68 ジュリアの主張
小料理屋の店内はそこそこ混んでいたが、親方はすぐに見つかった。彼はフロアの奥まったところにある角っこのテーブル席を一人で占領して、悠然と座っていた。
一同はロメオの部屋に場所を移し、料理と飲み物をそこに持ち込むことにした。
料理屋のおかみさんは「あとで皿を返しにきておくれよ」と言いながら、大きな盆を出してきて飲み物や料理やつまみの皿をそれに乗っけてくれた。
ルビーとジュリアはとりあえず一旦休んだほうがいい。ロメオがそう主張したため、一度は自分たちの部屋に入って荷物を降ろした2人だったが、やはり気になるので、同席させてもらって話を聞くことにした。
一度は2人の部屋に持ち込んだジュリアの分の食事の皿も、ロメオは面倒がらずに運び直してくれた。
署内でオリジナルの書類を見ながらジュリアが几帳面に写し取った構造図をロメオは出してきて、親方に手渡した。親方はまじまじとそれを眺めたあと、やはり知っている建築士によるものだ、と言った。
知っているといっても、面識があるという意味ではない。歴史上の人物なのだと親方は説明した。ルビーだけでなく、ジュリアやロメオにもその名前に聞き覚えはなかったが、専門家の間ではそこそこ有名人であるらしかった。80年ほど前につくられたそれは、その建築家の様式に則って建てられた典型的な建物の一つであるという話だ。
カナリーが姿を消した女将の宿の構造図がどこかで手に入らないかと、最初言い出したのは親方だった。
ちょうどいいタイミングでカナリーが移されたため、当初考えていたのとは別の場所の見取り図を手に入れることになった。眠り込んで起きないルビーの代わりに、昼間、見世物小屋まで連絡に走ったロメオに、移動先の方が助け出すにはかえって都合がいいかもしれないと、親方は告げた。
カナリーの連れて行かれた先が遷都以前にできた旧市街地であったことから、忍び込みの可能なタイプの建築様式であると、親方にはある程度予想がついていたらしい。
幾つかの同じ様式の建物の改築工事に携わったことがあるので、図面に書かれていない部分についてもおよその想像がつくと言われた。
天井裏から外に伸びている通風口に潜れば、部屋に忍び込むことが可能だという。特に厨房の排気口は大きくまっすぐ設置されていて、屋根の上の出口にそのままつながっている。侵入するためには鉄製の外ふたを取り外さなければならず、大きな音がするが、クッション材で包みながら外して音漏れを防ぐことも可能だと、考え考え、親方はそう言った。
「いきなりそっち方向かよ」
客のふりをして内部の様子を窺う方法などは一切すっ飛ばしての、いきなり忍び込むという親方の提案に、ロメオは若干呆れ顔になるが、親方は至極真面目な顔でこう答える。
「それが一番てっとり早い。客のふりして内部に入っても、立ち入りできるエリアなど限られている。見てみろ。この避難経路から客が出入りできるルートが逆算できる。下見は必要ないだろう。
それとな、この手の建物は、階段わきの中二階に隠し部屋があるんだ。図面から推察すると、このあたりと、このあたり──」
彼は写し書きの中の幾つかの部分を指差した。
「隠し部屋にも当然通風口はあるから、物音や気配を拾うなら、廊下から探るよりも様子がよくわかる」
「なんで隠し部屋にいると思うんだ?」
ロメオの疑問に、親方はさらに説明をする。
「必ず隠し部屋にいると思っているわけじゃない。隠されていた場合でもそうでなくても効率的に探せるのが、通風口からだと思っているだけだ。それに、例の女将の宿でも地下室かどこかに隠されていたってことだろう?」
「カナリーさんは、隠し部屋に閉じ込められている可能性が大きいと、わたしは思います」
いままで黙っていたジュリアが口を開いたので、ロメオと親方はぎょっとしたように小柄な少女の方を向いた。
「偶然なんですが、秘書官の定例勉強会で、政府の風俗関連の脱法取り締まり強化方法についてのディスカッションが、最近行われたばかりなんです」
お二人には言わずもがなの知識かもしれませんが、と前置きして、ジュリアはカルナーナ政府と奴隷商人ギルドと売春斡旋業者の複雑なつばぜり合いについて、ざっと説明をしてくれた。
カルナーナ政府が奴隷による売春を禁じているのは、表向きは人道的理由によるものだが、実は奴隷商人ギルドが力を持ちすぎないための牽制の意味合いが大きいのだという。奴隷商人ギルドは売春宿と取り引きをしてはならず、売春宿は人身売買によって労働力を入手してはいけない。
その法律によって、売春斡旋業者が人身売買を表だって行うことができなくなって以降、それらは闇取り引きという形で密かに続けられているのだという。お役所の管轄は、ときどき抜き打ち検査をやるので、店で働かせる前に、形だけでも自由意思による契約としての体裁を整えなければならない。
つまり、人身売買によって連れてこられたものたちが表に出される前に、逃げ出すことができずやむを得ない境遇なのではなく自らの意思で働いていると外部に信じさせるためのお膳立て、というものがなされるということだった。
そして、そのやり方は、年々巧妙になってきているのだという。
「担当部署の保持している検査時の攻防の記録も見せてもらいました。切り込みが一番難しいのは本人の直筆のサインが存在している場合で、口頭による確認事項に食い違いがあったときだそうです。ですが──」
