ様、これは夢よね。わたくし、夢だと思っていますのよ、ノアが死んだなんて。まさか、わたくしのノアが死んで、アニスまで…」
ジョーンズは、ローズに向かって、黙れ! と叫びたいのをぐっと押さえた。
「レディ・ローズ、もう一度だけ言う。アニスに会わせるんだ」
ローズはすくっと立ち上がると、部屋を飛び出していった。
「待ってくれ…っ」
これは夢を見ているのだ。
ジョーンズは思った。
起き上がろうとしたが、体が痛くて動けない。
誰か、教えて欲しい。一体何があったんだ。
何か、大変なことが起きているのは分かっていた。アニスが死ぬはずがない。
彼女は魔女だったはずだ。元気にはしゃぎまわり、おかしな魔法を使う、少し鈍くさい女性で…。
「気がついたらしいね」
ドアが開いたのに気付かなかった。目を上げると、黒髪の青年が立っていた。
宿で出会った若い男だ。
「君は…」
「僕はタンジーの兄だ。ナーダスという」
「アニスは?」
ナーダスは何も答えず、椅子に腰かけた。
「ミスター・グレイ、君は何を覚えている?」
「そんな質問はいらない。アニスに会いたいんだ」
「タンジーの事は聞かないのか?」
タンジーはもういない。
自分は、愚かな行いをしていた。
首を振ると、ナーダスは息を吐いた。
「君は何も悪くない。悪いのは僕の妹だ」
「アニスに会わせて欲しい」
「アニスは埋葬した。もうこの世にはいない」
「信じない」
「本当なんだ。アニスはもういないんだ」
ジョーンズが首を左右に振って、ナーダスの胸倉をつかんだ。
「アニスに会わせてくれ」
「死体を掘り起こせというのか? 冗談じゃない」
ナーダスは、ジョーンズの手を振りほどいた。
「アニスは死んだ。アニスが敗れたことにより、世界は崩壊した。現実を見て君はもっと後悔することになるっ」
ナーダスはドアをバタンと閉めて出て行った。
ジョーンズは、あまりの衝撃で、体が震えていた。
アニスが死ぬはずがない。
ジョーンズは唇が切れそうなほど噛みしめていたが、顔を上げた。立ち上がろうと必死になる。足に力が入らず、がくんと床に這いつくばった。
体力が戻るのを待っている暇などない。
アニスを探さなくては。
ジョーンズは、ナーダスの話を聞いているうちに、断片的だったが、思い出した事があった。
あの黒い魔女、メランポードが言った言葉。
――セント・ジョーンズ・ワートの末裔の魔力を全て奪ってやった。
最初は全く理解できなかったが、セント・ジョーンズ・ワートなら聞いたことがある。
伝説の戦士であり、最大の魔術師だ。何百年も前に死んだと聞いたが――。
ジョーンズはイスの足につかまり、座ることができた。頭を働かせる。ここには書斎があるだろうか。
城なら、呼び出しの紐があるはずだ。すぐに見つけて、紐を引く。
誰が来るだろう、と待つと、ドアをノックして誰か入って来た。
見たこともないメイドだ。よく見ると、妖精だった。
妖精の赤い髪の毛に見覚えがあった。
「シスル…?」
「ええ、私です」
アザミの妖精、シスルだ。
「今、みんな手が離せなくて…。私が来ました。何かご用ですか?」
「忙しいところ申し訳ないのだが、この城には書斎はあるかな」
「ええ、ありますよ」
シスルはいぶかしげな顔でジョーンズを見た。
「そこへ連れて行って欲しい」
シスルは一瞬押し黙ったが、頷いた。
「いいですよ。でも、まずは着替えを手伝います」
「今すぐに行きたいんだ」
「でも…」
シスルは、ジョーンズの姿を見て顔をしかめた。
「ミスター・グレイ、歩けないんじゃありません?」
「いや、歩けるよ。力が入らないだけだ」
「何も食べていないんですよね」
シスルが思い出したように言う。
「何か食べ物を」
「書斎で食べる」
ジョーンズがきっぱりと言い、じわじわと歩きだした。
シスルは困った顔で息をつくと、ジョーンズの肩に腕をまわした。
「お手伝いしますわ」
シスルを頼りながら歩く自分を情けなく思い、それでもジョーンズは足を動かした。
書斎は見たこともないほど立派だった。
天井までびっしりと本で埋め尽くされている。
圧倒されてジョーンズは息を呑んだ。
「すごい量だ…」
「ここは、アレイスター城の書斎です」
シスルが食事を取ってくると言って、出て行った。
ジョーンズは、イスに座って深呼吸をした。
この中から探さなくてはならない。
魔女を生き返らせる方法の本を。




