9 糾弾の黄金3
執務室の机に座るレオニスの前に、クリスが立っていた。
「間違いありません。錬金術師ロイ――本名、ロイセル・グランディス」
その名に、空気がわずかに張り詰める。
「グランディス伯爵家の出です」
「……うそ」
遥香は呆然と呟いた。
「これで分かっただろう。あいつは“詐欺師”だ」
レオニスが低く告げる。
(嘘、だった……?)
遥香の脳裏に、あの軽薄な笑顔と――
一瞬だけ見せた、真剣な眼差しが重なる。
「ですが」
クリスが、わずかに言葉を切った。
「グランディス伯爵家は、ある事件をきっかけに没落しています」
「……事件?」
遥香が顔を上げる。
クリスは一瞬だけ視線を伏せ――静かに言った。
「当主が"魔女"だと、教会に連行されたのです」
「……え?」
遥香は目を見開いた。
(おかしい……)
それが真実であれば、ロイは教会のことを良く思っていないはずだ。
(なんで、教会が経営している孤児院なんかにお金を流しているの?)
遥香は、口元に手を当て考える。
そんな遥香を一瞥して、レオニスは釘を刺すように言う。
「いずれにせよ、危険人物であることに変わりはない。二度とお前は近付くな」
そう言うと、レオニスは遥香を執務室から追い出した。
「えっ! ちょっと! レオニスさん!」
遥香はそう言いノブを回したが、ドアが開くことはなかった。
遥香はそっとドアに耳を当てた。
「あと……待つ……」
中から、途切れ途切れに声が聞こえてきた。
********
ある夜、城内は奇妙なほど静まり返っていた。
いつもなら廊下のあちこちで聞こえる甲冑の擦れる音も、見回りの足音もない。
窓の外に目をやれば、中庭の詰所にも明かりは少なく、まるで城そのものが息を潜めているようだった。
(……変だな)
遥香は部屋の椅子に座ったまま、そわそわと落ち着かずにいた。
昼間から、クリスの姿も見ていない。
使用人達も、どこか慌ただしく、遥香と視線を合わせようとしなかった。
(何か、あったのかな……)
レオニスに聞こうにも、ここ数日は顔すら合わせていない。
あの日、執務室の扉越しに聞こえた言葉。
――あと……待つ……
あれが何だったのか、ずっと胸に引っかかっていた。
そのときだった。
――コンコン
控えめなノックが響いた。
「……はい?」
遥香は訝しがりながらも、小さく返事をした。
「レオニス様から、言付けがあります」
若い男の声だった。
遥香は少しだけ扉を開けた。
そこに立っていたのは、城の制服に身を包んだ使用人だった。
帽子を深く被り、手には書類を持っている。
「……ありがとうございます」
遥香が書類を受け取ろうと手を伸ばした、その瞬間。
使用人はするりと部屋へ入り込み、後ろ手で扉を閉めた。
「なっ……!?」
遥香が息を呑む。
男は帽子に手をかけ、くいと持ち上げた。
さらり、と金色の髪がこぼれ落ちる。
「やっほー、遥香チャン」
青い瞳が悪戯っぽく細められた。
「……ロイさん!?」
遥香は思わず声を上げ、慌てて口を押さえた。
「しーっ」
ロイは唇に指を当て、にこりと笑う。
「な、なんでここに!? ていうか、どうやって入ったんですか!?」
遥香は声を顰めながらも、早口でロイを問い詰める。
「さてね、おかしなことに騎士団が妙に少なくてね」
そう言うと、ロイは肩をすくめて笑い、机に腰掛けた。
その仕草は軽い。けれど青い瞳だけは、笑っていなかった。
「そうそう。今日は雑談しに来たわけじゃないんだ」
そう言うとロイは懐から、小さな硝子瓶を取り出す。
中には、茶色がかった粉末が入っていた。