もう一つ、とジュリアは前置きをした。
「これは表立って口に出すべきことではないのかもしれませんが。なのでみなさんの胸のうちにとどめ置いていてほしいのですが──。
カルナーナ政府は革命によって発足した新しい組織です。名を捨て実を取る側面と、目的のためには手段を選ばない側面を持っているんです。ひと言で言うと、内部組織は原則として超法規的存在とみなされています」
「てことは、契約書類なんざが存在していても、最終的には監査側の胸三寸ってことになるのか?」
ロメオは感想を漏らす。
「おっかねえ」
ジュリアは真顔で頷いた。
「でも、考えてみてください。かつて国が王制にあった頃だって、権力者は超法規的存在でした。共和制に移行してから、為政者らの存在意義はその神性から善性へと変革し、そこに民の期待が委ねられているんです。わたしたち国民はみんな運命共同体で、いまは試行錯誤の状態なんです」
ただし──。そうジュリアは言葉をつなぐ。
「自らを超法規的存在と考えているのは政府に直接かかわりのある中央組織であって、憲兵隊そのものの規範は法順守です。監査機関が中央との連絡を密にしている場合のみ、超法規的措置が取られることがあるというだけの話です」
いつだったかルビーは、ナイフ投げのハルの説明した言葉が難し過ぎて良く意味がわからなかったことがある。
いまジュリアが説明をしてくれていることは、それ以上に難しく、ルビーにはなんのことだかよくわからない。
けれどもロメオを介してでなければあとの二人とは複雑な意思の疎通は叶わなかったので、ルビーはおとなしく聞いていた。
「今回の件とは直接関係はないんだが──」
親方が少々神妙に口を開く。
「奴隷制度そのものに対する国の取り組みは、現状やや後手にまわっている気がするんだが。いや、ジュリアさん、あんたに言ってもせんないことかもしれんがな」
「ええ」
ジュリアは頷いた。
「問題の根は政府と奴隷商人ギルドとの協定関係にあると、わたしは考えています」
カルナーナ政府と奴隷商人ギルドは決して一蓮托生というほど仲が良いわけではないが、違法取引の取り締まりに関しては利害の一致もあり、政府とギルドの間にはそれらの闇取り引きを検挙するための協定があるという。
政治の思惑には、表向きと裏があるのだ。そして現実にとれる対応というのは、往々にして理想とかけ離れたところにあるのだと、あどけない顔の少女はその表情を曇らせながら答えた。
「とにかくいまは、カナリーさんのことです。通風口に入るのは身体の大きな親方やロメオさんには無理があると思います。ルビーさんは体調が万全とはいえない状態ですので、わたしが潜入するのが一番かと。幸い今夜は闇夜ですから──」
「いや」
親方は首を振って遮った。
「やはりロビンに行ってもらおうと思う。闇夜の屋敷の中の通風口の暗がりの中を、どこか妙な場所に落っこちずに動き回るのは、あんたには難しいんじゃないかと思う。それに向こうさんが何らかの賊対策を講じていた場合の逃げ足のこともあるしな」
親方がこちらを見たので、ルビーは無言で頷いた。難しいことはジュリアのような考える役の人に任せて自分はただ動く。
難しい理屈がわからなくても、カナリーを連れ戻すという目的がぶれることはない。
闇夜に紛れて屋敷に忍び込み、ある程度明るくなるのを待ってカナリーを捜す。見つけたら、筆談で助けに来たことを伝え、できればその場で一緒に脱出する。
建物は3階建てで、南は大きな庭に面して各部屋に張り出したバルコニーがあり、北側の窓には鉄格子がはまっている。南側から外に出て、壁伝いか屋根づたいに北面に回り、ロープで地面まで降りるのが効率がよい。北側の敷地から道路までの距離は近いのだ。
問題の館は色町街のはずれに位置していて、裏の通りからは鍛冶屋街になっているのだった。
わかっちゃいるだろうが不法侵入だぜ。と口を挟むロメオに、表ざたにならなきゃ問題ないだろうと、親方は返した。
向こうにも後ろ暗いところがあるわけだから、仮にカナリーが騒いだりすることがあって見つかっても、すぐには表ざたにはならないだろうという親方の見解だった。
当然ルビーに身の危険が及ぶケースも考えられるが、その場合はなりふりかまわず一人で逃げてこいとも言われた。
あんたは年長者だからもう少し分別くさい意見を言われると思った、とロメオは感想をもらした。
おれが分別くさい人間なら、空中ブランコ師だの高所作業員だのを好き好んでやっていないさ、などという意味のことを言って、大きな口で親方は笑った。
「ロビン。あんたは優秀な軽業の弟子だ。当てにしてるぞ」
親方にそう言われ、誇らしい気持ちで、ルビーは頷いた。
納得できないとなおも食い下がるジュリアに、最後通告のつもりで親方は聞いた。
「そうは言うがあんた、ロープだけで建物の外壁を伝って3階の屋根に登れるか? しかも足元もよく見えない夜中にだぞ。それができるなら手伝ってもらえないこともないが……」
ところが意外なことに、ジュリアの答えは「できると思います」というものだった。そればかりではなく多少は剣も扱える──弟のジョヴァンニほどではないにせよ──と、彼女は言った。
万一見つかった場合、口封じのために相手が荒っぽい手段に訴えてきたときに、立ち向かうことができるから、自分もルビーに同行させてほしい。なおもジュリアはそう言い張った。




