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碧い人魚の海  作者: 古蔦瑠璃
[六] アンクレットと人魚の涙
83/110

83 水蛇の一族

「でも──」

 そう、モリオンは首を傾げる。

「人魚ルビー。本当はもうあなたは、そのアンクレットが何なのかを知っているのではないの?」


 そこまで口にしたモリオンは、しかし不意に黙り、周囲に目を走らせた。

 ルビーも思わずきょろきょろとあたりを見回す。

 どこからか、ひそひそ声が聞こえてきたからだ。


「……マナ、あなたが行きなさいよ」

「どうして? ミナが一番年上なのに?」

「あたしはマナが適役だと思うの。ねっ、モナもそう思うでしょ?」

「そうかなあ?」


 小舟の縁のすぐ下あたりの水の中からだった。女の子の声が3人分。ルビーとモリオンは同時に水の中を見やり、それから顔を見合わせる。


「……それに年上っていったって、マナやモナよりも2つ夏を多く過ごしただけよ。何百歳、何千歳の御歳の緑樹さまから見たら、あたしたちの違いなんてないのと一緒じゃないの」

「ねえ、マナとミナ、いっそみんなで顔を出したらどうかなあ?」

「なんてこというのよ、モナ。もしも緑樹さまのお怒りを買ってしまったら、あたしたち3人ともただじゃ済まないんだから。指一本であたしたちの1人ぐらい簡単に引き裂いてしまう力をお持ちなんだから」

「ええっ? じゃあマナが1人でお怒りを受けても構わないって、ミナは言うの? それってひどいんじゃないかなあ?」

「マナだったら大丈夫よ。モナも知ってるでしょ? マナは特別なんだから」

「けどミナにモナ、あの人そんなに怖くなさそうよ。なんだか人間の女の子みたいなの連れてるし……」

「あっ、人間の女の子がこっち見た。でもこっちのことは見えてないよね。姿消しの魔法は完璧にできてるよねっ?」


 透き通る水の中に、声の主の姿はまったく見えない。会話する声だけが聞こえてくる。声は小さかったけれども、話の内容が聞き取れないほどではない。


「あなたたち」

 姿の見えない何かに向けて、モリオンが声をかけた。

「怒らないから、出てきてちょうだい」


 ばしゃばしゃという賑やかな水音とともに、悲鳴が上がった。

「きゃああ、見つかっちゃった」

「どうしよう!」

「逃げなきゃ」

「待ってよう、マナ、ミナ、あたしを置いていかないでよう!」

 水音だけを残し一端遠ざかっていった気配は、そのあともう一度、声とともに近づいてくる。


「……緑樹さまは怒らないっておっしゃったわ」

「あたしたちが姿を見せても怒らないかしら」

「怒らないんじゃないかな。だって人間みたいなの連れてるし」

「同じ舟に、人間乗せてるものね。人間に優しくしているんだから、きっとあたしたちにも優しいと思うわ」

「やっぱあれ、人間なの? あたし一度も見たことないからわかんないけど」

「だって、見た感じ、水の民でも陸の民でも空の民でもなさそうよ? ほとんどどんな魔力もまとっていないから、多分人間だと思う」

「人間って魔力がないの? そりゃ、やりにくくって大変だろうねえ」

「人間にもいろいろあるって聞いたわ。なかにはうんと魔力が強い人間もいるんだって。精霊界に来たこともある人間で有名なのは、白い髪の賢者さまと、太った男」

「ふうん、マナはやっぱり詳しいんだねえ」


 会話はそこで途切れたが、水の中に何かがいる気配は続いている。

 と、光に満ちた青い水の中に突然、1人の少女が姿を現した。

 正確には少女に似たものだ。少女の形をしているのは、頭部と首から肩にかけて、それから両腕までだった。胸元から下は、青い鱗に覆われた大蛇の形をしている。長い髪もこちらを見る目の色も、周囲の輝く水よりも深い鮮やかな青。胸元までの人の姿の部分も、人の肌の色よりもやや青みがかっている。