「これ、何かわかる?」
ロイが瓶を軽く振る。褐色の粉がサラサラと瓶内を移動した。
「……これ、どこで?」
遥香は瓶を受け取り、まじまじと粉末を見た。
「ちょっと、孤児院の地下から失敬した」
ロイはあっけらかんと言った。
「こ、孤児院!? それって、教会の……?」
遥香は目を見開き、ロイと瓶を交互に見た。
「ねぇ。アンタ、薬に詳しいんでしょ?」
ロイは真っ直ぐ遥香を見た。
「これが何か、教えてほしい」
その声には、いつもの軽薄さがなかった。
遥香は瓶を机の上に置き、深く息を吸った。
「今すぐには、断定できません」
遥香は静かにそう言うと、真剣な眼差しでロイを見た。
「でも、確かめる方法はあります」
ロイが口角を上げた。
「さすが、遥香チャン。やっぱり思った通りだ」
ロイは目を細めて遥香を見た。
薬剤師という手前、憶測で薬を判断する訳にはいかなかった。
「薬剤室に道具があります。そこで、同定試験をします」
そう言うと粉末の入った瓶を布で包み、遥香は立ち上がった。
「よし! そうと決まれば行っちゃう?」
ロイは腰掛けていた机にから、立ち上がった。
「いや、でも、ロイさん見つかったら終わりですよ」
遥香が振り返り、ロイに言う。
ロイは一瞬だけ目を丸くし、それから肩を揺らして笑った。
「俺のこと心配してくれてんの? やさしいねぇ、遥香チャンは」
からかうようにロイは笑った。
「違います! もう、行きますよ」
遥香は扉を少し開けて廊下の気配を探る。物音はない。
そっと扉を開くと、長い石造りの廊下には誰の姿もなかった。壁の燭台だけが、揺れる火を落としている。
「……本当に誰もいない」
遥香がぽつりと呟いた。
「へぇー! こりゃ、ますます怪しいね」
ロイはそう笑うと、何食わぬ顔で遥香の前に出た。
「ちょっと! もうちょっと侵入者っぽくしたらどうですか!?」
なぜか遥香がそう釘を刺したくなるほど、その姿は堂々としていた。
二人は城の奥にある薬剤室へ向かった。
途中、曲がり角の先で物音がして遥香は息を呑む。
だが現れたのは、慌ただしく走り去る下働きの少女だけだった。
こちらを見る余裕もなく、慌ただしく消えていく。
「ふう」
遥香は胸を撫で下ろした。
「まぁま、もっと肩の力を抜いてー」
ロイは呑気にそう言うと、遥香の肩を叩く。
「もう、誰のせいでこんなに気を遣っていると思ってるんですか!」
遥香はロイをギロリと睨んだ。
やっとの思いで薬剤室の前へ辿り着いた。
遥香が鍵を回すと、かちゃりと静かな音がした。
中へ入ると、棚いっぱいに瓶や乳鉢、秤、乾燥薬草が並んでいる。ほのかに薬草の匂いが漂っていた。
「おー。すっご」
ロイが感心したように口笛を吹く。
遥香はそれを無視して、机にランプを灯した。
瓶の中身を少量取り出し、乳鉢で細かくすり潰す。澄んだ水に溶かし、濾紙で不純物を除く。
ロイは珍しく黙って、その手元を見つめていた。
「ロイさんって、静かに出来るんですね」
遥香が驚いたようにロイを見て言った。
「……いや、失礼だな」
ロイは軽口を叩きながらも、その視線は薬から離れなかった。
遥香は試験液を小皿に移し、別の小瓶から薬液を数滴垂らした。
透明だった液体が、ゆっくりと色づいていく。
淡い青。それがじわじわと濃くなり――深い紫へ変わった。
「出ました」
遥香の小さな声が薬剤室に響いた。
ロイの顔からは笑みが消え、青い瞳がじっと遥香の顔を見つめいている。
「これは、この薬は……」
言いかけた、そのときだった。
――バン
薬剤室の扉が、勢いよく開いた。




