110 復路の問題
「おまえさんのご主人については、申し訳ないことになってしまったと思っておる。きのうの夕方だった。わしはブリュー侯爵領から領民たちを連れ出して南部に跳んだ。その際に、2人の術師とともにハマースタインの奥方を領地に残してきてしまった。そのすぐ後に奥方が倒されてしまったことを、あとから戻ってきた術師から聞いた。2人に任せれば大丈夫だろうと思ったのだが、わしの判断が甘かったのだよ。2人の術師のうち、戻ってきたのは1人だけだった」
「詳しい話は聞いているか?」
「その様子だと、おまえさんはわしより詳しく知っているのだな?」
「ああ。おれは直接見たんだ。王族の男の"過去視"の力とやらで」
ロメオは古城を取り囲む町の上空から見た情景を説明した。
古城に残された2人の術師の片割れであった専任護衛官が正気を失い、歌い続けるジゼルを敵とみなして手にかけてしまったいきさつを。そのあとジゼルの身体が地下に運ばれ、黒い血を与えられたらしいことも。首から上を探し回って、ミイラのような遺体がうろうろと歩き回っていることも。ジゼルの首から上を見つけられずにいるブリュー侯爵と思われる影が、ほかの女の首を切り落としてジゼルの身体につなげる計画を話していることや、専任護衛官がいま生きたままとらわれていることも。
「奥さまの首は、おれが城壁の外のはるか遠くへ投げた。だから連中がどんなに探し回っても、もう見つからねぇだろう」
町の外に首を投げ捨てたことは話したが、ロビンから預かった声の元を彼女に帰してほしいとジゼルに直接頼まれたことや、ロビンが自分の一部だと説明した大きな魚が空を泳いできて首を飲み込んだことは省略した。
説明が面倒だったからだ。正気かどうかを疑われる可能性のあるエピソードはなるべく省いた方がよいという判断だった。
「一つ疑問なんだが、おまえさんは過去に行って、そこでハマースタインの奥方の首を城壁の外に投げることができたのかね?」
「いや、それをやったときは夜が明けていたから、過去ではなかったと思うぜ。身体はなくていわば魂だけみたいな状態だったが、どういうわけか奥さまの首を持ち上げることはできたんだ。そして、途方もない遠くに投げ飛ばすことも可能だった」
「ふむ。おまえさんにもともと魔力がなかったというのが本当なら、それもあの王族の男の魔力だろうな。いま、疲れや不調に感じられるところはないかね?」
「いや、特には」
ロメオは首を振る。
「ジュリアさんと一緒にこちらに連れてこられて馬車を降りた直後はすげぇ不快感があったが、いまは治まっていて元気だぜ」
「魔力を使い過ぎるとその代償が心身を蝕むものなんだよ。影響がないならよかった」
「首相、あんたは大丈夫なのか? あんたの方こそ術を使い過ぎてねぇか?」
きのうのブリューの町の民のほとんどを巻きあげて運んだ巨大な竜巻を思い出しながら、ロメオは尋ねた。
「きのうあれだけ大仕掛けの術を使ったなら疲れが出てやしねえのか? きのうのきょうで北部まで足を運ぶたぁ、飛ばし過ぎじゃねえのか?」
「わしのことなら問題ない。わしにはある呪いがかけられておってな」
どういうわけか首相は、少し楽しげに口元を緩める。
「わしにかけられているのは、カルナーナの民のために生涯尽力しなければならぬ呪いよ。それはかつてわしの倒した術師の呪いでもあり、祝福でもあるのだ。カルナーナの国と国民のために使う限り、わしの力は無尽蔵に湧いてくるようになっておる」
「うへえ」
何か感想を言おうとしても、ロメオにはそんな言葉しか出てこなかった。そんな途方もない呪いだかなんだかの存在はロメオの想像を超えていたし、カルロ首長の言葉が冗談なのかそうでないのかすら判別がつかなかったからだ。
「そういや、あんたのお抱え術師がこの城にも1人囚われていたぜ」
「このあと面会する手はずになっとるよ。他にも術師がここに集められて操られていたようだが、責任者に確認を取って、何人かは南部に連れて帰るつもりだ」
ロメオは頷いた。