 少女の隣から、2つの声が上がった。

「あたしの姿消しの魔法も解いてよ、マナ」

「ねえマナ、あたしのもお願いしていいかなあ?」


「ミナもモナも、いいかげん自分で姿消しの魔法の使い方覚えてよ」

 マナと呼ばれた少女はそうこぼしながらも、2人の要求に応じたらしかった。

 すぐにもう2つの少女の姿が、水の中から現れる。

 2人ともマナになんとなく似ていて、同じ一族だとわかる顔立ちだった。魚のような丸い目につるりとした輪郭。イルカを思わせる丸い額。

 1人は青というよりも深緑に近い髪の色。蛇の鱗は黒っぽい。もう1人は淡い水色の髪を男の子みたいに短く切っている。胸から下は白蛇だった。


「緑樹さま」

 おずおずとした口調で切り出したのは、最初に姿を現したマナという少女だった。

「あたしたち、緑樹さまに聞いていただきたいことがあるの。そちらに行っても構いませんか?」

 モリオンはその顔に、穏やかな微笑みを浮かべ、頷いた。

「水蛇の一族の人たちね。どうぞ、あななたちの話を聞かせて」

 モリオンの言葉とともに、小舟は川の流れを無視してその場に留まり始める。


「やっぱり緑樹さま、優しそう。怖くないよ。思ったとおりだ」

「しっ、黙っててモナ」

 暗緑色の髪の少女は、水色の髪の少女を低い声でたしなめた。

 少女たちは泳いで上がってきて、揃って肩から上だけを水面から覗かせた。


 モナと呼ばれた水色の髪の少女は、好奇心いっぱいの目で、真っ先に舟に泳ぎ寄る。

「わあ! 人間の女の子、1人だと思ってたら2人だあ……」

 彼女は舟底を覗き込むと、感慨深げにつぶやいた。

「1人は眠っているの? すごいや! 髪の毛金色なんだねえ。こっちの人間の女の子も、野いちごの実みたいな綺麗な髪の色だねえ」

「ちょっとモナっ」

 後ろから暗緑色の髪の少女がモナを引っ張り戻そうとするのを、モリオンは軽く手を上げて制した。

「大丈夫。別に構わないから」

 モナは小舟の縁のところに手をかけて、不思議そうにモリオンを見上げた。

「けど緑樹さまはどうして舟に乗っているの? 水の中を泳いで行った方が気持ちいいよ。この川の水はとても綺麗だし、エネルギーもくれるし、だれにも何も悪いことをしないのに」

「もうっ、モナってばさっきから緑樹さまになんて口を利くのよ」


「いいのよ」

 困った顔の暗緑色の髪の少女に、モリオンは微笑んで見せた。

「それにわたし、そんなにあなたたちと歳は違わないと思う──多分だけど」

「緑樹さまはあたしたちと同じぐらいなの? マナとあたしはこれまでに夏を15回、ミナは17回過ごしてきたんだよ。そんな短い間に、こんな風に奥が見えないぐらいまばゆい御力みちからを持つことができるものなの?」

 モナはひどく不思議そうな顔になって、まじまじとモリオンを見た。

「ばかね」

 マナがすぐ横にやってきて、モナを小突いた。

「だから緑樹の精霊は、そういう存在なんだってば」

 遅れてミナもマナの隣に並ぶ。3人の少女たちは揃って小舟の縁に腕をかけ、肩まで身を乗り出した。


「わたしたちが舟でここに来た理由だけど──」

 モリオンはカナリーを指して、

「こちらの子は水が怖いの。だからよ」

「どうして? どうして水が怖いの?」

「さっき怖い思いをしたからよ。溺れる夢を見たの」

「この水で?」

「そう。この水で」

「この水は溺れないよ」

「知っているわ。でもこの子にとっては違うのよ」

「ふうん……」


 モナはまだ納得していない顔で、もう一度眠るカナリーを覗き込んだ。

「もったいないねえ。せっかくこんなに可愛いのに。いまは竜族の方たちが街に来ているから、街まで降りてきたら会えるのにねえ。竜族のだれかがこの子を見たら、恋に落ちちゃうかもしれないのに。ねえ、知ってる? 歳若い緑樹さま。竜族の人たちってとってもとってもハンサムなんだよ」


 続いてモナは、ルビーを振り返る。

「ねえ、知ってる? 野いちごの髪の人間の女の子。竜族のだれかに見初められて伴侶に選ばれたら、御力みちからを分けていただけて永遠に近いときを一緒に過ごすことができるんだよ」

「ばかね、モナ。竜族の方たちは、見た目で伴侶を選んだりしないわよ」

「そうかなあ? けどこんな金色をしていてこんなに可愛かったら、竜族の人だって気に入るんじゃないかなあ。この子ったらまつ毛まで金色だよ。まるでお日さまの化身みたいだよ?」

