EP 7
真のチート(未来との同期)
清麿が盤に叩きつけた、不格好極まりない『銀』。
それは、星野が芸術的な直感で描き出していた「美しい必勝の盤面」に、突然泥団子を投げつけたような、下品で無骨な一手だった。
「……なにこれ」
星野は、微かに眉をひそめた。
盤上から発せられる異質な「ノイズ」に、彼の天才的な嗅覚が警戒を告げている。
(今までみたいな、計算された手じゃない……! 泥臭くて、気持ち悪くて、なのに……すごく嫌な感じがする!)
星野は、その泥を払い落とすように、鋭く角を打ち込んだ。
パチン! と軽快な音が響くが、先ほどまでの「遊びを楽しむ」余裕は少し削れていた。
その手をノータイムで受けた清麿は、しかし、すぐに次の手を指そうとはしなかった。
(……和令)
清麿は心の中で、相棒に語りかけた。
(俺の脳内モニターに、未来の『答え(最善手)』は表示しなくていい)
『はあ!? あんた本気で言ってんの!? 今は勝率2%の土俵際よ! 私の計算した最善手通りに打たなきゃ、一瞬で即死するわよ!』
和令がパニック気味にホログラムの画面を叩く。
(お前の最善手は、星野の『直感』に上書きされて喰い破られる。あいつは【論理の先】を読んでるんじゃない。【論理の外】を飛んでるんだ)
清麿は、ジリジリと燃えるような瞳で盤面を見つめた。
(論理の外を飛ぶ鳥を撃ち落とすには、空の飛び方を計算するんじゃダメだ。空ごと泥沼に引きずり下ろすしかない。……だから、答えは俺が探す)
『清麿……』
(お前の役目は、俺が今から放つ『無茶苦茶な泥仕合』が、最低限【即死しないかどうか】だけを、そのバケモノみたいな計算速度で裏付けろ!)
和令の目が、大きく見開かれた。
それはつまり、未来のAIを「答えを教えてもらうカンニングペーパー」として使うのではなく。
清麿の『泥臭い人間の発想(直感)』を、未来のAIの『圧倒的な演算能力』で瞬時にシミュレートし、安全性を補強するということ。
人間と機械の、完全な役割分担。
どちらか一方が欠けても成立しない、才能を持たない凡人が天才を凌駕するための――【真のチート能力】の誕生だった。
『……っ、ふふっ。あははははっ!』
和令は、空中で腹を抱えて笑い出した。
それは、今までで一番、人間らしくて楽しそうな笑い声だった。
『上等よ、猟犬! あんたのその狂った泥仕合、私の300年分の演算領域をフル稼働させて、絶対に死なせないようにしてあげるわ!』
和令の手首の端末が、かつてないほどの光を放つ。
清麿の脳内で、未来のシステムが全く新しい挙動で起動した。
『システム:ハイブリッド・モード起動。加藤清麿の思考ルートの安全性検証を開始……完了! 生存確率維持、ゴー!!』
パァァンッ!!
清麿が、次の一手を放った。
それは、星野の角のラインを真っ向から受け止める、分厚く、そして不細工な『金』の打ち込みだった。
「……えっ?」
星野の手が、三度止まった。
計算上は、この金は星野の飛車で簡単に突破できるはずだ。
だが、星野の直感は叫んでいた。『それを取れば、見えない泥の底に引きずり込まれる』と。
「……なんだよ、それ」
星野の顔から、ついに無邪気な笑顔が完全に消え去った。
理屈では勝っているのに、手が伸びない。
清麿が放つ、人間の執念と未来の演算が融合した「絶対に死なない泥沼」が、星野の才能を少しずつ、しかし確実に絡め取っていく。
「どうした、星野」
清麿は、額に汗を滲ませながら、獣のように笑った。
「遊びの時間は終わりだって言ったろ。……こっからは、息もできないくらいの泥水の中で、一緒に溺れてもらうぜ」
『……評価値、変動! 星野四段の勝率、98%から……90%、85%……!!』
別室の解説者が、信じられないものを見るように叫ぶ。
清麿の手には、血の通った熱があった。
かつての「盤上のサイコパス」が放っていた絶対零度の冷気ではなく、火傷しそうなほどの、生々しい人間の熱。
それが、300年分の未来の演算という「最強の盾」を得て、絶対無敵の天才・星野の牙城に、凄まじい勢いで肉薄していく。
凡人と未来の相棒による、大逆襲の火蓋が切って落とされた。