ここでの責任者は暫定的に、侍従長のパスカルが引き受けている。マクシミリアンの屋敷の者たちのうちで意識がはっきりしている者の中では、一番立場が上のものであるからだ。
「ロメオ、おまえさんたちはどうするかね? 術師らの一部が南部を目指すことが決まったら、一緒に戻るかね? といって魔のものらが使うような転移の術での移動ができる術師はわが政府にはおらん。あれは人の身を異形に歪める禁術ゆえにな。帰路は馬での移動になるだろう」
「出発はきょうなのか?」
「馬の用意ができ次第ということろだが、政府直轄領の行政官に伝えたところだからほどなく整うことだろう。ただ、この城の周囲には街道がない。森を出るまでは徒歩になるだろう。市内の宿に夕方までに移動して、出発は明日になるだろう」
「できればおれはきょう出発したいんだが、無理だろうか?」
明日の出発がきょうになったからといって、南部にたどり着き、さらにブリュー侯爵領を訪ねるまでにはどうしても数日かかってしまうから、ジゼルの身体を使って怪しげな術を完成させようとするものらを止めるのは間に合わないかもしれない。それでもその一日の差が結果を分けることもある。
「ならばどうだろう? わしとともに戻るか? わしは一足先に南部に戻るが、行きと同じに何かの乗り物に乗って空を飛んで帰ろうと思っとる。お前さんもそれに同乗するとしたら、そうだな、釣りに使う小さなボートあたりが順当だろうな」
「こんな山の中にボートなんぞあるのか?」
「北部は湖沼地帯だよ。湖に行けばいくらでも浮かんでいるだろう」
「できればそうしたい。ジュリアさんとジョヴァンニを一緒に乗せるのは可能だろうか?」
一旦はそう切り出したロメオだったが、すぐに考えを変えた。
「いや、ジュリアさんが体調を崩しているから、きょうもう一度移動するのは彼女には負担かもしれねえ。それにジョヴァンニはジョヴァンニで、ここでの後始末の責任を負わされているから残る必要があるかもしれねえな」
首相は頷いた。
「ふむ、後で本人に確認をとってみよう。おまえさんについてはどうだね。もしもジョヴァンニとジュリアがここに残るなら、一緒に残るかね?」
「おれはこれからブリュー侯爵領に行くつもりだ。だからすぐ南部まで戻れるなら、やはりきょうお願いしたい」
北部の湖沼地帯から南部までは、普通に移動すれば結構かかる。馬車を乗り継げは10日間ほど。要所要所で馬を換えながら走らせても3日ほど見ておいた方がよい。
ジョヴァンニとジュリアを残していくのは心配だったが、といってブリュー侯爵城に連れて行くわけにもいかない。
今夜、マリア・リベルテとロビンと宿で落ち合う予定にしていたが、いま南部に戻れるのなら、ロメオは夕方を待たずブリュー侯爵領に向かうつもりでいた。
ロビンのこともあったが、この際そのままマリア・リベルテに預けておいても問題なかろう。
そう考えた直後、ロメオは銀色の腹を見せて空を泳いでいた巨大な魚の存在を思い出す。魚は南西の方角を目指していた。向かうその先は海だ。あれがロビンの一部だというのなら、ロビンは一体いまどこにいるのだろう。
「まあ慌てなさんな」
なだめるようにカルロ首相は言った。
「おまえさんは元気だというが、人間休息は必要だ。おまえさんたちは、夕べ一晩じゅう、何かの用で走り回っていたんじゃないのかね? 南部に戻ったらきょうはもう休んで、出発は明日にしなさい」
「しかし首相、そうこうしてるうちにどこぞの娘っ子がさらわれるんじゃねえかと、気が気じゃねえ。できればなるべく早く奥さまの身体を運び出すか──」
そこでロメオはいったん言葉を切る。次の言葉を口にするのは少し勇気がいった。
「いっそ復活などできねえよう、処理してしまわねえと。やつらが早々に諦めるように」
本当は普通に埋葬したいが、埋葬するだけでジゼルの身体をちゃんと土に返すことが叶うのかどうかの確証がない。強い火で焼いてしまうか、薬品のようなものを使って完全に溶かしてしまう必要がある。
ロメオの戸惑いがわかったのだろう。首相は無言で、ぽんぽんとロメオの肩を叩いた。