 モナはなおも納得しない様子で、まじまじとカナリーの寝顔を覗き込んだ。


「マナの言う通りよ、モナ。強い霊力を持つ精霊が、寿命を持つものたちの中から伴侶を選ぶことがあるのは、もっと別の理由があるからなのよ。ねえ、そうでしょう? お若い緑樹さま」

 そんなに歳が違わない。モリオンからそう言われたせいか、モナばかりでなくミナも、いつのまにか少し気安い口調になっている。


 突然同意を求められたモリオンは、しかし首を横に振る。

「精霊が伴侶を選ぶ理由については、わたしは知らないわ。わたしは生まれてからそのほとんどをこことは違う、もう一つの世界で過ごしたから、精霊界のことはそんなに詳しくないの」


 モリオンのその言葉を聞いた途端、マナははっと顔を上げた。彼女は何かを言おうとした様子だったが、それよりも一瞬早くモナが口を開く。

「ふうん。違う世界って、おばあちゃんが物質界っていってる人間の国がある世界のことかなあ? 精霊なのに、向こう側で生まれて育ったの? 変わってるねえ」


 不思議そうな顔のモナに、モリオンは微笑んだ。

「物質界で育った精霊は、わたしだけじゃないわ。この子も──」

 と、ルビーに目をやって、

「人間の国がある世界の、北の海で育ったの」


「野いちごの髪の女の子、あなたは人間じゃないの?」

「ええ」

 口を利けないルビーの代わりにモリオンが答える。

「この子は人魚よ」


 それを聞いて、モナばかりでなくミナも、驚いた顔になった。

「人魚なら尻尾があるはずよ。なのにその子はどうして人魚の姿をしていないの? 草の民や風の民のような姿をしているわ。それに魔力がないから、あっち側の世界の人間かと思ったんだけど? 昔、この世界を追放された人魚は、大きな霊力と魔力を持つ精霊の一族だったはずじゃなかったの?」


 マナだけはなぜかさっきから落ち着かない様子で、モリオンとルビーを黙って見比べている。


「人間の姿をしているのは変身しているからで、魔力がないように見えるのは──」

 モリオンはもう一度ルビーに目をやる。

「力を隠す守護石タリズマンを身につけているからよ。あちらの世界で怖い人間に見つかってつかまって食べられたりしないように。街の中で人間たちにまぎれて過ごせるように」


 今度はルビーが目を丸くする番だった。

 水蛇の少女たちに対する声に出しての説明と同時に、モリオンはルビーの胸元の黒曜石のナイフを媒介にして、直接ルビーの意識に向けて、もう少し詳しい説明をしてくれた。


「あなたの思っている通り、そしてまじない通りの女術師が視たとおり、あなたの足にあるその細工は、賢者さまの手によるものよ。賢者さまがまだ魔具職人だったころにおつくりになったものだわ。ただ、だれがそれをあなたに施したのかはわたしは知らない。恐らくカルロ首相の指示によるのではないかと思うけれども。

 これがあなたに施された一番大きな目的は、あなたの魔力の外部への漏れを防いで、精霊をつけ狙うものたちからあなたの姿を隠すこと。あなたをまるで魔力のないもののように見せて、あの宿の女将のような──あの陰気な顔の王族の男のような──大きな魔力の流れを感知するものたちの網にかかりにくくするためのものなのだわ」


 それから彼女はこうも言い加える。

「おかげでわたしも、魔力の流れを辿ってあなたを捜すことが叶わず、手間のかかる効率の悪い捜し方しかできなかったのだけど」


 一方、水蛇の少女たち──わけてもモナ──は、顔を強張らせて身震いした。


「人間は精霊を食べるの? あっちの世界は怖い世界なの?」

 モリオンはどう答えようかと少し考え込んでいたようだったが、ややあって首を振る。

「普通は人間は精霊を食べないわ」

 少女たちは、少しほっとした顔になる。


「でも中には怖い人間もいるの。人間というよりも、魔の物といった方がいいような存在だわ。けど、その一方でわたしたちの世界に近しい立場の人間も、確かに存在するのよ。だって、その守護石タリズマンをつくったのも人間だもの」

「人間のつくった守護石タリズマン? それ見たい! どんなものなの? どこにあるの?」

 モナが急に身を乗り出してきたので、ルビーはびっくりして少し身を引いた。


「まあ、モナ。野いちごの髪の女の子が怖がってるわよ。っていうか片方に重心をかけたら舟が傾くから」

 慌ててミナはモナを注意した。

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